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 こんな理不尽なことはない。


 一之進いちのしんには、そうとしか思えない。

 昨日、思いがけず父の仇である柏原かしわら俊介しゅんすけを見つけた。しかし、仇を討とうとしたらよってたかって制止され、かと思えば、いきなり呼び出され、その仇に幾度も叩きのめされた。

 さらには、夜も明ける前に叩き起こされた。

 その挙句が、父の仇の従卒になれという。

 柏原俊介本人の口から聞かされたとき、思わず反発した。

 しかし。


「公私を混同するな!」


 俊介に一喝された。


「俺を恨むのはいい。が、それは私だ。武士ならば主の命に従え。涼宮すずみや正孝まさたか殿は、公務を疎かにせよと教えたか!」


 柏原俊介のくせに。

 そう思ったが、一之進は反論できなかった。俊介とともに来た左近さこんも口を挟んだ。


「俊介殿に従いなさい。あなたに俊介殿の従卒になれというは、師直もろなお様の御命令でもあります」


 そこまで言われては、従うしかない。

 しかし、柏原俊介は父の仇。それは変わらない。

 いつか絶対、俊介を斬る。


 そう一之進が改めて決意してから。

 今度は、ひたすら馬で駆け続ける羽目になった。

 黒井城から高坂領まで一刻。夜明け前の街道を、柏原俊介、沢村さわむら左近さこん村田むらた平蔵へいぞうと四人で駆けとおした。


 高坂領に着くと、三千の兵が出陣の準備を既に整えていた。

 そこから平蔵を残し、俊介は左近とともに騎馬兵一千を率いてすぐに出陣。通常の行軍ではありえない速さで、俊介は全軍を駆けさせた。従卒である一之進は、当然俊介の後について行くしかない。


 後に残る平蔵は、徒歩の兵主体の二千をまとめている。俊介たちとは行先が違うのだろうか。


「一之進、遅れるな!」


 俊介が叱咤した。

 偉そうに言うな。内心の反発を飲み込み、一之進は必死に馬を駆けさせる。いや、口を開く余裕がない。

 なんなんだ、この速さは。こんな行軍があるのか。本当にもつのか。

 一之進はまだ実戦を知らない。

 それでも、この行軍が普通じゃないことは分かる。馬はつぶれないのか。みんなは平気なのか。


 結局、一刻駆けとおした。

 俊介の停止命令に、一之進は転がり落ちるように馬を降りた。呼吸が荒い。言葉が出ない。振り返ると、兵たちも皆、地に膝をつき、息を乱している。


 視線を転じる。

 俊介と左近が、馬から降りて話している。

 左近も肩で息をしている。が、しっかりと立っているところはさすがだ。


 しかし俊介は。

 まるで息を乱していない。表情も平静そのもの。

 なんなんだ、こいつは。おかしいんじゃないか。


 四半刻後。


 俊介は進発を命じた。また一刻、駆けとおす。しんどい。きつい。一之進は、ただ必死に馬にしがみつく。そうして四半刻の休息後、また、駆ける。

 これほどの行軍速度にも関わらず、遅れる兵はいない。

 馬も、つぶれない。


 俊介が時折振り向くのに一之進は気が付いた。はっとした。兵と馬の様子を見ているのか。やみくもに無茶をさせているわけではないのか。

 兵達は皆、最初ほどきつそうな表情を見せなくなっている。

 いつの間にか、一之進にも、俊介と軍の様子を見るゆとりが生まれている。


 そろそろ一刻と思った頃。

 俊介は進軍の停止を命じた。


「馬の汗を拭け。秣をとらせよ。その後、各自兵糧をとれ」


 命じた俊介も自分で馬の世話をしている。

 それを横目で見ながら、一之進はふと思う。

 俊介はどこに向かっているのか。

 陽は中天。夜明けから三刻余りも駆けてきた。

 最初は、崎枝領に向かっていた。しかし、途中で道をそれ、山中の小さな間道をひたすら駆けた。

 この先に何があるのか。


「一之進」


 兵糧を取り終えたとき、俊介に呼ばれた。


「ついてこい」


 俊介は馬にまたがり、一之進もそれにならう。

 軍には待機を命じた。

 また駆けるのかと思ったが、今度は、軽めに走らせている。同行は左近のみ。

 しばらく馬を走らせると、視界が開けた。そこで馬を止める。


「あれが、岡谷おかやじょうです」


 左近が言う。

 目前に盆地が開けている。左近の視線の先には小城があった。


「そこに湯川ゆかわ軍の武具、兵糧の全てが集められているようです。守る兵は五百」


 一之進は思わず俊介の顔を見た。

 あれは、崎枝領に侵攻する湯川軍の後方拠点なのか。いきなり俊介はそこを攻めるつもりなのか。

 一之進の視線に俊介は気づいた。


「一之進。お前なら、あれをどう攻める」


 なぜ俺に聞く。一之進はそう思ったが、分からない、とは意地でも答えられない。城をじっと見て、しばらく考えた。


 城の門が開け放たれているのに気が付いた。不用心すぎる。が、ここまで来た間道は、自分も知らなかったことを思い出す。険しい山脈に囲まれたこの地形が、湯川軍を油断させているのだろう。

