一章・五話
「せんせー、見て見て。これ、本物の狐の毛皮だって!」
「あのビーズの腕輪、見ました!? まるで虹をまとめて腕輪にしたみたいに綺麗ですわ! もう、さっき指輪を買わなかったら、買えましたのに……!」
ヨニたちの元に辿り着いて早々、ヘイノは子供たちに手を引っ張られて、一足先に彼らが見つけたお勧めの品々を次から次へと見せられていた。
ヨニが聞いてきた噂話の通り、目の前で大きな布を広げ、これでもかと様々な服飾品を並べている一団は、他の店と比べてもはるかに規模が大きい。ひょっとしたら、複数の店や職人が協力して、このように大きな店を開くに至ったのかもしれない。
少年たちは毛皮の帽子や上着に目を輝かせており、少女たちは普段は目にしない色鮮やかな布地やハンカチ、レースといった小物に視線を奪われていた。中には、色つきのガラス玉ではあるのだろうが、宝石と見間違いそうになりそうな精巧なアクセサリーもある。
「壊れやすいものもあるでしょうから、触らないようにしてくださいね」
このままでは子供たちの熱意に負けそうだとたじろいでいると、ヨニが率先して年少組を先導し、露店の中でも端の方へと移動させてくれた。
そこには色鮮やかなリボンがたくさん並べられていたが、あいにく子供たちの関心を引くほどの魅力は放っていなかったようだ。
「せんせー、帽子買おうぜ、帽子! あれ、きっとテンでできたやつだよ!」
「帽子なんて、部屋の中に入ったら脱がないといけないではありませんの。わたくしとしては、腕輪とかイヤリングが先生がたには似合うと思いますわ」
ひときわ主張の強いテームとアウリの他にも、各々が自分の見たい商品をヘイノたちの目印として推薦している。あわよくば、自分も買ってもらえるかもという魂胆が透けて見えるのがなんだか微笑ましい。
「ヘイノせんせー、ですわよね?」
くいくいとコートの裾を引いたのは、先ほどからイヤリングやネックレスを見たいと主張してるアウリだ。どこか緊張した様子なのは、また自分が間違えてしまっていないかと恐れているからだろう。
「はい、ヘイノですよ。どうかしましたか?」
答えると、アウリの顔がぱっと喜びに輝く。些細なことではあるが、こんなにも小さな子供に気遣わせているという状況がヘイノの胸にちくりと針で刺したような痛みを走らせた。
(この考えは、司祭としてそうあるべきだと思っているからなんだろうか。それとも……?)
先ほどのニコの一件で、思いがけなく自分の深奥に刻まれた考えに気付いたからだろう。些細なことだというのに、束の間、ヘイノの思考が停止する。
かつてなら、司祭として、あるいはヨニの兄として相応しい振る舞いであるかを逡巡したがためだったが、今はまたそれとは違うようだ。
だが、今にもちりぢりになっていきそうな子供たちを前にして、ぼーっとしているわけにもいかない。軽くかぶりを振って、自分に付き纏う思考の数々を一度端に追いやる。
「わたくしとニコの意見では、先生には色が全く足りませんわ。もちろん、司祭様が着る服が決まっていることは知ってますけれど。でも、そのせいで、余計に見分けがつきにくいと思うのですわ」
「アウリちゃん。私は、そんなにはっきりと言ったつもりはないんだけど……」
アウリの傍らで、少々困った顔をしながらニコが佇んでいる。どうやら、女子二名の間では、先生はもっと華やかであれという意見でまとまったらしい。
一方で、テームたち少年組は、ヘイノたちをよそに、毛皮の帽子や襟巻きを見たいと主張している。
この買い物が終わったなら、露店の品をぶらりと見て回っていこうかと、ヘイノは会話と並行して次の予定を頭の中で組み立て始めた。
「帽子がだめならさー、アナ先生がしてるみたいな大きい飾りを耳にぶらさげたらいいよ。色を変えれば、それで違いになるじゃん」
段々この買い物に飽きてきたのか、テームがヨニの腕にぶら下がりながら言う。男子たちも自分の味方になりそうだと、アウリは目を輝かせたが、それに待ったをかけたのはヨニだった。
「アナさんのイヤリングは飾りじゃなくて、自分が司祭だよって皆に教えるための印だよ。白い石がはまってるの、皆も見たことあるでしょ」
ヨニの言うように、アナは司祭として外に出る日はいつも白い石のはまった大きなイヤリングを耳に下げている。
始祖が女神から賜った、奇跡を起こす石――それは純白の聖石だったという記述に則り、女神に仕え、始祖の教えを説く司祭は白い石のはまった装飾品を身につけることを義務づけられている。
