11
崎枝夕維が会談場所に指定したのは、黒井軍本隊と崎枝軍本隊のちょうど中間に位置する場所だった。
景隆は、供廻りの武者五人を従え、馬を進めた。お互いに供は五名までというのが夕維姫の指定だった。
見通しのよい原野である。
埋伏の兵などいないことは一目瞭然だった。前方に並ぶ四本の大傘も遠くからもよく見えた。一番左端の傘の下に五人の武者が並び、その隣の傘には、一人の武者が床几に腰かけている。
景隆が近付くと、一人腰かけていた武者が立ち上がった。いや、武者装束の娘である。これが夕維姫なのだろう。軽く手をかかげ、右側の傘を指し示している
こちらのために用意してくれた傘らしい。日差しがきつい季節である。傘は正直ありがたかった。
夕維姫の細やかな心配りが見て取れた。見晴らしのよい原野も、伏兵の疑いなど、こちらに無用の疑念を持たせない配慮であろう。
武者装束の姫君は、穏やかに頭を下げた。
「崎枝夕維です」
優しく深い色の瞳が、真っ直ぐに景隆をみつめてくる。
面影に幼さを残す少女。しかし、敵将を前にして、たじろくこともなく、気負うこともない。老練の士を前にしているような錯覚を景隆は覚えた。
「黒井景隆です」
景隆は丁寧に頭を下げた。
大国の国主たる景隆の地位を考えれば、崎枝夕維を格下に扱ってもいいはずであったが、景隆は少女に敬意を払った。
「どうぞ、おかけください」
夕維姫の言葉に従い、景隆は床几に腰を下ろした。
夕維姫の物腰はどこまでも柔らかい。武骨な戦装束をまとってなお身に纏う雰囲気は優しい。
しかし、景隆は気付いていた。
夕維姫の供は、二間ほど後方の傘の下に控えていた。景隆もそれは同じだが、同じ条件に見えて実はまるで違う。戦う術を持たない女性の身でありながら一人で、夕維姫は景隆に帯刀を許し、刀の届く距離に腰かけている。
いわば夕維姫は、生命を敵将に預けながら緊張の色も見せず、穏やかな表情を崩さない。
並の胆力ではない。
無論これは、景隆を信頼した会談であるとの夕維姫の意思を、無言のうちに示したものであろう。
景隆は夕維姫を見た。
夕維姫はまっすぐに見返し、軽く微笑んだ。
この姫君は神輿などではない。ただ名乗りあっただけだが、景隆はそう確信した。
夕維姫は、遠からず国主の地位を実力で取り戻すに違いない。いや、既にしてこの国の豪族達は糾合しつつある。浦崎城を奪い返しさえすれば、名実ともに国主であろう。
景隆は穏やかな視線を夕維姫に返した。
「夕維姫は、おいくつになりますか」
「十七になります」
「そうですか。………この景隆の初陣がちょうど十七であったが」
景隆は目を細めた。
「夕維姫は、既に戦の采配をふるっておられる。その若さで、感服するほかない」
「景隆公を苦しめたのは、安井村重殿と柏原俊介殿お二人の手柄です」
「柏原俊介殿か。それが彼の名ですか」
景隆は、夕維姫の肩越しに視線を送った。
背後に控えている崎枝家の将兵。その一人、小柄な部将の顔に見覚えがあった。あの騎馬隊の指揮官に間違いない。
「確かに両将とも目を見張る戦ぶりでした。あれほどの武士ならば、我が黒井家に招きたい人材です」
しかし、柏原俊介という名は、崎枝家の部将として聞き覚えはなかった。用兵、武勇にあれほど秀でていて評判にならないはずはないのだが。
「とはいえ」
景隆は視線を夕維姫に戻した。
「もう一度やれば、勝てた。無意味な仮定だが」
負け惜しみではない。あの騎馬隊もわずか五十騎。来ると分かれば対処のしようはある。
「そうかもしれません。黒井軍の精鋭であれば」
夕維姫の言葉も、皮肉ではないらしい。あの騎馬隊は、奇襲でこそ生きると分かっているのだろう。
やはり夕維姫は、戦の勘所も優れている。
あの華々しい戦働きを見れば、凡庸な武将であれば、あの騎馬隊を使う誘惑に耐えきれないだろう。が、夕維姫はその華々しさに惑わされてはいない。使いどころをしっかりと見極め、最大の一手を放ってきた。
もう一度、が無意味な仮定というのは、景隆の本心である。まともにあの騎馬隊をぶつけるような愚かな真似は、夕維姫はやらないだろう。
「やはり、完敗だ」
景隆は笑った。
「夕維姫の軍略は、この景隆の軍略を完全に上回った。見事な手腕だ」
「買いかぶりです」
夕維姫は静かに首を振った。
