9
「このくらいにしてもらおうか、お客人」
刀の柄に手をかけた浪人の手を、俊介は抑えた。
居酒屋である。浪人は、明らかに酔っている。床には折れた椅子と皿の破片。店の娘と数人の客が遠巻きにしている。
「何だ、貴様は」
浪人は、濁った目で俊介に向けた。
「用心棒のつもりか?」
「まあ、似たようなものだ」
「ならば、今日から俺が代わってやる」
浪人は立ち上がった。俊介を睨み付ける。
「貴様はお払い箱だ」
「………酔った上の所業ならば、大目に見てやろうとも思ったが」
俊介は目を細めた。
「商売仇なら手加減は無用か」
「面白い。やる気か」
殺気を隠そうともしない浪人に対し、俊介は静かな目を向けた。
「腕試しをしてやる。表へ出てもらおうか」
言い捨てて俊介は、浪人に背を向け、さっと店を出た。
浪人は刀を抜いた。目が、血走っている。そのまま外に飛び出し、俊介の背に斬りかかった。
店の娘の悲鳴が、重なる。
鋭い金属音が、鳴り響いた。
「へ?」
浪人は呆然と立ち尽くしていた。その手には、刀はない。俊介が、刹那、振り向きざま抜刀し、浪人の刀を宙に弾き飛ばしたのだ。
いつの間にか、村人達も沈黙したまま遠巻きにしている。誰も、何が起きたか理解できない。それほどの早業であった。
しばしの静寂。
やがて、宙から刀が浪人の眼前に落下した。
「ひっ」
刀は地に突き立ち、浪人は尻餅をついた。
「斬るのはたやすい。が」
俊介はゆっくりと刀を納めた。
「今宵は祭りだ。血で汚したくはない。立ち去れ」
俊介が言い終わると、遠巻きの村人達から歓声が上がった。歓声に弾かれるように、浪人は慌てて刀を拾い、駆け去る。
「俊さま」
入れ替わるように、人垣をかき分けて夕維姫が現れた。
「姿が見えないかと思ったら、随分と派手なことをされてますね」
「何、大したことではない」
「ずるいぞ、俊さん!」
応える俊介の言葉をかき消すように、大きな声がかぶる。
「喧嘩なら俺も呼べよな」
いうまでもなく十兵衛である。俊介は呆れて首をふった。
「ただの仲裁だ。どこを見たら喧嘩になるのだ」
「刀振り回しといて何いってるんだ。一人で楽しいことしやがって………ん?」
と、十兵衛は、袖を引っ張る村人に気づいた。
「なあなあ、十兵衛様。あのお方はどなたで?」
「ああ、俊さんだって。柏原俊介殿だ」
さらりとした十兵衛の答え。すると。
どっと大きな歓声が沸き起こった。今日、一番の歓声。
「やっぱり俊介様だ!!」
「本物だ。俊介様だ!」
「すげええええっ」
「今の見たか!?」
「全然見えねえ。凄すぎる!」
何が起きているのか。俊介はあっけにとられた。
「俊介様、憧れてたんですよ、あたし!」
勢いよく俊介の手を取るのは、居酒屋の娘である。
「是非、うちの店でご馳走させてくださいな」
「いや、それは」
困惑しながら俊介は首を振った。
「気持ちはありがたいが、馳走になる理由がない」
「何いってるんですか!」
娘はすごい剣幕である。俊介は思わず圧倒される。
「店を助けてもらったんですよ。恩を受けてタダで帰したら、罰が当たります」
「だから、そんなことは」
「さあさあ。こちらですよ」
強引に娘は俊介を手を引く。
「あ。姫様に十兵衛様も、どうぞ、どうぞ」
「そうですね」
にっこりと笑う娘に、夕維姫も笑うしかない。
「やあ、大したものだ」
と感心するのは十兵衛である。
「夕維姫と二人がかりであしらわれた俊さんを、あっさり陥落させやがった」
