幕間1・5-4
旅芸人の出し物は、ヨニもこれまでに何度か見たことはある。
故郷は雪深い寒村だったために、そのような芸人が来る機会は滅多になかったが、神学校に通っていた頃は、休みの日に近くの街に来ていた旅芸人の興行を観に行ったことがあった。
だが、今回ティモに来た一座は、ちょっとした歌や踊りだけでなく、本格的な芝居まで披露するという話である。
大都市の劇場で公演されるようなものではなくとも、芝居の公演ともなれば、その準備も並大抵のものではないだろうとは予想していた。
そして、実際に舞台の裏側に招かれたヨニは、自分の予想など容易く上回る人々の往来と天幕の群れに目を白黒とさせていた。アザレアが先導してくれなければ、確実にどこにいるか分からなくなっていただろう。
「そんなにきょろきょろしていたら、迷子になってしまうわよ」
「ああ、ごめん。思った以上に天幕が沢山あって、ちょっと圧倒されちゃってさ」
「人が濃くてびっくりしたでしょ? この一座は聖都でも公演したことがある由緒正しい一座なのよ。たしか、座長さんが教会の偉い人と知り合いなんだとか。だから、実際は旅芸人ではあるのだけれど、そのお偉いさんの専属劇団みたいなものなのよね」
「そういえば、そんな話を聞いたことがあるな。司教様とか名のある方々が後援者になっている劇団のことでしょ」
実際、ヨニの通っていた神学校のある町に来ていたのも、そのような旅芸人たちが多かった。正確には、認可を受けずに突発的な公演をしているような一座の興行を見に行く許可は、神学校の生徒には与えられていなかったのだ。
「おかげで、食うに困ることはないのだけれど、後援者様の要望であちこち行くことになる、というわけね。その意味では、旅芸人みたいなものと言えるかしら」
そう聞くと、自由な旅芸人のイメージが崩れそうになるが、この国を気ままに旅しつつ生計を立てるというのはそんなにも簡単な話ではないのだろう。
劇団や芸人と聞くと華々しい表舞台ばかりを想像するが、実際はもっと泥臭い駆け引きも裏側で行われているというのがアザレアの言葉からも察せられた。
もっとも、天幕の隙間から見える団員たちの顔は、どれも来たる公演に向けての期待と不安が程よく混じりあった、全体的に前向きなものだった。
天幕は殆どが既に組み立て済みであったが、中にはまだ準備が終わっていないものもあった。丁度、今もヨニの傍で柱として使う大きな杭が打ち込まれようとしている。
「おうい、もうちょっと右にずらして打ってくれえ! 幕が斜めになっちまうよ!」
「ああん? そっちの方がずれれば丁度いいじゃねえか!」
「こっちはこれ以上ずらしたら、隣のにぶつかっちまうんだよお!」
天幕設置の手伝いをしているのは、見たところ団員だけではないようだ。ヨニも見覚えがある町の人も、ちらほらと視界に見えた。
楽しませてもらうだけではなく、準備にも積極的に手を貸す。見知らぬ旅人にも、臆せず協力するとは実にティモの街らしいと思って眺めていると、
「おお、よく見たらそこにいるのはヘイノじゃないか!」
「うん?」
意気揚々と声をかけてきたのは、ヨニも見覚えのある男性だった。栗色のふさふさとした口ひげと、愛嬌のある独特の話し方は間違いない。ニコの一件ではお世話になったマウリだ。
もっとも、ヨニとしてはヘイノが個人的に親しくしている相手という印象が強く、ヘイノ抜きで話をするのは今が初めてかもしれない。
「ヘイノ、いったいどうしてこんな所にいるんだ? 司祭さまが来るには、ここはちっとばかし騒がしすぎるんじゃないかねえ」
「マウリさん、俺ヘイノじゃないよ。弟のヨニの方」
真っ先にそれだけは訂正せねばと告げると、マウリは目を丸くしてぱしんと自身の額をその大きな手で叩き、
「おお、そうだったかあ! そいつは悪かったなあ、ヨニ司祭。双子っていうのは、本当にそっくりなもんなんだなあ。じっくり見ていたつもりだっていうのに、つい間違えちまったよ」
「髪を結んでいる方がヨニ、で覚えるといいよ。ヘイノは、いつも髪を下ろすようにしてるからさ」
「おう、わかった。気をつけておくよ」
こうやって兄弟を間違えられるのも、久しぶりのことだなとヨニは思う。パユヴェシ村の住民は、既にヘイノとヨニの見分けがつくようになっていて、滅多なことでは取り違えなくなっていた。
「そんでもって、ヨニはどうしてこんな所に?」
「えーっと、ついさっき町で知り合った子が、この一座の人だったんだ。案内してくれるっていうから、折角だからついてきたんだよ」