「私には、頼りになる家臣がいますから」
へりくだっているようでもない。夕維姫は、本心を話しているように見えた。
どこか不思議なところがある姫君らしい。
不思議といえば、景隆の今の心境も不思議と澄んでいる。昨夜感じたような絶望的な敗北感はない。この姫君を前にすると、今ひとつ敵愾心を持つことができないようであった。
「ひとつ、聞きたいことがある」
「なんでしょう」
夕維姫は小首を傾げた。
「なぜ、夕維姫は、自ら危険な戦場に立たれた?」
夕維姫は、幾度かまばたきをした。指先を頬に当て、しばらく考えている。こういう仕草は、まだ少女なのだと思わせた。
「何となく、です」
「何となくで、国中の兵まで集められたか」
「いいえ」
夕維姫は首を振った。
「夕維は、兵糧と武具の提供はお願いしましたが、援軍は求めませんでした。兵は、国の豪族が、安井村重殿のために、自らの意思で率いて来てくれたものです」
景隆は言葉を失った。
呼び掛けずとも、夕維姫が陣頭に立つだけで、豪族達が集まったというのか。崎枝家の信望を見誤っていたことを景隆は悟った。
崎枝家の先君から、豪族達の心は離れつつある。それが泉田道寛からの情報だった。うのみにしたつもりはない。しかし、崎枝の先君が、暗愚ではないにしろ、軍略と調略に暗いのは事実だった。その先入観が、泉田道寛を信じすぎることになったのかもしれない。
敗れたのは当然だと、景隆は思った。
しかし。
では夕維姫は、現有兵力の一千のみで黒井軍とぶつかろうとしたのか。黒井軍は総勢五千である。理解しがたいことだった。
「兵を集めようとは思われなかったのか」
「夕維には、その資格はありません。国主でもないのに」
予想外の答えが返ってきた。
景隆は、夕維姫の意思を測りかねた。夕維姫は、自らの国主の資格を疑っているのか。国主の座を取り戻したくて、この景隆と戦ったのではないのか。
「ではなぜ、夕維姫は、安井村重を救うため、出陣なされた。国主の座をこの景隆と争うためではないのか」
「同じ国の同胞を助けるのに理由はありません。それに村重殿は、亡き父をよく助けてくれました。その恩もありました」
「では、泉田道寛と戦ったのは?」
「勿論、父の仇を討つためです」
他の者がいえば、綺麗ごとと笑ったであろう。しかし、夕維姫の目は、嘘をいっているようには見えなかった。
「国主の地位を望んでのことではないと?」
「そうですね」
夕維姫は小首をかしげた。
「民草が穏やかに暮らせるなら、崎枝が国主である必要はないと思います」
景隆は驚くしかなかった。夕維姫は、おそらく、本心を語っている。
道寛戦の後。夕維姫の静観が、景隆には不気味だった。しかし、夕維姫はただ見守っていただけだったのだ。自らを頼る豪族は庇護し、危機に陥った豪族を助ける。
そこに野心はない。
そんな人物だからこそ、豪族達は、自らはせ参じたに違いない。
ただ一つ。夕維姫は、自らの人望の大きさを知らない。
豪族達を力づくで従わせ、国主にのしあがる者は多い。しかし、国中から望まれ、国主に推される者は稀有であった。
夕維姫は、本人が望むと望まざるとにかかわらず、遠からず国主の座に就くこととなる。
景隆は戦慄した。崎枝家の先君とは比較にはならない。隣国に、強力すぎる国主が生まれようとしている。
この姫君は、ここで殺すべきではないのか。
半ば無意識に景隆の手が刀の柄にのびかける。
そのとき。
強烈な殺気が景隆に浴びせかけられた。
夕維姫の背後に控える部将の二人。小柄な柏原俊介と長身の武士が、鋭く景隆を睨みつけている。景隆の殺気に気付いている。殺意を隠そうともしない。柏原俊介の剣腕は間近で思い知らされたが、長身の武士もかなりの手練れらしい。部将の一人であろうが、あれが当麻十兵衛なのかもしれない。
冷静さを景隆は取り戻していた。
景隆が刀を抜けば、夕維姫は斬れる。しかし、その直後には景隆も二人に斬られるだろう。
いや。生き延びたとしても、無防備な姫君を騙し討ちにしては、黒井家の権威は地に堕ちる。一度失った信義も取り戻せない。黒井家は、天下への道を失いかねない。代償は、あまりに大きすぎる。
「どうかされましたか?」
夕維姫が小首をかしげている。
「いや。そろそろ、夕維姫のお話をうかがってもよろしいか」