「なんですか。ぶつぶついっていると十兵衛様には飲ませませんよ」
「待て待て。大した店だと褒めてるんだよ」
「あ」
と夕維姫は十兵衛を振り返った。
「どのみち十兵衛は来ては駄目ですよ」
「なんで!???」
「だって、十兵衛は櫓の仕上げがあるでしょう」
「げっ」
十兵衛は絶句した。
「今夜の祭りに間に合わなければ、罰として今日一日お酒抜きですよ」
「そんなあ!???」
殺生な、と十兵衛は悲鳴を上げるが、構わず夕維姫はその背を押して追いやった。
二人のやり取りに、周りの村人達から笑いが起きる。気安い笑い。夕維姫と十兵衛、そして民との近さがよく分かる。
羨ましい。俊介は素直にそう思えた。
かつて故郷の領主に望むべくもなかった国の優しさがここにある。そして十年前に捨てた人の温かさも。
「どうしたんですか、俊さま」
いつの間にか、夕維姫が顔を覗き込んでいる。
俊介は首を振った。
「いや、なんでもない」
「そうですか。でも」
夕維姫は、じっと俊介を見つめる。
「でも?」
「でも、今、とても優しい顔をされていました」
「優しい?」
まさか。俊介は思った。それこそ十年前、俊介が故郷に打ち捨ててきたものだった。
「そうそう、ホントそうです!!」
と、俊介の手を両手で握りしめたのは店の娘である。
「男前の俊介様が、温かく微笑んでるんですもん。もう、惚れ直しましたよ」
うっとりと店の娘はいうが、気が付けば、この娘は先ほどからずっと俊介の手を握ったままである。
「そうか。それは光栄だが」
いいつつ俊介は、そっと自分の手を娘から引き抜いた。
「あれれ。俊介様、イケず」
「それはともかく、一杯、馳走してもらってもよいか」
「わ、やった、ホントですか!?」
娘は、跳び上がって喜んだ。
「なあなあ、俊介様、俊介様」
「?」
いつの間にか、村人達が俊介と夕維姫の周りに集まっている。
「俺らも一緒に飲んでいいかな?」
俊介を取り囲むのは、期待に満ちた顔。とても断れる雰囲気ではない。
「………あ、ああ」
「おお!!!!」
わあ、と盛り上がる村人衆。俊介と夕維姫を取り囲んだまま、その背を押し出すように居酒屋に向かって行進を始める。
村人達の能天気さに、俊介は笑うしかない。
とん。
姿勢を崩したのか、夕維姫の肩が俊介にぶつかった。が、夕維姫はくっついたまま離れない。
「夕維姫?」
「なんでもありません」
夕維姫は俯いている。なんでもありませんけど、とつぶやきながら、さらに身を寄せる。
「夕維姫?」
「………なんだか、夕維は腹が立ってきました」
「は?」
「行きましょう、俊さま」
夕維姫は俊介の手を握った。
「今日は無礼講です。一日、夕維に付き合ってください!」
「いや、何がどうしたのだ」
俊介の言葉にも耳を貸さず、夕維姫は俊介を引っ張り、居酒屋に歩を進める。
「おお、姫様も飲む気だぞ!」
「よーし、今日はとことんまで飲んで騒ぐぞ!」
村人達がさらに盛り上がる。祭りはまだ始まってもいないというのに、熱気は最高潮に達しようとしていた。
空気が、温かい。
俊介は思う。ついこの間まで忌避してきた空気のはずだった。それがいつの間にか、素直に羨ましいと思えるようになっている。
捨てたはずだった。
大切な人達の顔が浮かぶ。
辛い。その一方で、懐かしい。
会いたい。
そう思えるようになったのは、夕維姫と十兵衛のおかげだろう。
今日は、心ゆくまで酔えそうな気がした。
ありがとうございます。




