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僕らはソラを謳う  作者: 千代里
二章
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二章・三話

 先だって、アザレアは新しく三人の友達が増えたと喜んでいた。

 しかし、彼女は更に四人目の友人を程なくして得ることとなった。

「じゃあ、まずは無事に合流できたことと、この出会いに――乾杯!」

 その四人目こと、アナの友人として紹介されたザックが、一際大きな声を張り上げて乾杯の号令をかける。かけ声にあわせて、艶々とした木製のカップが六つ分、それぞれ軽快な音を立ててぶつかった。

 一同が乾杯をしているこの場所は、ヘイノも度々訪れていた、カッリが経営する食事処だ。彼の兄のマウリとは、ヘイノが初めて教会に向かう道中で出会った縁もあって、それからも何度か世話になっている。

 教会の広場でアナたちは無事にザックと合流を果たしたのだが、その矢先、空腹を訴えた彼の腹を満たすためにも、彼らは昼食を求めて最もよく見知っている店に向かったのだった。

 店で食事をする。それもまた、ヘイノとニコにとっては未知の経験だ。緊張でかちこちになっているヘイノとニコとは対照的に、アナもザックも、さすがに大人の余裕というべきか、慣れた調子であれこれと注文をしていた。

「ヘイノ、何か食べたいものはある? さっき、あいつがカレリヤパイを頼んでたから、それ以外で気になるものがあったら教えて」

 ヨニに突然問われ、ヘイノは慌ててカウンターに掛けられているメニューの書かれた石板を見やる。

「あ……ええと、それなら、サンドイッチとかありますか。何かお腹に溜まるものが食べたい気分なんです」

「了解っと。カッリさーん、サンドイッチはまだある? あるなら人数分追加でー!」

 ちょうど手元に持っていた石板にメモを書き殴っていたカッリが、「おう」と短く答えるのが聞こえた。その後ろでは、弟の手伝いに来ているマウリが、その大柄な体を縮めるようにして机を縫うように歩き、料理を提供しているのが見える。

「ニコも、他に食べたいものがあるなら言ってね。こういう店って、混んでる時は大声出さないと注文が届かないだろうからさ」

「は、はい。分かりました。今は、大丈夫……です」

 頷くのが精一杯といった様子のニコは、真っ先に運ばれてきた乾杯用のベリージュースを口に含み、ようやく一息をつく。彼女の隣で、ヘイノも全く同じ顔でジュースで喉を潤していた。

(食事処でどうやって注文するかは分かるのに、実際に動くとなると思い通りにいかないものだな……)

 ヨニは手際よくカッリや配膳係の少年に声をかけているのに、ヘイノはどうにも思い切って声をかけられずにいた。そうでなくても、自分以外の客がいる場所で食事をするという状況がどうにも落ち着かない。

 六人もの大所帯で店に押しかけたら目立つのではないかとヘイノは危ぶんでいたぐらいだったが、その心配はどうやら要らぬものだったらしい。周囲には彼らと同じかそれ以上のグループが幾人も集まり、小さな机を囲んでいた。

「最初に予定していたよりも大人数になって申し訳ないわね、ザック。急な話だったのに、許してくれて助かったわ。元々は、私一人を誘うつもりだったのでしょう?」

「たしかに、半分くらいはそのつもりだったけどな。でも、あんたは村の司祭さまで、オレは旅する自由人ってところだろ。あんたの方が抱えてる責任ってやつは重いんだから、その辺は譲歩するさ」

 アナが面倒を見ている相手として名前を挙げていた双子たちだけならともかく、ザックにとってはニコとアザレアの同行は完全に予定外だったはずだ。

 それでも嫌な顔一つせずに、むしろ笑顔で「新たな出会いが増えるのは歓迎さ、よろしく!」と手を差し出したザックに、ヘイノは初対面のとき以上の好感を抱いていた。

(旅をしていると、大らかで明るい性格になるのだろうか。アザレアさんも、旅暮らしをしているって話だったな)

 ちょうど、アザレアもヘイノと同じことを考えていたのか。カッリが持ってきたパイが山盛りの皿を受け取りつつ、会話へと加わる。

「ザックの言うとおりね。旅人には、身一つあれば十分。地に足をつけないで暮らしている以上、しっかりと大地を踏みしめる者の事情に配慮するぐらい、なんてことはないわ」

「そういえば、アザレアはあの広場にいる一座の一員なんだっけか? 意外なところで話が合いそうだな」

 早速、ザックはアザレアが置いたパイを手に取り、そばに置かれていたチーズをナイフで削ってかけ始める。

「残念ながら、私は一員ではなくて居候なの。でも、旅暮らしなのはあなたと同じね。ねえ、ヨニ。そっちの魚のラーティッコ、取り分けてくれない?」

「いいけど、結構これ、お腹にがっつりたまるよ。あまり食べると、ダンスのときにお腹が痛くなるかも」

「まあ、そんな意地悪を言わないでちょうだい。それなら、もういいわ。アナに頼むもの!」

「どうぞ、アザレア。あなたやニコみたいな育ち盛りは、周りを気にせずに遠慮なく食べるべきね。ヨニ、あなたも遠慮せずにどんどん食べなさい。外で食事をする機会なんて、早々ないでしょう」