ヨニが目顔でアザレアを示すと、幸い彼女は余計なことは言わずに、マウリへとにこやかに手を振ってみせた。黙っていれば、彼女は楚々とした佇まいの淑女に見えなくもないだろう。
「そいつはツイてるな! きっと、女神さまが奇跡をお裾分けしてくださったんだな。実は俺も、こんなに沢山の旅芸人が集まっているのを見るのは初めてなんだよ。子供の頃に、大きな町で一度だけ見せてもらったきりでなあ」
「俺も、今からどんなものが見られるのかなって、凄く期待しているところ。ヘイノも、ニコと一緒に芝居を見に行くって言ってたよ」
「ああ、あのお嬢ちゃんかあ。どうだい、あの子は元気にしているかい?」
そこで、ヨニはニコが今どのように過ごしているのか、マウリにかいつまんで説明した。マウリ曰く、彼も弟のカッリ夫妻も、ゲイリーの問題に巻き込まれた少女の行く末がどうなったか、随分と気に掛けてくれていたようだ。
「それで、今度は知り合い全員で芝居を見に出かけようかって、今朝もそんな話をしていたところ」
脳裏に、今朝追加された予想外の同行者の名が一瞬よぎったが、今は思考の片隅に押し込んでいく。
「それなら、ついででいいから、またカッリの店に顔を出してくれって言っておいてくれないか? あいつも、司祭さまに会いたいって言ってたからなぁ」
「行くのはいいけど、葡萄酒は飲ませないでよ?」
「はっはっは。もちろんさ。俺も、カッリには叱られたものなあ。そうでなくてもゲイリーのせいで、カッリは暫く葡萄酒を話題に出されるのも嫌がっていたんだよ」
初めて市場で会ったときのやり取りを思い出して、ヨニはマウリに冗談まじりの軽口を飛ばす。マウリも心得たもので、豪快に笑い飛ばしてくれた。
マウリが再会したヘイノに、貴重な輸入ものの葡萄酒を勧めて、弟に苦言を呈されたのはもう一ヶ月も前の話になる。
その後、パユヴェシ村の近況報告をいくつか交えてから、ヨニはアザレアの元へと戻った。
「ごめんごめん、知り合いに出会って話し込んじゃった」
「それは別に構わないけれど……あの人、ヨニのことを最初、別の誰かと間違えていたわよね。なんて呼んでいたかしら」
「ヘイノのこと? ヘイノっていうのは、俺の双子の兄なんだよ。マウリさんは、ヘイノと話す機会の方が多かったら見間違えたみたい」
「つまり、ヘイノという人は、あなたととてもよく似ているってこと?」
双子というものに興味を持ったのか、アザレアは小首を傾げて更に質問を重ねる。
「双子だから、間違えられたことはしょっちゅうだよ。俺は、そんなに似ているとは思えないんだけどね」
「見た目がってこと?」
「どっちかというと、性格が。俺はこういう感じだけど、ヘイノは……もっと真面目だから。ああでも、真面目すぎて、君の秘密を誰かに相談しちゃうかも」
家に残してきた片割れを思い出し、ヨニは簡潔に彼の人となりを説明する。
すると、アザレアは猫のような瞳をきゅっと細め、
「それなら、あなたに会えたことは私にとっては幸運だったわね。でも、あなたのそっくりさんのヘイノにも会ってみたいわ」
「会うのはいいけれど、俺と間違えないように注意してくれるかな。あいつ、俺と間違えられたり、どっちがどっちか分からないって言われるの、最近ものすごく嫌がってるんだよね」
「あら、そういうものなのね。でも、大丈夫。私は人を見た目では判断しないから」
得意満面の様子で胸を張るアザレア。見た目じゃないのなら、いったい何で判断しているのか、聞くのはやめておいた。どうせ煙に巻かれるに決まっている。
「それより、アザレアはどこまで行くつもりなの?」
「もう少し先。そろそろ、この辺りに帰ってきている頃だと思うのだけれど……」
アザレアはまだ何かを探し求めているようだが、ヨニとしては既に十分、これまで見たもので満足していた。
旅の一座の天幕にこうして潜り込み、芝居のための準備をしている人を横目で眺め、アザレアと他愛のない言葉を交わす時間だけで、謝罪としては足りていると思っていたぐらいだった。
(でも、それを言ったところで、じゃあこれで終わりってするような子じゃないよねー、多分だけど)
アザレアが満足するまで、ヨニは離してもらえないだろう。
元々、一座の人から音楽の話が聞きたくて、わざわざこうして町に来たのだから、このまま流れに身を任せていようと、アザレアの後を追う。
そうして歩くこと数分。不意に、雑多な団員たちの声に混ざり、澄んだ音がヨニの耳に届いた。
