第二百四十六話 想定外の鹵獲物
ドォンと言う遠い爆音が余韻のこだまとともに町中に響いた。
少しの間を置いて再び同じ爆音が響く。町のどこからでも目に入る神殿の尖塔の、上のさらに上に爆炎が煌めいている。しばらくして三度その音が鳴り響いた時、戦いの音は止み、攻め手の魔物たちの間からは大きな歓声が上がった。勝鬨である。
一方、爆炎の煌めいた場所と敵方の様子から敗北を悟ったトロールたちは算を乱した。我先に逃走を始める者、討ち死にを覚悟の突貫を行う者、諦めず血路を開こうとする者など様々である。
敗残兵たちの周りでしばらく剣戟の音は続いた。だがそれも長くは続かない。間もなくして、町の中の音は、種々雑多な魔物たちが、種族の壁を越えて手を取り喜び合う声一色となった。
やがて神殿の面する広場まで進んで来たダドリーたちが目にしたのは、太い縄で両手を縛られて胡坐をかくトロールと、その横に立つリッチの姿であった。
「さすがはリッチ殿。一番の手柄を取られてしまいましたな」
すでに熊の頭ではなくなったダドリーは笑いながらルドルフに近づいてくる。囚われているトロールは雑兵にはない立派な鎧にただならぬ面構えをしていて、大将首だと一目見てわかった。
「みなが戦ってくれてこそだ。それよりダドリー、お前こいつから話を聞き出すことはできるか?」
ルドルフはトロールの守将に目を向けて言った。ルドルフはトロールの言葉がわからない。話を聞くためにどんな魔物とも会話できるダドリーかガディを待っていたのだ。
守将は観念したように目を閉じ、しかし背筋は伸ばしたまま毅然とした姿勢は崩さない。
よく見るとその鎧の腹の部分には大穴が開いていて、そこかしこに大きな凹みや血の跡もある。だがその体の傷はまったくきれいに再生している。ルドルフが彼を殺さないように火を使わず、しかしそれ以外は加減なしで戦った結果である。
「話すことはない。ほかの者と同じように殺せ。と申しております」
守将の周りにいた側近のトロールたちまでは、さすがに生け捕りにする余裕はなかった。ただでさえ選りすぐりのトロールたちである。
エナジードレインでいちいち吸い尽くすこともままならない生命力、昏倒させてもすぐに目を覚ますタフネス、生半可な拘束では意味を成さない膂力、将を守らんとして立ち向かう不屈の気概、それらを前にして下手に加減すればこちらが足下をすくわれかねない。
「魔王の眷属であるお前が話しても駄目か」
それからルドルフは魔王ならばもしや、とガディを待ったが、結果は変わらなかった。
「駄目だ。僕の配下に負けたのだから僕に従え、と言っても、自分の忠誠は我が首領のもとにある、と言うばかりだ」
だれがお前の配下だ。と、内心で突っ込みつつも、ルドルフはその守将の言葉にひとつ推論を組み立てていた。
魔物に対して圧倒的なカリスマを発揮する魔王の力でも、従わせることができない者はいる。原則としては魔王自身やその配下より強い魔物は無理だ。だが力で圧倒しても屈しないケースがあるようだ。今回の場合は忠誠心、ほかにすでに主がいるためだろうか。
魔王の言葉によるダドリーの手のひら返しを見るにつけ、何でも言うことを聞かせられる力のようにも錯覚してしまうが、そこまで相手の意思を無視できる能力というわけでもないのだ。
ルドルフらはその場で守将の首を切った。彼は死ぬ間際、生き恥をさらさなくて済むことに感謝の言葉を述べたそうだ。
こうしてザマルの戦いは無事に味方の勝利で終わった。
殺したトロールが千。こちらの犠牲は死者が四百、重軽傷者は数知れずといったところだ。まず上出来の戦果といえるだろう。
報告によると港ではトロールたちの乗り込んだ船を一隻、グレアズが炎のブレスで沈めたそうだ。一方で東門から逃げようとしたトロールたちもマローダーと魔物たちにやられて全滅したという。この町から逃げたトロールはいない。
