23
柏原俊介を囲む人の輪を、涼宮一之進は冷めた目で眺めていた。
面白くない。
皆が柏原俊介を慕っている。崎枝家の面々はまだ分かるが、なぜ沢村左近と村田平蔵まで。
隣りに立つ秋月大治郎は、穏やかな表情でいる。その大治郎も俊介には明らかに好意的だ。
かつて黒井家と戦い、いつまた敵となるか分からない男なのだ。なぜ、もっと警戒しないのか。
しかし、俊介の剣士としての、武将としての圧倒的な実力。
武士として憧れる気持ちは、分からなくはない。
分かってしまう自分が、一番面白くない。
ふと、視線を向けた。
近づいてくるものがある。騎馬が三騎。
「俊さま!」
先頭の騎馬武者が、そう言って手を振る。女の声。
外套を纏った武者姿の娘。後ろの二騎。護衛がつくような武者姿の娘など、多分、一人しかいない。
噂がある。
女当主が美しくて凛々しい武者姿を戦場で見せたとき、その軍は常勝無敗を誇るという。
「夕維さま」
俊介が言った。頭を下げる。
あれが崎枝夕維か。
一之進からすれば、雲の上の存在といっていい。
小なりといえど一国の国主である。戦国乱世にあって女性の身で崎枝の当主となり、領地を守り通している。それどころか、亡き黒井景隆公とも対等に渡り合い、景隆公は夕維に一目置いていたという。
夕維はふわりと馬から下りてみせた。
「俊さま。どうしたんですか、頭なんて下げて」
夕維は笑いながら歩み寄る。
「いや、その反応はおかしかろう」
いぶかしげに俊介は言う。
「身分ある夕維さまに頭を下げるのは当然ではないか」
「でも、夕維は一応、昔からお姫さまですけど、俊さま、頭を下げたことはなかったような」
「………そうであったか?」
考え込む俊介の背を、十兵衛が叩いた。
「ほれ。だから俺が言ったろ?」
「痛いよ、馬鹿。それより」
俊介は視線を夕維に向けた。
「夕維さまは、なぜここに?」
「あ。俊さま、ひどい」
と夕維は頬をふくらませた。
「俊さまが来てくれたというから、会いに来たんじゃないですか」
「そんなことで、城を空けるな。国主ともあろう者が」
俊介は呆れた。
「なんにしても」
夕維はぽんっと手を叩いた。
「俊さま。またお会いできて嬉しいです。そして」
夕維は指先を揃えて、頭を下げた。
「助けに来てくれて、ありがとうございます」
一之進は驚いた。
一国の国主が頭を下げた。柏原俊介というのは、何者なのだ。
それに。
国主の立場で浪人に丁寧に頭を下げる夕維も、どこかおかしい。
夕維はふと視線を移した。
「沢村左近さまと村田平蔵さま、ですね」
「はい」
左近と平蔵は姿勢を正し、夕維に応じた。
「お会いするのは初めてですが」
夕維は二人を交互に見て、静かに笑みを浮かべた。
「お二人の勇名。よく知っています」
しかし、どこか申し訳なさそうな表情。
「お二人と精鋭三千を援軍に出してくれた高坂師直さまの御厚意。夕維は言葉もありません」
夕維は、深々と頭を下げた。
「あ、いや、夕維さま。頭をお上げください」
さすがの左近も慌てている。
自分より身分の低い者にこれほど深く頭を下げる者を、一之進は見たことがない。
真っ直ぐで純粋な、心からの誠意。
「夕維さまは、気さくな方なんだねえ」
大治郎はため息まじりに言う。
「そうだね」
一之進は答えながら、ちょっと違う、とも思った。
気さくというより、身分にあまりこだわりがない人という気がする。
そして。
多分、とても優しい人。
一之進でも、崎枝夕維が湯川家の猛攻にさらされ、窮地に立たされていることは知っていた。
そして、黒井義隆公が、盟友でありながら援軍を出そうとしなかったことも。
そうでありながら、崎枝夕維は、崎枝家が救われることよりも、師直への申し訳なさを感じているように見える。
なんでこんな人が一国の国主をしているのだろう。
一之進は首を傾げざるを得ない。
夕維は親し気に左近、平蔵と言葉を交わしている。
まるで友人同士の会話。そういったところも夕維は国主らしくない。
ぼんやりと一之進がそんなことを思っていると。
「!」
夕維と目が合った。
当たり前のように歩み寄ってくる。
「お二人は、左近さまか平蔵さまの従者ですか?」
