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僕らはソラを謳う  作者: 千代里
幕間1の4つめ「アナと帽子屋と異国風の青年の話」
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幕間1・4-4

「まあ、司祭様がうちの店の帽子をお求めに!? それは光栄なことですわ。さあさあ、どうぞ中に入ってくださいませ。うちは工房も兼ねてますから、ちょっと狭くて申し訳ありませんけれど。そちらの方は……あら、お連れの方でしたか。失礼しましたわ。紳士用の手袋と帽子もありますから、ぜひ見ていってくださいな。あら? あらあら、まあ大変! 司祭様のブーツに泥がついているじゃありませんの! まるで、うちの小さな坊やが雪が解けたばかりの沼地に飛び込んだ時みたいに! あのくらいの子供って、いくら新しい服を作ってもあっという間に汚して帰るのよねえ。今年、八つになったのだけれど、まるで分別というものを理解してくれませんのよ。もしよろしければ、ブーツを貸してくださるかしら。こちらで泥を落としますから。室内履きはこちらにありますからね。ええ、そうですわ。春が近いとはいえ、底冷えする寒さは早々なくなりませんわね。それで、今日はどのようなご用でしたっけ?」

「帽子ですわ、奥様。恥ずかしながら、こちらの帽子しか私の手元にはないもので」

 店に足を踏み入れた瞬間から、洪水の如く押し寄せたお喋りの隙を縫って、どうにかアナは言葉を挟んだ。被っていた紺色の分厚い生地で作られた帽子を見せつつ、今日の要件を伝える。

「生誕祭に向けて、いくつか新調しようと思い至ったのが数日前のことなんです。あいにく、私は自分で作るほどの腕前もなく、イーナさんからここの店のものは質が良いと聞きましたので、窺った次第で――」

「イーナさんからのご紹介? あら、そうでしたの! あの方には昔からお世話になっていましてね、季節の変わり目には何度も訪れてくださるお得意様なのですよ。そういうことでしたら、最新流行のものを用意しますわ。ご存じかしら、最近都会では田舎風の麦わらでできた素朴な帽子が流行ってるのですって。もちろん、柔らかい布で作ったボンネット帽の流行もまだまだ衰えていないようですけれど。最近は異国風のプリントが持て囃されているそうよ。それに、造花も忘れてはいけませんね。近頃は布も綺麗に染まったものが随分と安く売られるようになりましてね、以前よりも鮮やかな布で花を作れるようになったのはご存じ?」

「では、麦わらの帽子とボンネット帽の両方をお願いできますか」

 先ほどから止めどないお喋りを続けているのは、この帽子屋の女主人であるエンマ・ラッポ夫人だ。

 イーナ女史と気が合う人物と聞いて、ある程度覚悟はしていたが、彼女の話し好きもなかなかに筋金入りだ。おそらく、イーナ女史が来店した折りには、まるで何十羽もの小鳥が一度に囀るようなお喋りぶりを、互いに披露していることだろう。

「かしこまりました。では、ちょっと奥までとってきますね。作っているのはうちの針子たちなのだけれど、工房はすぐそこにあるんですのよ。できたての帽子を、すぐにお客様に見せた方が良いというのがうちの方針でしてね――」

 アナに話しているというよりかは、独り言に近いお喋りを続けながら、エンマ女史はいそいそと奥へと引っ込んだ。

 彼女の話し声が聞こえなくなって、ようやくアナは落ち着いて店内の様子を眺める機会を得られた。

 室内は、居心地良く過ごしながら商品を見られるようにと点ってか、暖炉だけでなく、ちょっとしたお茶会が開けそうなテーブルや椅子まで用意されており、さながら小さな客間のような作りとなっている。

 この店を訪れる者の多くは女性だろう。エンマ女史のとりとめもないお喋りを楽しんでいるうちに、気付けば彼女が並べた帽子に興味を持つようになるといったところだろうか。

 のんびり寛げるような部屋の様子も、エンマ女史なりの策略なのかもしれない。もっとも、あの様子ならお喋りの方が主役を奪っていそうではあるが。

「……凄まじかったな、色々と」

 店の女中に勧められるがままに暖炉脇の椅子に腰を下ろし、室内履きに足を通して、アナは冷えたつま先を暖炉で温め始めた。

 その傍らでは、ラッポ夫人の、足踏みミシンもかくやの凄まじいお喋りに圧倒されたザックが、どこか疲れた様子で肩を竦めていた。彼もまた、向かいの椅子に腰を下ろして、大きく息を吐き出している。

