第百六十七話 病の原因
ヴァルターはルドルフを連れてきた時と同じように、客人を引き連れて自宅の門をくぐった。
「あらあら、たいへん。どうしたの。皆さんものすごく顔色が悪いわ」
おかみさんは顔色の悪い三人がやってきたので、慌てて家に上げ、空いている部屋に案内してくれた。アクィラとルカは色白なだけだからなんでもないと強引にごまかして、とりあえずラエルをベッドに寝かせてもらった。
ラエルは今年で十七歳になるはずだが、相変わらず背があまり伸びていない。そのため黙っていればまだまだ子供に見える。いや、しゃべってもきっと子供に見えるのだが。
おかみさんはぐったりしているラエルに何かと世話を焼いてくれる。この家の小さな子供たちもついてきて、ラエルの顔をおそるおそる、真面目な顔でのぞき込んだりしていたが、おかみさんはそのたびに引き離して別の部屋に連れて行った。
「アタシたちまで家に上げてよかったのか?」
思いがけず自分たちまで家の中に招かれたアクィラがヴァルターに尋ねる。
「気にするな。アンデッドならそこにも……」
ヴァルターが思わず先客の方を向くと、そこにもいる仮面を被ったアンデッドがぶんぶんと頭を横に振っていた。
「そこにも?」
「そこにも、どこにでも、いたっていいぞ。好きな場所でくつろいでくれ」
「そうか。ありがたい。恩に着るぜ」
いくらか不自然な言い換えに思えたが、アクィラの視線はルドルフを経由せずにヴァルターからラエルに移った。うまいことごまかされてくれたようだ。
ラエルの体調不良についてはアクィラもルカも「旅の疲れが出たのだろう」という答えで一致していた。
聞くに春になるのを待って海を渡り、以来ここ中央大陸を縦断してきたのだという。ラエルは特に体が弱いわけではないが、半年余りに及ぶ旅といえば、さすがに疲労も溜まるだろう。
ルドルフはヴァルターにだけは正直に彼らは昔の知り合いだと話した。
理由あって自分は消滅したことになっているので素性は隠したい、とも言った。「アンデッドがさらに死んだふりしてるのか」とヴァルターはまたおかしげに笑ったが「ま、人それぞれ事情はあるわな」とそれ以上の詮索はしてこなかった。
ルドルフが「ともかく悪い奴らではない」と請け合うと「まあ、お前さんが言うなら確かだ」とヴァルターはあっさり納得した。
その夜、ラエルはぐっすりと眠った。なんでも久しぶりのベッドだったらしい。その表情の和らいだ寝顔を見て一同は一安心する。若い体である。一晩ゆっくりと寝ればすっかり回復するだろう。
だがそんな周囲の期待とは裏腹に、翌朝どころか数日が経っても少年の具合が治ることはなかった。
ラエルは相変わらず怠そうにしていて、ベッドから出ると立ち眩みがすると言う。どうやら急に生き死に関わるというものではなさそうだが、毎日朝からアクィラが仏頂面で付き添っている。アクィラにそんなに心配かと聞くと「目を放すと何をするかわからないからな」と素っ気なく言った。
「あの女の子、看病につきっきりで全然寝てないみたいなんだけど、大丈夫かしら。食事を用意してあげてもまったく喉を通らないみたいだし。よほどあの男の子のことが心配なのね」
おかみさんがそんなアクィラを心配している。ヴァルターは一瞬、まずい、という顔をしてそれを適当にごまかし、「あんたらもアンデッドだってバレないよう、少し気を遣ってくれよな」とアクィラとルカに注意した。
今日はそのヴァルターが滋養のつく物を採って来るというので、ルカは手伝いを申し出てついて行っている。
「僕、このまま死んじゃうのかな」
「阿呆。そんな簡単に死ぬわけあるか」
ラエルがベッドに横になったままでそんな弱音を吐くと、アクィラは言下に否定した。
「せめて死ぬ前に言っておくよ。アクィラ、僕は君を愛してる。死んだ後もこの愛は永遠だ」
「死ね」
ラエルは寝たきりながらもまだふざける余裕はあるらしく、たまたま見舞いに来ていたルドルフは少し微笑ましくなった。だがそれからしばらくしてラエルは再び昏々と眠りに落ちた。もうずっと顔色は悪いままだ。
この村に医者なんてものはいないし、ルドルフも詳しい医の心得はない。せめて強壮の霊薬でも作ってやろうかと考えていた時だった。
ルドルフはラエルについて少し気になることを発見した。そしてアクィラにひとつ質問する。基本的だがとても大切なことだ。
「なあ、こいつ、食事はきちんと食わせていたんだろうな」
「ガキに食うもの食わせられないほど路銀に困ってるわけじゃない。食い物なら今も余るほどに持っているぜ」
アクィラは心外だとでも言わんばかりに、荷物の中の大量の干し肉を見せてくれた。
「町や村があれば、こいつに金を渡して好きなものを好きなように食わせていたしな」
ルドルフは先ほど発見したものと、そのアクィラの言葉、そして干し肉の山を見て確信が持てた。
「こいつ、野菜を食ってないだろう」
「なに?」
「だから野菜だ。食ってるとこ見たことあるか?」
