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「ところで」

「何?」


 大治郎だいじろうが尋ねるので、一之進いちのしんは歩きながら目を向けた。

 俊介しゅんすけの後に続き、一之進は大治郎と並んで歩いている。怪しまれないよう、三人とも甲冑は最低限にとどめた。一応、浪人のつもりらしい。


 三人が目指すのは、岡谷おかやじょう左近さこんは騎馬隊を率いて間道の出口で待機している。間道から城まで半里という距離は、馬ではあっという間だが、歩くと長く感じられる。

 三人で奇襲。一千騎の軍勢が控えているとはいえ、この距離は心細い。

 しかし。


「落ち着いているよねえ」

「何が?」

「だって、一之進は初陣なんでしょう。僕が初陣のときは怖くて仕方なかったのに、一之進は、そんな風に全然見えないからさ」

「いや、そんなことは………」


 そう。そんなことはない。

 こんな無謀としか言えない策。心細いことこの上ない。それを初陣の自分にさせるとは、柏原かしわら俊介しゅんすけもとんでもない。

 それに何より、初めての戦場なのだ。怖くないはずがない。


 そのはずなのだが。

 実際のところ、一之進にはあまり恐怖心がわかない。戦場を怖いと思う感情の一方で、どこか平静でいられる自分が確かにいる。


「大治郎、一之進」

「あー、すみません。お喋りは駄目ですよねえ」


 俊介の声に、大治郎が頭を下げたが。


「いや、続けろ」


 予想外の俊介の言葉。


「えーっと、どういうことで?」


 歩きながら、大治郎は問う。


「無論、怪しまれないためだ。雑談でもしていたほうが、より自然であろう」

「あー、それはそうですねえ」


 大治郎はぽんっと手を打った。


「じゃあ、俊介様。ひとつ聞いていいですか?」

「何だ?」

「今の間道。俊介様が先導してましたが、あんな道、いつどこで知ったのかなあ、と」


 あ、そうか。

 一之進は、はっとした。あの間道は、ほとんど旅人の姿もなかった。それほど人に知られていない間道を、なぜ、よそ者であるはずの俊介が知っていたのか。

 しかし、俊介は事もなげに言った。


高坂こうさか師直もろなお殿を訪ねるとき、あの道を通ってきたからな」

「へ? 俊介様は、この辺りのお生まれで?」

「違う。ただ、師直殿を訪ねる前、戦場の周りの地形を少し調べた。そのとき、土地の者に教えてもらえたのだ」


 戦の備え、ということか。

 一之進は驚きを隠せない。師直様から兵を借りる前に、そんなことまでしていたのか。柏原俊介というと鬼神のような噂ばかり耳にするが、意外な一面を見た気がする。


「へええ、そんなことを。凄いなあ」


 感嘆の声をもらす大治郎を、俊介は肩越しに見やった。


「大治郎。お前こそ肝が据わっているな。いきなり巻き込まれたわりには」

「いえいえ。もう怖くて怖くて」

「見えんな」

「見えないよ」


 不本意ながら、俊介と台詞がかぶってしまった。


「えー、一之進までそんなこというの?」


 大治郎は困った顔を見せた。


「ホントに怖いよ。殺気立った怖い顔の人間に囲まれて、刀やら槍やら向けられるんだから。何度か戦場に出て、ちょっとだけ落ち着けるようにはなったけどね」


 殺気と刀。

 一之進は思った。とんでもない殺気には、さらされたことがある。ほんの昨日。


 あれは人ではない。

 本気でそう思った。鬼神。その噂が軽く聞こえた。魂が凍るほどの恐怖。

 あれに比べれば、まだましだ。

 初めての戦場だが、そう思っている自分が確かにいる。落ち着いていられる。

 一之進は、俊介の背中を見た。


 昨日の立ち合いは、自分のため………?


