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 懐かしさが込み上げてきた。

 山も森も田も、村に続くこの一本道も、何も変わらない。

 俊介しゅんすけは、ゆっくりと歩を進めた。

 人気のない夕暮れ時、周りでは稲穂が揺れている。もうすぐ黄金色に輝く光景が広がるのだろう。今年は、戦禍に荒らされることもなかったらしい。よく見れば、村の田んぼも広がっているようだった。

 そういえば、自分の田はどうなったのか。ふと思い、視線を巡らせた。

 人がいた。

 思わず足を止めた。かつての俊介の田んぼの側で、一人たたずんでいる。距離があり、薄暗くもあったのでその顔は見えない。

 しかし、誰かはすぐに分かった。

 その人物も、俊介に気づいたようだった。一瞬立ちすくみ、それから駆け出した。脇目もふらず、こちらに向かって駆けてくる。

 もう、はっきり顔も見える。その目は、潤んでいるようだった。

 帰ってきた。

 このとき、初めて俊介はそう思えた。

 この十年、決して忘れることはなかった顔。誰よりも会いたかった人。


「………さつき」


 思わず、声がもれた。

 幼馴染の娘はまっすぐに駆け寄ってくる。

 手が、振り上げられた。

 ………?


「バカ俊っ!」


 ぱあんっと、乾いた音が夕暮れ時の田んぼに響き渡った。




 頬が熱い。腫れているようだった。まだ脳も揺れている気がする。


「少しは手加減をしろよ、さつき」

「だから平手だったでしょ。それとも拳か掌底がよかった?」


 おいおい。平手でこの威力である。第一、掌底などという物騒な単語がさらりと出てくるのが怖い。まともに食らって無事でいられる気がしない。


「もう、待ちくたびれたんだから」

「面目ない」


 分が悪い。俊介は、話をそらした。


「それにしても、村長も年をとられたのだな。身体が小さくなられたように見えた」

「俊が出ていったおかげで苦労したからね」

「………面目ない」


 相変わらず、さつきの物言いは辛辣である。

 この遠慮のなさは、昔と全く変わらない。

 それを嬉しくも思いながら、俊介は、先ほどの村長の姿を思い出していた。




「おお、俊介」


 さつきに連れられて屋敷に顔を出すと、村長はゆっくりと立ち上がった。その顔がほころぶ。


「随分と手荒い歓迎を受けたようだな」


 さつきはそっぽを向いている。後ろめたいときの仕草。自業自得だよ、と、ぶつぶついっているが、やりすぎたとは思っているらしい。

 それを横目に見ながら、俊介は頭を下げた。


「村を勝手に飛び出し、ご迷惑をおかけしました」

「よい」


 村長は首をふった。それから俊介の目を見据えた。口を開いたのは、しばらく経ってからだった。


「………よく、帰ってきた。ここはお前の村だ。ゆっくり休め」


 それだけをいった。何も聞かなかった。目を見ただけで、俊介の十年を察したようでもあった………。




「村長は今も村の守りに立たれるのか?」


 さつきと連れ立って歩きながら、俊介は尋ねた。


「今はもう。というか、領主が変わって、領内の盗賊団は一掃された感じだよ。村長が無理して戦に出る必要もなくなった」

「そうか」


 俊介は安堵した。

 かりそめの平和でも、村が、さつきや村長が、戦のない暮らしを送ることができる。それは何より喜ばしいことだった。


「ちなみに」


 さつきは、にんまりと笑った。いつの間にか、機嫌は直ったらしい。


「ちなみに、俊が村を出てから、村に襲撃はもうないんだよ」

「そうなのか? 今の領主になったのは、二、三年くらい前と思っていたが」


 領主が変わったのは、旅の中で聞いていた。よくある領土争いで敗れたらしい。


「この辺りで噂になったんだよ。あの村は、大盗賊団を壊滅させたって。それで、盗賊もこの村は避けるようになって」

「そうだったのか」

「そうだよ」


 さつきは、俊介の目をじっと見つめた。


そうと俊のおかげなんだよ。今、村が平和なのは」


 そうなのか。

 俊介は、周りを見渡した。やはり、田畑が十年前より広がっている。稲もほかの作物も順調に育っているようだった。戦の跡は全く見られない。

 平和そのものの光景。

 自分は、役に立てたのか。

 友を死なせた。罪を忘れることは決してない。それでも、救われた思いがした。


「みんな、蒼と俊に感謝してるんだよ」


 さつきが俊介の手を握った。


「だから、胸を張って」




 ひとつの小さな墓石の前に、俊介は立っていた。


「ここだよ」


 隣でさつきがいう。手は握ったままだ。

 ここに立てるようになるのに、十年かかった。

 幼馴染。親友。生命の恩人。そして自分が死なせた男の墓。

 真新しい花が供えられている。


「この花は、さつきが?」

「うん」


 さつきは頷いた。


「私だけじゃないよ。村のみんなも時々供えてくれる」

