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僕らはソラを謳う  作者: 千代里
幕間1の3つめ「ヘイノとニコと古書店の話」
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幕間1・3-2

「今日のティモは、いつもよりも賑やかですね。何かあるんでしょうか?」

「シニッカさんから聞いたんですけれど、『生誕祭』の時期になると、市場にはいつもの倍以上の人が来るそうですよ」

 ニコの説明に、ヘイノは納得の頷きを返しつつ周囲を見渡す。

『清めの日』の市場は、いつ訪れても行き交う人々の熱量に圧倒されそうになるが、今日はいつにも増して活気に溢れている。

 居並ぶ商人たちの中には、見慣れない顔もちらほら見て取れる。並んでいる商品の中に目新しいものが多くあるように感じるのも、気のせいではないだろう。

 ヘイノとニコは、ティモの町の中央にある広場にやってきていた。

 今日はニコの用事のために町に来たのだが、常よりも賑わっている市場の誘惑を振り払えるわけもなく、二人は今は露店を見て回っているところであった。

 果物や野菜、加工した肉や魚といった、日常的に目にするものも依然として多いが、そんな中でもとびきり目を惹いたのは、石をあしらった装飾品の店だ。

 一級の加工が施された宝石の他にも、着色された水晶や、硝子玉を宝石のようにあしらった品も見受けられる。それが一つ二つでは収まらず、広場のあちこちに店を構えているのだから、誰だって足を止めるだろう。

 そして、それはニコもまた同じだった。

「ヘイノ先生、これ、見てください。このブローチ、覚えてますか?」

 ニコが指さしたものを目にして、ヘイノも彼女が自分を呼んだ理由を知る。それは、ニコが火事を招くきっかけとなってしまった、熱を発する聖石のブローチによく似たものだった。

「これは、さすがに聖石ではないですよね?」

「もちろんだとも、お客さん! 聖石なんて、そんな高価で貴重なもの、うちじゃとても扱えませんや」

 とんでもない、と声をあげたのは露店の店主だった。

「その代わり、お嬢ちゃんみたいな小さな子でも手が届くお手頃なものなら、いっぱいありますぜ」

 ヘイノたちが興味を持ってくれたと思ってか、彼は次から次へと腕輪やネックレス、ブローチを並べ始める。どの装飾品にも、やや大ぶりな石飾りが輝きを放っていた。

 一番多いものは、研磨した水晶に色をつけたものだろうか。しっとりとした輝きは、宝石とはまた違う趣がある。

「あのブローチ、気に入っていたんですか?」

 ヘイノが申し訳なさそうに言ったのは、彼女のブローチは教会に押収されたまま未だに戻ってくる気配がないからだ。

 しかし、ニコはそうではないと言わんばかりに、小さく首を横に振る。

「気に入ったというのは……少し、違うかもしれません」

 手袋に包まれたニコの指が、真っ赤な石飾りをはめ込んだブローチをつまみ上げる。花のような丸みを帯びた可愛らしい台座には、暖炉の炎に似た柔らかな色味の赤い石がはめこまれていた。

「ただ、なんだか懐かしいなって思ったんです。まだ、あのことがあってから、一ヶ月とちょっとしか経っていないのに」

 ニコの言葉に導かれるようにして、ヘイノは彼女とこの市場に初めて来た日のことを思い出す。

 思えば、ニコが粗悪な聖石のブローチを購入したことが、全ての始まりだったとも言える。

 あれがなければ、ニコがシニッカの家に忍び込んだことは、分からずじまいだったかもしれない。あるいは、発覚がもっと遅れて取り返しのつかない事態になっていた可能性もある。