笑顔で夕維は語りかける。
いやいや、おかしいだろう。なんで国主が従者風情に声をかけるのだ。
「いえいえ。僕たちは」
と答える大治郎の顔が緩んでいる。大名を前にして緊張しないのは大治郎らしいが、その反応もおかしい。
「僕たちは、俊介さまの従者をおおせつかっています」
「そうですか、俊さまの」
と手を合わせる夕維の表情がぱあっと明るくなる。
「お名前、お聞きしていいですか?」
「はい。秋月大治郎と申します」
「では大治郎さま」
「わあ、夕維さま」
夕維に手を取られ、大治郎の顔がますます緩む。ついでに頬も赤い。
まあ、気持ちは分かる。確かに、夕維さまは美しい。品があって、それでいて思わず惹かれるような笑顔を見せる。
「大治郎さま。柏原俊介さまは、私にとっても崎枝家にとっても大切な人です。どうかお力添えをお願いします」
「勿論です。命を懸けてお仕えします」
大治郎は、そう答えるが。
「ダメですよ」
夕維は悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「死んでしまったら、もう俊さまの力になれませんよ。生き延びて、俊さまの力になってください」
「はあ。では、できれば死なないように頑張ります」
どこか力の抜けた答え。命を懸けることを実は否定していないのに、どこまでも言葉は軽い。大治郎らしいかもしれない。
夕維は苦笑する。お願いします、ともう一度言ってから、目を一之進に向けた。
心の臓の鼓動が跳ね上がる。
真っ直ぐで済んだ瞳。しかし、全てを見通されるかのような深い瞳。
「あなたのお名前も、お聞きしていいですか?」
にっこりと笑いかける夕維に、一之進は答えた。
「涼宮一之進といいます」
「涼宮………?」
夕維の目が見開かれる。
「………一之進さまのお父上は、涼宮正孝さまですか?」
「はい」
一之進の答えに、夕維の表情が曇る。悲し気な瞳。
思わず、一之進はたじろいでしまった。
「一之進さまは、柏原俊介さまを憎んでいるのですか?」
「………そうです」
一之進は頷いた。
一之進にとって、柏原俊介が仇だと崎枝夕維は知っているらしい。ならば、何を分かり切ったことを。そう思ってしまう。
仇と知りながら、崎枝夕維は自分にも俊介を頼むと言うつもりなのだろうか。
皮肉っぽく一之進が考えていると。
夕維は言った。
「一之進さまは、立派だと思います」
「は?」
意味が分からない。一之進は困惑するが。
「私も、父を殺されました」
はっと一之進は夕維を見た。
「ですから、一之進さまの気持ちは分かるつもりです」
夕維が一之進を真っ直ぐに見つめる。その瞳の色は、どこまでも優しい。
そうなのだ。
今の崎枝夕維は、華やかな成功と戦歴が際立つが、父親を殺されている。しかも、家臣の裏切り。武士の戦場での死ではない。覚悟も納得もしようがない、理不尽極まりない死。
「私は、お父さまの仇を恨みました。憎み続けました」
夕維は目を伏せる。
「憎しみに囚われ、周りが見えなくなることもありました。それではいけない。そうと知りながら、真っ黒になる心を抑えきれませんでした」
他人事ではない。
つい先日までの自分が、まさにそうだったのだ。
今にして一之進はそう思う。
「でも、一之進さまは違います」
と、夕維は言う。
「一之進さまの目は澄んでいます。憎しみはあっても、それに囚われてはいません」
「違う」
一之進は、うつむいた。
「俺も………そうだった」
声を振り絞るように、一之進は言う。
「では、そこから立ち直ることができたのですね」
優しい声で、夕維は言う。
「そう簡単にできることではないと思います」
やはり一之進さまは立派です。と、夕維は言う。
自分が本当に立ち直ることができたのは、仇が死んだ後だったから。そう言って夕維は微笑んだ。
違う。
一之進はそう思う。自分で立ち直ったわけではない。
多分、柏原俊介に目を覚まさせられたのだ。そう、思わざるをえない。
「だけど」
一之進は、顔を上げた。
これだけは言わないといけない。そう思った。
「それでも柏原俊介は、父の仇だ」
一之進はそう言い切った。
「俺は、柏原俊介を憎む。それだけは、絶対に変わらない」