だがまだ海の向こうからトロールがやってこないとも限らない。今日は勝利したとはいえ、トロール兵団との戦いは今からが始まりといえる。
それにまたルドルフは東に逃げようとしたトロールがいることも気になっていた。守将と側近たちもそうだった。
この町から海岸線に沿って東南に向かったところには難攻不落とされるノルダの関がある。船の数からして、むしろ本隊はそちらにいる。
その関をまだ攻めているのか、とっくに攻め取ったのかはわからないが、いずれにしろザマルに取って返される危険を考えると、そちらにも手を講じておく必要がある。
ルドルフはあごに手をやり、早速先の手を考え始めた。その側にヴァルターが来て言った。
「よぉ、さすがだなルドルフ。おいしいところを持っていきやがって。最初からお前一人で大将首を取って終わりで良かったんじゃねえか?」
「馬鹿を言え。俺だって千のトロールの真ん中に突っ込んでいくのは嫌だ」
膨大な魔力を持つリッチとはいえ、無限に戦える魔力があるわけではない。
実際、孤立した大将首が目論み通りに目の前に現れたので仕掛けたのだ。それはいくつか考えていた勝利パターンのひとつだった。エクスプロージョンの魔術三発が勝利の合図である、というのもあらかじめ決めていたことである。
まあ戦況によっては古代魔術ですべてぶっ飛ばすとか、そういうなりふりかまわぬ手段も考えてはいたが、それはあくまで非常手段だ。ルドルフは一時的な協力者であって、恒久的な庇護者ではない。なんでもかんでも一人で引き受けるのはかえって埒が明かないというものだった。
そんな風にヴァルターとルドルフが軽口を交わしていると、ヴァルターの村から来た大男の獣人が二人のところまでやってきた。今は人の顔をしているが、たしか虎の獣人だったか。
「すんません、村長。ちょっと想定外が起こりまして」
その言葉にルドルフは嫌そうな、ヴァルターは興味深そうな顔をした。
ルドルフとヴァルターが案内されたのは、ちょうどトロールの守将たちが出てきた大きな建物だった。その中に足を踏み入れるや否や、ルドルフはその想定外というのが何なのかを理解した。
ぼろをまとってやせ細った人間たちが十数人、そこに並んでいたのだ。人間たちはぬっと現れた巨大なリッチの姿に恐れおののき、身を寄せ合って小さくなった。足かせの鎖がじゃらじゃらと音を立てる。トロールたちの身の回りの世話をするのに奴隷として生かされていた者たちである。中には女子供もいた。
「なるほど、生き残りかー。運がいいんだか悪いんだか……もしかすると見知った顔もいるかもしれないな」
ヴァルターがさばさばと言う。彼が村長を務めるワレドナ村の人々は、まれにザマルまで買い物に来ることもあった。ヴァルター自身も人間を装って年に何回かはザマルを訪れている。
「これだけか?」
「いえ、ほかの建物にも点々と。すべて合わせるとけっこうな数がいるようです」
ルドルフとヴァルターはとりあえず人間たちを神殿の前の広場に集めることとした。時間が経つにつれ、その数は思っていたよりも多かったことが判明する。
ゆうに千以上はいる。ゴブリンやオークたちの中には、見つけた奴隷を戦利品として引きまわしている者もいたが、それらもいったん取り上げた。
そうして人間たちを集める間、ガディ、ダドリーらとも顔を突き合わせて急な協議が始まった。
「まあ、殺すわけにもいくまいな」
それはルドルフの人間としての常識から出た言葉だった。
しかしダドリーからは苦言が出た。
「そもそも我らは人間たちに追われてここまで来たのですぞ。なぜここで人間を助ける道理があるのです」
心底不満そうな顔をしている。普段は人間の姿をした獣人とはいえ、それが魔物としては当然の言い分だった。ゴブリンやオーク、オーガの代表者も同じ意見だ。一方で普段から人間とともに暮らすヴァルターは明確に反対の立場だった。