 火事の元凶ではあるものの、ニコにとってあのブローチは彼女の人生に変化を与えた契機でもあったわけだ。

 ニコの視線は、ブローチからなかなか離れようとしない。ただ思い出を懐かしんでいるだけとは言い難い様子に、ヘイノは彼女へと声をかける。

「ニコ、このブローチを買いたいのですか?」

「……はい。火事の原因になったものと似ている品を買いたいなんて、おかしいでしょうか」

「でも、ニコは欲しいと思ったのですよね。なら、それだけで理由としては十分ですよ」

 ヘイノがそう請け負うと、ニコは小さく微笑みを返し、ブローチの購入を店主へと申し出た。

 エプロンにしまっていた巾着から取り出した財布から、いくらかの硬貨を取り出し、代わりにブローチを受け取る。無事に自分のものとなったブローチを手にして、何やら安堵した様子でニコはそれを襟元につけた。

「あれとは同じものではありませんが、思い出に繋がるものが戻ってきてよかったですね」

「私も、そう思います。それに、実は……あのブローチが懐かしかったのは、先生やシニッカさんとの思い出もあるんですが、あれが初めて自分のお金で買ったアクセサリーだったからもあるんです」

 暖を取るためという理由があったからこそ、購入を決意したものではある。

 とはいえ、たった一個のブローチであったとしても、綺麗なものが自分の持ち物にあるというのは、ささやかながらも少女の心の支えとなってくれていた。

「それに、これが側にあったら、これまでの自分と今の私が繋がっているように感じられるんじゃないかって思うんです。シニッカさんとの暮らしには、もちろんとても満足しているのですけれど……なんだかあまりにも幸せすぎて、まるで夢の中にいるように思えてしまう時がありますから」

 目が覚めたら、これまでの日々は全て夢の泡として消え失せて、本来の自分は冷たくて固い寝台の中で縮こまっているのではないか。

 あるいは、自分は最初からシニッカの元で育った娘であり、お世話になった人たちとの思い出や、母と過ごした日々こそが偽りだったのではないか。

 そんな考えが頭をよぎるたびに、ニコは小さな不安を覚える。

 使用人として生きてきた自分も、シニッカの元に引き取られた自分も、等しくニコレッタという少女の人生だ。その二つの人生を結びつけるために、ニコは自分の人生の転機に居合わせたブローチを思い出せるものを、手に取ったのだ。

「なんだか分かるような気がします。俺も、ここしばらくの生活はこれまでと全く違うものでしたのに、何だか何年もそうしてきたような気分になっていますから」

 これまでの生活を覚えていない以上、パユヴェシ村に来てからの生活は、何もかもがヘイノにとっては初体験だった。

 ヘイノにとって、今の生活は平穏そのものだ。司祭としての仕事を始めたばかりの頃の緊張は、今では嘘のように解けている。

 だが、だからこそ、自分が記憶を失っていることを、自分に連なるものを何もかも失っているのだという事実を、時折忘れてしまいそうになる。

(まるで、生まれたときからパユヴェシ村で暮らしていて、司祭としての仕事をしてきたかのような……)

 だが、現実はそうではない。

 ヘイノは、双子の弟であるヨニとの思い出を持たない。

 母の顔も、父の顔も知らない。

 アナを師として、司祭の務めに励むようになったのはここ一ヶ月のことに過ぎない。

 ありもしない幻想を振り払い、ヘイノは周囲を見やる。

「それにしても、今日は見慣れないお店が多いですね。これも、『生誕祭』が近いからでしょうか?」

「そりゃあ、この時期は何もかもが特別だからな。特別な飯に、特別な服、お祭りならではの特別な催し物。そのための準備も念入りにってわけさ」

 店先で話をしていたために、会話が聞こえたのだろう。ブローチを売ってくれた店主が、ヘイノの何気ない質問に答えてくれた。

「中でも、俺たちみたいに飾り物を売る連中は、この時期が一番の稼ぎ時なんだよ。ってなわけで、お二人ももう少しどうだい。晴れ着にあわせるなら、やっぱり新品のお守りがいいだろう?」

