【中編】
「あれ……? おかしいな」
過去へと戻った八才の日。
エリスは前世でクロードに助けてもらったあの裏通りへと急いだが、いくら待っても彼の姿はなかった。
路地を散歩する猫が一匹横切るばかりで、汗だくで駆け込んできたはずの初恋の人は現れない。
(おかしいな……あ、そうか! 迷子になった私の叫び声を聞きつけて助けに来てくれたのかも!)
エリスは納得し、諦めて自分で家に帰ることにした。
大通りへと抜け出そうとして一旦止まり、左右を確認したその時、すぐ脇を激しい音を立てて暴走した一両の馬車が駆け抜けていった。
「うわぁっ! 危ない馬車……王都って、たまに物騒なこともあるのよね。やっぱり前のクロード様に言われていた通り、気をつけなくっちゃ」
エリスは言いつけ通り、きちんと周囲を確認して歩き出した。
◇
「クロード様……?」
後日、父にお願いしてクロードの屋敷を訪れたエリスは、固まってしまった。
出迎えてくれた二十二才のクロードは、過去の記憶の通り息をのむほど美しかったが――エリスに向けられた瞳には、冷ややかな関心のなさだけが宿っていたからだ。
「……お初にお目にかかります、エリス嬢。お父上のお連れですか」
(うそ……目線を合わせて優しく笑ってくれたあのクロード様は!? 私のこと、ただの『部下の娘』としか思ってないの……!?)
ショックを受けつつも、エリスは諦めなかった。すれ違いの挨拶だけで立ち去ろうとする彼の背中に向かって、元気よく叫ぶ。
「クロード様! 私と勝負してください!」
「……は?」
呆れたように振り返るクロードの前で、エリスは屋敷の庭にあった木剣を勢いよく構えた。
クロードは溜息をつき、「怪我をされては困る」と一本の木剣を手に取ると、一切の隙がない構えをとる。
「では、手短に――」
エリスは足を踏み鳴らし、一気に間合いを詰めた。
打ち鳴らされる木剣の乾いた音。
その瞬間、クロードの目の色が一変した。
(――なっ!?)
エリスの右足の踏み込み、肩の力を抜くタイミング、剣を振るった後の残心の取り方。
それはただの流派の一致ではない。クロード自身が数多の実戦の中で身につけた、『彼個人特有の体の癖』そのものだったのだ。
激しい打ち合いの末、クロードはエリスの木剣を弾き飛ばすと、息を荒げて詰めてきた。
「……お前、その動き……なぜ俺の癖まで完璧に知っている!?」
「それは……っ、クロード様のこと、ずっと好きで見つめていたからです!」
「……好きで完全に模倣などできるレベルじゃないだろう!」
頭を抱えそうになるのを堪え、クロードは恐ろしいほど鋭い眼光でエリスを射抜いた。
「答えろ……これで何度目だ?」
(え……?)
驚くエリスに、クロードは苦い顔で告げた。
「俺に前回の記憶はない。だが……家に伝わる時を巻き戻す『術』の存在は知っている。……お前、『未来』から戻ってきたな?」
◇期限付きの再婚約と、二人だけの共闘◇
「……なるほど。前回の俺は戦死し、お前は俺を救うために過去へ戻ってきた、か。『未来』の俺は相当な無茶をしたらしい」
立ち会いの後、人払いをしたクロードは、エリスの言葉に深く頷いた。
記憶はないものの、自身の剣技を完コピしている八才の少女という動かぬ証拠がある。二人は歴史を変えるための共闘関係を結ぶこととなった。
「よし、手っ取り早くお前を俺の庇護下に置く。婚約しよう」
「えっ!? 婚約!?」
「共闘するからには何度も会う必要がある。婚約者という立場は、お互いに便利だろう」
◇◇
「寄ってくる女避けに丁度いいので。お父上、エリス嬢を契約婚約させて下さい」
その日のうちにクロードから正式に婚約の打診をされた
父は当然、「八才の娘になんたる暴論!」と不審がったが、クロードが社交界の執拗な令嬢たちに困り果てているのを知っていたため、条件付きで承諾した。
『エリスが嫌だと言った時、あるいは十五才になるまで』
こうして、前回よりもずいぶんと早く『契約婚約』が成立したのだった。
(記憶がなくても関係ありません! 今回こそ絶対に、私を本気で好きにさせてみせますからね!)
前回の切ない記憶を吹き飛ばすように、エリスは元気いっぱいにクロードへアタックを開始したのだった。
◇◇
それから七年の月日が流れた、十五才の誕生日。
「エリス、おめでとう。それと……約束通り、今日で婚約を解消しよう」
成果を上げつつある共闘の合間、真面目な顔で書類を取り出したクロードに、エリスは開口一番叫んだ。
「嫌です!!!」
「なっ……嫌と言われても、お父上との約束だ。君の青春を縛るわけには――」
「絶対に嫌です! 私、形だけの女避けから本気の奥さんになるって心に決めてるんですから! それに、婚約を解消したらクロード様のお屋敷に堂々と通えなくなっちゃうじゃないですか!」
詰め寄るエリスの熱意に押され、クロードはたじたじになりながらも苦笑いを浮かべた。
「だが、約束は約束だ……」
「じゃあ、延長です! 成人の十八才まで延長! パパには私から言っておきますから!」
「おい、エリス……っ」
結局、エリスの勢いに押し切られる形で契約婚約はそのまま継続されることになったのだった。
◇クーデター潰しと、エリスしか知らない鍵◇
「……おかしい。なぜだ」
成長したエリスとクロードは、数年かけてクーデターの阻止に動いていた。
クロードの手腕により、王都の過激派や反乱分子は次々と摘発されていく。しかし、クロードの顔には焦りが浮かんでいた。
「表面上の反乱分子をいくら叩いても、根本的な『芽』が残っている気がする。このままでは別の形、別のルートでクーデターが誘発される……!」
軍事のプロであるクロードの勘は正しかった。
前回の歴史で表立っていた宰相や過激派は、実は誰かに操られていた『踊らされていた駒』に過ぎなかったのだ。
その時、エリスが前世の記憶をひっくり返しながら首をかしげた。
「うーん……私、前回の避難所でヒマだったから、パパの古い日誌とか小市民の人たちの愚痴をいっぱい読んでたんだけど……」
「何か気になることでもあったのか?」
「うん。飢饉で苦しんでいたはずの東の村に、なぜか特定の下級貴族……慈善家で有名だったロレンス男爵が、大量の『小麦』と一緒に『用途不明の重い箱』を運び込んでたって書いてあったの。あの人、すごく気弱で良い人って評判だったのに」
「……ロレンス男爵……?」
クロードの瞳が、ハッと見開かれた。
「そうか……!ロレンス男爵……! あいつは『救済の聖者』として有名で、俺も完全に盲点だった……! あいつは表ではいい顔をして民の支持を集めながら、裏で飢えた民に武器を配り、宰相の横暴を煽ってクーデターを裏から爆破させようとしていたのか……! 」
クロードの権力と軍事力、そしてエリスが前回の避難生活で何気なく拾い集めていた『街の小さな違和感』。
二人の情報が完璧に合致した瞬間、ジグソーパズルの最後のピースが嵌まった。
真の首謀者とその物流網は裏から完全に解体され、横暴だった宰相は更迭、飢餓に苦しんでいた民には正式な国からの支援が行き届いた。
クーデターの芽は、跡形もなく摘み取られたのだ。