一之進は、真っ直ぐに夕維を見た。目に力を込める。そうしなければ、柏原俊介に感謝してしまいそうだった。
それに対し、夕維は。
静かに頷いた。当然のことです、といわんばかりに。
拍子抜けした。いや、崎枝夕維ならば、そうするような気もしていた。
「でも、これだけは忘れないでください」
と、夕維は言う。
「父の仇を憎むのは、当然のことです。でも」
夕維は、一之進を見つめた。優しくて、どこか悲しげな、真摯な瞳。
「憎しみには囚われないでください」
お願いします。そう言って夕維は、頭を下げた。その声はあまりに真剣で、一之進は、何も答えることができなかった。
「夕維さま」
俊介が自分を呼ぶ声に、夕維は振り返った。
俊介は、当麻十兵衛や前田雪之丞、沢村左近、村田平蔵らとともに、少し離れたところで、夕維を待っていた。
夕維と一之進の会話の内容を察して、あえて距離を置いていたのだろう。俊介らしい細やかな心遣いだと思う。
俊介は、声を上げた。
「すぐにでも、軍議を開きたい。よろしいか」
「はい。今行きます」
夕維は、一之進と大治郎にもう一度頭を下げ、踵を返した。
俊介のもとに歩みながら、夕維は思う。
他人事とは思えなかった。
親を殺された辛さ。仇を憎む気持ち。どれも分かりすぎるほどに分かった。
夕維にとって、涼宮一之進は、自分だった。
そして夕維は、一之進の本当の仇は、自分だとも思った。
涼宮正孝を斬ったのは俊介だが、本来、その戦は、俊介にとって何ら関係のないものだった。ただ夕維と崎枝家のためだけに刀を振るい、戦ってくれただけなのだ。
それだけに、放ってはおけなかった。
憎しみに囚われないでほしい、というのは、夕維の本音だった。
憎しみは、人の心を容易に支配する。目を曇らせ、理性を失わせる。人としての道も、分からなくなる。
涼宮一之進という少年に、道を踏み外してほしくなかった。
一之進の目を見る限り、その心配はないのかもしれないが、今は、理性が憎しみを上回っている状態なのだと思う。子供の未成熟な心理状態で、ひとたび激昂すれば、どうなるか分からない。そんな危うさもあるのだ。
そんなとき、自分と話したことを思い出してくれたら。
憎しみに囚われずにいられるかもしれない。
そして。
そのまま大人になり、理性が安定すれば。
俊介の人柄を、一之進が知れば。
憎しみを時間が薄めてくれれば。
仇を憎むのは仕方がないとはいえ、やはり、俊介と一之進が殺し合うのを、できれば夕維は見たくなかったのだ。
でも。
そんな夕維の願いは、案外、簡単に叶いそうな気もしていた。
俊介のもとに歩みよった夕維は、声を抑えて聞いてみた。一之進には、不快に思える話であろうから。
「俊さま。一之進さまに、何かしました?」
「するわけがなかろう」
「本当に? 何か手を貸したり、とか」
「本当だ」
俊介の返答はそっけない。
うーん、と夕維は首を傾げた。あの一之進の態度。何かあったはずだけど、と思い、今度は隣の沢村左近に目を向けた。
「左近さま。本当ですか?」
「おい。なぜ左近殿に聞く」
俊介の抗議に、左近は苦笑しながら、答えた。
「一之進が立ち直れたのは、俊介殿のおかげですよ」
「あ。やっぱり」
ぽん、と夕維は手を打った。
「やっぱりではない。夕維さまも、なぜ左近殿に聞くのだ」
俊介は再び抗議するが。
「俊さまのことだから、そういうつもりがなくても、したのかなって。人助け。やっぱり聞いて正解でした」
にっこりと笑う夕維。
これには十兵衛は大笑いし、雪之丞は笑いをこらえる。
左近と平蔵も苦笑している。短い付き合いながら、彼らも俊介の人となりを理解してきたらしい。
「もういい」
俊介はため息をついた。
「それよりも軍議だ。このままでは、何のために駆け付けたか、分からん」
「おお、久々の俊さんの軍議だ。楽しみだぜ」
十兵衛が嬉しそうに言う。
「何が楽しみだ。総大将はお前だろう、十兵衛。お前が仕切らないでどうするのだ」
「だって、俊さんに何か策があるんだろう。早く聞かせてくれよ」
目を輝かせて言う十兵衛。
あきらめたように、俊介は再びため息をついた。
ありがとうございます。




