第二百六十話 将国の軍
ルドルフはすでに東西にトロールたちの大軍が上陸していることを告げた。その正確な数は不明だが少なく見積もってもざっと三万を下るまい。五万や六万いてもおかしくない。そのような景色だった。道が断たれた中央のトロールたちも少し下がって東西に迂回しつつある。
「ここから先の主役は指揮官と兵士だぞ。つまりはお前たちだ。俺はもうさすがに魔力が持たん」
軍隊同士の戦でも強力な個がしばしば戦況を大きく左右することはある。だがそれにも限度はある。
大魔術の行使に次いで鮮やかに三体の竜を屠ったルドルフだが、延々と同じ調子で動き続けることはできない。魔術師は戦においても恐るべき戦力となり得るが、その強さには魔力の限界と言う枷がある。
事実、自前の魔力はスコーチドアースだけで危険水域まで失われていた。魔石を使って魔力を回復しなければ、続いて白竜たちと戦うことなどとてもできなかっただろう。そして手持ちの魔石も無限ではない。先ほどはここが勝負所と見て大量の魔石を惜しまず投入した。それゆえに発揮できた全力である。いきなり最後の追い込みの勢いで動いたのだ。
魔力が無限に湧き出る地脈の傍らで戦うならともかく、通常のフィールドであの精強なトロールたちと真正面から当たれば、自分とてせいぜい百や二百を倒したところで力尽きるだろう。
もちろん備蓄した魔石はまだある。それらを使い果たす勢いで湯水のように使い、さらに搦め手を使えばもう少しはいけるはずだが、それでも万のトロールを一人で相手取れると思うほど、ルドルフは愚かでもないしうぬぼれてもいない。
ガディとダドリー、それからなし崩しにザマル防衛へと配置転換となったグレアズらは、いったん館に戻ってこれからの戦いに備えた軍議をすることとなった。セラとバルドもそちらへついていく。南街区から城壁内への避難指示なども出て、町がにわかに慌ただしくなった。
そんな空気の中、ヴァルターは悠然と言った。
「じゃ、俺らはあっちを見に行こうか。お前さんの意見を聞きたい」
たしかにノルダの関の状況も見に行かねばなるまい。
冬の日は短い。外はすでに暗くなりつつある。黄昏の中を城壁内へと避難してくるオークたちをかき分けるようにして、ヴァルターとルドルフはノルダの関へ通じる転移門へと向かった。
転移門をくぐった二人は関のすぐ北側に建てられた掘っ立て小屋の中に現れた。ノルダの関に備えられた転移阻害のため、砦の内部に転移門を作ることはできないのだ。
関の通用門から中に入っていくと、その内部にはあちこち篝火が焚かれていた。ワレドナ村からついてきた獣人の一人が素早くヴァルターの側まで来て、戦況の報告をしている。日没を前に相手も兵を引いたらしい。
ルドルフが関の門の上部に設けられたテラスから、今日戦いのあった南側を見下ろすと、そこは死屍累々たる有様であった。敵方の死体がそこかしこに積み上げられている。それは今日がどれだけ激しい戦いだったのかを物語っていた。
敵側の被害は甚大。なれど味方の損耗は軽微。ノルダの関の堅牢さは聞きしに勝るものだ。明日以降もこの調子で行けるなら何の心配もないだろう。
同じ調子で行けるなら、だが。
実の話、こちらの兵士たちもかなり疲弊していた。ろくに交代要員もない寡兵でかなりの時間戦っていたのだから無理もない。また城壁の下に群がる敵を攻撃する物資も心許なかった。赤竜を主戦力と当てにしていたせいもあり、関にはそれほどの備えを置いていなかったのだ。
この上ない堅守の砦に立てこもりながらも、このリソースの乏しさはどうしようもない。
そのような相手に対し、どうやら敵方は損害を度外視して兵力でゴリ押ししようという構えだった。明日もつらい一日になるだろう。ヴァルターが「いずれは門を破られそうだ」と言ったのはつまりそういうことであった。
夕闇に紛れて敵兵が自軍の死体の回収を進めている。
そんな死体の山の中、天然の城壁である絶壁のはるか下方で、なにやら叫んでいる者があった。
「怖気づいたか! 竜を出せ! 竜よ、俺と勝負しろ!」