 湯川軍の油断をつく。それが俊介の狙いか。しかし。


「敵は油断している。あの開いた城門から騎馬隊一千で突入できれば、城を落とせると思う。でも、騎馬隊一千は目立つし、ここから城まで、我が軍の姿を隠せるところもない。城門突入の前に気づかれて、門を閉ざされてしまう」

「ならば、どうする」


 俊介が問う。


「夜襲。夜、門が閉ざされれば、少数の兵で城壁を乗り越えて侵入し、内側から門を開ける。敵の油断をつけそうだし、夜陰に紛れれば騎馬隊一千も近づける。………と思う」

「馬鹿者。策は強気で言え。自信なさげに言われた策を誰が取り上げる気になるか!」


 俊介に叱責された。無理やり言わせたくせに、理不尽極まりない。


「が、悪くない」

「は?」


 一之進は俊介の顔を見直した。


「悪くないが、今は一刻も早く城を落としたい。このまま間道に一千もの兵が待機を続ければ、見つかる危険性も高まる」


 なんだ。一之進は落胆した。あげたり、落としたり、まぎらわしい。


「しかし、少数の兵での奇襲。これは使える」

「は?」


 もう一度、一之進は俊介の顔を見た。

 俊介は頷き、視線を転じた。


「左近殿、策ができた。聞いてもらえるか」

「承ります」


 そう答える左近だったが。

 俊介の説明を聞き終わると、左近は声を上げた。


「危険です!」

「声が大きい」

「は。申し訳ありません」


 俊介の指摘に左近は頭を下げるが。


「あ、いや、そうではなく、無謀すぎます」


 そのとおり。一之進は内心で頷く。誰だってそう思うはずだ。


「確かにな」


 俊介は答えた。おい。言った本人がそんなことを言うのか。


「他人には勧めんよ」


 だから。他人に勧められないような策を言うんじゃない。


「しかし。俺ならできる」


 俊介は言い切った。揺るぎない自信。左近は思わず口をつぐんだ。

 俊介は一之進を見やった。


「一之進。できるな」

「馬鹿にするな」


 一之進は睨み返した。

 俊介と一之進の二人で奇襲をやる。それが俊介の策だった。本当は怖いけど、意地でもそんなことは言えない。


「しかし。やはり、二人では少なすぎます」


 左近はすがるように言う。


「せめて、もう一人か二人でも」


 左近に押されるように、俊介は考える。


「………分かった。ではあと一人。腕がたつ男を」

「ではこの左近が」


 即答する左近。だが。


「馬鹿。左近殿までついてきたら、誰が軍の指揮をとるのだ」


 ごもっとも。俊介に同意などしたくないが、この場合、左近の言うことも間が抜けている。


「………分かりました」


 左近はうなだれた。

 ひょっとして左近は俊介と一緒にいたかっただけではないのか。一之進は疑いの眼差しを左近に向けた。




「はじめまして。秋月あきづき大治郎だいじろうと申します」


 それが、軍に戻って左近が紹介した男だった。

 顔が丸いが、身体も丸い。柔和な笑みを浮かべた小太りの男。年齢は二十歳くらいで、具足を着た姿でも武士には見えない。正直、腕がたつようにも見えない。


 大丈夫か?