「そうか」


 蒼は喜んでいるだろう。にぎやかなのが好きな奴だったから。

 俊介も、途中摘み取ってきた一輪の花を供えた。


「すまなかったな、蒼」


 それ以上、言葉が出ない。

 十年も放っておいたことを、謝ったつもりだった。

 死なせたことは、どんな謝罪の言葉も口にするには重すぎた。それに、謝罪は、蒼を怒らせるだけであろう。

 ホント、俊は馬鹿だねえ。友をかばうのは当たり前じゃないか。そういって笑うような男なのだ。

 それでも、自分が功にはやり、猪突しなければ、そうする必要もなかった。

 どう償えばいいか、まだわからない。

 とにかく、蒼に救われた生命であることを思い、罪を胸に刻み、生きていく。

 そう心に誓った。


「さつき」

「何?」

「お前、まだ独りなのか?」

「………このバカ俊は、なんて聞き方するかな」


 にらまれてしまった。

 が、とりあえずは独り身らしい。


「独りなら」


 俊介はさつきに向き直った。


「さつき。俺の嫁に来ないか」


 さつきの目が大きく見開いた。


「ずっと、お前が好きだった」


 俊介はいう。


「この十年、ずっと忘れようと思ったが、忘れられなかった。さつきへの想いが色あせることもなかった。しかし」


 目を、俊介は伏せた。


「お前を好きになる資格がない、とも思った。やはり、さつきが好きだったのは蒼では、とも思った。それでも………」

「バカ俊」


 さつきの無慈悲な声に、俊介の言葉は遮られる。


「………蒼は、気づいてたと思うんだけどな。………やっぱり俊は、俊かあ」


 思いっきりため息をつかれてしまった。

 それから。


「俊」


 さつきは、正面から蒼一郎を見つめた。


「私は、ずっと俊が好きだったよ。小さい頃から、ずっと」

「………そうなのか?」


 本当に、そうだったのか。俊介は、肩の力が抜ける思いがした。


「そうだよ、バカ」


 と、そっぽを向くさつきの顔が赤い。


「そうなのか」


 徐々に、喜びも込み上げてくる。それを抑え、俊介は表情を引き締めなおした。


「ならば、さつき」

「条件がある」


 また、さつきが俊介の言葉を遮った。


「何だ?」


 俊介はいう。何だってやってやろう、と思う。


「蒼の墓参りに一緒に行くこと」


 と、さつきはいう。

 いうまでもないことだった。むしろ、俊介の罪をともに背負っていく、といってくれているのだ。さつきの優しさが、心に温かくにじむ。

 俊介は頷いた。


「毎日でも行くさ」

「もうひとつ」


 さつきが、真剣な眼差しでいう。


「春は、三人で過ごすこと。あの桜の木の下で」


 あの桜。いうまでもない。常緑樹の森の中の、一本の桜。

 三人の約束の場所。

 十年間、忘れられなかった約束。自分が踏みにじってきた誓い。

 もう、間違えない。胸に刻む。大切な場所。大切な約束。

 俊介は、さつきを見つめながら、答えた。


「今度こそ、約束する。春は、あの桜の木の下で、三人で過ごそう」


 必ず、三人で。蒼一郎は死んでしまったが、きっと、傍で見守ってくれているはずだった。


「なら、しょうがないなあ」


 さつきは相好を崩した。


「俊のお嫁さんになってあげるよ」


 満面の笑み。俊介も蒼一郎も大好きな、さつきの笑顔だった。

 俊介はそれをまぶしげに見やりながら、いった。


「伝えておくことがある」

「何?」

「幸せになってくれ、と」

「え?」


 首をかしげるさつきに、俊介は伝えた。


「蒼の最期の言葉だ」


 さつきは息をのんだ。


「あいつは、最期まで、さつきのことを気遣っていた。俺には、さつきを頼む、と」

「………蒼も、馬鹿だね」


 さつきの目が潤む。


「最後の最後まで、人のことばかり。自分のことは後回しで」

「さつき。お前は俺が命にかえて守る。だから、蒼に誓え。幸せになる、と」

「バカ俊」


 真っ赤な目でさつきがにらむ。


「違うでしょ。また蒼に怒られるよ」

「………ああ、そうか。そうだな」


 俊介は頷いた。


「うん」


 さつきは頬笑んだ。涙が頬を伝う。

 俊介とさつきは、手をつないで蒼一郎の墓の前に並んだ。


「蒼、誓うよ。俺は、さつきとともに幸せになる」

「蒼、心配いらないよ。このバカには随分待たされたけど」


 さつきはちらりと見た。俊介は苦笑した。


「私はもう幸せだよ。俊と一緒になれたから。そして、これからもずっと」


 さつきは俊介の手を強く握った。

 俊介も握り返した。


「だから、蒼。私達を見守ってね」


 夕闇が濃くなる中、二つの人影は、ずっと墓石の前を動かなかった。


ありがとうございます。

ひとまず完結です。第2部も執筆中ですので、またよろしくお願いいたします。

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