17
しばらく馬を駆けさせていると、俊介は馬を止めた。
「俊介殿?」
左近は尋ねようとして、はっと前方に視線を向けた。
前方から、軍勢の気配。
先の襲撃もそうだったが、やはり俊介は、気配を読むのも抜きんでているらしい。この力は戦場で大きな差となる。
「さすがは、俊介殿です」
左近の素直な称賛に、俊介は呆れたようにいう。
「そんな場合ではないだろう」
「いえ、大丈夫です。たぶん」
そういっている間に、軍勢の姿が見えた。
「味方です」
騎馬兵ばかりおよそ三十騎。黒井城下にある高坂勢の騎馬の大半を率いてきたらしい。
「平蔵!」
左近は手を振った。軍勢の指揮官は、村田平蔵。黒井城下の高坂屋敷の留守を任されていたはずだが、自ら援軍に駆けつけたらしい。
平蔵は、近づいてから軍勢を止め、単騎で歩み寄る。
「平蔵。その様子だと、師直様は無事屋敷に入ったのですね」
「そうだ」
左近の問いに、平蔵の答えは短い。平蔵の不愛想はいつものことなので、左近は気にせずにいう。
「平蔵、こちらは柏原俊介殿。あなたもよく知っているでしょう。あの、柏原俊介殿。あの、崎枝夕維様の騎馬隊をつくったお方です」
「左近。落ち着け」
平蔵は淡々といい、俊介に視線を移した。値踏みするような平蔵の視線に、俊介は静かに頭を下げた。
「柏原俊介です」
「村田平蔵です。御助勢かたじけない」
平蔵もまた頭を下げる。
「俊介殿。不愛想なのが玉に瑕ですが、平蔵は師直様の信頼厚い、高坂軍の有力武将のひとりです」
「左近。不愛想は余計だ」
平蔵はいい返してから、改めて俊介と左近を交互に見る。
「怪我はないのか。総勢五十の敵に襲われたと聞いたが」
俊介と左近がほぼ無傷なことに、平蔵は驚きを隠せないらしい。普段は無表情の平蔵にしては珍しい。
「見てのとおりです。私は多少のかすり傷はありますが、俊介殿はさすがの無傷。しかも、敵は俊介殿お一人で壊滅させました」
「一人ではない。左近殿も共に戦ったであろう」
俊介はいい返すが。
「そうですが、敵を斬ったのはほとんど俊介殿ではないですか」
と左近は笑い、平蔵に目を向ける。
「信じられませんか、平蔵」
「しんがりは左近と聞いた。ならば信じざるをえまい」
「どういう意味ですか?」
「五十人を相手にほぼ無傷で斬り抜けるなど、お前にはまず無理だからな」
「そのとおりですが」
左近は顔をしかめる。
「腹の立つ納得の仕方ですね、平蔵。あなただって無理でしょう」
「当たり前だ。人間業ではない」
平蔵は俊介を見やりながら嘆息した。
「光栄だが、いうほど大袈裟なものではない」
一方の俊介は困惑顔である。
「敵には多勢という驕りが最初からあった。そして包囲網が整う前に、機先を制することができた。そうでなければ、たやすく突破することはできなかっただろう」
「いやいや」
左近は首を振った。あの状況を「たやすく」と言い切る俊介のほうが、どう考えてもおかしい。そう左近は反論しようとしたが。
「ところで」
俊介が話を遮る。
「あの少年は、何者だろうか?」
「え?」
俊介は、平蔵が率いてきた高坂勢の騎馬兵の一人を見ていた。その兵は、明らかに憎悪と殺意のこもった目つきで俊介を睨んでいた。
俊介や左近の視線に気づいたのだろう。弾かれたようにその兵は馬腹を蹴って駆け寄ってくる。
その騎馬兵を、平蔵は馬をぶつけるようにして止めた。
「一之進、やめよ!」
「離してください!」
憎しみを宿すその表情には、あどけなさが残る。まだ十四歳のこの少年を、左近は知っている。そして、少年の父は戦死しており、その死に俊介が大きく関わっているということも。
名を、涼宮一之進という。涼宮は黒井家中の名門であり、嫡男であるこの一之進が次期当主になるはずだが、まだ年少であるため、父親の死後、元服まで師直が預かることとなり、今は高坂家にいるのだが。
「柏原、俊介…!!」
一之進が叫んだ。その声がふるえている。刀の柄にかかる手を平蔵が押しとどめ、一之進はさらにもがいた。
「尋常に、勝負しろ…!!」