ルドルフは先ほどおかみさんがラエルの食事を下げてくるのに出会った。そして野菜だけがまとまって残っているのを見ている。
その時はまだ食欲がないのかと見逃していたが、今になってかつてのラエルの偏食ぶりを思い出した。おそらくこの小僧は常に野菜を残している。昔はルドルフが小言を言って無理矢理食わせていたのだ。
「ない……かもしれねえ……だが、それがどうかしたか?」
「野菜をまったく食わないと栄養が偏って貧血になったりするもんだ。酷いと血が出やすくなったり止まらなくなったりして、場合によっては死に至ることもある」
とんだ言いがかりをつけられた気分だったアクィラも、その大げさな言葉を聞いて黙った。事を重大に受け止めたようだ。
「……野菜か。よし、しばらくは絶対に食わせるようにしてみる」
「果物とかでもいいがな」
果物といえばこの村の一角でも林檎が育てられていて、今はちょうど収穫の時期が始まったところだ。
その話を聞くとアクィラの表情がいくらか緩んだ気がした。
ルドルフはそんなアクィラを見て、ずっと不思議に思っていたことを質問してみた。
「ところで、なぜ子連れで旅などしているのだ? 物探しの旅だと言うが、お前とルカだけの方がずっと早く進めるだろうに」
なにせアンデッドならば食事も睡眠も必要ない。飲まず食わずで昼夜を問わず進むことができる。そのルドルフのなぜそうしないのかとでも言いたげな口ぶりに、アクィラは口を大きく曲げて答えた。
「まあ、人間のガキなんてとんだお荷物なんだけどな。ついて来るって聞かないので根負けしたのさ」
アクィラについて来たがるラエルの魂胆はわかる。変な話だが、この少年はアンデッドであるこの少女に一途に惚れているのだ。しかし当のアクィラがその同行を許したのは意外なことであった。正直、何を思ってのことか、ちょっと理解ができない。
「北に行けば今よりも厳しいぞ。野菜どころか食い物の調達すらままならなくなる。中央大陸でこの調子じゃ、その子供とは別れてここに置いて行くのが双方のためではないか?」
「絶対だめーっ!」
おかしな情にほだされれば悲惨な結果になりかねない。そう考えて自然と口にした忠告だったが、ルドルフがその言葉を言い終わるか終わらないかのうちに、突然ラエルが大声を出した。
「置いてかれても、絶対追いかけてくんだから」
驚くルドルフを尻目にそう言ったきり、ラエルは再び目を閉じた。すでに寝息を立てている。どうやら目を閉じて夢うつつながらに、話を聞いていたといったところか。
その様子を見てアクィラは肩をすくめた。
「一度置いて行ったこともあるがな。無茶に追いかけてきて、かえって行き倒れになりかねねえ。さすがにそれで死なれちゃ、こっちの寝ざめも悪い……」
それからルドルフに耳打ちをして声を小さく言った。
「それにまぁ……こいつはこいつで……その、まったく役に立たずってわけでもない」
なるほど。アクィラなりにラエルのことを認めているところもあるというわけか。少年もただお荷物扱いされているわけではないらしい。
「しかしどうして小声で?」
「聞かれて下手に調子に乗られるのもムカつく」
再び、なるほど、と思いつつ、次にルドルフは一番聞きたかった質問をしてみた。
「ところで差し支えなければ教えて欲しいんだが、極北の島なんて最果てまでいったい何を探しに行くんだ?」
「悪いがそいつは教えられないな。そう安いネタでもないんでね」
「そうか。すまなかった。なら無理には聞かんよ」
アクィラの目が明らかに警戒の色を帯びた。
残念、と思いながらも、ここはお互いに素性を知らぬ赤の他人同士である。それ以上突っ込むのは藪蛇になりかねないのでルドルフは大人しく引き下がった。
それからの言葉はちょっとしたお節介である。
「ところで老婆心ながらに聞きたいのだが、これからどういうスケジュールで極北の島まで行く気だ? 子供に限らず人間と一緒に行くなら色々と考えた方がいいだろう」
道中の北方大陸ではトロールたちが幅を利かせているため、人間が大手を振って街道を歩くことなどできはしない。搾取されている人間たちも貧しく余裕はなく、宿も食事もままならなくなるだろう。また冬は厳しく、旅など自殺行為といえる。そこから先の極北の島となるとさらに道は険しい。誰住まぬ凍土の地だ。
「さあ? そういうのはルカに任せてあるからな」
その何とも思っていないような様子にルドルフはかなり心配になった。
中央大陸ではまだ秋の始まりで、山深いこの土地でも木々は青々と茂っているが、北方大陸ではあと一月もしないうちに雪が降り始める。麗らかな秋晴れの翌日に突如として厳しい冬の吹雪がやってくることだってあるのだ。
「これからの季節の北方大陸で今回みたいな羽目になったら、その子はまず間違いなく死んでしまうぞ。冬が来るのが一月以上早いと思った方がいい。そして春の訪れは逆に一月以上遅い」
そう言われてアクィラはやや真面目な顔になって黙った。
彼女は北国の自然というものを知らない。温暖な南方大陸から出るのも初めてだったのだ。




