14
深夜、当麻十兵衛は呼び出された。
呼び出したのは、黒井軍の重臣、高坂師直である。
一瞬、不審に思ったが、すぐに十兵衛は思い直した。
戦陣なのだ。何が起きてもおかしくはない。
今、十兵衛は、崎枝軍三千を率いて、黒井軍の遠征に加わっている。
黒井景隆が、遂に天下に名乗りを上げたのだ。
黒井景隆は総勢五万の大軍を動員して、京を目指し、進軍を開始した。黒井軍は、破竹の勢いで進撃し、東海の雄である湯川軍をも、わずか一戦で粉砕した。
湯川領主は、兵の大半を失い、命からがら主城に逃げ込んだ。領内の大小の豪族のほとんどは、黒井軍に恭順した。
湯川領はもはや黒井軍の制圧下にあるといっていい。
だからこそ、急な呼び出しの理由が、十兵衛には思い当たらない。湯川領主が出撃したとは思えない。その力がないことは明白である。あるいは、次にぶつかるであろう小田軍に何か動きがあったのか。
いずれにせよ、何が起きても判断を間違えないよう、心の平静さを保てればいい。
十兵衛は手早く身支度を整えながら、ふと思いつき、声を上げた。
「前田雪之丞を呼べ」
従者の一人がすぐに駆けていく。
前田雪之丞は、騎馬隊百騎の指揮官だが、崎枝家の重臣である。
わずか百騎の指揮官としては異例の待遇だが、あの「崎枝夕維の騎馬隊」の指揮官といえば、誰もが納得した。
「崎枝夕維の騎馬隊」の勇名は、諸国に鳴り響いていた。
泉田道寛を寡兵で破って噂になり、黒井景隆を撤退に追い込んだことで名が知れ渡った。戦国の雄、黒井景隆が「その強さ、鬼神の如し」と評したことも広く知られ、諸国に恐れられているのである。
「前田雪之丞、参りました」
一本気な性格そのままの硬い物言いとともに、一人の武士が十兵衛の天幕に入った。
「おいおい、早いな。さすが雪之丞」
「いえ」
雪之丞はわずかに頭を下げた。
この齢二十一の若武者は、深夜、眠っていたはずなのに、ほとんど十兵衛を待たせることはなかった。
おそらく、夜襲など急な出陣に備え、戦装束のまま床に就いていたのだろう。湯川領の平定をほぼ終えているにも関わらず、そこに露ほどの油断もない。
それが、崎枝夕維の騎馬隊をつくった柏原俊介の教えであることを、十兵衛は知っている。
騎馬隊は、速さこそ命と知れ。
速さとは、駆ける速さだけではない、と俊介は常に語った。状況判断の早さ。決断の早さ。そして、あらゆる事態を想定した備え。それら全てが騎馬隊の速さにつながる。
雪之丞は、五年前、騎馬隊の二代目指揮官に抜擢されたときから、何も変わっていない。
俊介に憧れ、彼を尊敬する雪之丞は、その教えを頑ななまでに守り続けている。雪之丞は、俊介の指揮下にあったときと同様、今も俊介の背を追い続けているようであった。
その一方で、騎馬隊の勇名が雪之丞の重荷になっている。
雪之丞は口にも顔にも出さないが、十兵衛は気づいている。無理もない。騎馬隊の天下無双の勇名は全て俊介が築いたものであり、それを急に背負わされたのだ。常に、あの柏原俊介と比較されることとなった。並みの重圧ではない。
とはいえ、雪之丞もまた、傑出した指揮官である。それは、十兵衛と崎枝夕維の共通した認識である。
戦場での騎馬隊の動きは、俊介指揮下と比べても遜色はない。しかも、当初は五十騎だったが、雪之丞の指揮下で百騎に増え、破壊力は増した。
騎馬隊の速さを失うことなく百騎を鍛え上げたのは、間違いなく雪之丞の功である。