「そういう俊介様こそ」


 大治郎がのんびりとした声を投げかけた。


「恐怖心なんて、まるで感じてないように見えますよねえ」

「当たり前だ。たかが足軽五百。怖いはずはない」


 うわ、むかつく。

 俊介は振り向きもせず、さらりと言った。

 やっぱり嫌な奴だ。一之進は憎々しげに睨み付けた。いまいちハッタリには聞こえないところが、さらにむかつく。


「へええ。さすが俊介様だなあ」


 のん気に感心する大治郎。これも一之進には面白くない。一言文句をいってやろうと思ったが。


「さて、そろそろだ」


 俊介の言葉に一之進は口をつぐんだ。城が近づいている。二人の門兵の人相まで見える。顔が強張るのがわかる。


「気を引き締めろ。ただし、そうと悟られるな」


 俊介の指示に、大治郎が笑う。その丸い顔は、相変わらず、緊張あるいは恐怖の欠片も見えない。


「注文が難しいですねえ」

「お前は、もう少し気を引き締めたほうがいいかもしれないな」

「えー。とっても怖いんですけど」


 ここに至ってもなお、まるでそうは見えない。すごいな。一之進は素直に思った。場数をふめば、そうなれるのだろうか。


「一之進。お前はあまり気にするな」


 俊介は肩越しに振り返った。


「は?」

「不愛想な小僧は、それほど不自然ではない」


 むかつく。一之進は睨み付けた。だいたい不愛想はお互い様だろう。

 が、やはり、俊介も戦場を目前にして変わらないらしい。


「一之進。ぬかるなよ」

「当たり前だ」


 一之進は言い返した。

 が、頼もしく思ってしまうのが、腹立たしい。俊介に無様なところは見せられない。

 緊張はしている。恐怖心もあるが、大きくはない。動ける。多分、戦える。


「おおい」


 城の門兵から声がかかった。


「貴様ら、何の用だあ?」


 警戒している様子はない。

 俊介が軽く手を振って見せる。

 一歩ずつ城に近づく。城兵は退屈そうにこちらを見ている。

 城門まで、五間。

 あともう少し。一之進がそう思ったとき。


 俊介が飛ぶように駆けた。

 五間の距離があっという間に詰まった。城兵の顔色が変わった瞬間、その喉笛から鮮血が飛んだ。

 ………人の動きとは思えない。あんなことができるのか。


「敵襲………!」


 もう一人の城兵も叫んだ瞬間、血しぶきとともに斃れた。


「一之進、行くよ」

「お、おう」


 大治郎とともに一之進も駆けた。

 俊介は、既に門の中に入っている。


「大治郎、門から動くな。死守しろ!」

「はっ」


 大治郎は門をくぐったところで剣を抜き放った。


「一之進。お前は合図だ!」

「おう………!」


 俊介の命令に、一之進は門の前で立ち止まり、振り返った。懐から赤布を取り出し、大きく振る。半里先の間道口を凝視しながら、二度、三度と振る。


「!」


 間道口で赤い旗が振り返された。

 よし。

 俊介と左近の事前の打ち合わせ通り。これで、左近が騎馬隊一千を率いて駆けつける。

 それまで門を確保する。

 自分たち三人で。


「やばい。戻らないと」


 まだ、一千の騎馬隊は半里先にしかいない。城兵は五百いるという。こちらは三人だけ。一之進は刀を抜きながら踵を返した。


 一之進は息を呑んだ。

 門の先の兵だまりの広間で、城兵が一人、斬り倒された。

 その先に立つのは、俊介一人。この僅かな間に、周りには、既に多くの城兵が斃れていた。

 これを、俊介が一人で?


「………あっという間だったよ」


 隣から、大治郎が言った。

 視線は俊介にくぎ付けのまま。さすがの大治郎も驚きを隠せないらしい。


「あ」


 また、新たな兵。

 兵だまりの脇の小屋から、五人の兵が飛び出してきた。

 同時に、奥の上りの石段。その上から、兵多数。


「大治郎、一之進。門は頼む」


 俊介は、ためらわず石段に向かって駆け出した。


「お任せください」


 大治郎は応えた。


「一之進。門口から動いちゃだめだよ」

「おう」


 一之進は刀を構えなおした。

 門は狭い。二人で並んで立てば、敵が多数でも囲まれる心配はない。

 ………じゃあ、柏原俊介は?

 一瞬、そんな考えがよぎる。が。


「おおっ」


 大治郎の雄たけびで、一之進は我に返った。

 小屋から出てきた城兵のうち三人が襲い掛かってくる。

 大治郎が踏み込み、一刀のもとに城兵の一人を斬り伏せた。すぐにもう一人と斬り結ぶが、力で圧倒する。いつもの穏やかな丸い顔に似つかわしくない、荒々しい戦い方。が、丸い大きな身体に似つかわしく力強い。

 敵兵の一人が、刀を高く掲げて一之進に斬りかかってきた。激しく殺意のこもった目。


 でも、怖くない。


 真っ先に一之進が思ったのが、それだった。

 敵の刀が振り下ろされる。

 遅い。

 敵の動きが見える。一之進は刀をしっかりと握り、斬り上げた。敵の刀が、弾き飛ばされる。

 握りも、甘い。

 返す刀で、一之進は敵の首筋を袈裟懸けに斬った。鮮血が飛ぶ。

 敵兵がもう一人、一之進に襲い掛かってくる。


「おおおおっ」


 敵と斬り結ぶ。鍔迫り合い。


 全然、大したことない。


 押し返した。刀を横に薙ぐ。が、弾き返された。

 かまわず、さらに踏み込む。敵も体勢を崩している。刀を一閃する。敵が血しぶきとともに斃れた。


 昨夜の柏原俊介のほうが、はるかに怖かった。

 はるかに凄かった。


 気が付けば、大治郎も既に敵を斃している。近くには敵兵の姿はもうない。

 ………柏原俊介は?

