13
懐かしさが込み上げてきた。
山も森も田も、村に続くこの一本道も、何も変わらない。
俊介は、ゆっくりと歩を進めた。
人気のない夕暮れ時、周りでは稲穂が揺れている。もうすぐ黄金色に輝く光景が広がるのだろう。今年は、戦禍に荒らされることもなかったらしい。よく見れば、村の田んぼも広がっているようだった。
そういえば、自分の田はどうなったのか。ふと思い、視線を巡らせた。
人がいた。
思わず足を止めた。かつての俊介の田んぼの側で、一人たたずんでいる。距離があり、薄暗くもあったのでその顔は見えない。
しかし、誰かはすぐに分かった。
その人物も、俊介に気づいたようだった。一瞬立ちすくみ、それから駆け出した。脇目もふらず、こちらに向かって駆けてくる。
もう、はっきり顔も見える。その目は、潤んでいるようだった。
帰ってきた。
このとき、初めて俊介はそう思えた。
この十年、決して忘れることはなかった顔。誰よりも会いたかった人。
「………さつき」
思わず、声がもれた。
幼馴染の娘はまっすぐに駆け寄ってくる。
手が、振り上げられた。
………?
「バカ俊っ!」
ぱあんっと、乾いた音が夕暮れ時の田んぼに響き渡った。
頬が熱い。腫れているようだった。まだ脳も揺れている気がする。
「少しは手加減をしろよ、さつき」
「だから平手だったでしょ。それとも拳か掌底がよかった?」
おいおい。平手でこの威力である。第一、掌底などという物騒な単語がさらりと出てくるのが怖い。まともに食らって無事でいられる気がしない。
「もう、待ちくたびれたんだから」
「面目ない」
分が悪い。俊介は、話をそらした。
「それにしても、村長も年をとられたのだな。身体が小さくなられたように見えた」
「俊が出ていったおかげで苦労したからね」
「………面目ない」
相変わらず、さつきの物言いは辛辣である。
この遠慮のなさは、昔と全く変わらない。
それを嬉しくも思いながら、俊介は、先ほどの村長の姿を思い出していた。
「おお、俊介」
さつきに連れられて屋敷に顔を出すと、村長はゆっくりと立ち上がった。その顔がほころぶ。
「随分と手荒い歓迎を受けたようだな」
さつきはそっぽを向いている。後ろめたいときの仕草。自業自得だよ、と、ぶつぶついっているが、やりすぎたとは思っているらしい。
それを横目に見ながら、俊介は頭を下げた。
「村を勝手に飛び出し、ご迷惑をおかけしました」
「よい」
村長は首をふった。それから俊介の目を見据えた。口を開いたのは、しばらく経ってからだった。
「………よく、帰ってきた。ここはお前の村だ。ゆっくり休め」
それだけをいった。何も聞かなかった。目を見ただけで、俊介の十年を察したようでもあった………。
「村長は今も村の守りに立たれるのか?」
さつきと連れ立って歩きながら、俊介は尋ねた。
「今はもう。というか、領主が変わって、領内の盗賊団は一掃された感じだよ。村長が無理して戦に出る必要もなくなった」
「そうか」
俊介は安堵した。
かりそめの平和でも、村が、さつきや村長が、戦のない暮らしを送ることができる。それは何より喜ばしいことだった。
「ちなみに」
さつきは、にんまりと笑った。いつの間にか、機嫌は直ったらしい。
「ちなみに、俊が村を出てから、村に襲撃はもうないんだよ」
「そうなのか? 今の領主になったのは、二、三年くらい前と思っていたが」
領主が変わったのは、旅の中で聞いていた。よくある領土争いで敗れたらしい。
「この辺りで噂になったんだよ。あの村は、大盗賊団を壊滅させたって。それで、盗賊もこの村は避けるようになって」
「そうだったのか」
「そうだよ」
さつきは、俊介の目をじっと見つめた。
「蒼と俊のおかげなんだよ。今、村が平和なのは」
そうなのか。
俊介は、周りを見渡した。やはり、田畑が十年前より広がっている。稲もほかの作物も順調に育っているようだった。戦の跡は全く見られない。
平和そのものの光景。
自分は、役に立てたのか。
友を死なせた。罪を忘れることは決してない。それでも、救われた思いがした。
「みんな、蒼と俊に感謝してるんだよ」
さつきが俊介の手を握った。
「だから、胸を張って」
ひとつの小さな墓石の前に、俊介は立っていた。
「ここだよ」
隣でさつきがいう。手は握ったままだ。
ここに立てるようになるのに、十年かかった。
幼馴染。親友。生命の恩人。そして自分が死なせた男の墓。
真新しい花が供えられている。
「この花は、さつきが?」
「うん」
さつきは頷いた。
