一章・六話
しゅるしゅると、布がこすれ合う音が静けさに包まれた室内に響く。時折、「うーん」だの「これだと派手すぎる?」だのと呟いているのは、ヘイノの部屋にやってきたヨニのものだ。
双子の見分けをつけるために目印となるものを買う、という今日の目的を無事に果たした二人は、空いた時間で市場巡りを楽しんだ後、日が暮れる前に子供たちを教会へと送り届けた。
しかし、彼らを見送ってからも双子には仕事がある。
司祭としての本業とも言える礼拝のための準備をしなければならず、日が暮れてからも暫くはアナと共に教会を行き来しなければならなかった。
そんなわけで、買ってきたものを片付けられるようになったのは、夕飯を終えた就寝前の時間を迎えてから、となってしまったのだった。
燭台一つ分では暗いからと、わざわざ兄の元にやってきてヨニは、ヘイノが買ってきた髪留めにリボンを通して、あれこれといじり回している。
(あの髪留め、買っておいてよかったな。ヨニも喜んでくれたみたいだった)
ヘイノが買った髪留めは、ヨニにも喜びの声と共に迎えられた。彼は意外と凝り性であるようで、更に手先が器用でもあるのか、早速こうして髪留めとリボンを組み合わせたいと試行錯誤を重ねている。
暫く、集中しているヨニの手元をぼんやりと眺めていたヘイノだったが、彼が持っているものを見て「おや」と思う。
「ヨニ。そのリボン、二色とも一つの髪留めに使っていたら、色を分けた意味がないのではありませんか」
それぞれの区別をつけるために違う色を買ったはずなのに、ヨニは二色のリボン両方を使って一つの髪留めに対して作業を進めていた。
ヨニも、自分の行動が目印作りの意図に沿っていないのは分かっていたらしい。ばつの悪そうな顔で視線を泳がせ、
「あー……まあ、それはそうなんだけどさ。この色なら、一色よりも二色にした方が綺麗じゃん。お揃い感もあるし」
ヨニの言うように、緑とオレンジのリボンが組み合わさると、華やかさは一色より遙かに増す。だが、ヘイノたちが目指しているのは見分けをつけるためのものであり、パーティに出て目立つような華やかさは必要ない。
「綺麗なのは認めますが、お揃いにしては意味がないでしょう。俺とヨニを見分けるためのものなんですから」
ヘイノにとっては至極もっともな指摘である。だが、一方で、ここで強くヨニを否定していいものかという逡巡もあった。
(かつてのヘイノだったら、こんな風には言わなかったんだろうか……)
しかし、自問と共に脳裏によぎったのは、双子の見分けがつくと安堵した様子の子供たちの顔だった。
ささやかな間違いであっても、誤ってしまったという罪悪感を彼らの中に積み重ね続けさせたくない。その感情もまた、ヘイノにとっては重要なものだ。
まだ先生としての歴が浅いヘイノが気がつけたのだから、ヨニとて、それぐらいは分かっているはずだ。
けれども、ヨニは何もかもを承知のうえで、自ら「そうではない」と思う方向を選んでいる。ならば、そこには弟なりの拘りがあるのではなかろうか。
「どうして、そんなにお揃いにしたがるんですか?」
なるべく、弟を咎めるような口調にならないように。それでいて、自分自身が記憶喪失であることが露呈しないように、ヘイノはさりげなさを装って尋ねる。
すると、ヨニはリボンを重ね合わせる手を止めて、考えを纏めるために暫し視線を彷徨わせてから、
「……だって、そうしたら、仲が良い兄弟って感じがするじゃん。見分けがつかないって、前から何度も言われてたから、周りは困るって分かってるんだけどさ」
ヨニの口ぶりには、ヘイノが決して持ち得ない感情――懐古のそれが、僅かに滲んでいた。その口ぶりから察するに、幼い頃に仲良しの兄弟である印にお揃いであることを選んだ経緯があったのかもしれない。
それが親からの言葉だったのか、ヘイノからのものだったのか、あるいはヨニが自ら言ったことなのか。流石にそこまで尋ねるのと、ぼろが出てしまうので、ヘイノは適当な相づちだけを返した。
