第百七十二話 北へ旅立つ
数日の後、ルドルフは改めてアクィラたちとの話の続きに臨んだ。
アクィラはその場に現れたルドルフの顔を見てわずかに顔をしかめたが、それより不機嫌になることはなかった。冷却期間を置いてその怒りもだいぶ落ち着いたようだ。
これにはルドルフが気持ちばかりに弄した小細工も功を奏していた。
待つアクィラは燃え尽きた旅装束の代わりにお気に入りの服を着て、久しぶりのおしゃれを満喫していた。すっかり着飾った年頃の娘の恰好である。
ルドルフはあの後、数日で戻ると言って姿を消した。その姿を消す際に、次元収納にずっと預かったままになっていた彼女の服をヴァルターの家に置いて行ったのだ。おかみさんに「あらかわいい」「まあすてき」と褒められまくったことで、アクィラのここ数日の機嫌はこの上なく改善していた。
さて北方大陸の話の続きである。
ルドルフはその現状を語るためにまず簡単な歴史から紐解いた。
北方大陸はかつて人間たちのものであった。大陸を統べる王国は千年の歴史を持つ強大な国家で、中央大陸にあった帝国と連帯し、東西の大陸の魔物と激しく覇を競っていた。
しかし六十年ほど前にそのすぐ北の島に生まれた極北の魔王の侵攻を受け、真っ先に滅ぼされてしまった。そして崩壊した王国の跡地には、今やトロール兵団の支配が根を張っている。
魔物の領域である北方大陸の旅は、これまでの道とは比較にならないほど厳しいものになるだろう。人間の旅人がゆっくり休める場所は限られているし、貧困にあえぐ人々から食糧を譲ってもらうことすら難しい。
そこまで語った後、ルドルフは北方大陸の地図をテーブルの上に広げた。その地図には進むべきルートが細かく書き記されている。これはこの数日、ルドルフがかつての己の旅路を頼りに転移魔術で確認してきたもので、六十年間の変化にも対応した、鮮度の高い確かな情報だった。
北方大陸は東西に細長く伸びている。地図が示すルートはその大陸の南岸中央の港町から、海岸沿いを反時計回りに進み、やがて北東の岬へと至るというものである。
ルドルフはその岬の先端に近い場所にあるチェックマークを指して「極北の島へと渡るための海底洞窟がここにある」と言った。
海峡は海竜の縄張りになっているので、海を船で渡るよりここから行くのがお勧めであると。それは殲滅の神子の一行が極北の魔王を倒す時に抜けた道でもある。昔はその洞窟にも厄介な魔物がいたが、今はもういない。
こうしてわざわざ色々と調べてきたのは、反省したルドルフのせめてもの詫びのしるしだった。
思いもよらない詳細なガイドは、努めて面白くない顔を維持しようとしていたアクィラをも唸らせた。同席していたヴァルターも興味深そうに地図を眺めている。
ルドルフはこの雰囲気ならいけそうな気がしたので尋ねてみた。
「ところで、こんな苦労をしてまで手に入れたい探し物とは何なのだ?」
「それはね。不死鳥の炎だよ」
ラエルがあっさりと質問に答えた。アクィラとは違ってもう何の屈託もない様子である。そんなラエルの様子を見たアクィラは口を曲げて頭をガシガシとかいた後、大きく息を吐いてから静かに語った。
「……神子の使命の報酬として情報をもらったのさ。不死鳥の住んでいる場所を知らないかってな。不死鳥の炎は生まれ変わりの炎と聞く。その炎でアタシとルカの身を焼いて、生きた人間に戻れるか試そうってわけだ」
「そうそう、そしたら僕とアクィラも心置きなく結婚できるしね」
「そんな話はしてねえし、お前と結婚もしねえ」
調子に乗るラエルの言葉をアクィラはぴしゃりと切り捨てた。
アクィラには一度触れた炎を再現して操る異能が備わっている。その炎があれば不死鳥と同じく永遠に生き続けられるのかもしれない。
「なんとも面白いことを考えるものだな」
「ま、半分はものの試しってやつさ。無理だったとしても何の目的もなくアンデッドのままいるよりはずっとマシってな」
それから今度はアクィラが荷物から極北の島の地図を出してきて広げた。その東側の火山にマルがつけてある。ルドルフが先ほど示した海底洞窟の出口は極北の島の西よりで、そこまではいくらか距離がある。
この周辺の情報も何か知らないか、と彼女が問うと、ルドルフは地図の上に指を置き、かつて自分がたどった道をなぞった。それは西側からそのまままっすぐ北へと向かう道で、東側の火の山へはかすりもしない。
「そこはアリアナの話と同じだな。まあ、そんなにうまい話はねぇか」
アクィラはやや残念そうに言ったが、そこまで落胆している様子ではない。ルドルフからもたらされた北方大陸の情報は、出発前にアリアナからもらったものとは比べ物にならないほど詳しいものだった。それだけでもだいぶ先が見えたと感じたようだ。
「師匠も行く? 不死鳥に会ってみたくない?」
ラエルが目を輝かせてルドルフに聞いてきた。たしかにそれは一度会ってみたい気がする。なにせ竜にも増して希少な存在だ。
しかしそれにはアクィラがすぐに反対した。
「ダメだ。その前にお前はまず知り合い全員に頭を下げて生きてることを伝えてこい。それからじゃなきゃ、とても同行は認められねえな」
「おっしゃる通りです」
ルドルフは諸手を挙げて降参のポーズを取った。
