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 戦況が、急展開した。


 この一か月、崎枝さきえだ領は、湯川ゆかわ軍の攻勢にさらされてきた。湯川軍は、崎枝領の南から、岡谷おかやぐちを二万、塩尻しおじりぐちを一万の軍勢で攻めたのだ。


 当麻とうま十兵衛じゅうべえは、崎枝軍の少ない兵を二手に分けざるをえなかった。

 崎枝領の南は険しい山が連なり、岡谷口も塩尻口も、狭い渓谷を抜けて崎枝領に入る。狭い渓谷だからこそ、崎枝軍の少ない兵でも、かろうじて湯川軍の相手ができると言っていい。


 岡谷口は十兵衛が自ら四千を率いて守り、塩尻口は安井やすい正重まさしげに兵一千を与えて任せた。

 安井正重は、安井やすい村重むらしげの子。黒井くろい景隆かげたかの崎枝攻めのとき、最初に反旗を翻した武将、安井村重の嫡男である。景隆との戦の後、村重が隠居し、安井の家督を継いだ。

 家督を譲った村重自身は、浦崎城に入った。崎枝さきえだ夕維ゆいに絶対の忠誠を誓い、側で支え続けてくれている。


 安井正重の夕維への忠誠心の厚さは、父譲りであろう。武将としても、派手さはないが、堅実な手腕を見せてくれる。

 今回の戦も、一番厳しいところで正重は耐え続けているが、戦況は良くない。主力を率いる十兵衛がどうにかしないといけないのに、十兵衛もかろうじて凌いでいるという状況だった。


 それが、一変した。

 岡谷口の湯川軍が、急に浮き足立った。狼狽。混乱。明らかにそれが見て取れた。やがて、湯川軍は隊伍を乱しながら、撤退を始めた。


 何が起きたのか、分からない。

 十兵衛自身、戸惑いながら、すぐに全軍に追撃を命じた。

 罠ではない。それだけは確信できた。


 一刻ほど前に入った一報。ここから東に四里の地点で、昼前、黒井軍らしい軍勢が目撃された。それが、間道に姿を消したという。

 援軍。一瞬、それが頭によぎったが、すぐに否定した。今の黒井家に、崎枝家を助ける余裕はない。何かの間違いか、別目的の軍勢か。

 しかし、何かあったのかもしれない。


 崎枝軍四千が一斉に湯川軍に後背から襲い掛かった。湯川軍の精兵が、逃げ惑う。混乱に拍車がかかる。撤退が、潰走に変わる。

 崎枝軍は、湯川軍を追い討ちに討った。

 湯川軍の諸将は、必死に兵をまとめようとする。しかし、兵が固まれば、そこに前田まえだ雪之丞ゆきのじょうの騎馬隊が突入した。隊形が乱れたところに、徒歩の兵に攻めさせる。