この瞬間、大事なのは、ヨニにとってこの『お揃い』には少なからず意味があるということだけだ。
「それなら、俺が髪を下ろした状態で髪留めをつけて、ヨニは髪を結ぶ、としたらどうでしょうか。それなら、目で見て違いがはっきりすると思います。ヨニが折角作ってくれたそれも、髪型の違いがあれば身につけても問題ないでしょう」
「ん、そうだよね。それも、まあ、ありかな」
やや奥歯が挟まったような物言いではあったが、ヨニもヘイノの案に同意してくれたようだ。話をしながら、ヨニは一つ目の髪留めを置き、二つ目に取りかかる。
ヨニは手先が器用なだけでなく、細工のセンスも持ち合わせているらしい。
二色のリボンを組み合わせた髪留めは、職人が作ったかのような絶妙な色の重なりを見せている。パーティにつけていっても、これなら見劣りすることはないだろうと思ってしまうぐらいだ。
ヨニがせっせとリボン飾りを作っている間、ヘイノは何気なく自分の肩に落ちた髪を指先に絡める。暫し、それを見つめながら思案していると、
「そういえば、ヘイノ。今日の買い物で会ってたおじさん、どういう人なの?」
「マウリさんのことですか?」
尋ね返すと、ヨニは「そうそう」とすぐに頷いた。
「あの場でも説明した通り、教会に向かう途中の馬車で知り合った人ですよ。弟さんが酒場を経営しているそうです。話を聞いた限りでは、荷運びの仕事しているみたいですね」
そこまで話して、ヘイノはふつりと言葉を切ってしまう。マウリとその弟が話していた、ニコの保護者に関する不穏な噂を思い出してしまったからだ。
ヘイノの変化に、ヨニも気がついたのだろう。リボンをきゅっと結び終えても沈黙を保ち続けた兄に対して、怪訝そうに眉を寄せた。
「どうかしたの? 何だか、頭が痛そうな顔してるけど」
「頭痛がしているわけではありませんよ。……実は、そのマウリさんたちから、ニコとその保護者の方に関する話を聞いたんです」
ヘイノの顔つきから、愉快な話ではないと察したのだろう。ヨニはリボン飾りを文机に置き、椅子の位置を整えて、改めてヘイノに向き直る。
「その感じからすると、あまり良い話って感じじゃなさそうだね」
「……はい。ヨニは、ゲイリーという方を知っていますか。恐らく、ティモか、その近くに住んでいる方だと思うのですが」
マウリと共に働いているのなら、ニコの保護者であるゲイリーの家はティモの近辺にあるのだろう。少なくともパユヴェシ村の中にはないはずだ。
教会はパユヴェシとティモを繋ぐ道の境目にあるので、ニコが教会を歩いて毎日訪れている様子からも、彼女の家の位置は大体想像できた。
そして、半ば予想通りではあったが、ヨニはゆっくりと首を横に振った。
「そんな特徴的な名前だったら、俺、一度聞いてたら忘れないだろうから。ニコやアナさんもそうだけど、外の国の言葉を使った名前って、この辺だとちょっと目立つんだ」
「そういえば、ニコという名は、本来男性につける名前ですよね。彼女には、正式な名前が別にあるんですか?」
「そうだよ。ヘイノにはちゃんと言ってなかったっけ。ニコのフルネームはニコレッタ・ラヤラ。だから、最初名前を聞いたとき、『外国から来たのかな?』って思ったんだよ」
ヨニが言うように、この国で一般的に使われている言語とは異なる音韻の名前は、町の外でもたまに聞くことはあるものの、そこまで頻繁に耳にするものではない。
そのような名前を持つ者の事情も、また様々だ。外国から来た者がそのままこの国に移住した場合もあるが、それ以外にも、始祖に連なる古い血筋の者が代々伝わる名前を引き継いで名付けている場合もある。
歴史書によると、始祖はこの国の者とは異なる言語を使う民族の出身であったらしい。かつて、誰も住まぬ島であったこの地に、共に移民として渡ったことが、始祖の導きと国の始まりであったと言われている。
閑話休題。
ヨニの言うように、教会の子供たちやティモで出会った人々の名前だけを見ても、外国の発音を持つ名前の人物は少ない。故に、ヨニはゲイリーを『知らない』と断言できたのだ。