しかし、戦の先を見通す眼力と戦場での臨機応変のひらめきでは、雪之丞は俊介に遠く及ばない。このため、黒井景隆との戦で俊介が見せたような、長躯して敵の急所をつくような騎馬隊の用兵は、雪之丞の指揮下では一度もできていない。
雪之丞も、それは自覚している。だからこそ、せめてもの補強策として騎馬隊の増強を図りつつ、自身の指揮能力を磨くべく、軍略を学び、調練に励んでいる。
とはいえ、あの用兵は、崎枝夕維と柏原俊介という二人の天才が揃って、初めて成し遂げられたものといっていい。容易にできるものではないのだ。
雪之丞は、まだ若く、経験も浅い。五年前、既に歴戦だった俊介に劣るのは当然であり、雪之丞の努力は、誰もが認めるものである。
十兵衛は、雪之丞に期待している。俊介を超えるのは容易ではないが、五年後、あるいは自分を超える武将にはなれるのではないか。そう考えている。
十兵衛と雪之丞は、高坂師直の陣幕に足を運んだ。
陣幕の中は、師直一人であった。
黒井軍の主だった武将が揃っているものと思っていた雪之丞は、驚いた。
従者すらいない。人払いをしているのだ。
雪之丞は、陣幕に入りかけた足を止めた。
「十兵衛様。私は遠慮したほうがよいようです」
「かまわぬ」
十兵衛が答えるより先に、師直が雪之丞を呼び止めた。
「十兵衛殿の右腕である雪之丞殿なら、構わぬ。ともに話を聞いてもらおう」
「かたじけない」
十兵衛は頭を下げた。雪之丞もそれに倣い、十兵衛とともに床几に腰をかける。
高坂師直が、険しい表情を二人に向けている。
師直は、黒井景隆が最も信頼する重臣といっていい。政戦両面で黒井景隆が相談しないことはないといわれている。民政では景隆とともに領内全体を見渡し、戦場では軍師として側にあり、時に景隆に代わって黒井軍を指揮する。高坂師直なくして今の黒井景隆はありえないであろう。
既に初老といっていい師直だが、細い目は眼光鋭く、戦場で鍛え上げた身体に衰えは見えない。厳つい顔をしているが、人となりは温厚であり、笑うと優しげな表情になる。
普段の師直は、穏やかな目をしているのが常であるが、戦場以外で険しい目を見せるのは珍しい。
「ここでの話は、他言無用に願いたい。我が黒井家中の者にも、だ」
師直の言葉に、雪之丞の顔に緊張が走った。容易ならざる話のようだった。この場所に自分がいてもいいのだろうか。
「承知しました」
十兵衛が答えた。重大な話と知ってなお、いつもの声音と変わらない。
五年前、国の諸豪族が集まった会議において、崎枝夕維が領主に選ばれた。このとき、筆頭家老に夕維が指名したのが、十兵衛である。まだ若く、異例の抜擢だったが、異論を唱える者はなかった。泉田道寛の謀反以来、夕維を支え続けた功績が認められたのである。
それから十兵衛は、筆頭家老として崎枝家中を束ね、全軍の総大将に相応しい実力を示してきた。
雪之丞は、十兵衛が大きくなっていく様をずっと側で見てきた。俊介は雪之丞の憧れだが、十兵衛もまた尊敬する兄貴分である。
今や十兵衛は、あの高坂師直と対等に話せる存在にまでなった。それが雪之丞にはまぶしい。
「それで、お話とは?」
十兵衛の問いに、高坂師直が口を開いた。
「お館様が倒れられた」
「何と!?」
十兵衛は驚いた。
「ご容態は?」
「危ない。もって数日、かもしれぬ」
「まさか」
十兵衛は息をのんだ。
雪之丞も意外さを禁じ得ない。景隆が大軍の湯川勢を鮮やかに破ったのは、ほんの一週間前だ。その堂々とした采配ぶりを目にしたばかりだというのに。
