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泉田道寛は、三千の大軍で崎枝の城に攻め寄せて来た。
崎枝の城は小高い丘の上にある。城まで行くにも、丘と森林に囲まれた隘路を通らなければならない。
払暁、泉田軍は、その隘路を通り、軍を展開させ始めた。その最中、城外の丘の上に埋伏していた俊介の騎馬隊五十騎が、泉田軍の側面に逆落としをかけた。
鮮やかな奇襲だった。泉田軍はまるで伏兵を予想していなかったらしく、俊介隊の横撃にたちまち大混乱に陥った。
俊介隊は、縦に伸びた泉田軍を完全に立ち割った。反対側に抜けた俊介隊は、すぐに軍を反転させ、再び突入した。
城内で待機していた十兵衛は、このとき、門を開いて二百五十の歩兵隊を率いて突撃した。泉田軍はあっさりと崩れた。城の前の隘路を五町も後退して、ようやく踏みとどまった。
踏みとどまった泉田軍はやはり大軍である。とてつもない圧力を感じる。敵兵は、何人突き伏せても尽きることがない。
それでも、十兵衛とその歩兵隊は、敵と正面から戦える。隘路のため、敵は大軍を活かせないからだ。
全て、俊介が戦の前に語った通りの展開といっていい。
「おもしれえ」
十兵衛は、槍を振るいながら、思わずうなった。
戦場にあってこんな感想をもらしては夕維姫に不謹慎と叱られそうだが、正直な気持ちだった。
十兵衛は、戦とは力の限りぶつかり合うだけのものだと考えていた。
しかし、俊介の戦は違う。敵の動きを読み、兵を伏せ、味方が有利となる戦場を選ぶ。軍略を立て、味方の兵を動かし、敵の兵をも動かす。十兵衛は、今、戦の駆け引きの重要さを、肌身で実感していた。
敵三千に対し、こちらはわずか三百。たちまち壊滅させられてもおかしくないところ、互角以上の戦いができている。
いや、俊介の軍略がそうさせている。
ふっと敵の圧力が弱まった。俊介の騎馬隊。その逆落としの横撃である。あっという間に敵の隊列が立ち割られ、崩される。
「よし、続けえっ!!!!」
そこに十兵衛は飛び込んだ。徒歩の兵達もすぐに続き、再び敵を押し込んだ。
俊介の騎馬隊は、凄まじい。
十兵衛自身、これが本当に崎枝家の兵なのか、と目を見張るほどの精強さを見せている。
崎枝家の家臣と兵のことは、十兵衛は知り尽くしている。主への忠誠心ならば、どこにも負けない。しかし、元来、比較的戦の少ない土地柄もあり、兵の調練はどこか甘い。それが、大軍を相手に触れれば弾き飛ばすような強さを見せ、そのあまりの速さは、敵をまるで追いつかせない。
違うのは指揮官である。
柏原俊介。
兵は指揮官で変わる。それを、十兵衛はまざまざと見せつけられる思いであった。
俊介の指揮能力を疑ってはいなかったが、それでも、その用兵には驚かざるを得ない。
果断である。それに、戦の展開、敵の動き、それに十兵衛の隊の動きさえも、三つ、四つは先を読んでいる。それが、俊介の騎馬隊の速さにつながっている。
そして、敵とぶつかったときの強さ。
俊介個人の驍勇は、泉田道寛の兵など、何人であろうとまるで相手にしていない。俊介に従う兵にとっては、軍神に率いられているような絶対的な心強さがあるに違いない。俊介の指揮も的確なのであろう。俊介の騎馬兵は、大軍にもまるで怯みを見せず、動きはいささかの乱れもなく自信に満ち溢れている。
その速さと強さが、敵の大軍を断ち割り、粉砕している。
俊介の騎馬隊が、また突入した。
敵兵が浮足立つのが分かった。十兵衛は、踏み込んだ。敵兵が崩れ、大きく退いて行く。
「うおおおおおっ!!!」
