第百六十一話 さまよえるリッチ
「なあ、ルドルフよ。お前は人生をやり直したいと思ったことはないか?」
ともに老齢に至ったある日、二人静かに酒を飲みながらの場で、デダルスがルドルフに尋ねたことがある。
それは少し前に見た子供のデダルスとも、つい最近見た青年のデダルスとも違った、魔術師ギルド総会長としての貫禄を備えたデダルスだ。深いしわを刻み、白いあごひげをたくわえた顔は酒の間も引き締まっているが、少し疲れも感じさせる。
ルドルフはなんと答えたか今でも思い出せる。
「後悔していることがないといえば嘘になるが、やり直すのも面倒だ。紙一重で切り抜けてきたこともあったからな。あれをもう一度やるかと思うと、むしろ生きる気持ちが萎える」
「違いない!」
デダルスは大いに笑ってルドルフの肩を叩いた。
どうしてそんな質問を? という疑問はその勢いでうやむやとなり、話題はすぐに別のことに移った。
急にそのような昔のことを思い出したのは、今現在ルドルフが少し後悔を抱いているせいかもしれない。
「そろそろひとつくらいは、いい場所が見つかってもよさそうなものだが。我が安住の地はいずこ」
ルドルフは軽くため息をついた。次の行く先を決めるべく、両手に中央大陸の地図を広げている。
あれからすぐにルドルフは生まれ育って死んだ南方大陸を離れ、ここ中央大陸へとやってきていた。引き籠って研究に没頭するための新しいねぐらを探すためだったが、今のところ成果は何ひとつない。
中央大陸はかつて極北の魔王を倒す旅路で通ったことがある。というか紆余曲折の末、全土の主だった町や地域はすべて訪れているので、だいぶ土地勘があった。ゆえに選んだ行き先だ。
ルドルフは行く先々の町で情報収集に勤しんだり、人があまり入ってこなさそうな寂れたダンジョンを巡ったり、山奥にある人跡未踏の古い遺跡を調べてみたり、と彼なりに色々と安住の地を探す努力を続けている。どこでいい物件に出会うかわからないので、転移魔術の利用も控えめに、てくてくと徒歩で行く旅である。
だがそのお眼鏡にかなう場所は、今のところまだ見つけられていない。
ルドルフは勝手知ったるルガルダのダンジョンが思わず恋しくなった。
その昔、まだルドルフがリッチとなる前、あのダンジョン第四層で地脈の通る隠し部屋を見つけた時には、興奮のあまり手が震えたものだった。やはりあれほどの物件はそうそう見つかりそうにない。簡単にあの場所を捨てるべきではなかったか。少しの後悔とはそれである。
しかし戻って見つかってしまえば、またちょっとしがらみが煩わしい。当面はソロで行くと決めたのである。ルドルフはなんだかんだ、一人の自由と気楽さを満喫してもいる。
そのようにしてルドルフは中央大陸をあちこち回りながら縦断して、最北部の山地までやってきていた。
この山中を南北に貫く険しい山道はいくらか記憶に残っている。南端からいくつもの山々を越えて北の海岸に出れば、かつて北方大陸まで渡るのに訪れた港町がある。北方大陸のさらに北に行けば、極北の魔王の城のあった極北の島である。
懐かしい。
山の中を不眠不休で歩き続けてすでに四日目。今日も思い出に浸りながら歩いていると、そろそろ空が白み始めた。やがて峠をまたひとつ越えたところで、盆地に広がる大きな村が見えてきた。黎明の光が、遠く小さく、家々や木々の影をかすかに浮かび上がらせている。
この村はよく覚えている。たしか人間と獣人が共存していた村だ。ワレドナ村という名前だったか。
そこで不意に、いずこからかルドルフに声がかかった。
「こんな朝っぱらからこんな道を通るとは珍しい。あんた誰だい?」
こちらを値踏みするような男の声だ。森の中には誰の姿も見えない。
「しがない旅の者だ。ちょっと急ぐ旅でね。暗いうちから歩いて距離を稼ごうってわけさ」
ルドルフは単なる旅人を装って答えた。認識阻害の面を着けているため相手からは何の特徴もない誰かに見えているはずだ。
