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 戦の決着は、それほど時間はかからなかった。

 湯川ゆかわ軍も粘りを見せたが、一刻ほどの戦いで、ついに全面潰走した。

 そのまま追撃戦に移行した。

 崎枝さきえだ軍としては、ここで湯川軍に致命的な打撃を与え、戦意を喪失させる狙いもあったため、追撃戦は徹底的に行われた。

 夕暮れまでの二刻ほどの間、崎枝軍と高坂こうさか軍の連合軍で追いに追い、湯川軍の塩尻しおじりぐち部隊は、大きすぎる犠牲を出して敗走した。

 もはや、湯川軍に塩尻口の攻略を再開する余力はないことは、明らかだった。


 その夜。


「湯川軍は、少なくとも、塩尻口方面から全面的に撤退することは、まず間違いないでしょう」


 崎枝さきえだ夕維ゆいは、口を開いた。

 塩尻口陣地に帰還した崎枝軍、高坂軍の兵たちは、今日の勝利を祝い、酒宴を開いていた。元々両軍は、黒井くろい景隆かげたか公の頃、ともに戦うことが多かったから、お互い、知己も多い。両軍の兵たちは、軍の隔てなく、あちこちから笑い声が上がり、踊りだす者もいるようだった。

 まだ戦が終わったわけではないが、特に、崎枝軍全ての将兵は、この一か月、激戦に耐え続けていた。そして高坂軍の兵も、崎枝家のために死力を尽くしてくれた。こんな日は、少しくらい羽目を外してもいい。そう思う夕維だった。


「そして、たぶん、岡谷おかやぐち方面も、全面撤退するしかないと思います」


 夕維の言葉に、諸将が頷く。

 主だった指揮官だけを集めた、軍議の場である。顔ぶれは、柏原かしわら俊介しゅんすけ当麻とうま十兵衛じゅうべえ安井やすい正重まさしげ前田まえだ雪之丞ゆきのじょう沢村さわむら左近さこん村田むらた平蔵へいぞう、そして夕維である。

 軍議とはいえ、酒と食事を、夕維は許している。そのまま、なし崩し的に戦勝の祝宴になりそうだが、たまには、こういう日があってもいいだろう。


「岡谷口の湯川軍は、兵糧不足で戦どころじゃなさそうだしな」


 と十兵衛は、酒を旨そうに飲みながら、言う。

 十兵衛は、塩尻口に転戦しながら、岡谷口には物見を出し続け、警戒を怠っていない。

 湯川軍の岡谷口部隊は、兵の犠牲もさることながら、兵站線を俊介らに破壊されたことが大きいようだった。後方拠点を焼き払われ、手持ちの兵糧もすぐに尽きそうな状況らしい。大軍が仇とあり、兵糧の確保は容易ではない。


「兵站は致命傷でしょう。俊介殿のご命令で、徹底的に焼き払いましたので。米一粒たりと残していませんし、武具の補充もできないはずです」


 と、左近は言う。


「その上、二方面から攻めるという湯川軍の軍略が、根底から崩れましたな」


 と言うのは、安井正重である。

 正重の言葉に、雪之丞が頷く。


「そうですね。湯川軍は、もはや占領地の維持どころではないはずです。軍の再編と軍略の見直しが急務だと思います。今の湯川軍にとって、戦を続けるのは、百害あるばかりで利は少ないでしょう」