十兵衛は吠えた。駆けた。味方の歩兵隊も続く。敵の只中に飛び込んだ。
また、俊介の騎馬隊の横撃。
十兵衛は、駆けながら槍を振るった。敵兵のほとんどは、こちらに背を向けて、逃げ出している。敵の前衛部隊はもう潰走状態といっていい。
隘路である。敵の前衛が逃げるところは、後方しかない。そして後方には、敵の中軍がいる。
敵の前衛が、中軍になだれ込む形となった。後を追うように、十兵衛の歩兵隊も突入した。ほぼ同時に、俊介の騎馬隊も側面から攻撃を加える。
敵は、もう、隊列も陣形もとどめてはいなかった。敵兵は旗指物も武器も捨て、ひたすら逃げている。
敵は、全面潰走に陥っていた。
歓声があちこちから上がっていた。
物見台からは、敵の大軍が雪崩を打って退いて行くのが、よく見えた。
侍女や守備の兵達が、手を叩いて喜んでいる。
「勝った………」
夕維は、物見台で一人呟いた。嬉しいはずなのに、皆のようにはしゃぐ気になれない。
戦の間、夕維は、物見台にいた。夕維自身は、戦場では足手まといにしかならない。ならばせめて、戦の全てを見守る。味方と敵の全ての死の責任を負う。それが家臣を死地に送る領主の務めだというのが、亡き父の教えだった。
泉田道寛を、逃がした。
道寛の旗印は、中軍の中央にあった。しかし、前衛が崩れ始めたときには、既に視界から見えなくなっていた。家臣や兵を置き去りにして逃げたのだ。
十兵衛や俊介が追い討ちをかけていたが、泉田道寛には追いつけないであろう。
卑怯な男だと思う。
父ならば、絶対にそんなことはしなかった。父は、戦上手とはいえない人だったが、民や家臣をいたわり、慈しんだ。お人好しがすぎて泉田道寛に騙され、生命までも落とすこととなったが、それでも、父が間違っていたとは決して思わない。
「姫様」
物見台の下から、侍女の声がした。
「十兵衛様と俊介様がお戻りになりますよ」
気がつけば、十兵衛と俊介が馬を並べて城に向かっている。やはり、深追いは避けたのだろう。正しい判断だと、夕維も思う。敵は大軍なのだ。深追いすれば大きな犠牲を出しかねない。
十兵衛は、豪放に見えて、戦場にあっても冷静な判断ができる男だ。十兵衛がいてくれたから、これまで泉田道寛に抵抗できたのだ。
十兵衛と目が合った。にやっと笑うのが見えた。
「夕維姫!!」
十兵衛が拳を突き上げた。まだ結構距離があるのに、十兵衛の大音声は城までよく響いた。
「勝ったぞ!!」
城内の歓声が一段と高くなった。
夕維も、手を振って応えた。すると、十兵衛と俊介が率いる兵達からも歓声が上がった。本当に、十兵衛は人を盛り上げるのが上手い、と夕維は思う。そんな十兵衛だからこそ、父が討たれ、追いつめられた中でも、家臣をまとめあげることができたのだろう。
城も野も歓喜に沸いている。
十兵衛が大きく手を振る隣で、俊介が軽く手を挙げている。
奇跡的な大勝利といっていい。せめて、俊介と十兵衛、それに戦った家臣達を城門で迎えよう。夕維は物見台を降りた。
それにしても、と夕維は思う。
俊介様は、謙虚な人だ。
この戦の功第一等は、柏原俊介である。それは誰の目にも明らかだった。それを考えれば、俊介はもっと胸を張っていいが、控えめに十兵衛と馬を並べているだけである。
いや、控えめとは少し違うかもしれない。本心で自らの功を大きいものとは考えていないように思える。
初めて会ったとき。自分を助けてくれたときも、俊介は自らの功をはっきりと否定した。謙遜でも卑下でもなく、厳然たる事実を事実として主張しているようだった。