この面の効果は、人混みに紛れれば見つけることが困難なくらいにその存在感もごまかしてくれるが、さすがに誰もいない森の中を一人歩いているとなれば、そこに「誰か」がいるということくらいは認識される。
「へぇ。俺はこの先の村の者でね。悪いけど別の道を行ってくれるか? あんたみたいに怪しい奴を俺の村に行かせるわけにはいかないんだよ」
「言いがかりはよしてくれ。前に通った時はそんなこと言われなかったぞ」
「前っていつだい。あんたみたいのが通れるはずがないんだが」
「かなり前だ。人間と獣人がともに住んでいるので驚いた覚えがある」
そこまで閉鎖的な村ではなかったはずだが、と考えつつ、ルドルフは食い下がった。
できれば村に入って情報を仕入れたいと思っている。引き下がって転移魔術を使ってもいいが、相手の言い分の無体さに少し反発したい心もあった。
だが相手の次の言葉でその言い分は無体でもなんでもなく、当然のものであることがわかった。
「もしかしてバレてないと思ってるのか。あんた生きてる人間じゃないだろう。狼の鼻を舐めるなよ」
どうやらアンデッドであると看破されている。
「これはしたり」
向こうから見ると人間のふりをしたアンデッドが村に侵入しようとしているのだから、それは止めるのが当然というものだった。
「俺は怪しい者ではない。本当にただ旅をしているだけなんだ」
狼の鼻、という言葉から相手が獣人と悟ったルドルフは面を外して顔をさらした。髑髏の暗い眼窩に緑の光が宿っている。
「いやいや、えらい怪しいんだけど」
暗がりの中からおかしく笑う声が漏れてきた。魔物相手ならセーフかと思いたかったがそうでもなかったらしい。
「だがまあそこまで堂々とされるとかえって面白いな。アンデッドがなんだって旅なんてしてるんだ? 話次第では通してやるのもやぶさかでないぜ」
その声とともに藪の中から出てきた男はヴァルターと名乗った。
見た目はただの人間の狩人といった風だ。体格は均整の取れた筋肉の付いたしなやかな長身。その体の上に人懐こそうな顔が乗っていて、狼というよりは犬といった印象を受ける。だがその隙のない立ち居振る舞いは、明らかに只者ではない。
彼は早朝の狩りに向かう途中で見かけた人影に、不審な死の臭いを感じて声をかけたのだという。村に知らせに行くでもなく、この場で声をかけてきた理由がルドルフにはよくわかった。彼なら大抵の侵入者をその場で排除できるだろう。
ルドルフは今の自分が根無し草であることと、拠点となる住処を探していることを正直に白状した。この辺りにそれらしい場所がなければ、北辺の港町ザマル、あるいはその先の北方大陸まで足を伸ばすことを視野に入れているとも。もし自分が留まることを望まないのであれば村の中を素通りさせてもらうだけでもいいとも言った。
「なるほど。そいつはたいそう奇異な話だが、まあ通るだけならかまわない、か。村から十分に離れるまでは俺が見張らせてもらうがね」
「ありがたい」
本当は少しの間、村に留まってこの辺りの土地を探してみたかった。が、ルドルフはあっさりと諦めて、北の海岸へ通り抜けられるだけでも良しとした。
「しっかし、ザマルはともかく北方大陸に行こうとはね。あそこがトロールの支配する土地だってことは知ってるんだよな? そんな風体だとトロールと仲良かったりするのかね」
「もちろん知っている。別に仲の良いトロールはいないがな」
北方大陸にはもともと人間の王国があったが、今はトロール兵団が支配している。
極北の魔王の手によって王国が滅びた後も、人間たちはまだ大勢生きてそこに住んでいるが、トロールたちの搾取により生かさず殺さずの暮らしを強いられている。人間の勢力圏とはいえない。
しかしだからこそ知り合いに見つかる心配が少ないとも言える。中央大陸で軽く目星をつけていた場所が不発続きだったこともあり、ルドルフは北方大陸へ渡ることも真面目に考え始めていた。
もっともその前に必ず『魂の器』は作っておく必要はあるのだが。それなしにはとてもトロールたちの支配地へなど、足を踏み入れる気にはなれない。