 アナに促され、ヘイノも配膳されてきた卵と野菜の酢漬けや魚の燻製をふんだんにのせたオープンサンドイッチに齧り付く。

 港が近いティモでは、とれたての魚を加工した料理が人気だ。海の魚は、川の魚とはまた風味が違うようで、脂がのったそれはどっしりとした旨みが詰まっていた。

 アザレアとザックが加わった団欒の席は、さすがに十年来の仲のようにとはいかなかったが、それなりに和やか且つ賑やかな空気に包まれていた。

 最初は店の食事そのものに緊張していたヘイノも、ニコから今日見るお芝居についての説明を聞かされているうちに、家で食べているのと大して変わらないと思えるようになっていた。

 サンドイッチを一つ平らげ、ヨニが配ってくれた魚を使ったオーブン料理であるラーティッコを頬張っていると、不意に隣からトントンと肩を叩かれる。

「なあ、ヘイノ坊ちゃんや。アナから聞いたんだが、オレが出題した問題、ちゃんと解けたんだってな」

 声をかけてきたのは、隣に座っていたザックだ。最初こそ、アナと何やら難しそうな話をしていたが、彼女の隣にいるヨニが意味ありげな視線を向け続けていたので彼に譲ったのだろう。

「自力で解けたわけではありませんよ。俺は、ザックさんのヒントをアナさんに伝えただけです。解いたのはアナさんですよ」

「オレだって、坊ちゃんだけで解けるなんざ思っちゃいなかったさ。素直に師の元に伝言を運んだってのが重要なんだよ」

 もし、ヘイノが自力で解こうと一人で奮闘したり、あるいは伝えるまでもないと伝言を忘れ去っていれば、そこでこの問題の答えにはたどり着けなかった。謂わば、それこそが不正解のようなものだとザックは言いたいようだった。

「ところで、ザックさんは読んだのですか?」

「読んだって、何を?」

「先日古書店で買っていた、例の幻の聖典ですよ。大変珍しいものだったんでしょう? 何か特別なことが書かれていたりするんですか?」

 ヘイノがそこまで言って、漸くザックは「ああ、あれね」と呟いた。彼の口ぶりは、ヘイノにわざわざ声をかけて購入するかどうかを問いかけたときの、あの切羽詰まった様子とはどうにも不釣り合いのものに見えた。

 先だってまで、聖典にまつわる問題に関する話は自ら口にしたというのに。その中身や本そのものには、まるで興味がないかのようだ。

「ちょっとばかし開いて読んでみたが、中身はいたって普通の聖典だ。坊っちゃんも司祭なら知ってるだろ。たとえ記念式典のものだろうが、田舎の出版社が出しているものだろうが、聖典として出版されたものである以上、中身は教会の許可なく変更されないし、変更してもいけない」

「確かに、そういう決まりになっていることは知っていますが……」

 ザックの言うように、人々の教えの指針となる聖典は、教会の許可なく記述を書き換えたり、誇張したり、あるいは勝手な解釈を加えてはならないとされている。

 けれども、例の希少な聖典ならば、何か特別なことが記されているのではという期待を抱いたのもまた事実だった。

「別に開拓歴六百年の曰くつきの聖典に限った話じゃないさ。教皇就任の式典を記念して出されたどの聖典だって、そいつは変わらない」

 ヘイノが食べていたのと同じオープンサンドイッチにかぶりつきつつ、ザックは言う。

「過去に出版された由緒正しい聖典だろうと、坊ちゃんの家の本棚にある聖典だろうと、書いてある内容は結局のところ一緒なんだ。表面的な伝説やら言い伝えやら、うわべの情報に振り回されて、貴重な何かが隠されているんじゃないかって夢見るのは勝手だけどな」

 彼の言葉は、わざわざ国中を訪ね歩いて、貴重な『表面的な伝説を持つ』聖典を求めた割には随分と辛辣なものに聞こえた。

 それとも、そんな不確かな情報に振り回されて大金を費やす己を省みた、ザックなりの自虐なのだろうか。彼との付き合いが浅いヘイノには、まだそこまで読み取ることはできそうになかった。

