20
こんな理不尽なことはない。
一之進には、そうとしか思えない。
昨日、思いがけず父の仇である柏原俊介を見つけた。しかし、仇を討とうとしたらよってたかって制止され、かと思えば、いきなり呼び出され、その仇に幾度も叩きのめされた。
さらには、夜も明ける前に叩き起こされた。
その挙句が、父の仇の従卒になれという。
柏原俊介本人の口から聞かされたとき、思わず反発した。
しかし。
「公私を混同するな!」
俊介に一喝された。
「俺を恨むのはいい。が、それは私だ。武士ならば主の命に従え。涼宮正孝殿は、公務を疎かにせよと教えたか!」
柏原俊介のくせに。
そう思ったが、一之進は反論できなかった。俊介とともに来た左近も口を挟んだ。
「俊介殿に従いなさい。あなたに俊介殿の従卒になれというは、師直様の御命令でもあります」
そこまで言われては、従うしかない。
しかし、柏原俊介は父の仇。それは変わらない。
いつか絶対、俊介を斬る。
そう一之進が改めて決意してから。
今度は、ひたすら馬で駆け続ける羽目になった。
黒井城から高坂領まで一刻。夜明け前の街道を、柏原俊介、沢村左近、村田平蔵と四人で駆けとおした。
高坂領に着くと、三千の兵が出陣の準備を既に整えていた。
そこから平蔵を残し、俊介は左近とともに騎馬兵一千を率いてすぐに出陣。通常の行軍ではありえない速さで、俊介は全軍を駆けさせた。従卒である一之進は、当然俊介の後について行くしかない。
後に残る平蔵は、徒歩の兵主体の二千をまとめている。俊介たちとは行先が違うのだろうか。
「一之進、遅れるな!」
俊介が叱咤した。
偉そうに言うな。内心の反発を飲み込み、一之進は必死に馬を駆けさせる。いや、口を開く余裕がない。
なんなんだ、この速さは。こんな行軍があるのか。本当にもつのか。
一之進はまだ実戦を知らない。
それでも、この行軍が普通じゃないことは分かる。馬はつぶれないのか。みんなは平気なのか。
結局、一刻駆けとおした。
俊介の停止命令に、一之進は転がり落ちるように馬を降りた。呼吸が荒い。言葉が出ない。振り返ると、兵たちも皆、地に膝をつき、息を乱している。
視線を転じる。
俊介と左近が、馬から降りて話している。
左近も肩で息をしている。が、しっかりと立っているところはさすがだ。
しかし俊介は。
まるで息を乱していない。表情も平静そのもの。
なんなんだ、こいつは。おかしいんじゃないか。
四半刻後。
俊介は進発を命じた。また一刻、駆けとおす。しんどい。きつい。一之進は、ただ必死に馬にしがみつく。そうして四半刻の休息後、また、駆ける。
これほどの行軍速度にも関わらず、遅れる兵はいない。
馬も、つぶれない。
俊介が時折振り向くのに一之進は気が付いた。はっとした。兵と馬の様子を見ているのか。やみくもに無茶をさせているわけではないのか。
兵達は皆、最初ほどきつそうな表情を見せなくなっている。
いつの間にか、一之進にも、俊介と軍の様子を見るゆとりが生まれている。
そろそろ一刻と思った頃。
俊介は進軍の停止を命じた。
「馬の汗を拭け。秣をとらせよ。その後、各自兵糧をとれ」
命じた俊介も自分で馬の世話をしている。
それを横目で見ながら、一之進はふと思う。
俊介はどこに向かっているのか。
陽は中天。夜明けから三刻余りも駆けてきた。
最初は、崎枝領に向かっていた。しかし、途中で道をそれ、山中の小さな間道をひたすら駆けた。
この先に何があるのか。
「一之進」
兵糧を取り終えたとき、俊介に呼ばれた。
「ついてこい」
俊介は馬にまたがり、一之進もそれにならう。
軍には待機を命じた。
また駆けるのかと思ったが、今度は、軽めに走らせている。同行は左近のみ。
しばらく馬を走らせると、視界が開けた。そこで馬を止める。
