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 柏原かしわら俊介しゅんすけを囲む人の輪を、涼宮すずみや一之進いちのしんは冷めた目で眺めていた。


 面白くない。


 皆が柏原俊介を慕っている。崎枝さきえだの面々はまだ分かるが、なぜ沢村さわむら左近さこん村田むらた平蔵へいぞうまで。

 隣りに立つ秋月あきづき大治郎だいじろうは、穏やかな表情でいる。その大治郎も俊介には明らかに好意的だ。

 かつて黒井くろいと戦い、いつまた敵となるか分からない男なのだ。なぜ、もっと警戒しないのか。


 しかし、俊介の剣士としての、武将としての圧倒的な実力。

 武士として憧れる気持ちは、分からなくはない。

 分かってしまう自分が、一番面白くない。


 ふと、視線を向けた。

 近づいてくるものがある。騎馬が三騎。


「俊さま!」


 先頭の騎馬武者が、そう言って手を振る。女の声。

 外套を纏った武者姿の娘。後ろの二騎。護衛がつくような武者姿の娘など、多分、一人しかいない。

 

 噂がある。

 女当主が美しくて凛々しい武者姿を戦場で見せたとき、その軍は常勝無敗を誇るという。


夕維ゆいさま」


 俊介が言った。頭を下げる。


 あれが崎枝さきえだ夕維ゆいか。

 一之進からすれば、雲の上の存在といっていい。


 小なりといえど一国の国主である。戦国乱世にあって女性の身で崎枝の当主となり、領地を守り通している。それどころか、亡き黒井くろい景隆かげたか公とも対等に渡り合い、景隆公は夕維に一目置いていたという。