普段の一之進に、このような聞き分けのなさはない。俊介を憎むあまり、周りが見えなくなっているのだろう。目に、尋常ではない光を宿している。
これほどまでに俊介を憎んでいたのか。左近は驚きつつ、一方で感心もしている。一之進は、柏原俊介が自分にかなう相手ではないと分かっていて、恐怖に襲われながら、なお立ち向かおうとしている。
「少年」
俊介が口を開いた。
「名は?」
「涼宮一之進だ!」
「では、涼宮一之進。勝負にはいつでも応じよう」
俊介の視線を、一之進は身を震わせながらも睨み返す。
「しかし、お前の腕では、俺は斬れぬ。立ち合えば、お前は刀を抜くことすらできずに死ぬ」
淡々とした俊介の声。脅しているのではない。ただ事実を述べている。それが一之進にもわかるのだろう。一之進は反論できず息をのむ。
「みじめな死を選ぶか、涼宮一之進」
「柏原俊介………柏原俊介………!!」
呪詛のように一之進は繰り返す。
「一之進、控えよ!」
左近は声を上げた。
「俊介殿は師直様の客人。客人への無礼は師直様への無礼と同義と心得よ!」
一之進は、黙り込む。子供とはいえ、さすがに黒井家の武士として教育を叩き込まれている。
「頼道!」
平蔵は、副将の藤村頼道を呼んだ。平蔵の手勢の副将として平蔵に長く仕える男である。
「襲撃は街道のこの先だ。後始末を頼む。一之進と、あと何人か連れていけ」
「承知」
藤村頼道の返答は短い。平蔵の手勢は、最近、主将に似て皆が無口になったと噂になっているが、事実なのかもしれない。
一之進は、はっと平蔵を睨むが、命令には逆らわない。頼道に従い、その後に続いて駆け去っていく。
「俊介殿、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
「いや、左近殿。巻き込んだのは俺のほうであろう」
左近は頭を下げるが、俊介は首を振る。
「俺への恨みだ。身に覚えはありすぎるほどにあるが、かなり思い詰めているようだな」
「はい」
左近は、目を伏せる。
「………一之進は、俊介殿を父親の仇と思っています」
「ずっとああなのか?」
「そうですね。頭のいい子で、命じられたこともきちんとこなしますが。一人になると、思い詰めた表情を見せることもありました。あそこまで感情的になったのは初めてですが」
「そうか」
一瞬、俊介が辛そうな表情を見せた。
「戦場の習いです。俊介殿が気に病まれることではありません」
俊介はそれには応えず、尋ねる。
「涼宮一之進の父親は、涼宮正孝殿か?」
「正孝殿をご存知でしたか」
「あの戦で俺が斬った武将であろう。名を後で知った」
俊介は、冥福を祈るかのように目を閉じた。あの戦、というのが安井村重と黒井家の戦であることはいうまでもない。涼宮正孝は、俊介の奇襲から主君である黒井景隆公をかばい、俊介に斬られ、戦死している。
「良将であったと思う。完全に不意をついた奇襲であったにも関わらず、正孝殿一人が反応し、失敗させた」
「失敗?」
思わず左近は問い返した。平蔵も眉をひそめている。
あの戦で、俊介はわずか五十騎で黒井軍三千を撤退に追い込んだ。あの奇襲は、鮮やかすぎるほどの成功ではないのか。
しかし。
「失敗だ。景隆公の首を取れなかった」
「は?」
「あのとき。崎枝領から黒井軍の侵攻を退けるには、景隆公を討つしかないはずだった。その千載一遇の機会が、あの戦だった。そして、それを逃したから戦況は膠着状態に陥ったのだ。あのまま消耗戦に入れば、崎枝勢が疲弊した頃に黒井軍の新手の援軍が本国から投入され、崎枝領は一挙に黒井軍に制圧されたであろう」
俊介はいう。
「その俺の軍事的失敗を、夕維様が余人に真似できぬ外交手腕で挽回したのだ。夕維様がいなければ、俺の失敗は致命的になったはずだ」
左近は、驚くしかない。
武将として、視野が違い過ぎる。
あの奇襲には、ここまで深い軍略があったのか。あのとき、左近も、平蔵も、単純に戦場の勝敗しか見ていなかった。
黒井景隆公や師直がなぜ俊介を高く評価したのか。それが改めて分かった気がした。
ありがとうございます。