「ただ、そうやって聞こえのいい話にばかり気を取られると、本質を見落とすぞ……って、まあ、こんなことは司祭さまにわざわざ言うことでもないんだろうが」

 さすがに、穿った物言いをしすぎだと思ったのだろう。ザックは慌てて、取り繕うように言葉尻を濁し、からっとした笑顔を浮かべて重苦しい空気を吹き飛ばそうとした。

「俺は、ザックさんほど深い見識もないし、多くを見知っているわけでもありません。だから、今の言葉を正しく理解できたかは分かりません」

 曖昧に笑って、その場を誤魔化してもよかった。しかし、彼が口にした言葉の中で、素直に受け止められたものがあった。今の発言の意図は分からずとも、そのことだけはザックに伝えたかった。

「……うわべの情報だけで判断するのはよくない、という話しは、俺にも分かる気がします」

 言いつつ、ヘイノの視線は自分の片割れへと向けられる。よくよく見ると、ヨニはアナと話をしながらも、時々ちらちらとこちらを見ていた。ザックとヘイノがどんな話をしているのか気になる、といったところか。

(外見だけの話じゃない。俺はヨニの双子の兄で、同じく司祭見習いとして働いていて……でも、それだけしかヨニのことを知らない)

 アザレアと話していたときの、彼の屈託のない笑顔と軽やかな笑い声はヘイノの知らないものだった。そして今の話を聞いて、自分はヨニの表面的な情報を一通り知っただけで、それで満足して足を止めているのではないかと思ったのだ。

(表面的じゃない部分、となると……どうしても、俺が本来『覚えているべき』部分に触れることになってしまう。どんな形でそれに向き合えばいいか、今の俺には分からない。だから、俺は今のままでこの先も上手くやっていけると、そう信じ込もうとしていたんじゃないか)

 実際のところ、現状ヨニとの関係には何の問題もない。ザックの言葉を借りるならば、『聞こえのいい話』の部分においては、だ。

 けれども、現状維持を続けることは、アザレアと接しているときのようなヨニに会うことは、今のヘイノにはできないということでもある。

 それでもいいと言い切れるほど、ヘイノはヨニとの関係を諦めきれていなかった。

「そういえば、双子なんだっけか」

 思索に嵌まりかけていたヘイノの思考を、ザックの声が引き戻す。

「確かに、そいつはいろいろと面倒なこともあっただろうよ」

「面倒というほどではありません。これは、俺の心構えの問題なだけですから」

 以前に比べれば、その心構えもしっかりしてきたのだろう。たとえヨニと間違えられても、村に来た当初に比べると、自分の芯が大きくぐらつくような感覚には襲われなくなっていた。

 話をしながらも、ヨニと顔かたちが似ていることについて、不思議と第三者のザックにならば、すらすらと話せている自分に気がついた。

 ニコやアナに話せば、彼女たちを心配させてしまうかもしれないし、村の人に話せばどういう形でヨニの耳にその話が届いてしまうか分からない。

 その分、村の外の人間であるザックならば、万が一ということもあるまい。彼はこのような繊細な話題を不用意に当人に伝えるような人でもないだろう。

「双子なのに司祭になった時期が違うってなると、どうしたって余計な詮索をされちまうんだろ。坊っちゃんも若いのに苦労してるんだな」

「え? どうしてそう思うんですか?」

 予想外の納得の仕方に、ヘイノは反射的に質問をしてしまっていた。

「その反応を見ると違うのか? だって、坊ちゃんらは司祭の証が違うだろ。同時期に同じ学校で司祭としての資格を授与するってなると、教会は同じ形の証を与える場合が圧倒的に多いんだよ。兄弟ってなると、尚更な」

 ザック曰く、司祭の証を作る職人たちの都合もあって、証となる装飾品は一定量をまとめて納品される。故に、神学校の同期生には、同じ証が授与される場合が多くなる。

 さらに、複数の証を学校側が保管していた場合でも、兄弟や血縁関係があるものには同じ資格を与えるのが慣わしとなっているとのことだった。

「その方が、仲間意識っつーのかな。一緒に人々を導くって連帯感が養われるから、ってのがお偉方の説明だな。まあ、実際のところは、今ほど色々な制度が整っていなかったときに、どの司祭がどの家の人間か分かった方が便利だからってところだろうけどよ」