 この国では、石をあしらった装飾品はただの飾り物ではなく、お守りとしての意味合いも持つ。

 始祖が女神より聖石を賜った逸話を聞き、当時の人々は聖石そのものをお守り代わりに持ちたいと言い出したらしい。

 だが、不可思議な力を発揮する聖石を、たかだか装飾品として扱うのはあまりに勿体ない。そう考えた始祖の弟子たちは、聖石ではなく、その代用品を身につけることを人々に提案した。

 その結果、宝石だけでなく、着色した水晶や宝石を模した細工ものをお守りとして身につける習慣が広まっていったのである。

 今では、お守りではなくネックレスやブレスレットのように身を飾るための品も多くあるが、どの装飾品にも石をあしらった飾りをつけるのが一般的だ。

「せっかくですから、ニコはもういくつか買っておきますか?」

「いいえ、私はこれ一つで大丈夫です。シニッカさんからいただいたお金も、そんなに多くないですから」

 外出の際、シニッカは幾らかのお金をニコに渡していた。出かけるついでにお菓子でも食べてきなさい、と多めに持たせてくれた分は、既に先ほどの買い物で使われている。

「それなら、お兄さんの方はどうだい? 見たところ、あんたさんは何もつけていないようじゃないか」

「いいえ、一応身につけていますよ」

 言いつつ、ヘイノはシャツの下にしまっていたペンダントを取り出す。鎖にあしらわれた白い石飾りを目にした瞬間、店主は目を丸くして、大げさなほどに口をあんぐりと開き、

「ペンダントに白い石……って、あんたさん、司祭だったのかい!?」

 店主の視線が、ヘイノの全身を行き来する。その様子に、ヘイノはようやく今の自分が到底司祭には見えないことを漸く自覚して、曖昧な笑みを返した。

 今日のヘイノは、司祭としての用事ではないため、司祭の制服でもある黒と白のコートを身につけていない。

 代わりに今日の彼は、ジャケットにズボン、分厚いコートと毛織りの帽子という私服姿だ。この装いだけで、一目見てヘイノを司祭と判別するのは至難の業だろう。

 白い石を扱った装飾品を身につけられるのは、教会の司祭のみである。そのため、ペンダントを見てようやく店主はヘイノが何者であるかに気がついたのだ。

「司祭といっても、今は仕事中ではありませんから、そんなに畏まらないでください。それよりも、一つ聞いてもいいでしょうか?」

「あ、ああ。俺みたいなもんで答えられるものなら」

「今の俺のように私的な用事で出かけているときでも、司祭が身につける装飾品は白い石を使ったものだと、一般的にはそう思われているのでしょうか?」

 ヘイノの知る限りでは、そのような決まりはない。だが、世間の考えと、教会の規則にはズレもあるだろう。

 どうせなら、店主のようにその道の専門家に聞いておけば間違いはあるまいと尋ねたところ、店主は厳しい顔で「ううむ」と唸ってしまった。

「司祭さまでも、仕事をされていないときは白以外の色を身につけるっていう方もいるけれどねえ。その辺は、司祭さまによるってところだな。私服姿でも司祭さまとして扱われたい人もいれば、そうでない人もおられるだろうからね」

「……そう、なんですね」

 店主の説明に、ヘイノは束の間、司祭としての立場から外れた自分を想像する。

 ニコやシニッカのように、司祭の道を選ばずとも善良な隣人として生きることはできる。司祭としての道を生きるのを辞める――その可能性が、不意に具体的な形を伴ってヘイノの中で生まれる。

(でも、司祭ではない俺は、果たして、今までの俺と同じようにいられるのだろうか)

 司祭であることは、ヘイノにとって自分というものの原点であり、始まりそのものだ。その大事な人生の土台を安易に取っ払っていいものかと、逡巡が生じる。

「それなら、俺は――白い石を使ったものを探してみます」

「そんなら、たしか教会に卸している専用の商人がいるはずだ。普通の店じゃ、白い石の装飾品なんて扱ってないからな。男性なら、カフスボタンとかが最近流行ってるんじゃないか」