 夕維はふわりと馬から下りてみせた。


「俊さま。どうしたんですか、頭なんて下げて」


 夕維は笑いながら歩み寄る。


「いや、その反応はおかしかろう」


 いぶかしげに俊介は言う。


「身分ある夕維さまに頭を下げるのは当然ではないか」

「でも、夕維は一応、昔からお姫さまですけど、俊さま、頭を下げたことはなかったような」

「………そうであったか?」


 考え込む俊介の背を、十兵衛じゅうべえが叩いた。


「ほれ。だから俺が言ったろ?」

「痛いよ、馬鹿。それより」


 俊介は視線を夕維に向けた。


「夕維さまは、なぜここに?」

「あ。俊さま、ひどい」


 と夕維は頬をふくらませた。


「俊さまが来てくれたというから、会いに来たんじゃないですか」

「そんなことで、城を空けるな。国主ともあろう者が」


 俊介は呆れた。


「なんにしても」


 夕維はぽんっと手を叩いた。


「俊さま。またお会いできて嬉しいです。そして」


 夕維は指先を揃えて、頭を下げた。


「助けに来てくれて、ありがとうございます」


 一之進は驚いた。

 一国の国主が頭を下げた。柏原俊介というのは、何者なのだ。

 それに。

 国主の立場で浪人に丁寧に頭を下げる夕維も、どこかおかしい。


 夕維はふと視線を移した。


「沢村左近さまと村田平蔵さま、ですね」

「はい」


 左近と平蔵は姿勢を正し、夕維に応じた。


「お会いするのは初めてですが」


 夕維は二人を交互に見て、静かに笑みを浮かべた。


「お二人の勇名。よく知っています」


 しかし、どこか申し訳なさそうな表情。


「お二人と精鋭三千を援軍に出してくれた高坂こうさか師直もろなおさまの御厚意。夕維は言葉もありません」


 夕維は、深々と頭を下げた。


「あ、いや、夕維さま。頭をお上げください」


 さすがの左近も慌てている。

 自分より身分の低い者にこれほど深く頭を下げる者を、一之進は見たことがない。

 真っ直ぐで純粋な、心からの誠意。


「夕維さまは、気さくな方なんだねえ」


 大治郎はため息まじりに言う。


「そうだね」


 一之進は答えながら、ちょっと違う、とも思った。

 気さくというより、身分にあまりこだわりがない人という気がする。

 そして。

 多分、とても優しい人。


 一之進でも、崎枝夕維が湯川家の猛攻にさらされ、窮地に立たされていることは知っていた。

 そして、黒井くろい義隆よしたか公が、盟友でありながら援軍を出そうとしなかったことも。

 そうでありながら、崎枝夕維は、崎枝家が救われることよりも、師直への申し訳なさを感じているように見える。

 なんでこんな人が一国の国主をしているのだろう。

 一之進は首を傾げざるを得ない。


 夕維は親し気に左近、平蔵と言葉を交わしている。

 まるで友人同士の会話。そういったところも夕維は国主らしくない。

 ぼんやりと一之進がそんなことを思っていると。


「!」


 夕維と目が合った。

 当たり前のように歩み寄ってくる。


「お二人は、左近さまか平蔵さまの従者ですか?」


 笑顔で夕維は語りかける。

 いやいや、おかしいだろう。なんで国主が従者風情に声をかけるのだ。


「いえいえ。僕たちは」


 と答える大治郎の顔が緩んでいる。大名を前にして緊張しないのは大治郎らしいが、その反応もおかしい。


「僕たちは、俊介さまの従者をおおせつかっています」

「そうですか、俊さまの」


 と手を合わせる夕維の表情がぱあっと明るくなる。


「お名前、お聞きしていいですか?」

「はい。秋月大治郎と申します」

「では大治郎さま」

「わあ、夕維さま」


 夕維に手を取られ、大治郎の顔がますます緩む。ついでに頬も赤い。

 まあ、気持ちは分かる。確かに、夕維さまは美しい。品があって、それでいて思わず惹かれるような笑顔を見せる。


「大治郎さま。柏原俊介さまは、私にとっても崎枝家にとっても大切な人です。どうかお力添えをお願いします」

「勿論です。命を懸けてお仕えします」


 大治郎は、そう答えるが。


「ダメですよ」


 夕維は悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「死んでしまったら、もう俊さまの力になれませんよ。生き延びて、俊さまの力になってください」