「湯川軍の首脳陣も無能ではない」


 と杯を手にしながら応えるのは、平蔵である。


「夕維殿の見立てどおり、早々に全面撤退を決断すると、俺も思う」

「そうしてほしいよな。でないと、またしばらく酒が飲めねえ」


 そう言うのは十兵衛である。

 十兵衛らしい物言いに、一同は苦笑した。


「警戒は続けるべきですが、湯川軍の攻勢も、これが限界でしょう」


 そう口を開く夕維に、一同の視線が集まる。


「それも、ここにいる皆さんと、崎枝、高坂両軍の兵の皆さんのおかげです。本当にありがとうございました」


 そう言って、夕維は深々と頭を下げた。

 十兵衛は笑い、雪之丞は黙って首を振った。


「何ほどのこともありません」


 と言い、頭を下げるのは正重。


「黒井家は、夕維殿に大きな借りがあります。それを思えば、大したことではありません」


 そう左近は答え、平蔵は黙って頷いた。

 この間、俊介は、静かに笑みをたたえながら、杯を傾けている。

 戦の勝利の後、俊介は、自分の出番は終わったとばかりに、口数が少なくなる。自らの戦功を主張しようとしない俊介らしいと、夕維は思う。


「俊さま」


 夕維の呼びかけに、俊介は顔を上げた。


「何であろう。夕維さま」


 穏やかな声で、俊介は答えた。


「この度の戦。助けていただき、ありがとうございました。俊さまのお力がなければ、今回の勝利はありませんでした。改めてお礼を言わせてください」


 夕維の言葉に、俊介以外の一同は大きく頷いた。


「本当だよ。俊さん様々だ」


 と嬉しそうに言うのは、十兵衛である。


「全くです。俊介殿の変幻自在の采配。間近で拝見させていただき、目から鱗が落ちる思いでした」


 と左近は、あふれんばかりの笑顔でそう言う。

 しかし。


「それは違う」


 俊介は、そう言いながら首を横に振った。


「俺は、皆とともに刀を振るっただけだ。俺に功があるとすれば、それは皆とともに立てた功だ」

「俊さまなら、そう言うと思いました」


 そう言って夕維は苦笑する。


「でも、本当にありがとうございました」

「気にすることではない。友なら、助けるのは当たり前のことだ」


 俊介はさらりとそう答えた。

 照れ隠しでもなく、気負うでもなく、自然体で。俊介の心からの言葉と分かる。

 ああ。俊さまは、何も変わらない。

 それが夕維には何より嬉しい。


「でも。今回、湯川軍に攻められていたとき。ひょっとして、俊さまが助けに来てくれるのでは、と思いました。ですけど」


 と、夕維は言う。


「俊さまには、助けに来てほしくはない、とも思っていました」


 夕維の言葉に、俊介の目が見開かれた。


「………迷惑であった、か?」


 俊介は驚き、あからさまに動揺している。俊介が動揺する姿を初めて見たような気がする。そう夕維は思いながら、慌てて否定した。


「ああ、違います。俊さま、違うんです。そういう意味ではありません」

「あー、夕維さま。今のはちょっとひどくない?」


 十兵衛の言葉に、夕維はすぐに言い返す。


「だから、違います。夕維は、俊さまが来てくれて、本当に嬉しいんですってば!」

「来てほしくないって、はっきり言ってたよな」


 十兵衛の物言いは、遠慮がない。というより、容赦がない。


「だから、そうではなくって。俊さまには、本当に感謝しているんです。ずっと大好きだったんですってば!」

「いや。聞いてないし。というか、何気に重いよ、夕維さま」

「ああ、もう。十兵衛は黙ってください!」

「あ、はい」


 混ぜ返す十兵衛を黙らせてから、夕維は俊介に向き直る。


「とにかくですね、俊さま」

「ああ」


 そう答える俊介は、困惑した表情を浮かべながら、安堵した様子もうかがえる。誤解は解けたようで、夕維もほっとする。

 それにしても。

 俊さまって、こんなかわいいところもあったんだ。

 五年前には見られなかった俊介の一面が見られ、夕維は密かに喜んでいると。


「夕維さま?」

「ああ、すみません」


 俊介に声をかけられ、夕維は気を取り直す。


「えっと、俊さま。俊さまって、祝言、あげられましたよね?」

「は? あ、ああ」


 予想外の問いだったのか、俊介は目を二、三度またたかせてから、頷く。


「祝言などと立派なものではないが、嫁は迎えた」

「おお!」


 と声を上げたのは十兵衛である。


「五年前、幼馴染のとこに帰るって、俊さん、言ってたもんな。名前は?」

「さつきだ」

「おお、さつき姐さん!」

「は? 姐さん?」


 俊介は首をかしげるが。


「とにかくですね。俊さま」

「あ、ああ」


 夕維は、強引に話を引き戻す。十兵衛に付き合っていたら、いつまでたっても話が前に進まない。


「俊さまは、きっとお嫁さんをお迎えしていると、夕維は思っていたので。そうだとすると、お嫁さんのさつき姉さまが、一人残されるのは可哀そうだなって思って」


 夕維は言う。


「だから、俊さまは、夕維たちを助けてくれるよりも、さつき姉さまの側にいたほうがいいのかなって。さつき姉さまに寂しい思いさせるのは嫌だなって、そう思ったんです。でも」