 それが一之進の第一印象だった。

 しかし、俊介は大治郎を見て、頷いた。


「柏原俊介だ。よろしく頼む」

「はい。よろしくお願いします。俊介様」


 大治郎は満面の笑みを浮かべた。笑うと、柔和な顔がますます優しくなった。

 人柄は良さそうだが、一緒に死地に飛び込む男としては、正直、どうなんだろう。

 大治郎は、一之進に身体を向けた。


「一之進殿。よろしくお願いします」


 大治郎は丸い身体を丸めて頭を下げた。

 一之進は慌てた。子供の自分にまで、腰が低すぎるだろう。


「あ、や、よろしくお願いします」


 一之進は頭を下げた。

 大治郎は優しげな眼を向けている。


「一之進殿。しばらくお世話になります」

「………大治郎殿。なんで俺にまで敬語?」

「なんで?」


 大治郎は首をかしげた。


「当たり前でしょう。一之進殿は、黒井家中の名門涼宮のお家柄なんですからねえ」


 僕は名もない武家の出なので。そう言って大治郎は屈託なく笑った。

 悪意も嫌味もない。純粋な善意。それが伝わる。一之進は頭をかいた。


「あの、やめてください。俺は家督も継げない部屋住みの身だし、大治郎殿より年下なので………」

「はあ」


 大治郎はじっと一之進を見ていたが、やがてほっとしたように笑った。


「よかった。本当は優しい子なんだねえ、一之進殿は」

「何が?」


 一之進が思わず問い返すと。


「ああ、ごめん。つい」


 大治郎は、大きな身体を小さくして謝った。


「一之進殿のことは高坂屋敷で見かけていたから知っていたけど」


 と大治郎は言う。


「一之進殿って、ずっと怖い顔して、笑うのを見たことなかったから、怖い子なのかな、て。誤解していたよ」


 は?

 怖い顔?


 ………いや。

 一之進はふと思った。父が死に、高坂屋敷に連れてこられてから、笑ったことがあっただろうか。

 記憶もどこかおぼろげなことに気づく。毎日の調練や雑務をこなしていたことは確かだが、しかし、今のような雑談をしたのはいつ以来なのか。一人で過ごしていたとき、自分は何をしていたのか。何を思っていたのか。


 父の仇をとる。

 そう。ずっと、考えていた。柏原俊介を討つ。そればかりを思い続けていた。それに囚われ、周りが見えなくなっていたのかもしれない。


 ああ、そういえば。

 今更ながら、一之進は動揺した。昨日、沢村左近や村田平蔵にとった態度は、かなり非礼だったのではないか。私事で刀を抜こうとさえしたのだ。本来なら、処罰されてしかるべきであろう。


「ああ、ごめん」


 突然、なぜか大治郎が謝り、一之進は顔を上げた。


「こんなこと言われるの、嫌だよねえ。一之進殿が怖いなんて、あるわけないよね。許してよ」


 一之進の動揺が、顔に出ていたらしい。それを見て、自分の発言のせいだと、大治郎が勘違いをしたのか。しかし、何をどう弁解していいかもわからない。


「ああ、いや、大丈夫」


 それだけしか、一之進は言えなかった。


「よかった。ありがとう」


 そう答える大治郎は、満面の笑み。丸い顔がさらに丸くなる。


「じゃあ、俊介様の従者同士、タメってことで、僕のことは大治郎って呼んでよ。僕も、一之進って呼んでいいかなあ?」

「ああ、うん。分かった」


 内心の動揺を隠し、一之進は頷いた。


「じゃあ、改めてよろしくね。一之進」


 大治郎は丸い顔を崩して笑った。

 腕は分からないが、やはり良い人だ、と思った。

 柏原俊介は嫌いだが、従卒同士、大治郎とは仲良くやれそうな気がした。


「うん。大治郎、よろしく」


 一之進は言った。

 ………仲良くやれそう、か。

 言いながら、一之進は気が付いていた。高坂屋敷では、そんな風に人を見ることがなかった。そんな余裕はなかった。


 今なら分かる。高坂屋敷での自分は、柏原俊介を憎み、斬ることばかり考えていた。心を閉ざし、一人でいることが多かった。

 そして昨日、柏原俊介を見て、頭に血が上った。激情にかられ、自分が抑えきれなかった。


 今は違う。

 大治郎とも、こうして普通に話せている。

 思えば今朝は、早朝から叩き起こされたとはいえ、寝覚めは悪いものではなかった。重くのしかかっていたものが消え去ったような、そんな気分。


 思い当たることがある。

 昨夜、死ぬほどの思いをした稽古。

 あれは、気が狂いそうなほどの、ひどい恐怖だった。

 柏原俊介が本物の化け物に見えた。本当に殺されると思った。必死に抗い、生き抜くことだけを考えた。それ以外を考える余裕などなかった。

 柏原俊介を憎む余裕さえなかった。


 そうして途中で意識を失い、一夜明けた今。

 柏原俊介を憎む気持ちに変わりはない。

 しかし、どこか、それを冷静に考えている自分がいる。

 その変化が、いいことなのか、悪いことなのか。今の一之進には判断ができなかった。


ありがとうございます。

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