21
「ところで」
「何?」
大治郎が尋ねるので、一之進は歩きながら目を向けた。
俊介の後に続き、一之進は大治郎と並んで歩いている。怪しまれないよう、三人とも甲冑は最低限にとどめた。一応、浪人のつもりらしい。
三人が目指すのは、岡谷城。左近は騎馬隊を率いて間道の出口で待機している。間道から城まで半里という距離は、馬ではあっという間だが、歩くと長く感じられる。
三人で奇襲。一千騎の軍勢が控えているとはいえ、この距離は心細い。
しかし。
「落ち着いているよねえ」
「何が?」
「だって、一之進は初陣なんでしょう。僕が初陣のときは怖くて仕方なかったのに、一之進は、そんな風に全然見えないからさ」
「いや、そんなことは………」
そう。そんなことはない。
こんな無謀としか言えない策。心細いことこの上ない。それを初陣の自分にさせるとは、柏原俊介もとんでもない。
それに何より、初めての戦場なのだ。怖くないはずがない。
そのはずなのだが。
実際のところ、一之進にはあまり恐怖心がわかない。戦場を怖いと思う感情の一方で、どこか平静でいられる自分が確かにいる。
「大治郎、一之進」
「あー、すみません。お喋りは駄目ですよねえ」
俊介の声に、大治郎が頭を下げたが。
「いや、続けろ」
予想外の俊介の言葉。
「えーっと、どういうことで?」
歩きながら、大治郎は問う。
「無論、怪しまれないためだ。雑談でもしていたほうが、より自然であろう」
「あー、それはそうですねえ」
大治郎はぽんっと手を打った。
「じゃあ、俊介様。ひとつ聞いていいですか?」
「何だ?」
「今の間道。俊介様が先導してましたが、あんな道、いつどこで知ったのかなあ、と」
あ、そうか。
一之進は、はっとした。あの間道は、ほとんど旅人の姿もなかった。それほど人に知られていない間道を、なぜ、よそ者であるはずの俊介が知っていたのか。
しかし、俊介は事もなげに言った。
「高坂師直殿を訪ねるとき、あの道を通ってきたからな」
「へ? 俊介様は、この辺りのお生まれで?」
「違う。ただ、師直殿を訪ねる前、戦場の周りの地形を少し調べた。そのとき、土地の者に教えてもらえたのだ」
戦の備え、ということか。
一之進は驚きを隠せない。師直様から兵を借りる前に、そんなことまでしていたのか。柏原俊介というと鬼神のような噂ばかり耳にするが、意外な一面を見た気がする。
「へええ、そんなことを。凄いなあ」
感嘆の声をもらす大治郎を、俊介は肩越しに見やった。
「大治郎。お前こそ肝が据わっているな。いきなり巻き込まれたわりには」
「いえいえ。もう怖くて怖くて」
「見えんな」
「見えないよ」
不本意ながら、俊介と台詞がかぶってしまった。
「えー、一之進までそんなこというの?」
大治郎は困った顔を見せた。
「ホントに怖いよ。殺気立った怖い顔の人間に囲まれて、刀やら槍やら向けられるんだから。何度か戦場に出て、ちょっとだけ落ち着けるようにはなったけどね」
殺気と刀。
一之進は思った。とんでもない殺気には、さらされたことがある。ほんの昨日。
あれは人ではない。
本気でそう思った。鬼神。その噂が軽く聞こえた。魂が凍るほどの恐怖。
あれに比べれば、まだましだ。
初めての戦場だが、そう思っている自分が確かにいる。落ち着いていられる。
一之進は、俊介の背中を見た。
昨日の立ち合いは、自分のため………?