 喧騒が聞こえる方向に視線を移した。

 石段の上。城内で高台となった広間で、俊介が一人で何十もの敵兵の前に立ちふさがり、城門へ向かうのを阻止している。


 一之進は、唖然とした。

 俊介がたった一人で城兵の集団を圧倒している。俊介が刀を振るうたび、その周りで血の旋風が巻き起こる。多数に囲まれながら、まるで敵を寄せ付けない。敵兵は誰一人、石段を下りることができない。


 ………強すぎる。あれは、本当に人なのか。


 馬蹄の響きが聞こえた。

 一之進は振り返った。左近の顔が見えた。その背後に騎馬隊一千騎。駆けてくる。


「一之進。脇へ!」

「わ、分かった…!」


 大治郎の声で、一之進は門の脇に飛ぶ。


「左近様、右へ!」


 大治郎が叫んでいた。石段の方向。まだ、俊介が戦っている場所。

 間をおかず、左近の騎馬が門を駆け抜けた。


「ご苦労!」


 左近が言い捨てた。速さを落とさずに城内に突入し、右に進路を変える。騎馬のまま、石段を駆けあがった。他の騎馬兵も次々と左近に続く。

 ぽんっと肩を叩かれた。


「勝ったね」


 見上げると、満面の笑みを浮かべた大治郎の丸い顔があった。


「え?」


 勝った?

 一之進は城内を見回した。左近の騎馬隊が、城内の各所に突入していく。次々と敵を討ちとっていく。敵は、既に逃げ惑うばかりだ。


「勝ったよ」


 もう一度、大治郎は言った。


「………ああ」


 どうやら、そうらしい。現実感のないまま、そう思った。


「一之進も凄かったね」

「え?」

「初陣とは思えない働きだったよ。本当に凄いよ。大したものだよね。」


 大治郎が、手放しで褒めてくれる。

 でも、違う。

 一之進はそう思った。

 昨夜の俊介との稽古。短かったが、確かに身になっていた。殺気立った敵が怖くないと思えたのも、多分、柏原俊介と立ち合ったからだ。


 今、戦えたのは、多分、柏原俊介のおかげなのだ。

 昨夜は何もできなかっただけに、今日が余計、みじめに感じる。

 悔しい。


「一之進、どうしたの?」


 大治郎が顔を覗き込んだ。


「あ。いや」


 そうだ。柏原俊介だけではない。


「大治郎、ごめん」

「何が?」


 大治郎が丸い身体の上で首を傾げた。


「俺、大治郎のこと、頼りなさそうって思ってた」

「実際、そうだしねえ」

「違う。俺、あんたに助けられた。俺が働けたのは、あんたのおかげだ」

「やだなあ、僕は何もしてないよ。でも、そう言ってくれて嬉しいなあ。ありがとう」


 大治郎は穏やかに笑った。

 やっぱりいい人だ。一之進は思う。そして、見かけによらずかなり強い。それだけでなく、周りをよく見ているし、俊介だけでなく、未熟な俺まで確実に支えてくれた。有能なんだと思う。


 それに比べ、俺は、まだまだだ。

 一之進が落ち込んでいる間に、城の喧騒は落ち着きつつあった。

 残敵の掃討も、最後の段階に入っているのだろう。

 城兵の逃走口は、前もって開けてある。戦意を失った敵は、皆、そこから逃げるはずだった。


「さあ、僕たちは俊介様の従者だ。主の側に戻ろうか」


 大治郎が声をかけた。


「………分かった」


 そうだ。一之進は思い出した。

 敵兵を討ち払っても、戦が終わったわけではない。俊介の策もまだ続いている。やるべきことはまだまだあるのだ。


 柏原俊介は父の仇。それは変わらない。

 でも、柏原俊介が、自分の想像も及ばない、とんでもない男であるらしいことも、認めざるを得ない。

 何をどうしたらいいのか分からない。

 だから、今は、軍務のことだけ考えよう。やるべきことを、きちんとやる。柏原俊介に馬鹿にされることだけは、耐えられない。

 一之進は気を引き締めた。


ありがとうございます。

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