「いや。一年程前から、お館様はしばしば血を吐かれていた。………このところ、持ち直しておられたのだが」
師直は声を落とした。
「数刻前、大量の血を吐かれた。今も意識は戻られぬ」
十兵衛も雪之丞も、言葉がない。
あの英雄、黒井景隆が病に負けるというのか。
東海の雄である湯川軍を一蹴し、最強を謳われる黒井軍の力を諸国に見せつけた。機内を抑える小田軍も領内に逼塞し、黒井景隆が天下を取るのは、時間の問題と見られていた。
悲願の天下に、ここまで迫っていたのだ。
それなのに。
景隆と黒井家中の無念はいかばかりか。
そして。長年、景隆のそばにあった師直の苦衷は、察するにあまりある。
「貴公たちを呼んだのは、今後のことを頼みたいからだ」
と、師直は再び口を開いた。
「頼みとは?」
「今後、お館様がどのようになろうと、撤退は避けられぬ」
それはそうであろう、と雪之丞も思う。景隆が回復しない場合は当然だが、持ち直しても、景隆の体調は、もはや遠征軍の指揮には耐えられないだろう。
「お館様のお身体のことは極秘だが、いずれ露見する」
師直は、十兵衛と雪之丞を見回した。
「露見すれば、恭順した湯川領内の諸将は、再び寝返る。そして、我が軍に従軍する諸将も、誰が背くか、分からん」
「………敵地で、我々は四面楚歌に陥る、と」
十兵衛のつぶやきに、師直はうなずいた。
「撤退戦は、地獄になる」
雪之丞は、戦慄した。黒井直轄軍と崎枝軍以外、味方さえも信用できない。その中で、敵中突破の撤退戦。黒井軍と崎枝軍は、死地に立たされたといっていい。
「その上で、貴公らに頼みたい」
師直は、正面から十兵衛の目を見据えた。
「崎枝勢に、しんがりをやってほしい」
雪之丞は、目を見張った。師直の頼みは、崎枝軍を全滅させかねない。
しかし。
十兵衛は、にやりと笑った。
「しんがりの任、確かに承りました」
生還すらおぼつかない頼みにも関わらず、十兵衛には緊張感の欠片もない。
この胆力。遠く及ぶところではない。
雪之丞は、こういうとき、十兵衛の大きさを思い知らされる。
「すまぬ」
師直は頭を下げた。
「我が配下から三千を貸す。指揮官は、左近と平蔵」
「沢村左近殿と村田平蔵殿か。これは何よりの加勢ですな」
十兵衛は満足げにうなずいた。
沢村左近と村田平蔵は、ともに齢三十に満たないが、勇将の誉れ高く、高坂師直麾下で将来を嘱望される男たちである。
雪之丞は、わずかに師直を疑っていた。師直は、崎枝勢を死に兵とし、自軍を生き延びさせようとしているのではないか、と。しかし、この二人の起用は、死に兵などではなく、しんがりを選りすぐりの精鋭と師直が見ている何よりの証しといっていい。
十兵衛は、師直への疑念など微塵もないようだった。十兵衛と師直には、年齢差に関係なく、しっかりした信頼関係を感じさせた。
雪之丞は恥じ入った。己の卑小さを思い知らされた気分だった。
「雪之丞殿」
「は」
唐突に師直に名を呼ばれ、雪之丞は居住まいを正した。
「そなたがいるから、崎枝勢にしんがりをまかせるのだ。我が軍の後背は、そなたに委ねるほかない。どうか頼む」
「は?」
師直の意外な言葉に、雪之丞は間の抜けた声を返してしまった。
その様子に、師直は苦笑した。
「どうも、雪之丞殿は、己自身をよくわかっていないようだな」
「自分が何をしでかしているか、なかなか理解してくれないのですよ」
と返すのは十兵衛である。
「まあ、比較の対象があの柏原俊介なんでね。無理もないですけど」
