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僕らはソラを謳う  作者: 千代里
幕間1の4つめ「アナと帽子屋と異国風の青年の話」
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幕間1・4-1

 アナの自室には、物がない。正確には、私物と言えるようなものがない。

 寝台や書き物机、クローゼットのような生活必需品として、住み始めた頃に用意した家具ならある。身だしなみを整えるための鏡や、顔を洗うための陶製の桶や水さしなどの必要な小物もある。

 だが、ヘイノやヨニの部屋のように、個人的な持ち物がこの部屋には存在していない。

 彼らの部屋には、子供たちからのちょっとした贈り物が度々姿を見せている。少女たちが摘んできた花を花瓶に生けてあったり、少年たちが見つけてきた綺麗な石や蝶の羽の一部などが棚の片隅にのせられていたり、といった具合だ。

 しかし、アナは子供たちからの贈り物を貰う機会もなく、隣人から貰ったものは、実用的な品ならすぐに使ってしまう。飾り物はリビングや居間の装飾に用いられるが、アナの部屋には持ち込まれない。

 故に、アナの部屋は、その部屋を用いる彼女自身の気配が驚くほど薄かった。

 そんな実用一辺倒の空間では、アナは外出の準備をしていた。鏡には、飾り気のないコートを纏った彼女自身の姿が映っている。

「この格好、やっぱり彼らから見ても地味なのかしら」

 思い出しているのは、先日訪れたシニッカの家で話をしたイーナの言葉だ。

 地味で簡素で飾り気が無い。司祭としては問題ない装いだと判断していたが、それ以外の場で適切かどうかと問われるとアナも首を傾げざるを得なかった。

 今日は、その問題を解消するための外出でもある。

 こんこん、とノックの音が響く。軽く返事をして内鍵を開くと、双子の片割れであるヘイノが顔を覗かせた。後ろには、ヨニの姿も見える。

「アナさん、失礼します。書斎にある歴史書をいくつか借りてもいいでしょうか。今日の授業で使いたいんです」

「構わないわ。使った後は、元の場所に戻しておくのを忘れないように」

「はい。ところで、アナさんは今日はどちらの家にお出かけでしょうか? 招待状は届いていなかったと思うのですが」

 アナが外出用のコートを羽織っていたので、外に出かけるつもりであることが一目でわかったのだろう。最近は村の各家からお茶やらお昼やらの招待がよく届くので、その一つだとヘイノは考えたようだが、アナは首を横に振った。

「今日は、どこかの家に招待されたわけではないわ」

「それなら、ティモの教会に用事ですか?」

「その予定もあるわ。そのついでに、お祭りが近いようだから、帽子を買いに行こうと思うの。イーナさんから、おすすめの帽子屋を教えてもらったものだから――」

 そう言った瞬間、ヘイノの背後で「ええ!?」という驚きの声が響く。次いで、何かがバタンと倒れる大きな音も。どうやら、後ろで話の立ち聞きをしていたヨニが何か落としたようだ。

「そこまで驚くことかしら、ヨニ」

「いや、驚きもするでしょ! だって、冬の間は服とか帽子を買うとか、そういうことは一度も言っていなかったじゃん!」

 廊下に倒してしまった箒を拾い上げつつ、顔を出したヨニは率直な彼の意見を口にする。

 ヨニの反応は、一般的には失礼と言われるものかもしれないが、それも無理はなかろうとアナはあっさりと受け入れていた。

 実際、アナはパユヴェシ村の教会で司祭としての仕事に従事し始めてから、個人的な嗜好品のようなものを欲したことは一度もなかった。衣服や帽子といった身につける品もその一つだ。

 司祭の装束と、以前の勤め先であった教会から持ってきたコート。あとは、外出用に持ち込んだいくつかの私服たちで全て事足りるとアナは判断していた。

 手持ちの衣服は、どこに着て行っても失礼にならないように、と選んだものだ。必要以上に豪華な服を用意する必要はない。

 アナにとって衣服とは、自身が活動するにあたって問題のない機能があり、相手に不快感を与えなければそれでいい、というものだった。

「俺が自分の服の仕立てに行くとき、一緒に行きませんかって尋ねたときも全然興味がなさそうだったし!」

「ヨニ、そのような反応はアナさんに失礼ですよ」

「でも、ヘイノだって内心そう思ってるでしょ。さっき、目を見開いてたくせに」

「いや、まあ……それは、多少びっくりはしましたが」

 どうやら、ヨニだけでなく、後からきたヘイノにとっても、アナはそのような人間だと認識されていたらしい。

 見た目の華美さよりも、機能性が最優先。必要なものがあれば、それ以上は求めない。二人のその捉え方は、決して間違ってはいないのだが。

「先日の招待先で、何かあったのですか?」

「イーナさんに、帽子がお祭り向きのものではないと言われたの。今度のお祭りには、私もティモに行くことになるでしょうし、そうなった時にエスコートする相手に恥をかかせるわけにはいかないわ」

