第百六十八話 魔王に一家言ある
アクィラの厳しい食事監督のもと、野菜や果物を採る食生活を続けていくうちに、ラエルの体調は徐々に、しかし目に見えて良くなっていった。そして一週間ほどの後には見違えるほど元気を取り戻していた。
それからしばらくして、ルドルフはアクィラたちから「ちょっと相談に乗ってくれ」と呼ばれた。
ヴァルター家のアクィラたちの居候する部屋まで行くと、アクィラ、ラエル、ルカが待っていて、なぜかヴァルターもいる。来たのはルドルフが最後であった。
相談というのは、北方大陸を越えて極北の島へ向かうための行程についてである。
「何か北方大陸の情報があれば教えてくれないか。もちろん礼はする」
アクィラが真剣な顔で言った。北の地を舐める気持ちはすっかりなくなったようだ。
ルドルフが礼とは何かな、などと考えているとヴァルターが思いがけず水を向けてきた。
「そういやウーフも北へ行くっていってなかったか?」
「俺の探し物は一応見つかったからな。行く理由はなくなった」
たしかにより良い拠点を求めて北方大陸へ行こうと考えていた。しかしここでそれを言うとややこしいことになりそうな気がしたので、ルドルフは適当にごまかした。いや、少なくとも急いで行く理由はないと言うのは本当だ。
ルドルフは求められた助言をということで、ひとまず当たり障りのない基本的な情報を口にした。
まずは気候の話だ。
北方大陸では十月になればいつ雪が降ってもおかしくない。そして厳しい寒さで雪に閉ざされた季節はとても動けるものではない。人が徒歩でなんとか旅ができるのは四月から九月の半年間といったところである。無理なく、と条件を付ければその範囲はさらに狭まる。
そういった大前提があるため、アクィラたちにはここで冬を越すことを勧めた。今から北方大陸へと渡ってもそう遠くまでは進めない。春になってここから出発するのと大して変わらないだろうと。
話を聞いた三人は、どうしたものかと顔を突き合わせて悩んでいる。
その時、玄関の方から誰かがヴァルターを呼ぶ声がした。ヴァルターがいったん席を外し、そしてすぐに戻って来る。
「どうもここのところ千客万来だ。すまないがウーフ、顔を貸してくれないか。三人にも悪いが、ちょっと外せない用事ができた。話の続きはまた明日にでも」
最近、ヴァルターは何かとルドルフを頼りにするようになっている。ルドルフとしても正体を黙って出入りを許可してもらっている手前、多少のことはかまわない。
ヴァルターについて外に出たルドルフはそのまま数人の獣人たちと南の森の中へと入り、峠道を登り始めた。招いてもいない客を迎えるためだ。
しばらくすると向こうの木々の隙間から、何者かが集団を率いてやって来るのが見えた。
犬の頭をしたコボルトたちの小規模な群れで、その先頭には小さな王冠を被った、ほかとはひと回り小さなコボルトがいる。威厳のようなものはまったく感じられないが、王冠をかぶっているのならばコボルト王であろうか。
そのコボルト王のすぐ側になぜか痩せた人間の青年の姿。もしかすると獣人だろうか? ゆったりしたガウンのような服装で、だらしなく前をはだけた恰好をしている。表情が確認できる距離まで近づくと、いかにも生意気そうな顔をしていて、気怠そうに体を揺らして歩く様にはガラの悪さがにじみ出ている。
やがて盆地の村を一望する場所で両者は顔を合わせた。
「久しぶ……久しいなヴァルター。出迎えご苦労。ようやく僕の配下になる気になったか」
「よぉ、ガディじゃないか。ご無沙汰だな。まあいつもの冗談はともかく、せっかく来たならうちで茶でも飲んでけよ」
ガディと呼ばれたコボルトが精一杯厳かに声を張ると、ヴァルターは実に気安く応じた。一方の後ろにはコボルトたちが、一方の後ろには獣人たちが、それぞれたむろして控えている。
「誰だ?」
「ああ、友人だ。気のいい奴だが、困ったことにたまにああいう冗談を言いに来るんだ。なんでも自分は魔王だって言うんだけど」
ルドルフが聞くとヴァルターは相手に聞こえるのも気にせず答えた。
