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「なぜ、あんた達がここに?」


 俊介しゅんすけは、静まり返った夜気の中に立ち尽くした。

 視線の先に、夕維ゆいひめ十兵衛じゅうべえがいた。


「俊さんがわかりやすいんだよ」


 十兵衛の言葉に、俊介はわずかに眉をひそめた。


「とはいえ、気づいたのは俺と夕維姫だけだ」


 十兵衛はいう。


「俊さんの騎馬隊の連中は何も知らないさ」


 俊介はため息をついた。安堵しつつ、やはり懸念が顔に出たらしい。


「で」


 十兵衛の表情が険しくなった。正面から俊介を見据えた。


「出ていく気か、俊さん」

「ああ」

「なんで黙って行こうとするんだよ。水くせえじゃねえか」

「すまん」


 俊介の答えは短い。

 ふらりと立ち寄った国だ。ふらりといなくなるほうがいい。そう俊介は思った。

 しかし、十兵衛は本気で怒っている。

 その隣で、夕維姫はずっと沈黙を守っている。ただ、悲しそうな目を俊介に向けている。


「すまん」


 俊介はもう一度謝った。

 そんな二人の顔を見たくなかったから、出ると告げられなかったのだ。

 十兵衛は首を振った。


「もういいよ。それよりさ。残ってくれよ、俊さん。寂しいじゃねえか」

「夕維もです」


 夕維姫は、ずがるような目を俊介に向けた。


「これは夕維のわがままです。でも、それでも、俊さまには残ってほしいです。これからも、ずっと………」

「夕維姫、十兵衛」


 俊介は、穏やかに目を細めた。二人の気持ちが、ありがたい。


「すまない」


 だから、ただ謝るしかない。


「俊さま」


 夕維姫が口を開いた。


「郷里に帰るのですか?」

「ああ」


 俊介は頷いた。


「やるべきことができた。いや、思い出したのだ」


 俊介は、夜空を仰ぎ見た。十六夜の月が辺りを照らしている。

 そういえば、村を出た夜、月は出ていただろうか。あのとき、夜空を見る余裕すらなかったことに、今更ながら気づく。


「………俺には、二人の幼馴染がいた」


 俊介は口を開いた。


「いつも一緒だった。春には、三人で一本の桜を見に行った」


 村外れの山中にたたずむ一本の桜。常緑樹の海の中に浮かぶ、淡い紅色。毎年、必ず三人で見に行こうと約束していた。ずっと顧みることもなかった記憶だった。それでも、鮮明に思い出せる。