「ガディ様もそう思われるでしょう?」
ダドリーは上座にいるガディに声をかけた。彼はこの小さいコボルトをも王として敬っている。三君に仕えているのだ。
ガディはしばしの間を置いて答えた。
「……いや、僕はヴァルターに賛成だ。人間と言っても悪い者たちばかりではない」
西の魔王に追われてワレドナ村まで逃げてきてから、ガディには村の人間たちにだいぶ良くしてもらった思い出がある。魔王である自分自身は呪いのせいで恐れられていたが、正直恐れられているのが新鮮で気持ちよくもあったし、配下のコボルトやゴブリンたちは隣人として暖かく迎えてもらった。よって人間だからと言う理由で無下にする気持ちはない。
その凛々しいガディの一言で、まるで茶番のように風向きが変わった。
「さすがはガディ様。その広いお心にこのダドリー、感服いたしました」
相変わらず便利なような危ういような。
ガディの鶴の一声で事が丸く収まりそうな予感に安心しつつ、ルドルフは魔王の力に対し、改めてそんな感想を抱いた。
ガディとダドリーはそろって得意顔をしつつ朗らかに大笑している。この二人の組み合わせは特に不安だ。
とはいえ、今はそんな漠然とした心配よりもやらなければならないことがある。ルドルフは獣人たちに指示して周りの建物から鍋釜や食器の類を集めさせると、広場でそのまま炊き出しを始めた。やせ細った人々にひとまず麦粥が振るまわれる。
町の人々は最初、こうして一様に集められたことに怯え、不安に思っているようだった。
トロールたちの代わりに町を占拠したと思しき者たち、その中には人間に見える獣人もいるが、ほとんどは見たまんまの魔物の集団なのだから無理もない。
だが目の前で調理が始まり、食糧が供されたのを受け取ると、その不安の表情は解放された喜びに涙するものへと変わっていった。
そんな中、髪も髭もぼうぼうに伸びた薄汚い男が大鍋の隣にいたヴァルターに話しかけてきた。
「……ヴァルター?」
「その声はスウェンか? おお、よく生きていたな。とっくに駄目かと思っていたぜ」
スウェンと呼ばれた男は涙で言葉を詰まらせながら、何度もヴァルターに礼を言った。
「ぐうぅっ……ありがとう……ありがとう!」
「実のところはお前たちを助けに来たってわけでもないんで、そこまで感謝されると面映ゆいんだが……まあ食え。こうなったのは成り行きだが、悪いようにはしない」
ヴァルターが言うには、スウェンはこのザマルを取り仕切っていた商会の会頭だと言う。しれっとそういう伝手を持っているのもヴァルターらしい。
ルドルフはヴァルターにこの場を任せて、魔物たちに囲まれているガディとダドリーのもとへと赴いた。
その後、ひとまずほとんどの魔物たちは城壁の外の南の市街地まで退いて、そこに落ち着くことになった。
トロールたちがこの港町を占拠したのは半年以上も前だったが、彼らは城壁内の自分たちの背丈に見合う大きな建物だけを主に利用していた。
ゆえに城壁の外側に広がる南の市街地はまるきり放置していたようで、破壊されたままになっている石造りの家屋や、野ざらしになったしゃれこうべが、町を襲った惨劇の跡を物語っている。
魔物たちは思い思いの建物に仮住まいしつつ、トロールたちが備蓄していた兵糧で腹を満たしている。戦勝の余韻とともに、穏やかにその日は暮れて行った。
その翌日からまた数日の間、ワレドナ村を横切る魔物たちの列が続いた。その間に女子供を含め、ダドリーの故郷の周りに集まっていた三万の魔物たちはすっかりザマルの町の周りへ移動し終わった。
最後の一人がダドリーの家の一室に築かれた転移門の上に乗って消える。それを見届けたルドルフは一息ついた後、おもむろに魔術でその転移門を破壊した。
ここまではなかなか順調に終わった。しかし本当に落ち着くにはまだ少し早い。