 思いがけなく風習と歴史にまつわる話を聞かされて、感心の吐息と共にヘイノは頷いていた。

 だが、同時に彼は自分とヨニはその慣習に当てはまらないことを知っていた。ヘイノの証はペンダントであり、ヨニのそれは指輪だ。

「俺とヨニが司祭としての称号を授与されたのは同時期です」

 断定はできないが、恐らくそうだろう。そうでなければ、見習いとして赴任する時期が重なることもなかったはずだ。

「ですが、その後に帰郷したときに……えっと、故郷がひどい災害に見舞われてしまって。そのときに、証も無くしてしまったんです」

 兄弟のうちどちらが紛失したのか、あるいは両方が紛失したのかは、ヘイノははっきりと口にしなかった。話したくても、話せなかったからだ。

 ヘイノが司祭見習いであることと、火災により身近にあったものが全て失われ、司祭の装束は新たに教会が手配してくれたことは、病院に来ていた教区の司祭が教えてくれた。

 しかし、その時に無くした証も新たに手配してくれたのか、それとも証は無事だったので新品の装束と共に保管しておいてくれたかまでは、誰も教えてくれなかった。

 故に、ヘイノはヨニの指輪も含めて、自分の手元にあるこの証がいつから自分と共にあるのかを知らない。

 幸いなことに、ザックはヘイノのこの誤魔化しは気にならなかったようだ。

「なるほどな、そういう理由だったのか……。悪い、嫌なことを聞いちまったな」

「いいえ、俺は平気な方ですから。ただ、ヨニにはそのことはあまり聞かないでもらえますか」

「わかった、気をつける。そういえば、ヘイノ坊ちゃんはあの日、何か本を買おうとしていたよな。何を買ったんだ? 何か面白いのがあったら教えてくれないか」

 これ以上この話を続けても、ヘイノの心の傷を抉るだけだと思ったのか。ザックは、すぐにヘイノが興味が持ちそうな話題に切り替えてくれた。

「俺が買ったのは、昔に発行された詩集や物語です。あと、修道院の方が発行した日誌も興味深かったですね。寝る間を惜しんで読んでいたら、アナさんに怒られてしまいました」

「ああ、あの時代の暴露本か! あれ、意外と面白いんだよな。退屈そうに見えて、その時代の人間が何をしていたかが赤裸々に書かれているから、オレも昔はよく読んだよ。どこぞの誰かのやらかしたこととか、書いていいのかよって思うようなことが、開けっぴろげに書かれた上に堂々と本になっているから、びっくりだよな」

「確かに、そういったものも興味深くはあるのですが……俺としては、昔の人のことだったとしても、秘密を勝手に暴露するような内容があったら、何だか見てはいけないものを見てしまったような気分になるんですよね」

 ヘイノは己の思うままを伝えてみたが、どうやらザックは違う意見らしい。彼は「そこがいいんじゃないか」と言うと、

「どうせ、百年かもっと昔の、今はみんな墓に入っちまったような連中の秘密さ。未来の人間が知ったところで、本人らにはどうしようもないんだし、オレたちだってどうにかしようとなんて思っちゃいない。そうだろ?」

「ザックさんの言う通りかもしれませんが、俺は……そういう形で開き直るのはちょっと難しいみたいなんです」

 正確には、開き直った自分というものを受け入れていいかわからない、と言うべきか。

 大抵の人間は、小さい頃にささやかな悪戯や不真面目な遊びを楽しみ、そのような過程を経て、どこまでなら周囲の人間が許容してくれるのかを知るのだろう。

 しかし、ヘイノにはそのような経験がない。

 少しでも悪しき道に自ら足を踏み入れた瞬間、司祭としてのかくあるべしという仮面が容易く剥がれ落ちてしまうのではないか。そんな懸念があるが故に、ヘイノは不真面目な振る舞いを楽しむという考えをなかなか持てずにいた。

「坊ちゃんは真面目だねえ。ま、そういうのが悪いってわけでもないけどな。司祭様なら、そういう堅苦しさが当たり前になっている方がやりやすいんだろうさ」

 幸い、ザックはヘイノのその逡巡を、単なる生真面目な性格から生まれたものと捉えてくれたようだった。

「だったら、そういう後ろ暗い話を抜きにした、創作の物語の方が坊っちゃんには良さそうだな。オレのおすすめの本、よかったら教えようか? あの店なら、大抵の作品は置いてあるだろうよ」

「それは、ぜひ教えてもらいたいです!」

 ザックの親切な申し出に、ヘイノはすかさず飛びついた。暴露本の話はさておくとしても、ヘイノは先日の本屋への来店以来、本が齎す別世界の物語にすっかり夢中になっていたからだ。

 それから暫くして、盛り上がっている二人にヨニが「何話してるの?」と声をかけてくるまで、ヘイノはザックが披露する本の知識にのめり込んでいった。

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