「はあ。では、できれば死なないように頑張ります」


 どこか力の抜けた答え。命を懸けることを実は否定していないのに、どこまでも言葉は軽い。大治郎らしいかもしれない。

 夕維は苦笑する。お願いします、ともう一度言ってから、目を一之進に向けた。

 心の臓の鼓動が跳ね上がる。

 真っ直ぐで済んだ瞳。しかし、全てを見通されるかのような深い瞳。


「あなたのお名前も、お聞きしていいですか?」


 にっこりと笑いかける夕維に、一之進は答えた。


「涼宮一之進といいます」

「涼宮………?」


 夕維の目が見開かれる。


「………一之進さまのお父上は、涼宮すずみや正孝まさたかさまですか?」

「はい」


 一之進の答えに、夕維の表情が曇る。悲し気な瞳。

 思わず、一之進はたじろいでしまった。


「一之進さまは、柏原俊介さまを憎んでいるのですか?」

「………そうです」


 一之進は頷いた。

 一之進にとって、柏原俊介が仇だと崎枝夕維は知っているらしい。ならば、何を分かり切ったことを。そう思ってしまう。

 仇と知りながら、崎枝夕維は自分にも俊介を頼むと言うつもりなのだろうか。

 皮肉っぽく一之進が考えていると。

 夕維は言った。


「一之進さまは、立派だと思います」

「は?」


 意味が分からない。一之進は困惑するが。


「私も、父を殺されました」


 はっと一之進は夕維を見た。


「ですから、一之進さまの気持ちは分かるつもりです」


 夕維が一之進を真っ直ぐに見つめる。その瞳の色は、どこまでも優しい。

 そうなのだ。

 今の崎枝夕維は、華やかな成功と戦歴が際立つが、父親を殺されている。しかも、家臣の裏切り。武士の戦場での死ではない。覚悟も納得もしようがない、理不尽極まりない死。


「私は、お父さまの仇を恨みました。憎み続けました」


 夕維は目を伏せる。


「憎しみに囚われ、周りが見えなくなることもありました。それではいけない。そうと知りながら、真っ黒になる心を抑えきれませんでした」


 他人事ではない。

 つい先日までの自分が、まさにそうだったのだ。

 今にして一之進はそう思う。


「でも、一之進さまは違います」


 と、夕維は言う。


「一之進さまの目は澄んでいます。憎しみはあっても、それに囚われてはいません」

「違う」


 一之進は、うつむいた。


「俺も………そうだった」


 声を振り絞るように、一之進は言う。


「では、そこから立ち直ることができたのですね」


 優しい声で、夕維は言う。


「そう簡単にできることではないと思います」


 やはり一之進さまは立派です。と、夕維は言う。

 自分が本当に立ち直ることができたのは、仇が死んだ後だったから。そう言って夕維は微笑んだ。


 違う。

 一之進はそう思う。自分で立ち直ったわけではない。

 多分、柏原俊介に目を覚まさせられたのだ。そう、思わざるをえない。


「だけど」


 一之進は、顔を上げた。

 これだけは言わないといけない。そう思った。


「それでも柏原俊介は、父の仇だ」


 一之進はそう言い切った。


「俺は、柏原俊介を憎む。それだけは、絶対に変わらない」


 一之進は、真っ直ぐに夕維を見た。目に力を込める。そうしなければ、柏原俊介に感謝してしまいそうだった。

 それに対し、夕維は。

 静かに頷いた。当然のことです、といわんばかりに。

 拍子抜けした。いや、崎枝夕維ならば、そうするような気もしていた。


「でも、これだけは忘れないでください」


 と、夕維は言う。


「父の仇を憎むのは、当然のことです。でも」


 夕維は、一之進を見つめた。優しくて、どこか悲しげな、真摯な瞳。


「憎しみには囚われないでください」


 お願いします。そう言って夕維は、頭を下げた。その声はあまりに真剣で、一之進は、何も答えることができなかった。


「夕維さま」


 俊介が自分を呼ぶ声に、夕維は振り返った。

 俊介は、当麻十兵衛や前田雪之丞、沢村左近、村田平蔵らとともに、少し離れたところで、夕維を待っていた。

 夕維と一之進の会話の内容を察して、あえて距離を置いていたのだろう。俊介らしい細やかな心遣いだと思う。

 俊介は、声を上げた。


「すぐにでも、軍議を開きたい。よろしいか」

「はい。今行きます」


 夕維は、一之進と大治郎にもう一度頭を下げ、踵を返した。




 俊介のもとに歩みながら、夕維は思う。

 他人事とは思えなかった。

 親を殺された辛さ。仇を憎む気持ち。どれも分かりすぎるほどに分かった。


 夕維にとって、涼宮一之進は、自分だった。

 そして夕維は、一之進の本当の仇は、自分だとも思った。


 涼宮正孝を斬ったのは俊介だが、本来、その戦は、俊介にとって何ら関係のないものだった。ただ夕維と崎枝家のためだけに刀を振るい、戦ってくれただけなのだ。

 それだけに、放ってはおけなかった。


 憎しみに囚われないでほしい、というのは、夕維の本音だった。

 憎しみは、人の心を容易に支配する。目を曇らせ、理性を失わせる。人としての道も、分からなくなる。

 涼宮一之進という少年に、道を踏み外してほしくなかった。


 一之進の目を見る限り、その心配はないのかもしれないが、今は、理性が憎しみを上回っている状態なのだと思う。子供の未成熟な心理状態で、ひとたび激昂すれば、どうなるか分からない。そんな危うさもあるのだ。

 そんなとき、自分と話したことを思い出してくれたら。

 憎しみに囚われずにいられるかもしれない。


 そして。

 そのまま大人になり、理性が安定すれば。

 俊介の人柄を、一之進が知れば。

 憎しみを時間が薄めてくれれば。


 仇を憎むのは仕方がないとはいえ、やはり、俊介と一之進が殺し合うのを、できれば夕維は見たくなかったのだ。


 でも。

 そんな夕維の願いは、案外、簡単に叶いそうな気もしていた。

 俊介のもとに歩みよった夕維は、声を抑えて聞いてみた。一之進には、不快に思える話であろうから。


「俊さま。一之進さまに、何かしました?」

「するわけがなかろう」

「本当に? 何か手を貸したり、とか」

「本当だ」


 俊介の返答はそっけない。

 うーん、と夕維は首を傾げた。あの一之進の態度。何かあったはずだけど、と思い、今度は隣の沢村左近に目を向けた。


「左近さま。本当ですか?」

「おい。なぜ左近殿に聞く」


 俊介の抗議に、左近は苦笑しながら、答えた。


「一之進が立ち直れたのは、俊介殿のおかげですよ」

「あ。やっぱり」


 ぽん、と夕維は手を打った。


「やっぱりではない。夕維さまも、なぜ左近殿に聞くのだ」


 俊介は再び抗議するが。


「俊さまのことだから、そういうつもりがなくても、したのかなって。人助け。やっぱり聞いて正解でした」


 にっこりと笑う夕維。

 これには十兵衛は大笑いし、雪之丞は笑いをこらえる。

 左近と平蔵も苦笑している。短い付き合いながら、彼らも俊介の人となりを理解してきたらしい。


「もういい」


 俊介はため息をついた。


「それよりも軍議だ。このままでは、何のために駆け付けたか、分からん」

「おお、久々の俊さんの軍議だ。楽しみだぜ」


 十兵衛が嬉しそうに言う。


「何が楽しみだ。総大将はお前だろう、十兵衛。お前が仕切らないでどうするのだ」

「だって、俊さんに何か策があるんだろう。早く聞かせてくれよ」


 目を輝かせて言う十兵衛。

 あきらめたように、俊介は再びため息をついた。


ありがとうございます。

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