なるほど魔王か。今やルドルフも魔王には一家言ある身。ちょっとやそっとじゃ驚かない。世の中にはいろんな魔王がいていいのだ。
リッチキングがいなくなった今、ダークエルフは再び魔物たちを束ねる魔王を生み出し始めたというわけだろう。
だが人々が知る最後の魔王である極北の魔王が倒された後、中央大陸からはほとんどすべての魔物が駆逐されている。現在も新たな魔王が配下にできるような魔物はほとんどいない。ガディはそのほとんどいない魔物のわずかな残りを求めて、ここまでやってきたようだ。
「君の友人になった覚えはない」
「いつもうちにあがって茶を飲んでるじゃないか。それを友人と言うんだぜ」
片方は友人であることを否定したが、片方は友人だと言う。友人判定の基準は人それぞれである。ヴァルターはだいぶ判定が緩きタイプの者であるようだ。
「主となる者に向かって無礼じゃないか!」
ガディが抗議の声を上げた。その言葉はどことなく愛嬌があり、いちいちキャンキャン吠える子犬を思わせる。
「ヨシヨシ。そういうお前のことは好きだけど、でも俺も自分より弱い奴に従うわけにはいかんのよ。一応この村を預かる長だしね」
弱い、と言われてガディは悔しそうな顔になってヴァルターを睨めつける。
「くそう。僕の力を見せてやる。グレアズ!」
ガディが叫ぶと、グレアズと呼ばれた男は相も変わらず気怠そうな顔で前に出てきた。
「グレアズは我が配下だ。ヴァルター、お前よりもずっと強いからな。怪我をしないうちに僕の言うことを聞いた方がいいぞ。配下のグレアズがお前より強いということは、僕がお前より強いということだ! 僕は強いんだ!」
ガディは意気揚々とグレアズを指差し、割と恰好の悪いことを得意げな顔で堂々と言った。
なるほど。ルドルフは自らの経験からこの理屈がよくわかる。魔物特有の弱肉強食の理屈をちょっとアレンジしたやつだ。
しかし指差されたグレアズが不機嫌そうな面持ちでガディをねめつけると、ガディは耳を伏せて腰が引けてしまった。周りのコボルトたちも同じく怯えるような顔で耳を伏せている。
「ま、一応そういうことだから従うけど。こんな山奥まで来てあれっぽっちの村をどうすんの。全部燃やせばいいの?」
「ち、違う! ここで味方を増やして国を建てる足がかりにするんだ!」
男は何者なのだろう、と考えながらルドルフはその二人のやり取りを見ていた。あまり主従というかんじではない。ダークエルフが弱い魔王に強い配下を無理矢理あてがったというところだろうか。ルドルフはその関係性もよくわかる。昔配下役の方をやらされたことがあるからだ。
「こんな雑魚どもを味方に? 無駄足にもほどがあるぜ。帰っていい?」
「駄目だ! 貴重な仲間になるんだから……」
気乗りしなさそうなグレアズとは違い、ガディはどうしても獣人たちを仲間にしたいようだ。対する獣人たちは雑魚呼ばわりされたことに色めき立ったが、ヴァルターは気色ばむでもなく飄々とそれを制した。
「そのお兄さんの言う通りだな。平穏に暮らしてきたこの村に大した奴はいやしない。雑魚ばかりさ。ガディ、この山地よりずっと南にまだゴブリンたちがいくらかいたろう。俺たちのことは諦めてそっちにしてくれないか?」
「ふふふ。そのゴブリンどもはとっくに我が配下だ! だから次はお前たち。黙って僕について来るんだ」
「はぁ……」
元気に言うガディにヴァルターはやや深いため息をついた。いかにもめんどくさそうにしている。
「僕の力を見ろ! グレアズ行け!」
ガディが勢いづいて命令した。しかし命令されたグレアズは黙ったまま不機嫌そうにガディを睨んだ。
「……グレアズ先生、お願いします」
ガディがそう言い直すと、グレアズは相変わらずつまらなそうな顔をしながらも一歩前に出た。
強面の獣人の一人が「こんなやつ村長が出るまでもない。俺が」と前に出ようとしたが、ヴァルターは腕を上げてそれを止めた。
「いいよいいよ。俺が手っ取り早く済ませる。みんなそんなに暇じゃないだろ?」




