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 俊介しゅんすけは、崎枝さきえだに留まっている。

 どうやら城を去る機会を失ってしまったようである。

 黒井くろい景隆かげたかが浦崎城に居座り続けている。

 軍を動かさずとも、肌が粟立つような圧力を感じる。並の相手ではない。その圧倒的な存在感は、泉田いずみだ道寛どうかんとは比較にならない。

 しかし、城の皆の表情は、ずっと明るい。

 目の前の難敵よりも、皆、崎枝家の仇である泉田道寛が討たれたことがやはり嬉しいのか。俊介はそう思ったのだが。


「違うって、俊さん」


 十兵衛じゅうべえはさらりといった。杯の酒を飲み干しながら。

 気がつけば十兵衛は、俊介を「俊さん」と呼んでいる。十兵衛は、昼間は俊介に兵の調練をさせ、そして夜は、兵法の教えを請いながら、毎晩、晩酌に巻き込んでいる。

 有体にいえば、十兵衛に振り回されている、ということだが、俊介にはそれが不思議と不快ではなく、流されるままに現状を受け入れている。


「では、味方が増えたことか?」


 と、杯を手にしながら、俊介は問う。

 戦勝後、崎枝家に忠誠を誓い直す豪族が増えた。俊介は、一度は裏切ってまた出戻る豪族達を苦々しく見ているが、夕維ゆいひめはそれを笑って許している。

 国内の豪族達への夕維姫の態度は、一貫している。今、黒井家と崎枝家を天秤にかけて右往左往している豪族達へは、静観という態度を崩さない。帰参を呼び掛けようとは決してしない。

 しかし、自ら帰参を望む豪族は、夕維姫は笑って許した。裏切りは一切咎めない。

 俊介は感嘆の声を漏らした。


「あれは、なかなかできることではない」

「まあ、俺もそう思うけどさ。けど、そんなことじゃないよ」


 味方の陣営が強化されることを、崎枝家の侍大将は「そんなこと」と軽く片づける。俊介は軽く眉をひそめて見せたが、十兵衛は気にした様子もない。


「夕維姫が、明るくなっただろ?」

「といわれてもな。戦の後、表情が柔らかくなったとは思うが」


 出会ったときから夕維姫は、よく笑っていた。が、どこか硬く、陰りがあった。もっとも、それは刺客に襲われたときで、その後は戦である。平素の夕維姫を俊介は知らなかった。

 しかし。


「戦の前の、あの顔だったんだよ、夕維姫は。ずっと」

「…そうか」


 やはり、という思いがある。夜の物見台で、夕維姫は激情をぶつけてきた。多分、家臣や民には隠そうとしてきた表情だったのだろうと思う。父の死が、長く夕維姫の心を苛んできたであろうことは、容易に想像がついた。


「それが、変わった」


 十兵衛は嬉しそうにいった。


「父君が生きていた頃の表情に戻った。心からの、無邪気な笑顔を見せてくれるようになった。それが嬉しいのさ、みんな」

「そうなのか」


 俊介は驚くしかない。人気があるとは思っていたが、夕維姫は、どれほど家臣や民に愛されているのか。俊介の生まれ育った村の領主や、旅の間に見てきた領主達を省みて、別天地のこととしか思えない。