 と、夕維は言葉に力を込めた。


「でも。俊さまが来てくれて、嬉しかったというのも本当なんです」

「そうか」


 俊介は、ほっとしたようにため息を漏らす。


「よかった。来ては迷惑だったかと思ったが」

「そんなこと、あるはずないです。ずっと、お会いしたかったです」


 夕維の言葉に、俊介は穏やかに頷いた。


「ありがとう。俺も、夕維さまや皆にまた会えて、嬉しい」


 温かな俊介の言葉。


「はい!」

「嬉しいこと言ってくれるぜ」


 夕維と十兵衛は表情をゆるめて答え、雪之丞は、感激のあまり言葉も出ないようだった。

 一緒にいる左近と平蔵、正重は、酒を飲みながら、温かく見守っているようだった。若干、視線が生温かい。


「それと」


 と俊介は言う。


「さつきのことを気遣ってくれてありがたいが、今回は、さつきに叩き出されたのだ。友人を早く助けて来いと」

「おー。さつき姐さん、男前だなあ」


 と十兵衛は声を上げた。


「そうだな。十年ぶりに俺が村に帰ったら、張り倒すような奴だからな」

「………さつき姉さまに、張り倒されたんですか? 五年前?」


 夕維は目をまたたかせて尋ねると、俊介は苦笑した。


「ああ。意識が飛んだよ」

「おお。本気ですげえ、さつき姐さん」


 十兵衛は感心して言う。


「それよりも」


 俊介は、口を開く。


「姐さんや姉さまなどというのは、なんのことだ?」

「え。さつき姐さんのことか? 当たり前だろう」


 十兵衛は答える。


「だって、俊さんって俺たちの兄貴分みたいなもんだろ。兄貴分の奥さんだから、姐さんじゃないか」


 十兵衛はさも当然のように言い、夕維はその隣でにっこりと笑う。


「だから、さつき姉さまです」

「だからと言われてもな」


 俊介は呆れたように言う。


「それよりもさ。さつき姐さん、腕も立つの?」


 十兵衛の問いに、俊介は頷いた。


「ああ」

「おおー。俊さんがそう言い切るって、なんか凄くない?」


 十兵衛は感心した。


「どのくらい強いの、さつき姐さんって?」

「いや、お前のほうが強いはずだ、十兵衛」

「ええっと、それは当たり前ですよね?」


 と夕維は言った。さつき姉さまは女性なのだから、それは当然すぎること。そう夕維は思ったのだが。


「まあ、そうだな。雪之丞とならば、面白いと思う」


 俊介は平然と答えた。


「え?」

「へ?」


 驚きの声を漏らしたのは、夕維と十兵衛。


「は?」


 思わぬところで名前が出て、雪之丞は目を丸くする。

 何気なく話を聞いていた左近や平蔵、正重も思わず目を見張った。


「あの、俊さん」


 と十兵衛は言う。


「雪之丞って、この五年で、随分と腕を上げたけど?」


 十兵衛の言葉に、夕維も頷く。

 雪之丞は、剣士としても、飛躍的に腕を上げた。崎枝家では十兵衛に次ぐほどの腕前だろう。正重も、多分、左近と平蔵も、雪之丞には及ばないのではないか。


「そうだな」


 と、俊介は目を細めて雪之丞を見た。


「本当に、強くなった。雪之丞」

「あ、ありがとうございます」


 顔を上気させ、喜ぶ雪之丞。だが。


「今の雪之丞なら、さつきといい勝負ができるだろう」


 俊介の言葉に、雪之丞は愕然とする。


「………マジ?」


 呆れたように言う十兵衛。


「女性の身で、どれほどの強さなのだ。さつき殿は」


 と、左近は、冷や汗を流しながら言う。


「本当に、人か?」


 と失礼なことを呟くのは平蔵である。


「さすがは守護神さまの奥方さまだな」


 と、正重は、よく分からない感心の仕方をしている。


「さつき姉さま、すごーい!」


 と、夕維は思わず手を叩いて喜んでいた。

 本当に凄い。夕維はそう思った。

 さつきのことは少し話を聞いただけだが、優しい人柄は察せされた。俊介の選んだ人なのだから、良い人だろうとは思っていたが、情に厚く、武勇にも秀でているとは。

 これはもう、憧れるしかないではないか。


「さつき姉さまに、お会いしたいです。俊さま、きっと会わせてくださいね!」


 身を乗り出して言う夕維に、俊介は苦笑した。


「ああ。さつきも、夕維さまにお会いしたいと言っていたから。いずれ」

「わあ。本当ですか」


 夕維は、跳び上がらんばかりに喜んだ。

 さつき姉さまは、夕維の友達になってくれるだろうか。お姉さまになってほしいと言ったら、なんて言うだろうか。

 会って、いろんなことをお話ししたい。夕維はそう思った。


ありがとうございます。

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