「ちぇー、これで毎日まともなご飯が食べられると思ったのに」
ラエルがぼやいた。
それからアクィラたちは数日のうちにも出発することになった。道がわかったからには、はやる気持ちを抑えきれないようだ。ヴァルターは少し残念がったが、無理に引き留めるわけにもいかない。
「気が変わったらいつでも戻ってきてくれてかまわんぜ。あんたらは村の恩人だからな」
そう言って気持ちよく送り出すこととした。
その翌日、ルドルフはアクィラたちに旅に役立つ品を色々と融通してやった。寒さの厳しい土地に行くのでラエルのための分厚い防寒着やら、少しの魔石を燃料に暖かさがずっと続く魔道具の懐炉やら。
中でも『長者の鞄』は喜ばれた。その肩掛けの鞄は見た目よりもずっと大きな容量を持つ魔道具の鞄で、鞄の口から入るものであればどんなものでも軽々と運ぶことができる。
旅人や商人、そしてすべての冒険者たち垂涎の希少な品である。その容量は個体ごとに様々であるが、ルドルフが出したものは格別の品で、ちょっとした商会の倉庫くらいの容量がある。
もともと空間魔術を研究する時に調べて参考にした品物だったが、今のルドルフにとってはすっかり不要な品となっていた。が、旅をするアクィラたちにとっては非常に役立つ品だ。食糧の問題はこれでだいぶ解決されるだろうし、着替えの類やかさばる生活用品なども持って歩くことができる。アクィラの服もすべて収まる。
次元収納と違って中に入れたものは普通に腐ったりするので、新鮮なものばかりとはいかないが、その中にはすでにどっさりの食糧も入っていた。ラエルがまた栄養失調にならないように、芋類などの日持ちする野菜や瓶詰のライムジュースなども含まれている。
もちろんここまでするのはタダというわけではなく、対価として黒竜エレイースの財宝をもらった時のラエルの取り分をあてた。今までルドルフが預かったまま忘れていたものだ。
今や旅の苦労をよく知っているラエルは一も二もなくその取引に応じた。財宝がいくらあっても旅の役には立たない。互いに不要なものを必要なものと引き換える、賢者の取引というやつだった。
その夜、ルドルフはアクィラやラエルから、ほかの仲間がどうしているかなど、話を色々と聞いて過ごした。彼女らが旅に出る前、セラはまだ寺院で暮らしていたらしい。
ではまずは寺院に行ってみるとするか。その前にちょっと覚悟は決めたいところだが。
アクィラがそうだったように、セラもものすごく怒るかもしれない。
ついでにルドルフはセラ宛ての『伝書バト』をラエルに渡した。これもまた次元収納に入れっぱなしだったものだ。
「何かあればこれで連絡するといい。場所がわかるように便りを出せば、俺の行けるところなら駆け付けてやる」
「わー、やった。ありがとう」
「少なくともセラから連絡が付くところにはいるつもりってことだな」
ラエルがうれしそうに伝書バトを受け取るのを見て、アクィラはようやく満足そうに笑った。
ルドルフはそのアクィラの笑顔を見て、もうひとつ気になっていたことがあったのを思い出す。
やおらに聞いた。
「ところでお前たち、もう付き合ってるのか?」
「うん!」「馬鹿! そんなわけあるか!」
ラエルとアクィラは同時にそれぞれ真逆の返答をした。女子の方のうろたえぶりがすごい。
「えぇ? まだ付き合ってなかったの? どこまで行ったら付き合ってることになるの?」
ラエルはにんまりしながら「ねぇねぇ、どこまで行ったら?」とアクィラに詰め寄り、アクィラはそのラエルの首根っこを捕まえ黙らせようとする。ルカがそれを見て苦笑していた。
「なるほど、よくわかった」
「何がわかったってんだ! 勝手にわかるな!」
ルドルフが早くも納得すると、アクィラはラエルの首を抱えたまま、納得した当人に噛みついた。
いよいよ出発と言う朝、アクィラとラエル、それにルカはなんだかスッキリとした顔で別れを告げて去っていった。北に向かうその姿が上り坂の向こうに消えようとする時、最後にラエルが両手を大きく振った。
三人の姿が消えると、いっしょに見送っていたヴァルターがルドルフに言った。
「それにしても、ルドルフ。お前さんもたいがい世話焼きだねえ」
「あとで面倒になりそうなことを潰しただけだ。それに大して手間のかかることはしてない」
そのルドルフの答えにヴァルターはニヤニヤと笑った。
それからしばらくしてルドルフも村を去ることになった。
その前にと頼まれた最後の行商も盛況のうちに終わって、ヴァルターの家でひとしきり別れの挨拶をする。
いよいよルドルフが転移魔術を使うという時になってヴァルターが言った。
「せっかくの縁だ。年に一回くらいは顔を見せに来てくれよな。魔石も貯めとくからよ。あんまり無下にされると、あのお嬢さんみたいに俺も怒るぜ」
「善処する」
ルドルフは最後の最後にひとつ聞いた。
「ところでヴァルター。お前は本当に獣人なのか? 獣になった姿を今まで結局見なかったが」
思えばダンジョンの魔物と戦う時もそうだし、赤竜が間近に迫った時でさえ、彼は人間の姿のままだった。それをルドルフは妙に感じている。
「さあ、どうかな」
ヴァルターは含みを持たせたまま不敵に笑った。