 夕維姫が国主の座に就いていれば、家老の裏切りも起こらず、あっても成功しなかったのではないか、とすら思わせる。




 夕維姫の力になりたい。

 気が付けば、俊介自身がそう考えている。そんな感情に戸惑いながらも、今は城を去るべきときではないと思い定め、十兵衛に任された調練に打ち込んでいる。

 俊介の騎馬隊の存続が決まった。

 夕維姫と十兵衛の期待に、俊介は応えなければならない。

 それに、道寛戦で俊介の騎馬隊は六騎が討ち死にした。

 皆が俊介の功を称賛するが、悔いが残る。

 兵のおよそ十人に一人を死なせた。敵は大軍だったとはいえ、練度も士気も低い烏合の衆だったといっていい。あの程度の敵としては、犠牲が大きすぎた。

 俊介は夕維姫から兵を預かったのだ。一人でも多くの兵を戦場から帰す義務が指揮官にはある。

 兵数は五十騎のままである。

 十兵衛は百騎に増やそうとまでいったが、俊介は断り、戦死した兵の補充のみ頼んだ。速さが生命線の隊である。これ以上増やせば、動きを鈍くしかねない。

 その代わり、五百騎を正面から相手にしても打ち破れるようにならねばならない。

 そのために厳しい調練を課した。

 兵の中から分隊の指揮官を五名選び、あとはひたすら五十騎で駆け続けた。それで兵も馬も鍛えられ、分隊長達の指揮能力も鍛えられる。

 馬が潰れる寸前まで駆けると、馬を休ませる間は木刀で打ち込み稽古である。馬が回復したら、また駆けた。兵は、城に帰るまで休ませない。

 どこかぬるい考え方を拭い去る意味もあった。

 ある日の朝、土砂降りの雨が降った。

 俊介は、雨に打たれながら自ら馬を曳き、いつものように兵達との集合場所である大手門前に着いた。

 しかし、いつもは集まっている兵達の姿がない。

 当然である。崎枝の家中ではこれまで、豪雨での調練はやったことがない。それは俊介も聞いていたが、分隊長達にも兵達にも調練の実施を改めて告げもしなかった。

 俊介はただ黙って待った。

 やがて俊介の姿に気づいた兵達が、慌てて馬を曳いて集まってきた。雨合羽をはおる兵もいたが、具足を雨に打たせるがままの俊介の姿を見て、その場で脱ぎ捨てる。

 俊介は、ゆっくりと兵達を見渡した。

 五十騎の兵達は、皆、直立不動である。

 俊介は何もいわない。百の説教よりも自ら悟らせる。そのほうが兵の心に刻み込まれることを俊介は知っていた。

 その後、俊介を先頭に、五十騎が雨の大手門を駆け抜けた。




「あの姿。俺は感動したよ」


 十兵衛はそういい、杯の酒を飲み干した。

 俊介は面食らった。


「何が?」

「何がじゃないだろう。強い軍というものがどうやってできるのか、俺は見せつけられたよ」

「まだできていない」


 俊介は素気なくいうが。


「いやあ、指揮官に全軍が応えるあの姿。一糸乱れぬ行軍。本当の軍とはああいうものなんだな」


 と十兵衛は、俊介の肩をバンバンと叩く。


「痛いよ、馬鹿」


 力加減を知らない十兵衛に、俊介は眉をしかめる。が、十兵衛はまるで聞く耳を持たない。


「俊さんが来てから、俺は驚かされることばかりだ。道寛戦では戦の面白さを教えてもらったし」

「言葉を選べよ。戦の奥深さとか。また夕維姫に怒られるぞ」

「まあまあ。そうだ。夕維姫といえば、姫も俊さんに出会ってから笑うようになったし」

「俺は関係ない。親の仇がいなくなったからだろう」

「いやいや。道寛が討たれたって一報の後、俊さんが夕維姫に何か話してくれたんだろ?」

「………俺は知らんよ」


 思わず俊介は視線をそらし、杯に口をつける。見られていたのか。十兵衛は意外に目敏い。

 大雑把に見えて、十兵衛には夕維姫や家中にさり気なく目配りをする細やかさがある。大将としての器量を示すものであり、俊介も高く評価しているが、こういうときには困る。


「そうか? まあ、それはそれとして」


 十兵衛はあっさりと話題を変えたので、内心、俊介はほっとした。あのときの夕維姫との話は、何となく口にするのは憚られた。


「それに調練では」


 と十兵衛の声に力がこもる。


「調練では、俺を含めて、家中の意識を根底から覆してくれた」

「それこそ、俺は当たり前のことしかしていない」

「そう、それだよ!」


 と、十兵衛は詰め寄るので、俊介はわずかにのけぞる。


「いや、何がだ」

「俺達は、結局、何が当たり前かも分かってなかった。しかも、分かってないことすら、分かってなかった」

「ややこしい物言いだな」

「雨の日に調練をやろうだなんて、思いもしなかったし」

「………もしかして馬鹿にしているのか?」

「そんなわけないだろ。それに、俊さんの調練を見て、俊さんが何であんなに強いのか、家中のみんなが納得してるし、盛り上がってるんだよ」

「どういう意味だ?」

「来る日も来る日も、ぶっ倒れるまでひたすら馬に乗せ、ひたすら木刀を振らせる。そんな化け物じみた調練を、指揮官である俊さん自身が先頭に立ってこなし、しかもそれが当たり前だという」

「何やら、鬼か蛇のようないわれようだな」

「褒めてんだよ。それが当たり前と言い切るような調練を俊さんも重ねてきたんだろうと。つまり、今の調練を続ければ、一歩でも俊さんに近づけるってな。それで今じゃあ、俊さんの五十騎以外も、似たような調練をやってる」

「ちょっと待て。俺に近づく?」

「そうさ。憧れの俊さんのようになりたいってのは、当然じゃないの?」

「は?」


 俊介は、目を瞬かせた。


「何? 俊さん、ひょっとして気づいてないの? あんたは崎枝領内で憧れの的なんだぜ」

「いや、なぜ俺なのだ。十兵衛、お前ならともかく」

「なんでって。ホントにわかんないの? 俊さん、意外に馬鹿だなあ」


 と、十兵衛はまじまじと俊介を見た。


「うるさい」


 俊介は睨み返すが、十兵衛は意に介した様子もなく、指折り数え始める。


「まず、俊さんは夕維姫の生命を救ってくれた大恩人だし」

「あれは、俺は居合わせただけだ。十兵衛だけでも斬り抜けられたはずだろう」

「それに、泉田道寛を前に危地に立っていた崎枝家も救ってくれた。しかも、鬼神のような智謀と武勇で」

「それも、道寛とやらが無能で愚劣だったがゆえだ。俺の功ではない」

「そして今は、大敵である黒井家を敵にまわして、何の見返りもなく崎枝家に手を貸してくれてる」

「ただ調練しているだけだ。そんな大げさなものではない」

「ほれ。そうやって全く功を誇ろうとしないし。強くて頭が良くて、なのに全く偉ぶらなくて、奥ゆかして謙虚と来ては、みんな惚れちまうのも無理ないよな」

「いや、だから、誇る功そのものがないといっているだろう」


 俊介はため息まじりにいう。

 そんな様子を見て、十兵衛は笑った。


「まあ、謙虚というより、俊さんが本当に功だとは考えていないってのは、俺と夕維姫は分かっちゃいるけどさ」

「ならばなぜその誤解を正さないのだ」

「そりゃ無理ってもんだ。俺も夕維姫も、真剣にそんなことをいう俊さんを見るのが大好きなんだからさ」

「………趣味が悪すぎる。それが一国の主と侍大将のやることか」

「俺は単なる田舎城の大将だよ。夕維姫は、一国の主になりそこねた口だし。亡国の姫君ってか」


 そういって十兵衛はまた笑い出した。


「笑う話ではなかろう」


 緊張感がなさすぎる。俊介はため息をついた。


ありがとうございます。

ブックマークいただきました! 思わぬ高評価にも、感謝感激です。

できるだけ早く更新できるよう頑張ります。

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