「あれだけ喋って、よく舌がもつれないもんだ」

「楽しいお話をされる方だったわね」

 本人のいないところで悪いように言うわけにもいかないので、アナはありきたりな感想を口にした。実際、雪解け水によって増水した川よりも激しいお喋りではあったが、アナはそれを不快だとは思っていなかった。

「エンマさんは、紳士用の品もあると言っていたわ。ついでに、あなたも何か見ていったらどうかしら」

「あいにく、手袋も帽子も間に合っているんでね。それに、あのご婦人はアナ司祭に見てもらう方が嬉しそうだ」

 お喋りの熱量を考えれば、それは一目瞭然だ。だが、それだけが理由というわけでもなさそうだ。

 ザックの言葉の裏には、やや斜に構えた態度が透けて見えた。この国の生まれであったとしても、異国風の外見をしている彼は、これまで相応の苦労をしてきたのだろう。

 ティモの住民はそんな偏見を持たないと、安易に言えるほど自分は彼のことを知っているわけではないと、アナはそれ以上買い物を勧めるのは辞めることにした。

「そういえば、アナはこの町の司祭なのか?」

「いいえ。私はもう少し先にあるパユヴェシ村という小さな村の司祭よ。赴任したのも、つい半年ほど前」

 話の風向きが変わったのをこれ幸いとばかりに、アナはその話題に乗ることにする。

「ということは、村の希望で教会を増やしたってことか。ティモからその村まで、それなりに距離があるのか?」

「徒歩なら一時間は優に超えるわ。だから、村の人は、大体馬車で行き来しているの。ティモからも、村の施設に向けて乗り合い馬車が出ているから、そこまで不便ではないわね」

「それでも、こういう所で暮らすのはそれなりに大変だろ。一人で教会を運営しているのか?」

「いいえ、見習いが二人。どちらも若いけれど、優秀な子たちよ」

 そこで、ふっとザックの声音が変わった。

「……それって、もしかして、一人は金髪の十代後半ぐらいの少年じゃないか? 目の色が色違いのやつだ」

「私が面倒を見ている見習いは双子だから、どちらもあなたの言うような容姿をしているわ。ただ、ティモに最近行ったのはヘイノの方ね」

「ふうん。あの坊ちゃん、ヘイノっていうのか」

 彼の口ぶりから、どうやらヘイノとザックはどこかで会ったことがあるらしいと、アナも数秒遅れて理解する。

「ヘイノが司祭の関係者とよく分かったわね。先日出かけたときは、司祭の装束は着ていなかったはずなのだけれど」

「個人的な理由で、そういうのには目敏いんだよ。ってことは、オレとそのヘイノって名前の坊ちゃんがどこで会ったか、あんたはもう気がついてるんじゃないか?」

「いいえ、あなたとどこで会ったかまでは分からないわ。彼の話を聞く限り、広場か書店のどちらかだとは思うけれど」

 今度のザックの声音は、これまでの世間話の軽いものではなかった。

 出会ったばかりで言葉を交わしたときも、僅かに見せていた、こちらを試すような物言い。彼が何を見定めようとしているかなどと、アナに分かるわけもない。故に、彼女はただ淡々と自分の推論から導き出した答えを口にする。

「……もしかすると、あなたはヘイノに謎を託した古書の蒐集家さんかしら」

「正解。でも、思ったより時間がかかったな。こんなに目立つ姿をしているのに」

「ヘイノは、高価な古い聖典を買った人と会話をした、とは言っていたけれど、あなたの容姿の話はしていなかったから」

 その言葉に、ザックは驚いたように軽く目を見開いてから、何やら恥じ入るように視線を彷徨わせた。

「ああ、そう……なのか。そいつは失礼」

 先ほどまでの挑戦的な空気はどこへやら、今は気まずげに唇を曲げている。

(……不思議な人ね)