「しかし、俺がすべて台無しにした。俺の浅はかさのために幼馴染の一人を死なせ、もう一人の心を深く傷つけた」


 語れば、やはり心が苛まれる。生涯残る傷であろう。しかし、痛みを感じながらも、今は落ち着いていられる。思い出すだけで気が狂いそうになったあの頃が嘘のようだ。


「俺は、逃げ出したのだ。己の罪と向き合う勇気がなかった」


 蒼一郎の透明な笑顔が思い浮かぶ。さつきの悲痛に満ちた顔も。


「しかし、今、その勇気が持てるようになったのは、夕維姫、十兵衛、あんた達のおかげだ」


 心の底から、俊介はそう思う。

 何の縁もない俺を温かく迎えてくれた。仲間の温かさを思い出させてくれた。心を癒してくれた。

 気が付けば、昔のように笑えるようになった。

 さつきに会い、蒼一郎を弔う。そう思えるようになった。

 やっと、罪が償える。


「感謝してもしきれるものではない」


 そういって俊介は穏やかに笑った。


「そんな」


 夕維姫は声を上げた。


「感謝しているのは、夕維達のほうです。俊さまは、数えきれないくらい助けてくれて、返しきれないくらいの大きな恩があって」


 必死な眼差しを、夕維姫は俊介にぶつける。


「でも。でも、夕維が俊さまに残ってほしいっていうのは、そういうことじゃなくて。大好きだから」


 想いをぶつけてくる。


「俊さまが、大好きだから。夕維は、俊さまが大好きになってしまったから。ずっと、ずっと、そばにいてほしいから」


 夕維姫は、俊介の胸にすがった。


「ありがとう」


 俊介は、夕維姫の髪を優しくなでた。


「夕維姫の気持ちは、本当にありがたい。これほど嬉しいことはない」


 俊介はいう。


「夕維姫は、俺にとってかけがえのない友だ」


 夕維姫は顔を上げた。目が大きく見開かれている。俊介は柔らかな笑みを浮かべて夕維姫を見返した。

 俊介の柔らかな拒絶を悟ったのだろう。夕維姫の瞳から大粒の涙がこぼれた。


「夕維姫。どうか泣かないでくれ。あなたが泣くと、俺もつらい」


 俊介の物言いは、どこまでも優しい。


「あなたと過ごす一時は、いつも温かな気持ちにさせてくれた。俺は、やることがあるから、誰かに仕えることはできないが」


 俊介はいう。


「ただ一人。柏原俊介が忠誠を捧げたいと思うのは、夕維姫、あなただけだ」

「俊さま………」


 それきり、夕維姫は言葉が続かない。涙がとめどなく流れ、顔を俊介の胸にうずめた。嗚咽がもれる。

 俊介は、ただ黙って夕維姫の髪をなで続けた。

 そんな二人を、十兵衛は静かに見守っている。その顔からは何の感情も読み取れない。

 やがて、俊介は視線を転じた。


「すまんな、十兵衛」

「もう、いいさ」


 十兵衛は答えた。

 ふと、俊介は気になった。十兵衛は夕維姫に対し、単なる忠誠や敬愛以上の気持ちを抱いているように思っていた。十兵衛は、夕維姫に想いを伝えないのか。その夕維姫が俊介に想いをぶつけるのをどう思ったのか。

 視線を向け続ける俊介に、十兵衛は笑みを返した。

 いつもの、人を喰ったような笑み。それで俊介は追及する気をなくした。いずれにせよ、他人が口をはさむことではないし、俊介にはその資格もない。

 それに。

 夕維姫と十兵衛は、既に固い絆で結ばれている。二人がどんな形になろうと、それは変わるはずがなかった。

 俊介は口を開いた。


「十兵衛にも随分世話になったな」

「そりゃこっちの台詞だ。俊さんには本当に世話になりっぱなしだよ」

「確かに、いろいろ振り回されもしたがな」


 苦笑した俊介に、十兵衛はにやりと笑った。


「でも、楽しかっただろ?」

「まあな」


 俊介は笑うしかない。


「なあ、俊さん」


 十兵衛はいう。


「あんたが何と思おうと、あんたは俺の友だ。だから、いつかまた飲もうぜ」

「おい、十兵衛」


 俊介は表情を改めた。


「お前は、俺の友だ」


 正面から、俊介は十兵衛を見据えた。


「俺が戦場で背中を預けていいと思うのは、この世でお前だけだ」

「俊さん」


 十兵衛は、相好を崩した。


「嬉しいことをいってくれるぜ。その言葉、俺の生涯の誇りになる」

「大げさだ」


 俊介は苦笑し、胸にすがったまま動かない夕維姫を見た。


「さあ、夕維姫、顔を上げてくれ。そして」


 俊介は優しい眼差しを向けた。


「そして、できれば笑顔を見せてほしい。俺は、夕維姫の笑顔が大好きだから」


 俊介の言葉に、夕維姫はゆっくりと顔を向けた。


「やっぱり」


 夕維姫はいう。


「やっぱり、俊さまはずるいです」


 そういって、夕維姫は笑った。

 夕維姫の柔らかな笑顔に、俊介も笑った。やはり夕維姫には笑顔が一番よく似合う。そう思った。


「夕維姫、十兵衛」


 俊介は、二人の顔を見回した。


「あなた達は、俺の大切な友だ。たとえ郷里に帰っても、あなた達が危急のときは、必ず駆けつける。何をおいても。約束する」

「俊さま………」


 夕維姫の言葉がつまる。微笑んだ瞳から、涙がこぼれた。


「ありがとうございます。俊さま」


 夕維姫はいう。


「俊さまも、何か困ったことがあれば、きっと、夕維達を頼ってください」

「夕維姫のいうとおりだ。俊さんのためなら、なんだってやるぜ」

「ありがとう」


 俊介はいった。二人の気持ちが、胸にしみた。


「けどよ」


 十兵衛は笑った。


「できれば、こうやって笑えるような雰囲気で再会しようぜ」

「本当に。本当にそうですね」


 夕維姫も笑い、俊介も笑った。


「ああ。そうだな。また、笑って会おう」


 俊介は笑い、二人と視線を交わしながら、思った。

 夕維姫と十兵衛とは、遠からずまた会う。なぜだかそう思えた。

 それが、平穏な再会であらんことを。

 俊介は心からそう願った。


ありがとうございます。

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