黒い鎧姿の男だった。赤い剣を高く掲げている。年の頃は中年だが、その顔の傷と精悍さは彼が歴戦の勇士であることを感じさせる。両側には神官と魔術師と思しき女性二人が控えていて、その女魔術師の魔術による光球が彼らを煌々と照らしていた。
あれではいい弓矢の的だろうにと思うが、射ろうにもすでに矢弾が切れている。
眼下に小さく見える男の持つ赤い剣には、柄の先にそれと見てすぐにわかる傷があった。あれはたしかにルドルフがジオラダに渡した竜殺しの剣に違いない。とすればあれが神子で、側にいる者たちは従士なのだろうか。
「神子よ! なぜこの地を攻める! お前の倒すべき竜はまだほかにいるはずだ!」
相手が神子なら攻撃していいものか判じかねる。とりあえずルドルフは大声でわめき返した。
それを聞いた男が見せた反応は失笑であった。一応認識阻害の面を付けているので、対話の相手がリッチとはばれていない。
「あの愚かな神子はもうこの世にいない! 今や竜殺しの名はこのディケンズ様のものだ! 言われなくてもすべての竜はいずれ狩る! まず近くにいるここの竜からだ!」
「竜はその剣に怖気づいていずこかへ飛び去った! もうこの先のどこにもいない!」
「ならば十万の兵でこの関を押し通り、その真偽を確かめるまで!」
ルドルフはこの短いやり取りで得たいくつかの情報を整理した。
まずディケンズと名乗ったあれは神子ではない。どういう経緯かは知らないが、口ぶりからして神子を殺して竜殺しの剣を奪ったと見える。神子の使命を果たす前の神子を殺すことはエルフが禁じているのみならず、神殿からも大罪とされているはずだが……
そしてどうやら竜殺しの剣に、竜を殺すことに憑かれている。どこで聞いたのか、この関を赤竜が守っていることを知ってやってきたのだろう。
最後にあの男が東アストル将国の人間で十万の兵とともにやってきたと言うこと。身なりからしてもそれなりの立場にいるように思える。目的は竜だけではなく、それを殺すついでにこの関を、そしてその先の土地をも獲るつもりに違いなかった。
とりあえずルドルフがここまで聞いた内容で導き出した結論は、あの男は殺しても問題なさそうだ、ということだった。これ以上の詳しい話は殺した後でも聞ける。
「まずあの剣を返してもらおうかな。又貸しは契約外だ」
ルドルフはそうと決めるや漆黒の冥王の杖を取り出し、振りかざした。
敵は今日の戦いでこちらの戦力を測ったつもりでいるに違いない。だが今や目の前の大地は死霊魔術師の新たな兵力に満ちている。その魔術が発動するや、一瞬のうちに周囲すべての死体が立ち上がり、ディケンズたちへと向かう――
はずであった。
しかしその意図に反して、ルドルフの死霊魔術に死体は何の反応も示さなかった。
ならばとルドルフは続いてエクスプロージョンの魔術を連続で繰り出した。三人を中心として四回の爆発が起こり、もろともに辺りが炎と爆風で包まれる。
だがその炎が晴れた後には依然として健在のディケンズらがいた。女神官と女魔術師がそれぞれ法術と魔術で守りを張ったのだ。
ルドルフが先ほど杖を振りかざしたのを見て、素早く対抗の術を使ったのだろう。距離が遠すぎてやや威力が減衰していたとはいえ、四発のエクスプロージョンを平然と防ぎきる手並み。反応速度も大したものだ。
「そうか。あれが話に聞いたリッチだな」
「死霊魔術に対抗する聖具を持ってきていて正解でした」
ディケンズが女神官らと話す声がこちらにも届いた。
魔術を使ったことでルドルフの正体がリッチと露見するのはともかく「話に聞いた」とは?「死霊魔術に対抗する聖具」とやらの詳細はわからないが、聖具といえば聖剣もまたそのひとつに数えられる。要するに聖剣と同等の至宝であるはずだ。そんなものまでわざわざ用意しているとあれば、駆け引きのための与太ではあるまい。
相手は自分がここにいると知っていた? なぜ。どうやって。
「小癪なリッチめが! 貴様一人が守りに加わったところで我が軍にとっては他愛もなきこと。明日は我が剣でその頭蓋を砕いてやるゆえ覚悟せよ!」
思案するルドルフを前に、ディケンズはそう言い放ち、二人の供と轡を並べて去って行った。