 ザックは、ヘイノが自分の外見も含めて上司であるアナに話したと思っていたようだ。だが、実際はそうではなかった。

 ヘイノは、ザックの容姿の話など口にしていないし、そのため、アナも珍しい異邦人の存在を古書店の蒐集家とすぐには結びつけられなかった。

 それは即ち、質問をしたザック自身が、誰よりも自分の容貌への視線を気にしているという証でもある。そのことに気がつき、自身の斜に構えた態度を省みて、ヘイノに対して一方的に偏見の目を向けて申し訳ないと思ったのだろう。

(私はヘイノではないのだから、わざわざ謝らなくてもいいのに。大雑把に聞こえる話し方や態度の割には、随分と律儀な人なのね)

 んん、と軽く咳払いをするザック。彼の羞恥をいたずらに煽るつもりはないので、アナも話題の舵を別の方向へと切ることにした。

 店の女中が差し出した紅茶を受け取り、唇を軽く湿らせてから、

「ティモには、ヘイノに話していた古い聖典を探しに来たのかしら」

「あ、ああ……まあ、そんなところだな。ただ、この辺りに来るのは初めてなんだ。だから、生誕祭が終わるまではこっちにいようと思ってる」

「あなたから見て、この町はどうかしら」

「なら、先にアナから見た町の様子を教えてくれないか? どうせなら、名物の一つでも教えてくれると嬉しいな」

 すっかり観光客の一人のような顔になり、ザックはアナの言葉を引き出そうとする。

「そうね。簡単に言ってしまうと、ティモはとても素朴な町よ。ただ、素朴なだけに居心地のいい町でもあるわ。『清めの日』には毎週市が立つし、そうでなくても毎日違う顔ぶれの露店商が広場に並んでいるの」

 それだけを聞けば、ごくありふれた田舎町の一つだ。ザックが求めるような名物や名所があるわけでもない。

「私はこの町の夏を知らないけれど、冬でも分かるほどに緑豊かなのだもの。きっと、夏には花が咲き誇り、川では水遊びに興じる子供が沢山いるのでしょうね」

 この国では、大都会にでも行かない限り自然はありふれたものだ。これも、彼の関心を誘えるような名物にはならないだろう。

 けれども、一つだけ。

 この町を、パユヴェシ村を語るときに、誇らしげに語ってもよいのではないかと思うものがある。

「ただ、この町とパユヴェシ村の中で、私が最も素晴らしいと思うのは、ここで暮らす人の穏やかで寛容な人柄よ。余所者の私を、すぐに村の一員として受け止めてくれたのだから」

 無論、それだけではない。

 住む場所を失ったニコを助けてほしいと頼めば、すぐに手を差し伸べてくれたシニッカ。

 外からきた見習いの二人も含めて、新たな村民となった司祭たちに尊崇の念を向けてくれたイーナを筆頭とした村人たち。

 町に顔を出すだけで、気さくに声を掛けてくれる人々。

 まだ一年も経っていないが、アナは彼らの前向きで温かな心は賞賛されるべきものだと感じていた。

「なるほどね。たしかに、そいつは都会にはない美徳だな」

 もっとも、先ほどの騒動のこともあってか、ザックの眼差しには依然として懐疑の念が混じっている。

 先ほどの一件で感じた、町への第一印象がいくらか払拭できたらと思って話してみたのだが、それを実のあるものとしてザックが感じるまではもう少し時間が必要だろう。

「あんたにばっかり話をさせるのは、公平じゃないな。オレから見たこの町の印象は……やっぱり、本屋だな。本屋の品揃えがいいのは、いい町の第一条件みたいなもんだ」

 わざわざ国中の店を訪ねて、幻の聖典を探すような蒐集家だ。ザック自身も、物珍しさ抜きにしても本が好きなようだ。

 だったら、このまま本の話題を振るのが一番無難だろう。頭の中で、これまで自分が目を通してきた書籍をざっと思い返しつつ、アナは話を続ける。

「あなたは、今までどんな本を読んできたのかしら」

「うーん……司祭様に話せるような、高尚な本ばかりじゃないってことだけは確かだな」

 にやりと笑って見せるザック。そうして笑うと、彼はまるで教室にいる子供のような、やんちゃな悪戯少年のようにも見える。

「私が司祭であることに遠慮する必要はないわ。本の良し悪しは、中身が道徳的であるかどうかとは関係ないもの」

「なら、遠慮なく。そうだな……代表的なところじゃ、リヌス・レミネンの『探偵紳士アールノ』、エリザベト・セタラの『我が愛に捧ぐ十二の詩』、あとはオラフ・カートラの『ヨウルの鐘』とかかな」