「ヘイノの知り合いのマウリさんは、ティモの人なんでしょ。ってことは、そのゲイリーって人もパユヴェシ村よりも町の方に家が近いんだろうから、うちの教会の管轄外なんじゃないかな」
ヨニの推理を聞いて、ヘイノもひとまず納得する。ならば、ヨニやアナからゲイリー氏の情報を得るのは難しいだろう。
「それで、そのニコの保護者がどうかしたの?」
ここまで話をしておいて、詳細を黙っているわけにもいかない。ヘイノは、マウリやその弟から聞いた話をぽつぽつとヨニに伝えた。もっとも、ニコと関わらない方がいいという忠言までは伝えなかったが。
「ニコは、いつも防寒具を身につけることもなく、薄着で教会に来ているでしょう。他の子と違って、生活環境がよくないんじゃないかと心配になったんです。彼女の保護者は、その……あまり、子供の面倒を見るのに向いている人ではないのではないかと」
「うん、それで?」
ヨニに続きを促されて、そこでヘイノは一度言葉を止めてしまう。
ニコの状況が気にかかる。彼女が不遇な環境に身を置いているのなら、何とかしてあげたいと思う。
その気持ちは確かに自分の中に芽生えたものだと確証が持てる。しかし、では具体的にどうしたいのかという展望が自分の中にないことに、ヘイノは気づいてしまった。
そして、目の前にいたヨニは、ヘイノ自身よりも、兄の曖昧な行動指針に先んじて気がついていたようだった。
結局ヘイノが搾り出すように言えたのは、
「……なんとかできないかと、思ったんです」
「それを、ニコに頼まれたの? 自分の暮らしている家や一緒に住んでいる人がよくない人だから、俺たちに助けてくれって」
「いえ、そういうわけではありませんが」
「だったら、俺たちにできることはないよ」
ヨニの物言いは、常の朗らかな声色がそのままであったがゆえに、あまりに非情に聞こえた。
ヘイノの眼前で、全く同じ顔をした他人が、ヘイノと全く違う意見をさらりと口にしている。
だが、今はその歪さに恐怖は抱かなかった。あったのは、もっと単純で激しい衝動――怒りと呼ばれるものに近い感情だった。
「そんな言い方は、司祭としてどうなのですか」
ヘイノ自身が驚くほど、彼の声音は固いものになってしまった。今のヘイノとして生き始めてから、ここまで感情的な物言いをしたのは初めてだ。
その激情が自分自身でもコントロールできず、言葉を終えた直後からヘイノは己の中に戸惑いが生まれたのを感じていた。
「……司祭として、ね」
一方、ヨニはヘイノの激情など意に介することなく、あっさりとヘイノの言葉を繰り返す。
――司祭としてではなく、個人的な考えじゃないの?
ヨニの反復は言外にそんな意味を帯びていたことは、ヘイノも気がついていた。
だが、彼の皮肉に反論はできなかった。その言葉にならない皮肉は、紛れもなく事実を射貫いていたからだ。
「だけど、事実としてそうだよ。俺たちはまだ見習いの立場で、アナさんの指示に従わなきゃならない身だ。ヘイノが聞いた漠然とした噂話で、一人の人間の人生を左右するような真似ができる立場じゃない」
「それは……分かっているつもりです」
ヨニが滔々と並べた正論を聞いている間に、ヘイノの中で瞬間沸き上がった激情も、一旦の落ち着きを見せる。
だが、それは決して自分の中に芽生えた意見を放棄するものではなかった。
「ですが、だからといって、保身のために、誰かが困っているのを放っておくのが正しいなんて、そんなことは言いたくないんです。それを認めてしまうのは……俺は、間違っていると思う」
思い出してしまう。礼拝堂の片隅で、誰に見つかることもなく、じっと震えていた少女のことを。
他の子供たちのように自己主張をするでもなく、凍えながら、それでも何かを学ぼうという姿勢を崩そうとしなかった彼女のことを。ケープを返すときにヘイノに触れた小さな手が、氷のように冷たかったことを。
市場に行ったときですら、他の子供のように自分の興味を惹くものを探すのではなく、自分を温めてくれる道具を真っ先に買い求めていたことを。
