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 あれから十年の歳月が過ぎた。

 しかし、さつきの声は今も、俊介しゅんすけの耳に生々しく残っている。

 心に負った傷は癒えることがない。普段は見えなくなったが、独りでいるとき、傷の痛みが突然蘇って俊介を苦しめる。

 だから俊介は戦場に逃げた。この十年、戦を求めて各地を渡り歩いた。戦場で刀を振るっているときは傷の痛みを忘れることができた。幸い、何処に流れても戦はあった。そうして戦い続けていれば、死ぬこともあるだろう。それもいい、と思っていたが、何故か生き延び、こうやって今も別の戦場を求めて旅をしている。


「何者か!」


 突然の誰何に俊介は足を止め、前方を見やった。

 いつの間にか、視線の先では剣呑な状況が展開していた。街道上で十名余りの武士の一団が、刀を抜き放っている。誰何したのは、その中の手前の武士らしい。露骨な殺気を俊介に向けている。

 まだ間合いがあるとはいえ、この殺気に気づかないでいるとは。物思いに沈むにしてもひどすぎる。俊介は首を振った。


「何者か、と聞いている。崎枝家の者か!」


 業を煮やしたか、手前の武士が怒声を発した。


「何者かといわれてもな」


 冷やかな視線を俊介は返した。この武士の高圧的な物言いが癇に障った。

 俊介は視線を巡らした。武士の一団は、一組の男女を取り囲んでいる。どうやら、今まさに斬りかからんとしたところに、俊介が邪魔をしてしまったらしい。

 取り囲まれている男女のほうは、二人とも若い。主従であろう。娘は身分のある姫君らしく、若武者が娘をかばうようにして刀を構えている。


「見ての通り、ただの旅の者にすぎぬ」


 俊介は答えた。しかし。


「ならば、なぜ邪魔立てする。立ち去れ!」


 武士は、苛立たしげに声を上げた。多勢に無勢。この状況で、武士達に恐れ入る様子を俊介はまるで見せない。その態度が、どうやら気に食わないらしい。俊介が無様に逃げ出すことを武士は期待していたのであろう。

 が、武士の機嫌を取るような心境には、俊介はなれない。相手が気に食わないという点では、お互い様であった。


「立ち去りたいところだが」


 俊介は武士を見据え、むしろ淡々といった。


「俺の行く手が妨げられていてはそうもいかん」

「貴様、愚弄するか!」


 武士は激昂し、俊介に斬りかかった。

 が、遅い。

 武士が刀を振り下ろすよりも早く、俊介は刀を抜いた。武士は刀を振りかぶったまま、肩口から血を噴き立たせ、崩れるように倒れる。

 数に驕り、俊介を見下していた武士の一団は、明らかに動揺した。そこに俊介は、一歩踏み出す。つられるように二人の武士が飛び出すが、次の瞬間には二人とも首筋から鮮血をまきちらし、横転した。

 娘を守っていた若武者が雄叫びを上げたのは、この時であった。武士の一団が動揺した機を逃さずに跳び、たちまち武士の一人を斬り伏せた。

 間をおかず、若武者は別の武士に斬撃を送る。武士は辛うじて刀で受けるが、若武者は構わず力押しで相手の態勢を崩し、袈裟がけに斬り下ろした。

 ほう、と思わず俊介は感嘆の声を漏らした。

 強い。若武者は二十歳を過ぎたくらいであろうか。背が高く堂々とした体躯であり、まだ若輩ながらも、剣の腕前はかなりのものであった。一騎討ちであれば、武士の一団に太刀打ちできる者はいないであろう。


「ひ、退けっ!!」


 武士の一団の長らしき男の声に、残る武士達はほうほうの体で逃げ出した。仲間の遺体をかついで行ったのは、むしろ感心であった。

 若武者は追わなかった。追えなかったのではなく、余裕を持って見逃しているようであった。

 俊介も追わない。若武者の判断は正しい、と俊介は思う。今は武士の一団の動揺に付け込めたからいいが、ひとたび態勢を立て直せば、多勢に無勢となり、押し包まれるであろう。