「あれが、岡谷城です」
左近が言う。
目前に盆地が開けている。左近の視線の先には小城があった。
「そこに湯川軍の武具、兵糧の全てが集められているようです。守る兵は五百」
一之進は思わず俊介の顔を見た。
あれは、崎枝領に侵攻する湯川軍の後方拠点なのか。いきなり俊介はそこを攻めるつもりなのか。
一之進の視線に俊介は気づいた。
「一之進。お前なら、あれをどう攻める」
なぜ俺に聞く。一之進はそう思ったが、分からない、とは意地でも答えられない。城をじっと見て、しばらく考えた。
城の門が開け放たれているのに気が付いた。不用心すぎる。が、ここまで来た間道は、自分も知らなかったことを思い出す。険しい山脈に囲まれたこの地形が、湯川軍を油断させているのだろう。
湯川軍の油断をつく。それが俊介の狙いか。しかし。
「敵は油断している。あの開いた城門から騎馬隊一千で突入できれば、城を落とせると思う。でも、騎馬隊一千は目立つし、ここから城まで、我が軍の姿を隠せるところもない。城門突入の前に気づかれて、門を閉ざされてしまう」
「ならば、どうする」
俊介が問う。
「夜襲。夜、門が閉ざされれば、少数の兵で城壁を乗り越えて侵入し、内側から門を開ける。敵の油断をつけそうだし、夜陰に紛れれば騎馬隊一千も近づける。………と思う」
「馬鹿者。策は強気で言え。自信なさげに言われた策を誰が取り上げる気になるか!」
俊介に叱責された。無理やり言わせたくせに、理不尽極まりない。
「が、悪くない」
「は?」
一之進は俊介の顔を見直した。
「悪くないが、今は一刻も早く城を落としたい。このまま間道に一千もの兵が待機を続ければ、見つかる危険性も高まる」
なんだ。一之進は落胆した。あげたり、落としたり、まぎらわしい。
「しかし、少数の兵での奇襲。これは使える」
「は?」
もう一度、一之進は俊介の顔を見た。
俊介は頷き、視線を転じた。
「左近殿、策ができた。聞いてもらえるか」
「承ります」
そう答える左近だったが。
俊介の説明を聞き終わると、左近は声を上げた。
「危険です!」
「声が大きい」
「は。申し訳ありません」
俊介の指摘に左近は頭を下げるが。
「あ、いや、そうではなく、無謀すぎます」
そのとおり。一之進は内心で頷く。誰だってそう思うはずだ。
「確かにな」
俊介は答えた。おい。言った本人がそんなことを言うのか。
「他人には勧めんよ」
だから。他人に勧められないような策を言うんじゃない。
「しかし。俺ならできる」
俊介は言い切った。揺るぎない自信。左近は思わず口をつぐんだ。
俊介は一之進を見やった。
「一之進。できるな」
「馬鹿にするな」
一之進は睨み返した。
俊介と一之進の二人で奇襲をやる。それが俊介の策だった。本当は怖いけど、意地でもそんなことは言えない。
「しかし。やはり、二人では少なすぎます」
左近はすがるように言う。
「せめて、もう一人か二人でも」
左近に押されるように、俊介は考える。
「………分かった。ではあと一人。腕がたつ男を」
「ではこの左近が」
即答する左近。だが。
「馬鹿。左近殿までついてきたら、誰が軍の指揮をとるのだ」
ごもっとも。俊介に同意などしたくないが、この場合、左近の言うことも間が抜けている。
「………分かりました」
左近はうなだれた。
ひょっとして左近は俊介と一緒にいたかっただけではないのか。一之進は疑いの眼差しを左近に向けた。
「はじめまして。秋月大治郎と申します」
それが、軍に戻って左近が紹介した男だった。
顔が丸いが、身体も丸い。柔和な笑みを浮かべた小太りの男。年齢は二十歳くらいで、具足を着た姿でも武士には見えない。正直、腕がたつようにも見えない。
大丈夫か?