裏を返せば、司祭以外の民間人は真珠や半透明の水晶ならいざ知らず、真っ白の石をはめた装飾品を身につけることはまずない。職業の詐称を疑われてしまうからだ。
「じゃあ、せんせーたちも白いの、つけてるの?」
「俺たちはまだ助祭だから、小さいのだけどね。ほら」
言いつつ、ヨニは防寒用に身につけていた手袋を外す。彼の左手の人差し指には、小さな銀の指輪がはめられていた。空へと羽ばたく鳥を描いた意匠の台座部分には、白い石の雫が揺れている。
「ヘイノのは、ペンダントになったんだっけ?」
「はい。俺のものも、かなり小さいですけどね」
ヘイノがケープマントをずらすと、鎖の先端に同様の意匠の飾りが揺れていた。日の光を浴びて小さく輝くペンダントに繋がるチェーンには、司祭の印である白い石が使われている。
「俺たちが、アナさんと同じぐらいの大きさのものを身につけるのは、流石に悪目立ちするからなあ。髪を結ぶリボンとかが妥当なところじゃないかな?」
ヨニは、自分たちのいる辺りに並べられているリボンの数々を手にとってみせる。子供たちをここに案内したのも、今の考えがあってこそだったのだろう。
「まあ、リボン! せんせーたちは髪も長いですし、良いと思いますわ!」
「えー、ただの紐じゃん。そんなのつまんなーい」
「どうせなら、もっと面白いやつがいいー」
「お前ら、俺たちで遊ぼうとするんじゃないの。年上の者には敬意を持って接するようにって、アナさんがいつも言ってるだろ」
「でも、ヨニせんせーだもの」
「そうそう、特別扱いってやつだよ!」
ヨニの必死の抵抗は、どうやら普段から親しみを持って接していたことが仇となり、却下されたようだ。
かわいらしい戯れではあるのだが、このまま彼らに好きなように振る舞われていてはたまらないと思ったのだろうか。ヨニはえへんと咳払いをすると、
「じゃあ、そんな特別扱いをしてくれる子供たちに問題。このリボンが一メトリ銀貨三枚として、四メトリ買う場合は何枚必要でしょうか! 正解したら、後で近くの屋台で売ってたパイを買ってあげるよ」
好奇心旺盛の子供たちを窘めるには、まずは食べ物で惹きつけるのが一番だと踏んだのだろう。ヨニの突然の問題に、子供たちは目の色を変えて計算をしている。
「ヨニせんせー、ずるい! 俺、まだ指を使った計算しかできないのに!」
「お待ちなさい、テーム。こういうときこそ、ニコですわ。ニコはわたくしたちより、ずっと勉強をいっぱいしてましたもの」
最年長のニコを、頭を寄せ合う子供たちの輪に引きずり込んだのはアウリだった。自分たちで解くのは難しいと判断した瞬間、年齢の差など気にせずに声をかける行動力には、子供ながら目を瞠るものがあった。
子供たちがわいわい計算しているのを見守っているヘイノの腕を、ヨニが軽く叩いて注意を惹きつける。
「ヘイノ、今のうちにどのリボンにするか決めちゃおう」
「そうですね。色の希望は何かありますか? 柄はない方がいいですよね」
「パーティに出るわけじゃないんだから、柄はなくていいよ。無地で明るい色がいいな。俺は明るい色が好きだから、毎日使うならそういう色にしたいね」
ヨニの希望に、ヘイノが否やと言うわけもない。ヘイノ自身、自分の好みを聞かれてもすぐに答えられる自信がなかった。
ヨニに促されて、春の洋服に合わせるために用意されたと思しき、とびきり華やかな色合いのリボンの海に目をやる。ヘイノが何か言うより先に、既にヨニは手近なリボンを手にとっていた。
「これとかどう? こっちのと、デザインがお揃いになっているみたいだよ」
ヨニが見せたのは、片方は草木を思わせる緑の色味のものだ。もう片方は、夕暮れどきの空を思わせる濃いオレンジ色である。どちらも、片側のリボンの先端に、互い違いの色味の石飾りがついている。
緑のリボンの上で煌めくオレンジの石飾りは、草原に咲く一輪の花を思わせた。その対となるオレンジのリボンに光る緑の石飾りは、夕焼け空を落ちる一枚の葉のようである。
「凝ったデザインのリボンですね。ただ髪を縛るのに使うにしては、随分と良い布を使っているような……?」
「多分、これは礼装にもあわせられるような品だと思うよ。ちょっと値段は張るけど、その分丈夫なんじゃないかな?」
よほど気に入ったのか、ヨニは嬉しそうにリボンを指先で何度も撫でていた。