「これって、あのフィドルの人の……?」
「ああ、チャールの音ね。やっと見つけたわ」
どうやら、アザレアはあのフィドル弾きを探していたらしい。
迷うことなくフィドルの音が聞こえる天幕へと近づくアザレア。その背中を見つめながら、ヨニは自身の心臓の高鳴りを強く感じていた。
何せ、この先にいるのはあの素晴らしい演奏をした人たちなのだ。相手はこちらのことなど知らないだろうが、どうしたって体に力が入ってしまう。
(もし会えたなら、演奏の感想は伝えたいな。それと、さっき弾いていた曲の話とか、楽器の話とかも……できたら嬉しいけれど、でも、どうだろう)
元々、そのような話ができたらという期待はあった。だが、相手は仕事で来ている身なのだから、そこまで込み入った話はできないだろうと半ば諦めてもいた。
だというのに、望外の幸運が今まさにこの手に転がり込もうとしてる。そのことを意識して、ヨニは珍しく緊張に襲われていた。
一方、そんなヨニの心中など露知らず、アザレアはずんずんとフィドルの音色が聞こえる天幕へと近づき、無造作に入り口代わりの布を持ち上げた。
「チャール、居るかしら。ちょっとこれから、この人へのお詫びに一曲踊ろうと思ってるのだけど、伴奏を頼めるかしら」
天幕を開いて、開口一番言うことがそれか。ヨニは思わず「ちょっと、いきなりそれはどうなの」と声をかけたものの、アザレアはどこ吹く風である。
奥の木箱に座って、音色を確かめるようにゆっくりと演奏をしていたフィドル弾きの青年も、さすがにこの発言には手を止めた。
怪訝そうな目つきでアザレアと、そして背後に立つヨニを順繰りに見つめ、
「何から何まで意味がわからないんだが。そもそも今までどこに行ってたんだ、アザレア」
「そうだよ。僕も座長も心配していたんだから。まあ、アザレアのことだから、その辺をふらふら散歩しているだけだろうとは思ってたけど」
フィドル弾きの青年ことチャールの後に続いて、手回しオルガンの回し手である男もアザレアの振る舞いを窘める。
とはいえ、この程度の苦言でアザレアがしおらしくなるわけもなかった。
「まあ、失礼な言い方ね。まるで、私が日頃から勝手気ままに飛び回っているみたいじゃない」
アザレアの反論に、彼女の仲間であるはずの二人は揃って渋い顔をする。どうやら、彼女は自らが言ったように、普段から勝手気ままに飛び回っているようだ。
「ところで、ヨニ。先に彼らの紹介を済ませちゃうわね」
すっかりアザレアのペースに巻き込まれている置いてけぼりの三人をよそに、アザレアは弾むようなステップで彼らに近づき、
「こちらは、手回しオルガンと打楽器の担当のケルッコ。そっちの愛想のないのが、フィドル弾きのチャールよ」
「え、と……俺はヨニ。この近くの村の司祭なんだ。今日は、ティモに劇団が来ているって聞いて、遊びに来たんだけど……」
アザレアとの間にできた奇妙な繋がりをどう伝えたものかと、ヨニが四苦八苦していると、先にチャールが軽く手を挙げてヨニの言葉を遮った。
「言わなくても大体わかる。またこいつが何か無茶苦茶なことを言って、そちらさんがそれに振り回されたってところだろう?」
「う、うん。大体そんな感じ」
「だろうねえ、アザレアはいつもそんな風に周りを巻き込んでばかりなんだから」
ケルッコもチャールも、ヨニが突然登場したことへの驚きよりも、アザレアに巻き込まれてここまで連れてこられたことを気の毒がっているようだった。
うんうんと頷く二人に、ヨニも不思議と一体感を感じていた。さしずめ、アザレアの無茶振りに振り回された被害者の集い、といったところか。
アザレアは少しばかり唇を尖らせていたが、すぐにけろりと不満げな顔から一転、朗らかな笑顔を見せ、
「私、これからちょっと着替えてくるから、二人はヨニのおもてなしをよろしくね!」
「あ、ちょっと! 俺、ここで待っていればいいの!?」
初対面の相手を前にして置き去りにしないでくれ、と言う前に既にアザレアは天幕の入り口から姿を消していた。遺されたのは、アザレアを呼び止めるために伸ばしたものの虚しく空を掻いた手だけだった。
「……まあ、うん。とりあえず、小汚いところですまないけれど、お茶ぐらいは出すよ。よかったら座るかい?」
手回しオルガン弾きのケルッコが、木箱の一つにわざわざ布をかけてくれて座るように勧めてくれた。
ヨニは親切な演奏者に小さく頭を下げてから、即席の椅子に腰を下ろした。




