18
「世話になった、俊介殿」
高坂師直が頭を下げた。
夜も更けた時刻、黒井城下の高坂屋敷の一室である。
城に着いた師直は、用務を済ませた後に、俊介との面談の時間を作ったのである。左近と平蔵だけが同席を許された。
「そなたがいなければ、今日わしの生命はなかった。ここにいる左近と他の郎党らも同じだ。礼を言う」
本来は、大国の筆頭家老が素浪人に頭を下げるなど、ありえることではなかった。しかし、率直すぎるほどに師直は感謝の気持ちを伝える。
「いや」
俊介は首を振る。
「不意の襲撃にともに巻き込まれただけのこと。お気になされますな」
「しかし、俊介殿は」
左近は思わず口をはさんだ。
「わざわざ敵中を駆け戻ってまで、この私も助けてくれました。感謝してもしきれるものではありません」
「それこそ、気にしていただくことではない」
俊介は穏やかにいう。
「戦場でともに刀を振るった。ただそれだけのことで、いちいち礼を言い合っていてはキリがない」
謙遜している様子はない。俊介は本心からそう言っているようであった。
左近は、平蔵と視線を交わした。
十兵衛の俊介評を思い出していた。
「すげえいい人だよ。ちょっと変わった人だけどな」
いわく、自分に厳しすぎる人で、他人に厳しいつもりのお人好し。
成程、そういうことか。
俊介のひととなりを直接目の当たりにして、左近はようやく理解した。少しずれた形で克己心が強い人らしい。
そして、優しい人だということも分かる。自分を仇と狙う少年を気遣うような。
師直も、左近と同じ感想を抱いたらしい。目を細め、笑みを浮かべている。
「そんなことよりも」
と俊介は話題を変えた。
「あの襲撃は、心当たりが?」
「あるといえばある。………が」
師直は言う。
「正直、ありすぎて、見当もつかぬ」
師直の答えに、左近は眉をひそめた。
襲撃後、平蔵の部下が現場に戻ったときには、襲撃した兵は、斬られた兵ともども既に逃げ去った後だった。手がかりになりそうなものも無論残されていなかった。
師直が今、国内に多くの政敵がいるのも事実である。
しかし、生命を狙うほどの敵となると、そう多くはない。
さらに、黒井領内で、しかも黒井城下の近くで、五十もの兵を密かに動かせるとなれば、さらに絞り込めるはずだった。
だが、証拠は何もない。
師直も、襲撃犯の追求に興味はないようであった。
今も師直は、穏やかに笑みを浮かべるばかりだった。
「………そうですか」
師直の笑みに、俊介はそれだけを言い、目を伏せた。師直の心中を察したようであった。
左近は、密かにため息をついた。
師直には、事を荒立てるつもりはない、ということだろう。証拠もなく騒ぎ立てても、黒井家中の不和の種を増やすばかりで、黒井家にとって利はない。師直はそう考えているに違いない。
先ほど終えた義隆公と師直の面談は、よくある政務の相談だった。義隆公から疎まれているとはいえ、師直は政務から完全に外されたわけではない。
面談の際、師直は淡々と襲撃された事実を義隆公に報告したという。自身の直轄領内での襲撃に、義隆公は激怒し、調査を約束したらしい。義隆公の面子をつぶす事件であり、義隆公の反応は当然のものであったが、襲撃の実行犯も、証拠を残すようなヘマはしないであろう。
権謀術数を用いて諸国の武将達に恐れられた師直だったが、黒井家中にあっては、師直はどこまでも愚直だった。師直にとって、亡き黒井景隆公は主君であり友であり、その嫡子である義隆公と黒井家は、忠誠を誓い、守り支えるべきものであった。その姿勢は、これまで一貫してぶれることはない。
だが、師直の忠誠は、果たして報われるときが来るのか。左近には、はなはだ疑問であった。
「さて、俊介殿」
師直は口を開いた。
「そなたがわしを訪ねてくれた要件を聞こうか」
その言葉に、俊介の表情が引き締まった。
「兵を貸していただきたい。崎枝家を助けるために」
俊介は居住まいを正し、言った。真っ直ぐに師直を見つめる。
「黒井家と高坂家の苦しい立場は、承知しています。素浪人ごときが分をわきまえぬ願いであることも重々承知。が、それでも私は高坂師直殿にお頼みするしかない」
俊介は手をつき、頭を下げた。
左近は拳を握りしめた。俊介の真摯さと誠実さが伝わってくる。先ほどの襲撃で俊介も今の高坂家の苦境を理解しているのだろう。黒井家がいまだ援軍を出さない理由も。だから、盟友として義務を果たしていない黒井家の非を責めない。
そして俊介は、先の襲撃を恩に着せてもいいはずだが、それをしようとはせず、ただただ、頭を下げている。