「では、それにしますか?」
ヘイノとしては、断る理由もない。ヨニも一も二もなく頷き、リボンを片手にかけていそいそと店員に声をかけていた。
弟の背中を見守っていたヘイノは、見るともなしに視線を品物たちの上に彷徨わせ、ふとあるものを見つける。それは丁度、ヨニが手にとったオレンジと緑のリボンにあわせたかのような、同色の石がはめこまれた飾りだった。
手に取ってみると、裏は髪留めになっているようだ。女性の髪飾りにしては質素なものだと思っていると、
「それは、髪留めの金具のところにある隙間に、お花とかリボンを通すのですわよ」
コートの裾を引いていたのは、アウリだった。周りにいる少年たちも何やら嬉しそうに口元をほころばせているので、恐らくヨニの問題が解けたのだろう。
「その時の気分に合わせて通すものを変えられると、わたくしのお姉様が話しておりましたわ。先生は、それを買いますの?」
何やらきらきらした瞳を向けられているのは、姉の品物と同じものを身近な先生が買うという非日常と日常の交差に対する興奮からだろうか。
「ヨニがリボンを買っていたので、それにしようと思っていたんですが」
そこまで言って、ヘイノは少し思案する。リボンを髪に結ぶ案は悪くないと思う。だが、今のままでは、ヘイノは完全にただの付き添いで、ヨニの案に頷くだけとなってしまっているようにも感じられた。
(元はヨニが言い出したものなのですから、それでヨニが気を悪くする道理はないとは思いますが……)
その一方で、どのリボンにするかと相談しているヨニの声には、司祭としての責務からは解放されて、兄弟と何気ない日常の一幕を謳歌する喜びに満ちていたように思う。
たとえ子供たちにせっつかれてのことだとしても、ヨニが何かを自ら選んだ姿を見るのは、今のヘイノには初めてのことだった。
なら、彼が更にもう少し喜ぶような何かができてもよいのではないか。彼の喜びに寄り添えるような行動ができたら。
その考えを、ヘイノはごく自然に受け入れていた。
(これも、さっきニコのことを考えたときと同じもの……なのだろうか)
ヨニの兄だからではなく、この数日間共に生活をしていた同僚への些細な贈り物。そんなものがあってもいいのではと思う気持ちは、これまでの義務感とは少し違う気配を帯びているように思えた。
兄として騙し続けなければならないという後ろめたさではなく、もっと肩の力を抜いた心の触れ合いを何と呼んだらいいのか。あいにくヘイノには分からなかったが、それを悪いと思うこともなかった。
手にとった髪留めを落とさないように注意して、店員を探すヘイノに、子供たちの声が届く。
「これで、この前のようにヘイノせんせーとヨニせんせーを間違えることもありませんわね」
「だよなー。外でせんせーたちを紹介するとき、間違えてたってバレたら、親父たちにぜってー怒られるし」
子供たちの素直な感想に、ヘイノはこれまでよりもはっきりと、そして今までとは違う形の申し訳なさを覚えていた。
自分がヨニと間違われるのが嫌だ、という気持ちは依然としてヘイノの中にある。
だが、それ以上に。
接している子供たちにも、間違いを犯したという一抹のばつの悪さをこれまで抱えさせ続けてきてしまったのだと、ここに至り、ようやくヘイノは強く自覚したのだった。
それは、司祭としても、そして今のヘイノ自身の気持ちとしても、このままにしておいていい、と思えるものではなかった。
「じゃあ、俺はこれを買ってきますね。ヨニのリボンとあわせて、皆が間違えないような目印を作って見せますから」
「早く用事を済ませて、約束のパイを食べに行こうよ! 俺たち、ちゃんとヨニせんせーの問題解いたんだから!」
ニコに手伝ってもらったのでは、とちらりと彼女を見やると、ニコは困ったような顔で笑い返してみせた。
だが、今まで教室の片隅で静かに震えるばかりの彼女が、子供たちの輪に引きずりこまれるような展開になったのは、結果的に良かったかもしれない。
たとえ、彼女に対して不穏な助言を貰ったばかりとしても、今はニコの控えめな笑顔が見られるのなら、それで十分だった。
「では、ヨニと答え合わせをしましょうか。きっと、驚くと思いますよ」
人数分のパイを買うとなると、それなりに値段が張るだろう。予想外の出費に財布は冷えてしまうだろうが、不思議とヘイノの心は日だまりのような温もりに包まれていた。