「ヘイノの話を聞いた限りじゃ、確かにニコの生活はあまり良いとは言えないんだろうね。でも、そういう境遇の子供はたくさんいるよ。この辺りにも、ニコと同い年ぐらいだけど、朝から晩まで働いている子供だっているだろうさ」
アナや村の教員は、そのような子供たちにも学問を学び、自らの人生を選ぶ機会を与えたいと申し出ているようだが、雇い主だけでなく、本人たちの反応も芳しくないのが現状だ。
彼らは、腰を落ち着けて何かを学ぶよりも、少しでも多くお金を稼ぎ、自らの生活を維持することのみを考えている。そして、彼らの論理を覆すほどのものを、アナたちはもちろん、ヘイノもヨニも持ちあわせていない。
「たしかに、気分のいいことではないだろうね。俺たちだけが良い思いをしていて、なんだか申し訳ないって思うところもある。でも、それならヘイノは、そういう子供たちの状態も、全部間違っているって言うつもり?」
すぐに答えは出てこなかった。
正しいとは言いたくない、ということだけは確かだ。だが、何もかもを間違っていると言えるほど、ヘイノは傲慢にもなれない。
そのようなきれい事を公然と口にしたとしても、結局は何も覚えていないが故の無知から生まれた世間知らずの戯言にしかならないと、ヘイノ自身既に気がついていた。
ヘイノがあまりに苦渋にまみれた表情をしていたからか、ヨニは「まあ、村の子供たちのことは、今は置いておくとしても」と、いくらか舌鋒を緩めてくれた。
「ニコの件に絞ったとしても、彼女のために行動しようって意見には、俺はやっぱり賛成できない。だって、そのゲイリーって人が何か罪を犯したわけでも、ニコに怪我をさせたわけでもないんだから。子供を少しばかりほったらかしにしているってだけでは、罪とは言えないよ」
「……でも、俺は正しくないと思います。だって、彼女は辛そうだった」
子供が、あんな風に凍えていることが、気持ちを押し殺して我慢の笑みを浮かべている状況が、正しいことのわけがない。それだけは、何を聞いてもヘイノの中で揺るがなかった。
すると、ヨニはヘイノの発言を耳にした瞬間、微かに眉根を寄せた。
「……あのさ。さっきから正しいとか間違っているとか言ってるけど。ヘイノは、正しいことをしたいって心の底から思ってるの?」
今まで淡々と諭すように語っていたヨニの声に、微かな苛立ちが混じる。
「それとも、正しいことをして褒められたいだけ?」
「……え?」
ヨニの発言は、ヘイノの想像を裏切るものだった。
だが、ある意味では的を射ているものでもあった。
これまでのヘイノの行動指針に、少なからず『司祭として相応しいかどうか』があったのは紛れもない事実だったからだ。それを欺瞞と言われてしまったら、ヘイノには返す言葉がない。
だが、ニコに関する一件の中には、役割に囚われない己自身の意思がある――少なくとも、ヘイノ自身はそう思っていた。
ヘイノの意表をつかれたような顔に対して、ヨニもまたなぜか面食らったような顔をしていた。そのような反応をされるとは予想外だった、とでもいうかのような。
だが、すぐにその驚きも、ヨニはいつもの笑みの中に消してしまった。
「ごめん、流石に意地悪な言い方だった。ニコの件は、俺も気にしておくよ。あと、見分けをつけるための目印だけど、こっちはヘイノが使って。これは俺が使うから」
「あ、はい。その……ありがとうございます、色々と」
突然話を切り替えられて、今度はヘイノも何と返すべきか躊躇してしまう。
「なんでお礼なんて言うのさ。ああは言ったけど、俺、ヘイノの考えの方が優しい考えだって思うよ」
「でも、ヨニの言うように、考えの足りないところがあったのは、事実です。……嫌なことを言わせてしまって、すみません」
ヘイノの素直な反省に、ヨニは一度瞳をぱちくりとさせただけだった。すぐに彼は口元に笑みを引き、部屋から持ち込んでいた燭台に指をかける。
「別に、ヘイノのために悪役を引き受けたつもりはないよ。とにかく、あまり思い詰めすぎないようにってことだけは、ヘイノも分かってほしいけどね。俺が言うまでもないと思うけど。それと、敬語。また出てる」