 強いだけではないらしい。

 俊介は興味深げに若武者を見やった。胆力があり、冷静な判断力も兼ね備えている。身なりも悪くない。ただの武士ではないのかもしれない。

 若武者が振り返った。俊介と目が合うと、相好を崩した。


「やあ、御助成かたじけない!」


 大きな声であった。


「いや」


 かすかな戸惑いを隠し、俊介は答えた。


「俺は売られた喧嘩を買っただけのこと。あんた達を助けたわけではない」

「あっはっはっは。それをいうなら、俺にはあんたが喧嘩を売っているように見えたがねえ」


 若武者は笑い飛ばした。物言いには遠慮がない。が、爽やかで、嫌味は感じなかった。

 ああ、そうか。

 俊介は戸惑いの理由に気づいた。若武者は、蒼一郎そういちろうに似ているのだ。顔立ちではない。嫌みのない笑顔が、蒼一郎を思い出させる。


十兵衛じゅうべえ。失礼じゃないですか」


 そっと、若武者に守られていた娘が歩み寄ってきた。


「助けていただき、本当に助かりました。ありがとうございました」


 娘は、丁寧に頭を下げる。


「私は、崎枝さきえだ夕維ゆい、と申します」


 引き込まれそうな笑顔であった。美しい。俊介は素直にそう思った。歳は十六か十七くらいであろう。

 それにしても。


「崎枝、とは、もしや?」

「はい。この土地を治めている崎枝家の娘でございます。あ、いえ、治めていた、というべきでしょうか」


 夕維と名乗った娘は首をかしげ、困ったような笑みを浮かべた。

 しかし、まさか崎枝家とは。

 実のところ、笑って答えるような話ではない。崎枝家は、この辺りの領主の家であった。が、先年、家老であった男の裏切りに遭い、領主は殺され、領地を乗っ取られたという。

 崎枝夕維はその崎枝家の姫君であり、殺された当主の忘れ形見のはずであった。

 が、夕維姫の穏やかな表情は、辛く厳しいはずの境遇を感じさせない。立ち居振る舞いは武家の姫君らしく楚々としているが、笑う顔にはどこか幼子のような無邪気さがある。


「あの。お名前を、お聞かせ願えませんか?」


 と、夕維姫の口調ものんびりとしている。が、その瞳はまっすぐに俊介の目を見つめる。澄んでいて、深く、どこか大人びた瞳。俊介は、かすかにたじろぎつつ、名乗った。


「………柏原かしわら俊介しゅんすけ


 浪人としての名である。戦陣では姓がないと軽んじられるため、故郷の村名を俊介は名乗っていた。


「俊介殿か!」


 と、声を上げたのは十兵衛と呼ばれた若武者である。


「俺は当麻とうま十兵衛じゅうべえ。見ての通り夕維姫に仕えている。まあ、それより、礼をさせていただきたい。姫の城がすぐそこなのだ。さあ、行こう」

「はい。是非、おいでください。小さな城なんですけど、精一杯、おもてなしさせてもらいますから」


 十兵衛も、夕維姫も、二人の言葉には、建前ではない、心からの気持がこもっている。それが俊介にもよく分かった。

 しかし。


「断る」


 短く答えた。


「何故!?」


 と十兵衛は勢い込んで迫った。ほとんど泣きつかんばかりの顔であった。




 十兵衛は、かなりしつこかった。

 夕維姫も、懸命な程に強く引き止めてくれた。二人とも、地位のある武家のはずであったが、格式にとらわれるようなところはなく、親しみさえ感じさせた。

 しかし、俊介はそれを振り切るように、強引に立ち去った。

 礼を受ける理由がなかった。が、二人に惹かれそうになっている自分に気がついていたからでもあった。二人の城は居心地がよさそうで、長居してしまいそうだった。

 穏やかで心休まる空間は、自分の居場所ではない。いや。今度はあの二人の時間を壊してしまうかもしれない。それが俊介は怖かった。

 ふと、俊介は、足を止めた。

 道の向こうの森に、視線を向ける。違和感を覚えた。

 人の気配に、満ちている。

 とっさに、俊介は脇の茂みに身を隠した。森に続く道に入って行く武士の一団が見えたからだ。

 間違いなく、夕維姫と十兵衛を襲った武士達。

 嫌な予感がする。

 何故、あの武士の一団は、夕維姫達を襲ったのか。

 いや。

 何故、あの時、あの場所に居たのか。

 俊介は、武士の一団に気づかれないように追った。

 夕維姫の正体を知り、納得したつもりになっていた。夕維姫の父親を殺した家老が、夕維姫の生命をも狙ったのだろう、と。主を殺し、主の血を根絶やしにする。この乱世ではありふれた話であった。だから、あまり深く考えなかった。