 十兵衛は、湯川軍に立て直す暇を与えなかった。徹底的に叩いた。できる限り湯川軍の兵力を削る。それだけを考えた。

 一刻ほども追撃を続けた。日が暮れ、辺りが薄暗くなってから、追撃の中止を命じた。暗くなれば、同士討ちの恐れがある。

 大勝と言っていい。湯川軍はかなりの損害を出したはずだった。


 しかし、肝心なことは、何も分からない。

 騎馬兵の何人かに湯川軍の偵察を命じ、十兵衛は軍を率いて岡谷口の陣に戻った。


「へっ!?」


 湯川軍に何が起こったのか。答えは意外なところからもたらされた。


「俊さんから………!?」


 十兵衛を伝令が待っていた。それも、柏原かしわら俊介しゅんすけからという。

 意気込んで伝令から話を聞き出した。迫りすぎて、伝令の兵を怖がらせてしまったかもしれないが、とりあえず気にしないことにした。


 それどころでもない。

 柏原俊介は、今、近隣にいるという。


 ここからわずか四里。馬でおよそ一刻も駆ければ、俊さんに会える。


「十兵衛様!」


 雪之丞が十兵衛の陣幕に飛び込んできた。


「俊介様からの伝令、というのは本当ですか!?」

「耳が早いな。雪之丞」

「本当ですか!?」


 雪之丞がつかみかからんばかりの勢いで迫る。目が血走っている。ちょっと怖い。


「本当だ。だから離れろ」

「内容は。俊介様はなんと………!?」

「教える。だから、ちょっと落ち着け!」


 雪之丞をなだめながら、十兵衛は説明した。

 柏原俊介が、高坂こうさか師直もろなおから兵を借り、援軍に来ること。

 既に、沢村さわむら左近さこん率いる一千とともに、湯川軍の兵站を支える城を焼いたこと。

 今夜は馬を休め、明朝、岡谷口の崎枝軍と合流すること。

 援軍の別働隊である村田むらた平蔵へいぞう率いる二千は、今夜中に崎枝軍と合流すること。


 すると。


「俊介様が、近くに………!」

「あー。やっぱり、そっちに反応するか」


 十兵衛は、呆れた。

 十兵衛は全て説明したが、この崎枝軍最強部隊の指揮官は、崎枝家にとって重大な軍事情報をさらっと聞き流した。関心を示したのは、恩師がどこにいるか、という極めて個人的な話である。