少し変わった人のようだが、生来、自らに厳しいひととなりなのだと思う。それが、自然に自らの評価を低くし、謙虚な人柄にしているらしい。
が、多分、それだけではない。
瞳の奥に刻まれた、深く悲しい色が気になった。
余程のことがあったのだと思う。その傷は、長く俊介自身を苛み、今も苛み続けているのではないか。その悲しみが鎖となり、俊介を重く縛り付けているように思える。
わっと歓声が上がった。
十兵衛と俊介が門をくぐってきたのだ。十兵衛と俊介は手を挙げて歓声に応え、二人に続く兵達も誇らしげに胸を張っている。
「おう、夕維姫」
十兵衛が声を上げた。俊介とともに馬を降りた。
「十兵衛。俊介様も、みんなも、よく戦ってくれました」
夕維のねぎらいに、兵が歓声に沸いた。が、十兵衛は頭をかいた。
「ああ。けど、泉田道寛を逃がしちまったよ。申し訳ない」
夕維は、わずかに息を呑んだ。十兵衛は夕維の心情を代弁し、皆に語ってくれている。もし夕維自身がそれをいえば、大勝に沸く家臣達の士気を台無しにしかねない。
十兵衛は、そんな男だった。いつも、全てを理解し、しかしぶっきらぼうな態度で、さり気なく夕維を思いやり、助けてくれる。
「いいえ」
夕維は首を振り、微笑んだ。
「皆の戦いぶりは、本当に立派でした。きっと、どの国の軍であっても撃ち破ったであろう、凄まじいばかりの強さでした」
夕維は、兵達を見まわして笑った。
「泉田道寛は、戦の半ばには逃げ出していました。みんなが、強すぎたのですね」
どっと城が歓声に沸いた。兵達も、侍女達も、誰もが満面の笑みで戦の勝利を喜んでいる。
夕維の良心が痛む。十兵衛に嫌な役を押し付け、本心を隠して、この歓声を受けている。それを痛いほどに自覚するだけに、夕維は心苦しい。
当の十兵衛も、嬉しそうに笑っている。夕維は、目を伏せ、こっそりと十兵衛に謝罪した。
上に立つ者は、時に芝居を打たねばならない。そんな父の言葉を思い出しながら、夕維は両手を広げた。
「みんな、今日は本当によく頑張ってくれました。今宵は、祝勝の宴を開きましょう」
この日一番の歓声が、城内に沸き上がった。
しかし。
その祝宴は、盛り上がりを見せる中で突如中断させられた。
泉田道寛、落命。
突然飛び込んできたその報告に、宴は中断を余儀なくされ、城は警戒態勢に戻った。
夕維は、呆然自失としていた。
泉田道寛は、今朝、崎枝軍に大敗した後、浦崎城に逃げ込んだという。かつて崎枝家の居城であり、泉田道寛に奪われた城である。
その城に、夕刻、隣国の国主である黒井景隆が五千の軍勢を率いて入城した。そして、直後、城は混乱に陥ったらしい。情報が錯綜した。が、共通しているのは、泉田道寛が殺され、浦崎城には黒井家の旗が翻っている、ということである。
噂はあった。
泉田道寛は黒井家と密かに手を組み、崎枝家に謀反を起こしたのではないか、といわれていた。黒井家は大国である。崎枝家の家臣にすぎない泉田道寛が対等に同盟を結べる相手ではない。黒井家の傀儡となったとしか考えられない。
結局、噂は事実だったのだろう。
そして、今回の敗戦で、黒井家が泉田道寛を見限った。機を見るに敏というしかない。泉田道寛を見限るや、即座に処断し、たちまち浦崎城を乗っ取ってしまった。黒井家は、この国への野心をむき出しにしたと見ていい。
事態はより深刻になった。
国が分裂するなかで黒井家にどう対応すべきか。対策は急務であったが、今、夕維は何も考えられなかった。
仇を、失った。
父が殺された。狂わんばかりの衝撃の中、夕維は、家臣を守り、父の仇を討つことだけを考え続けた。そうすることで、壊れそうになる心を支え続けたといっていい。