「私だけじゃないよ。村のみんなも時々供えてくれる」
「そうか」
蒼は喜んでいるだろう。にぎやかなのが好きな奴だったから。
俊介も、途中摘み取ってきた一輪の花を供えた。
「すまなかったな、蒼」
それ以上、言葉が出ない。
十年も放っておいたことを、謝ったつもりだった。
死なせたことは、どんな謝罪の言葉も口にするには重すぎた。それに、謝罪は、蒼を怒らせるだけであろう。
ホント、俊は馬鹿だねえ。友をかばうのは当たり前じゃないか。そういって笑うような男なのだ。
それでも、自分が功にはやり、猪突しなければ、そうする必要もなかった。
どう償えばいいか、まだわからない。
とにかく、蒼に救われた生命であることを思い、罪を胸に刻み、生きていく。
そう心に誓った。
「さつき」
「何?」
「お前、まだ独りなのか?」
「………このバカ俊は、なんて聞き方するかな」
にらまれてしまった。
が、とりあえずは独り身らしい。
「独りなら」
俊介はさつきに向き直った。
「さつき。俺の嫁に来ないか」
さつきの目が大きく見開いた。
「ずっと、お前が好きだった」
俊介はいう。
「この十年、ずっと忘れようと思ったが、忘れられなかった。さつきへの想いが色あせることもなかった。しかし」
目を、俊介は伏せた。
「お前を好きになる資格がない、とも思った。やはり、さつきが好きだったのは蒼では、とも思った。それでも………」
「バカ俊」
さつきの無慈悲な声に、俊介の言葉は遮られる。
「………蒼は、気づいてたと思うんだけどな。………やっぱり俊は、俊かあ」
思いっきりため息をつかれてしまった。
それから。
「俊」
さつきは、正面から蒼一郎を見つめた。
「私は、ずっと俊が好きだったよ。小さい頃から、ずっと」
「………そうなのか?」
本当に、そうだったのか。俊介は、肩の力が抜ける思いがした。
「そうだよ、バカ」
と、そっぽを向くさつきの顔が赤い。
「そうなのか」
徐々に、喜びも込み上げてくる。それを抑え、俊介は表情を引き締めなおした。
「ならば、さつき」
「条件がある」
また、さつきが俊介の言葉を遮った。
「何だ?」
俊介はいう。何だってやってやろう、と思う。
「蒼の墓参りに一緒に行くこと」
と、さつきはいう。
いうまでもないことだった。むしろ、俊介の罪をともに背負っていく、といってくれているのだ。さつきの優しさが、心に温かくにじむ。
俊介は頷いた。
「毎日でも行くさ」
「もうひとつ」
さつきが、真剣な眼差しでいう。
「春は、三人で過ごすこと。あの桜の木の下で」
あの桜。いうまでもない。常緑樹の森の中の、一本の桜。
三人の約束の場所。
十年間、忘れられなかった約束。自分が踏みにじってきた誓い。
もう、間違えない。胸に刻む。大切な場所。大切な約束。
俊介は、さつきを見つめながら、答えた。
「今度こそ、約束する。春は、あの桜の木の下で、三人で過ごそう」
必ず、三人で。蒼一郎は死んでしまったが、きっと、傍で見守ってくれているはずだった。
「なら、しょうがないなあ」
さつきは相好を崩した。
「俊のお嫁さんになってあげるよ」
満面の笑み。俊介も蒼一郎も大好きな、さつきの笑顔だった。
俊介はそれをまぶしげに見やりながら、いった。
「伝えておくことがある」
「何?」
「幸せになってくれ、と」
「え?」
首をかしげるさつきに、俊介は伝えた。
「蒼の最期の言葉だ」
さつきは息をのんだ。
「あいつは、最期まで、さつきのことを気遣っていた。俺には、さつきを頼む、と」
「………蒼も、馬鹿だね」
さつきの目が潤む。
「最後の最後まで、人のことばかり。自分のことは後回しで」
「さつき。お前は俺が命にかえて守る。だから、蒼に誓え。幸せになる、と」
「バカ俊」
真っ赤な目でさつきがにらむ。
「違うでしょ。また蒼に怒られるよ」
「………ああ、そうか。そうだな」
俊介は頷いた。
「うん」
さつきは頬笑んだ。涙が頬を伝う。
俊介とさつきは、手をつないで蒼一郎の墓の前に並んだ。
「蒼、誓うよ。俺は、さつきとともに幸せになる」
「蒼、心配いらないよ。このバカには随分待たされたけど」
さつきはちらりと見た。俊介は苦笑した。
「私はもう幸せだよ。俊と一緒になれたから。そして、これからもずっと」
さつきは俊介の手を強く握った。
俊介も握り返した。
「だから、蒼。私達を見守ってね」
夕闇が濃くなる中、二つの人影は、ずっと墓石の前を動かなかった。
ありがとうございます。
ひとまず完結です。第2部も執筆中ですので、またよろしくお願いいたします。