それが一之進の第一印象だった。
しかし、俊介は大治郎を見て、頷いた。
「柏原俊介だ。よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします。俊介様」
大治郎は満面の笑みを浮かべた。笑うと、柔和な顔がますます優しくなった。
人柄は良さそうだが、一緒に死地に飛び込む男としては、正直、どうなんだろう。
大治郎は、一之進に身体を向けた。
「一之進殿。よろしくお願いします」
大治郎は丸い身体を丸めて頭を下げた。
一之進は慌てた。子供の自分にまで、腰が低すぎるだろう。
「あ、や、よろしくお願いします」
一之進は頭を下げた。
大治郎は優しげな眼を向けている。
「一之進殿。しばらくお世話になります」
「………大治郎殿。なんで俺にまで敬語?」
「なんで?」
大治郎は首をかしげた。
「当たり前でしょう。一之進殿は、黒井家中の名門涼宮のお家柄なんですからねえ」
僕は名もない武家の出なので。そう言って大治郎は屈託なく笑った。
悪意も嫌味もない。純粋な善意。それが伝わる。一之進は頭をかいた。
「あの、やめてください。俺は家督も継げない部屋住みの身だし、大治郎殿より年下なので………」
「はあ」
大治郎はじっと一之進を見ていたが、やがてほっとしたように笑った。
「よかった。本当は優しい子なんだねえ、一之進殿は」
「何が?」
一之進が思わず問い返すと。
「ああ、ごめん。つい」
大治郎は、大きな身体を小さくして謝った。
「一之進殿のことは高坂屋敷で見かけていたから知っていたけど」
と大治郎は言う。
「一之進殿って、ずっと怖い顔して、笑うのを見たことなかったから、怖い子なのかな、て。誤解していたよ」
は?
怖い顔?
………いや。
一之進はふと思った。父が死に、高坂屋敷に連れてこられてから、笑ったことがあっただろうか。
記憶もどこかおぼろげなことに気づく。毎日の調練や雑務をこなしていたことは確かだが、しかし、今のような雑談をしたのはいつ以来なのか。一人で過ごしていたとき、自分は何をしていたのか。何を思っていたのか。
父の仇をとる。
そう。ずっと、考えていた。柏原俊介を討つ。そればかりを思い続けていた。それに囚われ、周りが見えなくなっていたのかもしれない。
ああ、そういえば。
今更ながら、一之進は動揺した。昨日、沢村左近や村田平蔵にとった態度は、かなり非礼だったのではないか。私事で刀を抜こうとさえしたのだ。本来なら、処罰されてしかるべきであろう。
「ああ、ごめん」
突然、なぜか大治郎が謝り、一之進は顔を上げた。
「こんなこと言われるの、嫌だよねえ。一之進殿が怖いなんて、あるわけないよね。許してよ」
一之進の動揺が、顔に出ていたらしい。それを見て、自分の発言のせいだと、大治郎が勘違いをしたのか。しかし、何をどう弁解していいかもわからない。
「ああ、いや、大丈夫」
それだけしか、一之進は言えなかった。
「よかった。ありがとう」
そう答える大治郎は、満面の笑み。丸い顔がさらに丸くなる。
「じゃあ、俊介様の従者同士、タメってことで、僕のことは大治郎って呼んでよ。僕も、一之進って呼んでいいかなあ?」
「ああ、うん。分かった」
内心の動揺を隠し、一之進は頷いた。
「じゃあ、改めてよろしくね。一之進」
大治郎は丸い顔を崩して笑った。
腕は分からないが、やはり良い人だ、と思った。
柏原俊介は嫌いだが、従卒同士、大治郎とは仲良くやれそうな気がした。
「うん。大治郎、よろしく」
一之進は言った。
………仲良くやれそう、か。
言いながら、一之進は気が付いていた。高坂屋敷では、そんな風に人を見ることがなかった。そんな余裕はなかった。
今なら分かる。高坂屋敷での自分は、柏原俊介を憎み、斬ることばかり考えていた。心を閉ざし、一人でいることが多かった。
そして昨日、柏原俊介を見て、頭に血が上った。激情にかられ、自分が抑えきれなかった。
今は違う。
大治郎とも、こうして普通に話せている。
思えば今朝は、早朝から叩き起こされたとはいえ、寝覚めは悪いものではなかった。重くのしかかっていたものが消え去ったような、そんな気分。
思い当たることがある。
昨夜、死ぬほどの思いをした稽古。
あれは、気が狂いそうなほどの、ひどい恐怖だった。
柏原俊介が本物の化け物に見えた。本当に殺されると思った。必死に抗い、生き抜くことだけを考えた。それ以外を考える余裕などなかった。
柏原俊介を憎む余裕さえなかった。
そうして途中で意識を失い、一夜明けた今。
柏原俊介を憎む気持ちに変わりはない。
しかし、どこか、それを冷静に考えている自分がいる。
その変化が、いいことなのか、悪いことなのか。今の一之進には判断ができなかった。
ありがとうございます。




