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「このくらいにしてもらおうか、お客人」


 刀の柄に手をかけた浪人の手を、俊介しゅんすけは抑えた。

 居酒屋である。浪人は、明らかに酔っている。床には折れた椅子と皿の破片。店の娘と数人の客が遠巻きにしている。


「何だ、貴様は」


 浪人は、濁った目で俊介に向けた。


「用心棒のつもりか?」

「まあ、似たようなものだ」

「ならば、今日から俺が代わってやる」


 浪人は立ち上がった。俊介を睨み付ける。


「貴様はお払い箱だ」

「………酔った上の所業ならば、大目に見てやろうとも思ったが」


 俊介は目を細めた。


「商売仇なら手加減は無用か」

「面白い。やる気か」


 殺気を隠そうともしない浪人に対し、俊介は静かな目を向けた。


「腕試しをしてやる。表へ出てもらおうか」


 言い捨てて俊介は、浪人に背を向け、さっと店を出た。

 浪人は刀を抜いた。目が、血走っている。そのまま外に飛び出し、俊介の背に斬りかかった。

 店の娘の悲鳴が、重なる。

 鋭い金属音が、鳴り響いた。


「へ?」


 浪人は呆然と立ち尽くしていた。その手には、刀はない。俊介が、刹那、振り向きざま抜刀し、浪人の刀を宙に弾き飛ばしたのだ。

 いつの間にか、村人達も沈黙したまま遠巻きにしている。誰も、何が起きたか理解できない。それほどの早業であった。

 しばしの静寂。

 やがて、宙から刀が浪人の眼前に落下した。


「ひっ」


 刀は地に突き立ち、浪人は尻餅をついた。


「斬るのはたやすい。が」


 俊介はゆっくりと刀を納めた。


「今宵は祭りだ。血で汚したくはない。立ち去れ」


 俊介が言い終わると、遠巻きの村人達から歓声が上がった。歓声に弾かれるように、浪人は慌てて刀を拾い、駆け去る。


しゅんさま」


 入れ替わるように、人垣をかき分けて夕維ゆいひめが現れた。


「姿が見えないかと思ったら、随分と派手なことをされてますね」

「何、大したことではない」

「ずるいぞ、俊さん!」


 応える俊介の言葉をかき消すように、大きな声がかぶる。


「喧嘩なら俺も呼べよな」


 いうまでもなく十兵衛じゅうべえである。俊介は呆れて首をふった。


「ただの仲裁だ。どこを見たら喧嘩になるのだ」

「刀振り回しといて何いってるんだ。一人で楽しいことしやがって………ん?」


 と、十兵衛は、袖を引っ張る村人に気づいた。


「なあなあ、十兵衛様。あのお方はどなたで?」

「ああ、俊さんだって。柏原かしわら俊介しゅんすけ殿どのだ」


 さらりとした十兵衛の答え。すると。

 どっと大きな歓声が沸き起こった。今日、一番の歓声。


「やっぱり俊介様だ!!」

「本物だ。俊介様だ!」

「すげええええっ」

「今の見たか!?」

「全然見えねえ。凄すぎる!」


 何が起きているのか。俊介はあっけにとられた。


「俊介様、憧れてたんですよ、あたし!」


 勢いよく俊介の手を取るのは、居酒屋の娘である。


「是非、うちの店でご馳走させてくださいな」

「いや、それは」


 困惑しながら俊介は首を振った。


「気持ちはありがたいが、馳走になる理由がない」

「何いってるんですか!」


 娘はすごい剣幕である。俊介は思わず圧倒される。


「店を助けてもらったんですよ。恩を受けてタダで帰したら、罰が当たります」

「だから、そんなことは」

「さあさあ。こちらですよ」


 強引に娘は俊介を手を引く。


「あ。姫様に十兵衛様も、どうぞ、どうぞ」

「そうですね」


 にっこりと笑う娘に、夕維姫も笑うしかない。


「やあ、大したものだ」


 と感心するのは十兵衛である。


