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 師直もろなおが何を考えているのか、左近さこんには分からない。

 師直は、一之進いちのしん俊介しゅんすけを恨んでいることを知っている。日中のいざこざも、左近自身から師直の耳にいれた。

 その上で師直は、俊介に一之進を預けた。


 しかし、師直は何も言わない。

 一之進に俊介を斬らせたいはずではなかろう。無論、その逆もない。ただ、友であった涼宮すずみや正孝まさたかの忘れ形見を、師直が心から心配していることを知っている。


 俊介も、師直に何も聞かなかった。

 師直の前を辞した後、左近に一言聞いただけである。


「一之進は、戦場に出たことはあるか?」

「は? あ、いえ、まだですね」

「そうか」


 俊介はひとつ頷いた。


「左近殿。すまないが、一之進を呼んでくれないか」


 そして。

 左近が理解に苦しむ間に、事態はさらに進み、もう何かよく分からなくなっている。


平蔵へいぞう

「何だ」

「なぜ、こんなことに?」

「俺に聞くな」


 平蔵も分からないらしい。

 左近と平蔵が困惑する前で、俊介と一之進が対峙している。


「どうした、一之進」


 俊介が口を開いた。抜き身の刀を手に下げたまま。


「刀を抜け」


 一之進は無言。昼間同様、憎しみのこもった暗い瞳で俊介を睨み付けている。しかし、事態を呑み込めてもいないようだった。無理もないが。


「これは稽古だといっているだろう」

「貴様と稽古など、お断りだ」


 一之進は吐き捨てるように言うが。


「案ずるな。俺は峰打ちだけだ」


 俊介は構わずに言う。


「が、お前は俺を斬っていい。稽古だからな。俺を斬っても誰も咎めはせん。もっとも」


 ふっと俊介は笑う。


「お前の今の腕では、万が一にも俺にはかすりもせんが」


 明らかな挑発。一之進もそれは分かっているはずだが、嘲笑されたことは事実なだけに、その目に殺気がこもる。


「それでもなお、俺が怖いか」

「………斬る!」


 一之進が刀を抜き放ち、駆け出そうとしたが、すぐに足が止まった。

 俊介の様子が、一変した。

 力を抜いた構えは変わらない。変わったのは、気。

 迸る殺気が、場を覆う。圧倒的なまでの威圧感。


「………俊介殿」


 左近は、息を呑んだ。


「確かに、かすらせることもできんな」


 平蔵がつぶやく。その額に汗がにじむ。


「………そうですね」


 側で見ているだけで、足がすくむ。直接対峙する一之進が浴びる圧迫感は、その比ではない。

 一之進は、刀を構えたまま動けない。大量の汗を噴き出している。身をふるわせ、顔は血の気がひいている。かすらせるどころか、刀を振るうことすらできないだろう。

 やがて一之進は、崩れるようにその場に倒れた。


「………気を、失いましたか」


 左近は思わず息を吐き出した。

 一之進はよく耐えたと思う。俊介の強さは、もはや手練れなどと言い表せるものではない。格が違う。並大抵の者では、刀を交えるどころか、まともに立ち合うこともできないだろう。自分や平蔵であっても、果たしてどこまでやれるか。

 介抱くらいはしてやろう。左近はそう思ったが。


「待て」


 その声に足を止めると、いつの間にか俊介は、水を満たした桶を手にしている。


「俊介殿!?」


 倒れている一之進に、俊介は水をぶちまけた。一之進がぴくりと動く。


「立て、一之進」


 俊介の冷ややかな声に、一之進はふらつきながらも立った。

 やむなく、左近は下がる。

 一之進の目は、まだ死んでいない。しっかりと俊介を睨み付けている。剣の腕は未熟だが、この気丈さは大したものだ。

 俊介は桶を放り出し、剣を構えた。


「!」


 再び放たれる殺気。

 一之進の息は、すでに荒い。

このままでは、またすぐに倒れるだろう。そう左近が思ったとき。

 一之進?

 左近は、気づいた。

 一之進の目が、変わっている。

 あれほど憎しみに染まり、濁っていた瞳の色が、今は澄んでいる。強烈すぎる殺気にさらされ、必死にあらがい、気力を振り絞る中で、何かが吹っ切れたのか。いや、取り戻したのか。


 不意に俊介の殺気がゆるんだ。

 引き込まれるように一之進が動いた。刀を大上段から振り下ろす。


 俊介の刀が一閃した。


 一之進の刀が宙高く弾き飛ばされた。次の瞬間には、俊介の刀が袈裟懸けに斬り下され、一之進が打ち倒される。

 斬られた。

 一瞬、左近は動揺する。いや、違う。出血はない。峰打ち。


「愚か者!」


 俊介の叱責が飛ぶ。


「柄の握りが甘い。戦場で武器を失えば、死ぬぞ!」


 俊介の声に、一之進は再び立つ。ふらふらになりながら、刀を拾い、構える。


「おおおおっ!!」


 一之進が吼えた。気力を振り絞るかのように。

 それに呼応して、俊介の気が高まる。が、一之進は倒れない。一瞬身体が揺れるが、両足で地を踏みしめ直す。


「おおっ!!」


 一之進は駆け出す。刀を大上段から振り下ろすが、俊介はわずかな動きでかわす。

 返す刀で一之進は横一文字に薙ぐ。再び俊介にかわされるが、続けざまに袈裟懸けに斬りこむ。

 そのとき、俊介の刀が一閃した。

 一之進の刀が弾き返される。しかし今度は、一之進は刀を手にして離さない。しっかりと柄を握りこんでいる。

 俊介の口の端が動く。………笑った?


 左近がそう思った次の瞬間、俊介の刀が峰打ちで一之進の首筋に打ち込まれた。

 一之進は、その場に崩れ落ちるように倒れた。そのまま、動かない。

 ふっと気を抜きかけて、左近は慌てて俊介を見た。

 まだ、続けるのだろうか。

 一之進はもう限界ではないか。続けるというなら、さすがに止めるべきか、と思ったとき。


「俊介殿」


 と声をかけたのは平蔵だった。なみなみと水を満たした桶を掲げて見せる。


「使うかね?」

「鬼ですか、あなたは」


 思わずつっこむ左近。一体、平蔵もいつの間に用意したのか。

 俊介は苦笑している。


「いや。今日の稽古は終わりとしよう」


 左近はほっとしながら、今更ながらに思う。

 そう。これは稽古なのだ。

 俊介が始めからそう言ってはいたが、それにしても、これほどに濃密で重い稽古があるだろうか。下手な戦場よりよほど過酷といっていい。


 そこまで考えて、はっと左近は俊介を見た。

 初めての戦場で、力を発揮できずに命を落とす者は多い。戦場を知らない一之進のために、戦場以上の戦場を体験させたのか。


 左近は、倒れている一之進に視線を移した。

 意識を失っている一之進の表情からは、険しさが消えていた。俊介を憎む気持ちが容易に消えることはないだろうが、少なくとも、昼間のように憎しみに目を曇らせることは、ないような気がする。

 俊介は、ここまで意図して一之進と立ち会ったのだろうか。

 左近が再び俊介に視線を戻すと、俊介は穏やかに笑った。


「左近殿。すまんが、一之進を部屋に送ってもらえるだろうか」

「承知しました」


 左近は、俊介に深々と頭を下げた。


ありがとうございます。

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