 この際、十兵衛自身が同じ反応をしたことは棚上げしている。

 雪之丞は身を乗り出した。


「十兵衛様!」

「駄目」


 十兵衛は一言で切って捨てた。


「まだ何も言っていませんが」

「俊さんのトコに行きたいってんだろ?」

「そうです!」

「だから、駄目」

「なぜですか!」

「馬鹿か。最前線で、主力部隊の指揮官が留守にしちゃ、まずいに決まってるだろ」

「………」


 雪之丞は黙り込んだ。

 十兵衛は、半ば自分に言い聞かせている。十兵衛自身、今すぐにも駆けつけたいのを我慢しているのだ。


「十兵衛様。………御自分が行けないのを、妬んでいるわけではないですよね?」

「お前さん、失礼だね」

「すみません」


 雪之丞は頭を下げた。が、疑いの眼差しのままだ。全然誠意が感じられない。本当に失礼な奴だ。

 まあ、半分は事実なのだが。




 村井平蔵は、夜明け前に目を覚ました。


 多分、柏原俊介は、夜明け早々には岡谷口に着く。部下としては、大将を陣頭で迎えるべきであろう。

 平蔵と麾下の二千は、昨日の深夜、岡谷口の崎枝軍に合流した。十兵衛は、平蔵の軍を迎えるため、野営の準備に食事、それに酒まで用意してくれていた。

 十兵衛の配慮のおかげで、一昼夜の強行軍をさせた麾下の兵を、しっかり休ませることができた。

 これで今日は存分に戦える。


 俊介は何も言わなかったが、一日で二十里という強行軍を命じた意味を考えれば、分かる。今日、平蔵とその軍が岡谷口にいる必要があったのだ。


「よう、平蔵殿」

「………」


 平蔵が馬にまたがり崎枝軍の陣の外に出ると、なぜか十兵衛がいた。馬をひいている。


「よく眠れたか?」


 屈託のない笑みを十兵衛は向けてくる。平蔵は馬を降りながら答える。


「おかげさまで。………大将御自ら歩哨かね?」

「まさか」

「では、何故?」


「あいつは俺よりも先に来てたぜ」


 答えになっていない。そう思いながら十兵衛が指し示す先に視線を向けると、もう一人いた。こちらも馬をひいている。前田雪之丞である。

 雪之丞の目礼に平蔵も目礼で返す。が、雪之丞はすぐに視線を元に戻した。


「あいつ、口聞いてくれねえんだよ。昨日、迎えに行かせなかったって」


 雪之丞が見つめているのは陣の東。まっすぐ行けば、俊介たちがいるはずだった。


 ………なるほど。

 平蔵は呆れた。

 左近も度が過ぎていると思っていたが、十兵衛と雪之丞はそれ以上かもしれない。


 柏原俊介を待っているのか。

 会うのは五年ぶりであろう。それは分かるが、どれだけ柏原俊介を慕っているのだ。この人たちは。


「あいつも大人げないないよな。そう思わないか、平蔵殿」


 と言う十兵衛に向ける平蔵の視線が、うさんくさいものを見る目になってしまった。

 雪之丞いじりが好きな十兵衛だ。何かしたのだろう。この十兵衛の人の悪い笑顔を見れば、多分、間違いない。


「お?」


 十兵衛が肩越しに振り向いた。

 平蔵も、雪之丞も、同時に視線を向けている。

 馬蹄の響き。


「来た!」


 十兵衛は声を上げながら、自身の身体を馬上に跳ね上げた。

 雪之丞も馬にまたがるのを見ながら、平蔵も騎乗する。


 十兵衛と雪之丞が先行し、平蔵が遅れて馬を駆けさせる。

 まず見えたのは、大きな土煙。

 次に、無数の馬影。それが大きくなる。

 騎馬群の先頭を駆ける武士が、手を掲げる。柏原俊介だ。それで騎馬群が一斉に停止する。


 ほう。平蔵は内心でうなった。あの男は、わずか一日で完全に騎馬隊を掌握したらしい。左近は一馬身下がり、すっかり副将然と収まっている。


 先頭の俊介が馬を降りた。

 自分たち、というより十兵衛に礼を取ろうということだろう。

 馬を降りた俊介に、さすがに馬上から挨拶するわけにもいくまい。平蔵は馬を止めようとして。


「は?」


 十兵衛は逆に、さらに馬足を速めた。


「俊さん!!」


 疾駆する馬から、十兵衛が身を躍らせた。


 おいおい。走る馬から飛び降りるなんて、体さばきが無駄に凄すぎる。というか、無事に着地できるのか。いや、それ以前に、具足を着た武者に飛びつかれて、柏原俊介は本気でやばいのではないか。

 色々なことが平蔵の頭をよぎったが。


 一瞬の早業。


 十兵衛の身体が、くるりと宙で回った。

 いや、回された。

 平蔵の目には、俊介が左足をひき、軽く身体を開いたようにしか見えなかったが、次の瞬間、十兵衛の背が、地に叩きつけられていた。


「………何で?」


 十兵衛が大の字のまま口を開く。


「何でではない。殺す気か、お前は」

「えー、つれないなあ」

「そういう問題ではなかろう」


 俊介はため息をついた。

「………まったく。当麻十兵衛は今や崎枝家の侍大将。礼をつくさねば、と思っていたのに。全て台無しだ」

「ええ!?」


 十兵衛は飛び起きた。


「礼なんて。そんな俊さんらしくねえ」

「失敬な。………が、もう諦めた。久しぶりだ、十兵衛」

「ああ。よく来てくれた、俊さん!」


 十兵衛はそう言って俊介の肩を抱くが。


「近い。暑苦しい。離れろ」


 俊介にその手を払いのけられ、十兵衛は声を上げる。


「やっぱりつれないなあ。そーゆーとこ、変わんねえなあ、俊さん」

「お前もその訳の分からないところは変わらんな、十兵衛」


 呆れながら俊介は十兵衛を押しのけ、視線を転じた。


「お前も久しぶりだ、雪之丞」

「は、はい!」


 答える雪之丞の声が上ずる。

 俊介は、正面から雪之丞の目を見据えた。雪之丞も視線を外さない。が、緊張で明らかに身体を硬くしている。

 ふっと俊介が表情を緩めた。


「立派になったな、雪之丞」

「!」


 雪之丞の唇がかすかに動く。が、声はない。


「お前の活躍は聞いている。これまで、よくやったな」

「………は、はい」


 ようやく返事をする雪之丞。その声は、震えている。

 俊介は、雪之丞の肩にそっと手を置く。


「五年前。何も言わずに去って悪かった」


 雪之丞は言葉が出ない。ただ何度も首を振った。


「俺が黙って放り出した騎馬隊を、よくここまでまとめ上げたな」

「いいえ、いいえ。全ては俊介様のおかげで………」

「何を言う。崎枝夕維様の騎馬隊の今があるのは、間違いなく前田雪之丞の功だ」


 俊介の言葉に、雪之丞の目が見開かれる。その目に涙があふれ、慌てて雪之丞は手で拭う。


「馬鹿。胸を張れ、雪之丞」


 そう言う俊介の声は優しい。


「は、はい………!」


 涙を必死にこらえてる雪之丞は、やっとそれだけを言う。


 恩師に認めてもらえた。これほど嬉しいことはない。

 平蔵はそう思う。この五年間、何かと崎枝軍と行動をともにすることが多かった。それだけに、雪之丞のこれまで苦労が分かる。それが報われた思いであろう。


 ふと見ると、俊介の後ろで左近が嬉しそうに何度も頷いている。

 平蔵は、半ば呆れた。左近のお人好しは今更だが、雪之丞は左近にとって競うべき相手ではなかったのか。相手にここまで共感して、本当に勝つ気があるのやら。


ありがとうございます。

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