「どれも五十年程前に出た有名な作品ね。その時代の作品だったら、イェンナ・オクサラの『品行と奔放』は?」

「読んじゃいないが、タイトルを聞いただけで、教本じみた話だと思って手を出してないんだ。オレは、あまり堅苦しい話が好きじゃないんでね」

「あれはロマンス小説よ。タイトルだけで嫌厭していたのだとしたら、拍子抜けするかもしれないわ」

 するとザックは、してやられたと言わんばかりに、にやりと口角を釣り上げる。

「なるほど、たしかにロマンス小説は対象外だったな。なら、今度読んでみるか。他に何かお勧めはあるかい?」

「ロマンス小説は、友人に勧められたのをいくつか読んだだけだから、そこまで詳しくないの。イェンナ・オクサラの作品なら、一冊が気に入ればどれも興味深く読めると思うわ」

 ふんふんと頷いて、早速ザックは代表的なロマンス作家の名前をいくつか呟いている。今まで遠ざけてはいたものの、著名な作家は記憶に留めていたのだろう。

 ロマンス小説や探偵小説は娯楽の側面が強いためか、軽薄で中身のない作品と毛嫌いする者も中にはいるが、この青年はむしろその軽薄さを愛しているようだ。

 その後も、いくつか本のタイトルを出しては、あれは読んだだろうか、こっちは読んでみたらどうだ、と忌憚のない意見を交わしている間にも、アナは彼の読書の幅広さに軽い驚きを覚えていた。

 驚いたのはそれだけでない。気取らない姿勢と程よい抑揚をつけた話し方は、話している側の緊張をほぐし、いつまでも話をしていたいという気持ちにさせる。こうして雑談に興じられるのは、彼が持つ資質があるからこそだろう。

「ところで、オレがヘイノ坊ちゃんに託した謎は、アナは解けたのか? それとも、まだ彼から聞いてないとか?」

 本の雑談が一段落終えた時機を見計らったように、ザックが話したこと。それは、自分とヘイノとの間に生まれた接点でもある、一つの謎についてであった。

 古書店の片隅に置かれていた、古びた聖典。それだけ図抜けて高値だった理由が何か。

 その答えのヒントを、ザックはヘイノへと託したのだ。自分の指導者に聞いてみるといい、という言葉を残して。

「ヘイノはその日のうちに私に話してくれたわ。あれは、中止になった教皇様就任の式典の際に発行される予定だった聖典、でしょう?」

 ヘイノが導き出した推理を口にすると、ザックは「その通り」と軽く頷いてみせた。先ほどまでの饒舌さに比べると、いささか硬さが残る反応ではあったが、少なくとも的外れな回答ではなかったらしい。

「国中の本屋を訪ね歩いたと聞いて、あの子たちが驚いていたわ」

「ははっ、若いものにはピンとこないかもしれないな。ああいうのは、古いものの価値がわかるようになった大人の嗜みってものだ」

「それはそうね。ただ……少し気になっていたことがあるの」

 望みの古書を手に入れて、大層嬉しそうな様子の蒐集家の青年。わざわざこの話を蒸し返したのも、自分が如何に貴重なものを手に入れたのか、それを周りに吹聴したくなるほど浮かれているからかもしれない。

 そんなにも喜びに満ちあふれた人物を前にして、このことを伝えるべきなのかどうか。束の間の逡巡を経て、アナは口を開こうとした。

「実は、あの聖典は――」

「さあさあ、司祭さま! 大変お待たせしましたわね。その代わり、ほらご覧になって! まずはボンネット帽から紹介させていただきますわね。こちらは、異国の模様を取り込んだ布で作らせたものよ。こっちの帽子のレースは、まるで花のように美しいでしょう。どれも、最新流行の型紙でできてますの。それと――」

 店の奥から出てきたエンマ夫人の売り文句が、再び洪水のように傾れ込んできたため、アナは笑顔でそれに応じなければならなくなってしまった。

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