「はい」
夕維姫の瞳が、まっすぐに景隆を見つめた。
「崎枝家と黒井家、友になれませんか?」
「何?」
思いもしなかった言葉に、景隆は戸惑いを隠せない。
「どういうことであろうか」
「はい」
夕維姫は微笑んだ。
「景隆公は、この国の謀反人を討ち、公正と信義を天下に示してくださいましたから。崎枝家は、景隆公への感謝と尊敬の念をこめて、友誼を深めたいのです」
と、夕維姫はいう。そして、今後の友誼の証として、崎枝家と黒井家は盟約を結び、ともに民草の平穏を守ろう、と。
そうきたか。景隆は目を細めた。夕維姫は、景隆が撤退する名分を語っている。
さらに夕維姫は、国内の諸豪族を説き、盟約への参加を呼び掛けることを約束した。
「天下の黒井家と盟約できるのです。皆、喜びましょう」
夕維姫は穏やかに笑った。
確かに、悪くない。
このままでは、両軍が待つのは消耗戦である。黒井軍は浦崎城を抑えているとはいえ、ここは敵地。地の利は崎枝軍にあり、人心も崎枝軍に集まっている。長引けば、黒井軍は不利になるばかりであろう。
隣国を乱す謀反人を討ち、その国との盟約を得られれば、今回の侵攻の名分が立つ。軍事的にも、盟約によって後方の憂いを払しょくできる。
崎枝家から講和を請われた、といえるのも大きい。天下における黒井軍敗戦の印象も、それでかなり薄められる。
夕維姫は、そこまで読んでいる。
「分かり申した」
景隆はいった。
「夕維姫の申し出。ありがたくお受けいたす」
受けるしかない。
恐ろしい娘がいたものだ。夕維姫は、ただの一戦で黒井軍を全面撤退に追い込もうとしている。軍略でも調略でも、初陣以来ここまで完膚無きまでに敗れたことは景隆にはない。
「無論、浦崎城もお返ししよう」
敗北を、景隆は受け入れた。
いっそ、清々しい。領地は得られなかったが、頼もしい盟友を得たことを思えば、領地以上の収穫といっていい。
夕維姫は、目を見張った。
驚きを隠せない。ひとたび奪った城を無血で返すという屈辱を、即断。あまりに大胆すぎた。
この決断は黒井景隆の英明さを示すものであるが、黒井家の家中からの反発は避けられない。臆病者との汚名を甘受する覚悟がなければ、できるものではない。
その苦衷を、景隆は露ほども見せない。
「ありがとうございます」
夕維姫は、深々と頭を下げた。
「難しい決断をしてくださったこと、感謝いたします」
頭を下げるしかない夕維姫に、景隆は、穏やかに頷いた。
この瞬間、崎枝家と黒井家の盟約は成ったといっていい。
盟約の内容は、ただ一文。
「黒井と崎枝は、友として共に在る」
それだけだった。
書面も交わさない。
ありうべきことではなかったが、夕維姫の今の微妙な立場が、書面の交付を難しくしたためである。しかし、戦国の世にあって、書面で交わす盟約がいかに頼りないものであるか。それを知り尽くす二人は、拘らなかった。
それでも、崎枝夕維と黒井景隆が健在である限り、盟約が保たれるであろうことを、二人は疑わなかった。
稀有であり異例でもある盟約は、こうして成った。
それは、夕維姫の高度な戦略眼と深い洞察の産物といっていい。事実、泉田道寛戦から黒井景隆戦を通じて、夕維姫は隋所で証明してきた。殊に戦の読みは、開戦から終戦まで、夕維姫は景隆のそれを常に上回った。景隆は、天下さえも噂される歴戦の強者であり、夕維姫は、この戦で武将としての名声を確立した。
ところが。
そんな夕維姫が、ただ一点、読み誤った。
夕維姫には、浦崎城に入城する気はなかった。国の豪族達の合議で新たな国主を決めてもらい、夕維姫は、黒井家との盟約を置き土産に、当麻の城に戻る。それで万事丸く収まるはずだった。
夕維姫の誤算は、国の豪族達が一致して推した国主が夕維姫自身だったことである。
夕維姫にしてみれば、崎枝家は国主から追い落とされたのであり、その資格は既に失ったはずだった。
しかし、そう考えていたのは、国内外を問わず、夕維姫唯一人といっていい。
夕維姫の父が力で奪われた国主の座。それを夕維姫は、自らの力量を見せつけることで国の豪族達に再び認めさせたのだが、夕維姫だけがそれを知らなかった。黒井景隆をうならせた夕維姫の洞察も、自らのこととなると途端に鋭利さを失うものらしい。
ありがとうございます。