「あ……ごめん」
「まー、いいけどさ。じゃ、俺はそろそろ休むよ。明日は礼拝の日だから、朝から忙しくなるよ。覚悟しておいてねー」
ヨニは最後に冗談めかした脅しを投げかけてから、自分の部屋へと消えていった。
残されたヘイノは、会話の間に溜まってしまった澱を吐き出すように、大きく深呼吸をして、寝台へと腰を下ろした。
そのまま、その身を布団の上へと投げ出す。だらしないと思っていても、今は先ほどのヨニとの会話を整理したかった。
「ヨニの言うとおりなんだろうか……」
普段の、時として軽薄にも見える言動のせいで能天気に見えがちだが、ヨニは存外自身の立場を弁え、客観的な意見も下せる冷静さも持っている。それは、記憶がないヘイノはいまだに持てずにいるものでもあった。
だが、同時に。
ヘイノの中で芽生えた一つの意思は、先の会話を経ても掻き消えることはなかった。
(ヨニの意見も大事だけれど、俺は俺なりに考え続けよう)
今すぐどうこうできる問題ではないという点に関しては、ヨニの意見は正しい。今のヘイノには、ニコを保護者の元から連れ出す手段もなければ、その後の策も何一つ思いついていない状況なのだから。
そのような状態で、行動をおこすほど無鉄砲にもなれない。何かを変えたいと言うのなら、相応に準備をしなければならない。その点は、確かにヨニの言う通りだとヘイノは考えていた。
当座の結論を出して、ヘイノは寝台から身を起こす。向かい側の壁にかけられた鏡に映り込んだ自分が、起き上がった己を見つめ返していた。その手前に置かれているのは、緑とオレンジのリボンを組み合わせた、ヨニお手製の目印だ。
司祭が身につけるにはやや派手なようにも思えるが、子供たちへの目印なのだから目立つくらいがちょうどいいだろう。礼拝の時には外しておけば、周りから何か言われることもあるまい。
そこまで考えた上で、ヘイノは鏡を覗き込む。
ヨニとは瓜二つの顔がこちらを覗いていたが、当然と言うべきか。鏡像の己の表情は、先ほどまで言葉を交わしていた双子の弟とは、まるで違っていた。
「顔はそっくりでも、皆に間違えられるくらい瓜二つでも……やっぱり、俺はヨニじゃない」
それは、ここ数日ヨニと行動を共にしてはっきりと分かったことだ。
心のどこかで、ヨニと自分の境が曖昧になってしまうのではと、薄らとした危惧を抱いていた。
自分とそっくりの顔をしている別人が、自分とは違う振る舞いをしている。その歪な状況に恐怖と嫌悪を覚えたこともあったし、今も完全に払拭できたとは言い難い。
けれども、今の生活に馴染めば馴染むほど、恐れるほどの相似はなかったのだと、ヘイノは理屈の上でも感覚としても二人の違いを漸く受け入れられた。先ほどの、ニコに対する考えだってそうだ。
「ヨニは、俺ほど無鉄砲じゃありませんからね」
鏡の向こうのヘイノも、今の彼と全く同じ苦笑を浮かべていた。
鏡に映る自分と、ヨニは違う。顔かたちは似ているし、間違えられることもあるかもしれない。
だが、やはり同じではない。ヘイノはヨニにはなれないし、ヨニがヘイノになることもない。
もっと早くに気付いていれば、ヨニとの間に要らぬ距離感を作る必要もなかっただろうに。
だが、ここでこうして暮らさなければ、後ろ向きな決意であったとはいえ『ヘイノ』の役割に固執していなければ、自分は同じ顔をした弟から逃げ続けていたのだろう。
そう思いながら、ヘイノは文机の引き出しを開き、あるものを取り出す。
(……だから、これは一つの決意表明みたいなものだ)
誰が聞くこともないけれど、今は自分だけが知っていればいい。
鏡を前にして、自分の伸びた金髪を指で挟み、彼は片手に持ったそれを――鋏を、自分の髪に当てた。
「俺は、ヨニと同じじゃない。俺は……ヘイノです」
言葉にすることで、あやふやだった未来がそうなることを望むかのように。
澄んだ音と共に、弟と瓜二つだった、伸ばした金の髪が机の上に落ちた。