 しかし、違ったのか。

 あるいは、本当の目的は別にあったのか。

 追ううちに、やがて、森が開けた。

 森の向こうに広がっているのは、無数の旗指物。

 崎枝家のかつての家老。主殺しの泉田いずみだ道寛どうかんとその軍勢。

 俊介の疑念は、確信に変わった。

 あの武士の一団は、偵察隊に過ぎなかったのだ。




「御免!」


 夕維姫の城の前で、馬上、俊介は叫んだ。


「火急の用向きである。当麻十兵衛殿にお取次ぎ願いたい!」


 夕闇に包まれた城からは、のんびりとした声が聞こえた。


「どなたかな?」

「私は柏原俊介という。非礼も不信も重々承知。なれど、お城に重大な危機が迫っている。十兵衛殿は、我が名を御記憶と思う。御容赦の上、至急、お取次ぎを!」

「はあ、はあ。柏原俊介殿。十兵衛様のお知り合いの」


 と、城の物見の声は、相変わらずのんびりしていたが。


「…カシワラ、シュンスケ、様!?」


 突如、城内が騒ぎ出した。

 そう待つこともなく、城門が開き始める。何が、あったのか。俊介は少し警戒した。

 ところが。

 城内から転がり出た兵士は、


「これはこれは、柏原様。よくおいでくださいました」


 と、まるで貴人を出迎えるかのような態度である。後ろからも続々と兵が出てくる。


「夕維姫様の危難をお救いいただいたそうで」

「我が身を省みず、助けに入っていただいたとか」

「多勢に無勢でありながら、柏原様は鬼神の如きお働きだったとか」


 俊介は唖然とした。馬を降りるが、何が起こっているのか、分からない。大勢の兵が俊介を取り囲み、その目は羨望の眼差しすらある。

 そこに、当麻十兵衛も城門から飛び出した。


「やあやあ、俊介殿。さっそく来てくれたか。ありがたい。ゆるりとくつろいでくれ!」


 と、十兵衛は俊介の肩を抱くように城内に導く。


「十兵衛殿。これは………」

「茶を出そう。それとも腹が減っているか」

「いや、そうではなく」

「ああ、酒がいいかな。早速用意しよう!」

「いや、だから」

「そうか。その前に風呂だな。まず風呂で旅塵を落としてくつろいでもらおう。その間に茶も酒も食事も用意して………」

「十兵衛!!!!」


 俊介は、十兵衛の襟元を掴み、引き寄せた。


「………おう」


 十兵衛は目を白黒させている。長身の十兵衛は、襟元を引き寄せられ、俊介に腰をかがめる形となっている。まるで臣下の礼を取るかのように。

 俊介は視線を巡らした。周りの兵達が皆注目している。

 まずい。

 城の重臣に対し、礼を欠いてしまったようであった。

 とりあえず俊介は、十兵衛の肩をそっと押し、元の姿勢に戻させた。


「十兵衛殿。二千以上の兵が集結している」

「へ?」


 唐突な俊介の言葉に、十兵衛は間の抜けた声を出した。


「この城から北西に五里。山向こうの森林に兵が潜んでいる」

「わあ」


 と、間の抜けた声が聞こえた。俊介と十兵衛が視線を転じると、夕維姫が歩み寄って来る。どうやら、夕維姫まで俊介を出迎えに来たらしい。


「大変ですねえ」


 という夕維姫の声音と表情は、いまひとつ切迫感に欠けている。話の腰を折られた体となり、俊介は思わず肩を落とした。


ありがとうございます。

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