手を貸したい。左近は強く思う。許されるならば、自分だけでも柏原俊介の力になりたい。師直様はなんと応えるのだろう。
頭を下げたまま、俊介はさらに言う。
「今、窮地にある崎枝家を助けたい。が、私一人では無力。兵は寡少でもかまわない。兵を五百、いや三百でもいい。どうか、貸していただきたい」
「知っておるだろうが」
師直は言う。
「今、崎枝領を攻めるは湯川勢三万。たかが五百で戦況を変えられると思うか」
「寡兵には寡兵の戦い方がありましょう」
「他の者がいえば法螺にしか聞こえぬが、わずか五十騎で黒井軍三千を撤退させた俊介殿の言であれば、真実味があるな」
師直は穏やかに言う。
「顔を上げよ。そなたほどの武人が、安易に頭を下げるものではない。そなたの沽券にもかかわろう」
「私の沽券など顧慮するに値しない」
師直は苦笑した。
「ともかく、顔を上げよ。そなたの目が見れなければ、話もできぬ」
ようやく、俊介は顔を上げた。真っ直ぐに師直を見る。
「ひとつ、聞きたい」
師直は尋ねた。
「なぜ、そこまでして崎枝家を助ける。そなたは、崎枝の家臣ではないのだろう?」
「無論。私は百姓の生まれです」
「うむ」
師直は頷く。そのことは十兵衛から聞いていたのだろう。
やはり本当なのか。左近も聞いてはいたが、それでも驚いてしまう。五年前と今日、あれほどの武勇を見せつけられて、出自が百姓などと信じられるわけがない。
「ならば、なぜ?」
師直の問いに、俊介は迷いなく言う。
「夕維様と十兵衛は、かけがえのない友なれば」
「そうか」
師直は目を細めた。
羨ましい。左近は心からそう思った。短い付き合いだったと聞くが、俊介と十兵衛の言葉からは、深い絆を感じさせる。
唐突に、師直は言った。
「三千」
「は?」
俊介が師直を見返した。
「三千を貸そう。すまぬが、今、これ以上は出せぬ」
「師直様!?」
思わず左近は声を上げていた。平蔵も目を見開いている。
俊介も、目を見張っている。
高坂家が動かせる兵は五千。黒井家の危機的状況下にあって、そこから三千を出すというのは、思い切った決断というしかない。
「本来、黒井家は崎枝の盟友として、一万でも二万でも出すべきなのだが」
師直は言う。
「その代わり、左近と平蔵、我が軍の精鋭三千を俊介殿に預ける」
「え?」
驚く左近と平蔵に、師直は目を向けた。
「左近、平蔵。俊介殿の命令は我が命令と心得よ」
「は」
左近と平蔵は、揃って平伏した。血が再び熱くなるのを左近は感じた。俊介殿の指揮下で戦える。夢が、かなう。
「かたじけない」
俊介も頭を下げた。声が、ふるえている。
「よい」
師直は笑った。
「実のところ、そなたの指揮をわしが見たかったのだ。本当は、一万の兵を指揮させてみたかったのだが。まあ、それよりも」
師直は続ける。
「俊介殿も急ぐであろう。兵の準備は既に命じてある。明朝には出陣が可能だ」
これには左近も平蔵も驚いた。
手回しが良すぎる。俊介が訪ねてきた時点で、師直はその目的を察し、応じるつもりでいたことになる。
「師直殿の御配慮、感謝します」
俊介は頭を下げた。
「よいと言っている」
師直は首を振った。
「そのようなことを言われては、あきらめていた願いを口にしそうになる」
目を、師直は細めた。
「いや、夢か。俊介殿を黒井家の直臣に推挙したい、という………」
俊介は目を見張った。
左近も驚いた。師直は、自らの家臣として俊介を招きたいと思っているとばかり思っていた。黒井家直臣ということは、禄高はともかく、師直と俊介は同格ということになる。冗談めかしてはいたが、一万の兵を指揮させたい、というのも本気だったということか。
一介の素浪人である俊介に対し、破格すぎるほどの申し出である。
左近は、噂を思い出していた。
いわく、高坂師直は、黒井軍侍大将たる自らの後継者として、黒井景隆公に柏原俊介を推挙したことがある、と。
しかし、俊介が応じることは決してないだろう。なぜか左近はそれが確信できた。
師直は、ふっと笑った。
「戯言だ。気にするな。崎枝夕維殿の招きにも応じなかったそなただ。今更、黒井家の家臣になるはずがないのは分かっているつもりだ」
俊介は、無言で目を伏せた。
「しかし、そうだな」
師直は言う。
「ひとつ、頼みはある」
「はい」
俊介は、師直を真っ直ぐに見た。
「此度の出陣で、子供を一人預かってほしい」
「子供?」
「亡き友の子でな。わしが後見人として預かっているのだが」
師直は俊介を見返した。
「涼宮一之進という十四歳の少年だ」
ありがとうございます。