「そういう俊介様こそ」
大治郎がのんびりとした声を投げかけた。
「恐怖心なんて、まるで感じてないように見えますよねえ」
「当たり前だ。たかが足軽五百。怖いはずはない」
うわ、むかつく。
俊介は振り向きもせず、さらりと言った。
やっぱり嫌な奴だ。一之進は憎々しげに睨み付けた。いまいちハッタリには聞こえないところが、さらにむかつく。
「へええ。さすが俊介様だなあ」
のん気に感心する大治郎。これも一之進には面白くない。一言文句をいってやろうと思ったが。
「さて、そろそろだ」
俊介の言葉に一之進は口をつぐんだ。城が近づいている。二人の門兵の人相まで見える。顔が強張るのがわかる。
「気を引き締めろ。ただし、そうと悟られるな」
俊介の指示に、大治郎が笑う。その丸い顔は、相変わらず、緊張あるいは恐怖の欠片も見えない。
「注文が難しいですねえ」
「お前は、もう少し気を引き締めたほうがいいかもしれないな」
「えー。とっても怖いんですけど」
ここに至ってもなお、まるでそうは見えない。すごいな。一之進は素直に思った。場数をふめば、そうなれるのだろうか。
「一之進。お前はあまり気にするな」
俊介は肩越しに振り返った。
「は?」
「不愛想な小僧は、それほど不自然ではない」
むかつく。一之進は睨み付けた。だいたい不愛想はお互い様だろう。
が、やはり、俊介も戦場を目前にして変わらないらしい。
「一之進。ぬかるなよ」
「当たり前だ」
一之進は言い返した。
が、頼もしく思ってしまうのが、腹立たしい。俊介に無様なところは見せられない。
緊張はしている。恐怖心もあるが、大きくはない。動ける。多分、戦える。
「おおい」
城の門兵から声がかかった。
「貴様ら、何の用だあ?」
警戒している様子はない。
俊介が軽く手を振って見せる。
一歩ずつ城に近づく。城兵は退屈そうにこちらを見ている。
城門まで、五間。
あともう少し。一之進がそう思ったとき。
俊介が飛ぶように駆けた。
五間の距離があっという間に詰まった。城兵の顔色が変わった瞬間、その喉笛から鮮血が飛んだ。
………人の動きとは思えない。あんなことができるのか。
「敵襲………!」
もう一人の城兵も叫んだ瞬間、血しぶきとともに斃れた。
「一之進、行くよ」
「お、おう」
大治郎とともに一之進も駆けた。
俊介は、既に門の中に入っている。
「大治郎、門から動くな。死守しろ!」
「はっ」
大治郎は門をくぐったところで剣を抜き放った。
「一之進。お前は合図だ!」
「おう………!」
俊介の命令に、一之進は門の前で立ち止まり、振り返った。懐から赤布を取り出し、大きく振る。半里先の間道口を凝視しながら、二度、三度と振る。
「!」
間道口で赤い旗が振り返された。
よし。
俊介と左近の事前の打ち合わせ通り。これで、左近が騎馬隊一千を率いて駆けつける。
それまで門を確保する。
自分たち三人で。
「やばい。戻らないと」
まだ、一千の騎馬隊は半里先にしかいない。城兵は五百いるという。こちらは三人だけ。一之進は刀を抜きながら踵を返した。
一之進は息を呑んだ。
門の先の兵だまりの広間で、城兵が一人、斬り倒された。
その先に立つのは、俊介一人。この僅かな間に、周りには、既に多くの城兵が斃れていた。
これを、俊介が一人で?
「………あっという間だったよ」
隣から、大治郎が言った。
視線は俊介にくぎ付けのまま。さすがの大治郎も驚きを隠せないらしい。
「あ」
また、新たな兵。
兵だまりの脇の小屋から、五人の兵が飛び出してきた。
同時に、奥の上りの石段。その上から、兵多数。
「大治郎、一之進。門は頼む」
俊介は、ためらわず石段に向かって駆け出した。
「お任せください」
大治郎は応えた。
「一之進。門口から動いちゃだめだよ」
「おう」
一之進は刀を構えなおした。
門は狭い。二人で並んで立てば、敵が多数でも囲まれる心配はない。
………じゃあ、柏原俊介は?
一瞬、そんな考えがよぎる。が。
「おおっ」
大治郎の雄たけびで、一之進は我に返った。
小屋から出てきた城兵のうち三人が襲い掛かってくる。
大治郎が踏み込み、一刀のもとに城兵の一人を斬り伏せた。すぐにもう一人と斬り結ぶが、力で圧倒する。いつもの穏やかな丸い顔に似つかわしくない、荒々しい戦い方。が、丸い大きな身体に似つかわしく力強い。
敵兵の一人が、刀を高く掲げて一之進に斬りかかってきた。激しく殺意のこもった目。
でも、怖くない。
真っ先に一之進が思ったのが、それだった。
敵の刀が振り下ろされる。
遅い。
敵の動きが見える。一之進は刀をしっかりと握り、斬り上げた。敵の刀が、弾き飛ばされる。
握りも、甘い。
返す刀で、一之進は敵の首筋を袈裟懸けに斬った。鮮血が飛ぶ。
敵兵がもう一人、一之進に襲い掛かってくる。
「おおおおっ」
敵と斬り結ぶ。鍔迫り合い。
全然、大したことない。
押し返した。刀を横に薙ぐ。が、弾き返された。
かまわず、さらに踏み込む。敵も体勢を崩している。刀を一閃する。敵が血しぶきとともに斃れた。
昨夜の柏原俊介のほうが、はるかに怖かった。
はるかに凄かった。
気が付けば、大治郎も既に敵を斃している。近くには敵兵の姿はもうない。
………柏原俊介は?