 結局、ヘイノは司祭である事実を隠さないことを選んだ。今度、アナに相談して適当なものを見繕っておこうと考えていると、

「あの、ヘイノ先生。前々から少し気になっていたんですが、ヘイノ先生のペンダントやヨニ先生の石は、聖石ではないのですか?」

 聖石は簡単に手に入るものではない。だからこそ、ニコのブローチは粗悪品だとすぐに分かったのだが、それなら司祭が自らの職の証として掲げている石はどうなのか。

 そんな素朴な疑問に対して、ヘイノはなけなしの自分の知識を総動員する。

「聖石を装飾品にする、というのは聞いたことがありませんね。そもそもが貴重なものだからこそ、教会が管理しているという話ですから。俺の身につけているものも、白い石ではありますが聖石そのものではないはずです」

「……あー、いや、司祭さま。あまり表だって言える話じゃないんだが、聖石を使ったアクセサリーってやつは……実はないわけじゃないんだよ」

 ヘイノが説明を終えようとした矢先、横から店主の声が飛び込んでくる。

 予想外の内容に驚く二人に、店主は身を乗り出して、ひそひそ声で「ここだけの話だがね」と続ける。

「最近、未加工の白い聖石を装飾品に加工してくれって、職人に依頼がくるようになったそうなんだよ。一応、教会が許可を出したら問題なしってことになってはいるからね」

「えっ、そうなのですか!? ヘイノ先生は、知っていましたか?」

「いいえ、俺も初耳です。もしかしたら、アナさんは知っているかもしれませんが……」

 人々の生活を守り、痩せた大地を豊かな土地へと生まれ変わらせた奇跡の力。教会にとって、聖石とは始祖が女神より授かった奇跡そのものであり、資源としても貴重な品だと言われている。

 故に、聖石の使用用途や加工に関する技術は、教会が厳重に管理していると聞いていたが、どんな場所にも抜け道というものは存在しているらしい。

「おおかた、加工をしても十分に効果を発揮できなさそうな純度の低いものとか、とても小さな欠片とか、そういうものだろうけどな。とにかく、始祖が女神より授かった奇跡の品を身につけるっていうのが、金持ち連中の間で最近流行っているらしい」

「なんだか、とても恐れ多いことをしているように聞こえるのですけれど……。それに、司祭さまでもないのに、白い石を身につけるなんて」

 ニコが不愉快そうに眉を顰めているのも、敬虔な信徒としては当然の反応だ。

 聖石は始祖のものであり、彼女の教えを広めている司祭たちすら、それを模した飾りを身につけるに留めている。

 だというのに、まるで始祖を騙るような振る舞いをするなどというのは、人によっては大層不敬な振る舞いのように見えるだろう。

「ま、そういう連中もいるって話さ。そして、それに良い顔をしない奴も勿論いる。お兄さんも、変な連中に絡まれないように、『自分は司祭だ』って最初から言っておいた方がいいかもしれんな」

「ご忠告、ありがとうございます。今度から、そうするようにします。別に騙しているつもりはないのですが、気を悪くする方もいるかもしれませんから」

 先ほどのやり取りでもあったように、司祭服を身につけていない司祭は、一目見ただけでは司祭と分かりづらい。

 アナのように、司祭として大きな白い石をあしらった装飾品を身につけるのを許されていれば別かもしれないが、ヘイノは見習いであるが故に、そこまで大きな石を使った装飾品は教会から支給されていない。

 いたずらに他人を驚かせたくもないし、司祭としての身分証明であるペンダントを目にした人が誤解をするのも避けたい。自分の身なりをこれまで気にしたことはなかったが、これからは今まで以上に考える必要がありそうだ。

 話に区切りがついたのを契機に、ヘイノたちは店主に一礼して店を後にする。

(色々と考えることは増えてしまったけれど、何はともあれ、ニコが嬉しそうでよかった)

 自分の隣を歩く少女が、ちらちらと襟元のブローチに視線を落とし、時折愛おしげに撫でる姿にヘイノは目を細める。

 考えることは数あれど、それこそが、今の彼にとっては最も大事なことだった。

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