「夕維姫と二人がかりであしらわれた俊さんを、あっさり陥落させやがった」

「なんですか。ぶつぶついっていると十兵衛様には飲ませませんよ」

「待て待て。大した店だと褒めてるんだよ」

「あ」


 と夕維姫は十兵衛を振り返った。


「どのみち十兵衛は来ては駄目ですよ」

「なんで!???」

「だって、十兵衛は櫓の仕上げがあるでしょう」

「げっ」


 十兵衛は絶句した。


「今夜の祭りに間に合わなければ、罰として今日一日お酒抜きですよ」

「そんなあ!???」


 殺生な、と十兵衛は悲鳴を上げるが、構わず夕維姫はその背を押して追いやった。

 二人のやり取りに、周りの村人達から笑いが起きる。気安い笑い。夕維姫と十兵衛、そして民との近さがよく分かる。

 羨ましい。俊介は素直にそう思えた。

 かつて故郷の領主に望むべくもなかった国の優しさがここにある。そして十年前に捨てた人の温かさも。


「どうしたんですか、俊さま」


 いつの間にか、夕維姫が顔を覗き込んでいる。

 俊介は首を振った。


「いや、なんでもない」

「そうですか。でも」


 夕維姫は、じっと俊介を見つめる。


「でも?」

「でも、今、とても優しい顔をされていました」

「優しい?」


 まさか。俊介は思った。それこそ十年前、俊介が故郷に打ち捨ててきたものだった。


「そうそう、ホントそうです!!」


 と、俊介の手を両手で握りしめたのは店の娘である。


「男前の俊介様が、温かく微笑んでるんですもん。もう、惚れ直しましたよ」


 うっとりと店の娘はいうが、気が付けば、この娘は先ほどからずっと俊介の手を握ったままである。


「そうか。それは光栄だが」


 いいつつ俊介は、そっと自分の手を娘から引き抜いた。


「あれれ。俊介様、イケず」

「それはともかく、一杯、馳走してもらってもよいか」

「わ、やった、ホントですか!?」


 娘は、跳び上がって喜んだ。


「なあなあ、俊介様、俊介様」

「?」


 いつの間にか、村人達が俊介と夕維姫の周りに集まっている。


「俺らも一緒に飲んでいいかな?」


 俊介を取り囲むのは、期待に満ちた顔。とても断れる雰囲気ではない。


「………あ、ああ」

「おお!!!!」


 わあ、と盛り上がる村人衆。俊介と夕維姫を取り囲んだまま、その背を押し出すように居酒屋に向かって行進を始める。

 村人達の能天気さに、俊介は笑うしかない。

 とん。

 姿勢を崩したのか、夕維姫の肩が俊介にぶつかった。が、夕維姫はくっついたまま離れない。


「夕維姫?」

「なんでもありません」


 夕維姫は俯いている。なんでもありませんけど、とつぶやきながら、さらに身を寄せる。


「夕維姫?」

「………なんだか、夕維は腹が立ってきました」

「は?」

「行きましょう、俊さま」


 夕維姫は俊介の手を握った。


「今日は無礼講です。一日、夕維に付き合ってください!」

「いや、何がどうしたのだ」


 俊介の言葉にも耳を貸さず、夕維姫は俊介を引っ張り、居酒屋に歩を進める。


「おお、姫様も飲む気だぞ!」

「よーし、今日はとことんまで飲んで騒ぐぞ!」


 村人達がさらに盛り上がる。祭りはまだ始まってもいないというのに、熱気は最高潮に達しようとしていた。

 空気が、温かい。

 俊介は思う。ついこの間まで忌避してきた空気のはずだった。それがいつの間にか、素直に羨ましいと思えるようになっている。

 捨てたはずだった。

 大切な人達の顔が浮かぶ。

 辛い。その一方で、懐かしい。

 会いたい。

 そう思えるようになったのは、夕維姫と十兵衛のおかげだろう。

 今日は、心ゆくまで酔えそうな気がした。


ありがとうございます。

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