 アナの発言は、実に淡々としていた。

 まるで、スープの材料に使う野菜が必要だから近所から貰ってくるわ、と言っているのと全く変わらない温度感であった。

 その口ぶりからも、祭りに浮かれて帽子を選びに行く若者という空気は一切感じられないと、二人も察したのだろう。二人の目が「ああ、いつものアナさんだ」と言わんばかりに変化していく。

「アナさんも、『生誕祭』にあわせてティモに行くつもりなんですね」

「ご近所の方も参加するようですし、私もぜひと勧められているから、応じるのが私の務めでしょう。あとで、その話が出たときに、私が行かなかったことで気を遣わせるわけにはいかないもの」

 アナとしてはごく自然な結論として口にした内容に対し、ヘイノとヨニは怪訝そうに顔を見合わせていた。

 その様子を見て、アナは思う。

(……ああ。私は、間違えたのね)

 油断した、と心の内で静かに自省をする。

 これはヘイノたちに限った話ではない。彼らに出会う前から、司祭になったときから――あるいはもっと幼い頃から。

 アナが自分なりに考えて導き出した思考の過程を口にすると、周りの人がこのような反応を見せることがある。

 自分はきっと、何かを間違えているのだろうとは分かっている。間違いは正さねばとも思う。そして、正解を導き出す解法についても、長年の経験で身につけてはいる。

 ただ、それを自然なものとして己に取り込めてはいない。だから、たまにこうして『間違えて』しまう。

「えーっと……近所の人の意見は置いておくとして、アナさん自身はどうなの? お祭りに、行きたくないの?」

 気遣うようにおずおずと尋ねるヨニに、アナは口角を微かにつり上げる微笑を返す。目元を細め、微笑を浮かべれば話をしている相手に安心を与えられる。

「行きたくないわけではないわ。ただ、この教会を預かる司祭としての務めもあるから、お祭り期間中に足繁く通うとはいかないでしょう。あまり長く教会を空けてもおけないもの」

「そういうことなら、俺とヨニで交代で留守を預かりますよ。アナさんにも、たまには教会のことを忘れて自由に過ごす時間があるべきです」

「そうね。それなら、ありがたくそうさせてもらおうかしら」

 どうやら、この返事は間違いではなかったらしい。双子の頼もしい言葉に、アナは軽く頷き返した。

(ヨニもヘイノも、出会ったときよりに比べればずっと私と近い関係になった。だからこそ、私の気持ちを気遣ってくれるのでしょうね)

 人間という生き物は、親しみを覚えた相手の幸せを気にするものであるらしい。そして、幸せとは大抵、己のしたいことができるかどうか――自由意思による行動ができているか、という点が注目されるようだ。

 二十と数年の経験でそれを知っているのに、よく話す相手にはつい気を抜いてしまう。

 そのせいで、相手が不安を感じる返事をしてしまう場合がある。自分としては、ただ自分が思ったことをそのまま口にしているだけなのだが。

「それで、新しい帽子を被ってエスコートしてもらうっていう相手は誰? パユヴェシの人の誰か?」

 どうやら、ヨニはアナが知らぬ間に親しい仲になった誰かと共に祭りに向かう、と考えたらしい。村にいる若者から老人まで、ありとあらゆる男性の名をあげつらねそうな勢いのヨニに、アナはごくあっさりと言う。

「あなたたちのどっちか以外に、他に誰がいると言うの?」

「ああ、そういう意味だったんだ」

「なんだか、そう言われるとちょっと緊張しますね。上手くできるでしょうか」

 二人はまだ、女性をエスコートした経験はないのだろう。緊張が混じった表情で、互いの顔を見合わせている様子は、さすが双子と思うほどによく似ていた。

「ただ、はっきりしてるのは、俺たちは別にアナさんがどんな格好をしていても、恥をかかされたなんて思わないよ」

「俺もヨニと同意見です。むしろ、俺たちがアナさんをエスコートできるほど、きちんとした振る舞いができるかの方が心配ですよ」

 アナが人知れず双子の体面を気にしていた、という状況がむず痒かったのだろうか。小さな照れ笑いと共に言うヘイノに、アナもまた淡い微笑を送る。

「ありがとう、二人とも。ただ、これは私のこだわりのようなものだから」

 一言、そう述べるだけで二人はすんなりと納得してくれた。

 拘り。趣味。好み。

 好きでやっていることだから。自分の務めだから。

 そういった言葉を口にすれば、大抵の人はアナの失言や、らしくない振る舞いを自己流に解釈して納得してくれる。

 アナスタシアという女性は、そういう趣味嗜好の人物なのだから、と。

(……拘りなんて。そんなもの、私にはないのだけれど)

 その本心を口にしてはならない。それは、周りに不和と困惑をもたらす不適切なものだ。他者を不幸にするのは、アナの望むところではない。それだけは、きっと万人が納得してくれる理屈――のはずだ。

 だから、アナは上品な微笑みを浮かべ、司祭として必要なきびきびとした態度という名のベールで、空虚な自分を覆い隠す。

 他者を幸せにすること。

 それこそが、司祭の務めであり、使命である。

 そして、それだけが、アナスタシア・エルヴァスティという、空疎な女にとって必要なものだった。

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