「なるほど」
師直は視線を転じた。
「雪之丞殿、ひとつ言っておく」
師直はいう。
「我が黒井軍に前田雪之丞がおれば。これがお館様の口癖であった」
「は?」
口をぽかんと開く雪之丞の隣で、十兵衛は身を乗り出した。
「何ですか、それ。聞いたことねえ」
「いえぬよ。いわば黒井家の恥だからな」
師直は無造作に手を振った。
「というと?」
「柏原俊介殿の騎馬隊にやられてすぐのことだ。お館様の命で、黒井家でも同じ軍をつくろうとしたのだ」
「黒井家には、天下に誇る騎馬軍団があるのに?」
「あの軍には、究極的には同じ軍しか対抗しえない。それが自明だったからだ。それに、あの軍があれば、わずかな時で大軍を崩すことも可能だ。が、断念した。何故だと思う?」
師直が、十兵衛と雪之丞の顔を見渡した。
すぐに答えを返したのは、十兵衛だった。
「指揮官ですな」
「そのとおりだ。任せられるだけの人材が見いだせなかった。実のところ、柏原俊介だけならあきらめはついた。あれは天才だからな。ところが気が付けば、崎枝家は、前田雪之丞という別の将を育てていた。なぜ黒井家には前田雪之丞がいないのか。なぜ育てられないのか。お館様は、何度、そうこぼされたか分からぬ」
「しかし」
雪之丞は声を上げた。
「私の指揮は、俊介様の模倣にすぎません。俊介様に遠く及びません」
「我が軍には、その模倣すらできる者がおらぬ」
師直にさらりと返され、雪之丞は言葉を失った。
「それに、単なる模倣で勝てるほど、戦は甘くない」
十兵衛が横から口を出した。
「雪之丞を育てたのは、柏原俊介ですよ。師直殿」
「ふむ?」
師直はわずかに眉をひそめた。
「が、俊介殿が崎枝家にいたのは一月ほどであろう?」
「そうですが、俊さんは、最初から長く指揮するつもりはなかったようで。俊さんは雪之丞の原石を見出して、わずか一月ですが、後継者にするつもりで徹底的に鍛えたそうです」
「十兵衛様、そんなことは。確かに、分隊指揮は任せられましたが、それはほかに幾人も」
雪之丞は口をはさむが。
「お前さんが自覚してないだけだよ。お前さんを後釜に指名したのは、他ならぬ俊さんだからな」
「な」
雪之丞は驚いた。自分を指揮官として指名したのは、十兵衛だとばかり思っていた。
「それに、俊さんも口にはしなかっただろうが、お前さんをできるだけ近くにおいて、自分の指揮をずっと見せていたはずだ。お前さんは、最高の見取り稽古を受けてたんだよ」
雪之丞は、言葉がない。俊介様は、これほどに自分を買ってくれていたのか。
あの時は、厳しい調練についていくのに精一杯だった。しかし、厳しさの中で、さり気なく兵をいたわることができる人で、その優しさが分かったから、騎馬隊の兵は皆、厳しい調練に耐えられた。
あの人が自分を後継者と見たならば、余計な重圧にさらされぬよう、隠したとも思う。
そういうお人だ。
「なるほど、確かに最高の稽古だな。そして、おそらくは唯一の稽古か」
師直はうなずいた。
「柏原俊介の弟子は、柏原俊介にしか育てられぬ、か。我が軍で育てられぬのも仕方なきことか」
師直は、雪之丞に向き直った。
「雪之丞殿は、己を誇ってよい。黒井景隆と高坂師直がうらやむその力、此度のしんがりで存分に見せてくれ」
「………はい」
名将の誉れ高い高坂師直にそこまでいわせたのだ。期待に応えるほかない。雪之丞は短い応えに決意を込めた。
第2部、始まります。
よろしくお願いします。