それが、突如としてこの世から消え失せた。
夕維は、頭が真っ白になった。十兵衛と俊介が事態の検討を始めても、耳に入らなかった。
気がつくと、一人、物見台にいた。
夕維は、自分自身が分らなかった。様々な感情が渦巻き、平静ではいられない。
こんなことではいけない、と責める自分が一方ではいる。黒井家をどうすべきか。家臣と領民をどう守るべきか。考えようとしてさらに夕維の思考は混乱に陥る。
「夕維姫」
驚いて振り返ると、そこには俊介がいた。
「俊介様」
「どうかしたのか」
俊介は静かに尋ねたが、夕維は首を振った。
「………分かりません」
そうとしか、答えられない。
しかし俊介は、黙って柱に背をもたれかけた。視線を宙に漂わせた。
「夕維姫には、驚かされることばかりだ」
「?」
俊介の穏やかな視線が、夕維に投げかけられた。
「最初、俺は、夕維姫は名目上の主にすぎないと思っていた」
俊介はいう。女で、しかも歳は十七の小娘にすぎない。城は十兵衛あたりが実権を握る。むしろそれが当然であった。
「しかし、違ったな」
俊介の声は、優しい。夕維は何もいわず、俊介を見つめた。
俊介はいう。敵の急襲に遭い、夕維姫は見も知らぬ俊介に兵を預けるという大決断を一人で行い、ためらいを見せなかった。そして、一度任せれば、全てを任せ切る度量の大きさも見せた。将を統べる大器といっていい。
さらに、夕維姫の常識外といえる決断に対し、家臣の誰一人反対せず、それどころか一切の疑問も持たなかったようである。主君として夕維が人心を得ている証左であり、ここまで家臣を心服せしめた領主は、古今通じても稀有であろう。
「夕維姫は立派だ。姫ほど優れた領主を、俺は見たことがない」
俊介の言葉に、しかし、夕維は首を振った。
「いいえ。夕維は、立派な領主なんかではありません」
「なぜ、そう思う?」
「だって!」
俊介の問いに、夕維は声を高めた。
「夕維は、今日の勝利、本当は喜べませんでした!」
高ぶる感情を、夕維はぶつけた。
「泉田道寛に逃げられたことが悔しくて。今も、道寛が死んで、仇を失って、頭が混乱して、どうしたらいいのか分らなくなって。夕維は領主なのに、こんな大変な時なのに、領民のことも家臣のことも考えられなくって………!!」
夕維は俊介を見た。俊介の目は、穏やかなままだった。
「今なら、夕維姫が家臣に慕われる理由がよく分かる」
「………え?」
俊介は、かすかに笑ったようだった。
「仇を憎むのは、人として当然のことだ、気に病むようなことはない。むしろ、それでも領民、家臣のことを気にかけていたのだから、それこそ、なかなかできることではない」
「でもっ!」
「夕維姫はより良い領主になろうと、常に努めているのだな。今、姫が苦悩するのもそのためであろうし、家臣もそれを知るからこそ、姫を慕うのであろう」
俊介の声は、どこまでも優しい。
「しかし。時には、肩の力を抜いてもいいのではないか」
夕維は言葉を失い、俊介を見つめた。
「これまで、ずっと気を張って来たであろう。辛かったであろう。よく、頑張って来られた」
俊介の眼差しが、温かい。気がつくと、夕維は涙を流していた。
「………俊介様」
俊介の優しい表情がぼやける。涙が止まらない。
夕維の肩に、俊介の手が置かれた。心強く、温かい手だった。
「夕維姫は立派だ。胸を張っていい」
「ありがとうございます。ありがとう、ござい………」
もう言葉にならない。夕維は、ただ泣きじゃくった。
ありがとうございます。