喧騒が聞こえる方向に視線を移した。
石段の上。城内で高台となった広間で、俊介が一人で何十もの敵兵の前に立ちふさがり、城門へ向かうのを阻止している。
一之進は、唖然とした。
俊介がたった一人で城兵の集団を圧倒している。俊介が刀を振るうたび、その周りで血の旋風が巻き起こる。多数に囲まれながら、まるで敵を寄せ付けない。敵兵は誰一人、石段を下りることができない。
………強すぎる。あれは、本当に人なのか。
馬蹄の響きが聞こえた。
一之進は振り返った。左近の顔が見えた。その背後に騎馬隊一千騎。駆けてくる。
「一之進。脇へ!」
「わ、分かった…!」
大治郎の声で、一之進は門の脇に飛ぶ。
「左近様、右へ!」
大治郎が叫んでいた。石段の方向。まだ、俊介が戦っている場所。
間をおかず、左近の騎馬が門を駆け抜けた。
「ご苦労!」
左近が言い捨てた。速さを落とさずに城内に突入し、右に進路を変える。騎馬のまま、石段を駆けあがった。他の騎馬兵も次々と左近に続く。
ぽんっと肩を叩かれた。
「勝ったね」
見上げると、満面の笑みを浮かべた大治郎の丸い顔があった。
「え?」
勝った?
一之進は城内を見回した。左近の騎馬隊が、城内の各所に突入していく。次々と敵を討ちとっていく。敵は、既に逃げ惑うばかりだ。
「勝ったよ」
もう一度、大治郎は言った。
「………ああ」
どうやら、そうらしい。現実感のないまま、そう思った。
「一之進も凄かったね」
「え?」
「初陣とは思えない働きだったよ。本当に凄いよ。大したものだよね。」
大治郎が、手放しで褒めてくれる。
でも、違う。
一之進はそう思った。
昨夜の俊介との稽古。短かったが、確かに身になっていた。殺気立った敵が怖くないと思えたのも、多分、柏原俊介と立ち合ったからだ。
今、戦えたのは、多分、柏原俊介のおかげなのだ。
昨夜は何もできなかっただけに、今日が余計、みじめに感じる。
悔しい。
「一之進、どうしたの?」
大治郎が顔を覗き込んだ。
「あ。いや」
そうだ。柏原俊介だけではない。
「大治郎、ごめん」
「何が?」
大治郎が丸い身体の上で首を傾げた。
「俺、大治郎のこと、頼りなさそうって思ってた」
「実際、そうだしねえ」
「違う。俺、あんたに助けられた。俺が働けたのは、あんたのおかげだ」
「やだなあ、僕は何もしてないよ。でも、そう言ってくれて嬉しいなあ。ありがとう」
大治郎は穏やかに笑った。
やっぱりいい人だ。一之進は思う。そして、見かけによらずかなり強い。それだけでなく、周りをよく見ているし、俊介だけでなく、未熟な俺まで確実に支えてくれた。有能なんだと思う。
それに比べ、俺は、まだまだだ。
一之進が落ち込んでいる間に、城の喧騒は落ち着きつつあった。
残敵の掃討も、最後の段階に入っているのだろう。
城兵の逃走口は、前もって開けてある。戦意を失った敵は、皆、そこから逃げるはずだった。
「さあ、僕たちは俊介様の従者だ。主の側に戻ろうか」
大治郎が声をかけた。
「………分かった」
そうだ。一之進は思い出した。
敵兵を討ち払っても、戦が終わったわけではない。俊介の策もまだ続いている。やるべきことはまだまだあるのだ。
柏原俊介は父の仇。それは変わらない。
でも、柏原俊介が、自分の想像も及ばない、とんでもない男であるらしいことも、認めざるを得ない。
何をどうしたらいいのか分からない。
だから、今は、軍務のことだけ考えよう。やるべきことを、きちんとやる。柏原俊介に馬鹿にされることだけは、耐えられない。
一之進は気を引き締めた。
ありがとうございます。




