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僕らはソラを謳う  作者: 千代里
幕間1の2つめ「ニコのお使いの話」
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幕間1・2-8

「まあ、道の看板がなくなっていたなんて! それで、迷子になってしまったのね」

「ええと、それもあるのですけれども……実は、私が通った道の先には、お花畑があったんです。そこで、お花を摘むのに夢中になってしまって、気がつけばどの道から来たのか分からなくなってしまったんです」

 無事に家に帰ったニコは、ベロニカに別れを告げた後、まずはシニッカに無事な姿を見せて彼女を安心させた。

 ベロニカが捜索に出た後、家に戻ってきたヘイノとアナに協力を頼んで、近所の人たち総出でニコの捜索が行われたのだと後から知らされ、今度はニコが卒倒しそうになった。

 捜索のために協力してくれた司祭や隣人たちには、ベロニカが自宅に戻るついでに無事の帰還を伝えておくと請け負ってくれた。

「ロポネンさんの森に、そんなお花畑があるなんて。ここには長く住んでいるけれど、全く知らなかったわ」

 話しながら、シニッカは居間の花瓶に飾られた春の花々を見つめる。

 持ち帰る道中で花はいくらか萎れてしまっていたが、「水を吸わせておけば、すぐに元気になるわよ」と暫し茎を水に浸してから、こうして花瓶に移したのである。

 ネコヤナギも同じく花瓶に入れられており、ふわふわの花穂に白猫ことルミが時折じゃれついていた。一方、大冒険を終えた黒猫のリクは、既にシニッカの部屋に置かれた自身の寝床で丸くなっていた。

 ニコの帰還から、あれこれとばたついていた時間が過ぎ去り、ようやくいつもの平穏な夜の時間が訪れた。だからこそ言わねばと、ニコはおずおずと口火を切る。

「……あの、シニッカさん」

「何かしら? ああ、まだお腹が空いているのね。それなら――」

「お、お腹が空いているわけではないんです」

 ニコが顔を赤くして小さくなったのは、家に帰って早々、シニッカに「おかえり」という言葉と共に抱きしめられている時に、盛大にお腹を鳴らしてしまったからである。

 すぐさまパンや野菜たっぷりのスープ、そして魚の酢漬けを添えた夕飯を出してもらったので、今はもう空腹に悩まされてはいない。

「その、シニッカさんに話したいことがあるんです。……私、ここ数日、シニッカさんのために何かできたらって、色々なことをやっていました」

 ニコの突然の告白に、シニッカは静かに耳を傾けてくれた。焦らせることもなく、ただじっくりと待ってくれている。

 それが分かっているからこそ、じっくりと言葉を選んできちんと伝えられたらと思うのに、なかなかこれぞという単語が出てこない。

 暫く要領を得ない言葉をいくつか漏らしてから、ニコは続ける。

「でも、どれも上手くいきませんでした。上手くいかないから、尚更焦ってしまって、ちゃんとしなきゃ、役に立たなきゃ……ってそう、思ったのですけれど」

 膝の上で祈りのときのように指を組み合わせる。見えない命綱にしがみついているかのように。

「自分で色々考えて、ベロニカさんとも話をして……それで、気がついたんです。私、シニッカさんに御礼をしたいって気持ちはあったけれど、段々その気持ちが何だか堅苦しいものになってしまっていて……押しつけがましくなっていたかもって」

 ベロニカは、ニコを「出しゃばり」と言った。

 全くもってその通りだ。自分はシニッカの気持ちを考えようともせずに、ただただ出しゃばることに意味を見いだそうとしていたのだから。

「押しつけがましいなんて感じたことはないわ。ニコが頑張ってくれることは、ちゃんと私も分かっていましたよ」

 その言葉が、涙が出そうなほどにありがたい。けれども、ここで甘えて終わりにしてはいけない。

 自分の出しゃばりは、ただ恩返しが行き過ぎただけ――ではないのだから。

「それに私、ただ御礼がしたくて頑張っていたわけじゃないんです」

 これを言うのは失礼になるのでは、と一瞬迷う。だが、遠慮をするのは、友人には相応しくない振る舞いだろうと、心を決める。

「私は……何かできないと、ここにいられないんじゃないかって――そう、思っていたんです」

 自分でもなかなか気付けない、ずっと深い深い胸の奥底で。自分は、シニッカが与えてくれた親切を疑っていた。

 仕事をする代わりに居場所を与えられる。それが、これまでのニコの人生だった。

 だからこそ、仕事をしなくても居場所を取り上げられない状況を素直に受け入れることができなかった――信じられなかった。

「……この生活は、ニコにとっては楽しくないものだったかしら」

「いいえ、そんなことはありません!」

 それだけは違うと、ニコは勢いよく首を横に振る。

「すごく幸せで、嬉しくて、心地よくて……毎日が楽しいことの連続でした。でも、その楽しい気持ちを受け取るのが、私は苦手みたいなんです」

 何もしないで自分の楽しさばかりを追い求めると、途端に後ろめたくなってしまう。周りはもっと苦労しているのに、自分一人が遊び歩いているような罪悪感が生まれてしまう。

(こんなことを急に言われて、シニッカさんをまた困らせてしまったでしょうか……)

 そっと様子を伺うと、シニッカは口元にそっと手を当てて暫く考えるような素振りを見せた後、目を細めてニコに向き合った。

「あなたは、今までとても頑張り屋さんだったのね。だから、何も頑張らないでいることが落ち着かないのでしょう」

「……そうなのかもしれません」

「だったら、これからは、頑張らない方法も学んでみましょうか。さしずめ、頑張らないことを頑張る、かしら?」

 予想外の言葉に、ニコは今まで落ち着かずに彷徨わせていた視線をシニッカへと向けていた。

「頑張らないことを、頑張る?」

「ええ。簡単なことじゃないか、と思っているかもしれないわね。でも、意外とこれって難しいことなのですよ」

 彼女の言う通り、ニコは「怠惰に過ごすなんて誰でもできる」と思っていた。、何もしないでいるだけなら、赤子でもできることではないか。

「たとえば、今のニコは『昼の鐘が鳴るまで寝ていなさい』と言われて、簡単にできると思う?」

「それは……」

 できる、と言おうと思った。だが、実際に頭の中でその様子を思い描き、ニコは答えに詰まってしまった。

 ベッドの中にこもりきりでいること。体を横たえていればいいだけの、実に簡単な命令だ。だが、果たして、周りで皆が活動していると分かっているのに、ずっとベッドの中にいる自分をよしと出来るだろうか。

「……難しいかも、しれません。だって、ずっと寝てばかりいる私を、私は好きになれなくなってしまうでしょうから」

「――ニコは、本当に頑張り屋さんね」

 ゆっくりと、噛みしめるように、あるいは窘めるように、シニッカは言う。

「頑張り屋は、よくないことでしょうか」

「いいえ。頑張ること、勤勉であること、前向きに取り組もうとすることはとても良いことよ」

 誰だって、怠けている人間よりも、何かに必死になって挑戦している人間の方が尊いと感じる。少なくとも、聖典では勤勉や勤労を良きものとして説いている。

「けれども、時には足を止め、誰かとお喋りをしたり、好きなことを自由にしたり……そうやって、休息を己に許すことも、また大事なこと。そのために、始祖は『太陽の日』を定めたのですから」

「休息を、自分に許す……」

「長い冬を乗り越えるために、人々は休まずに働くことこそが大事だと思っていた。けれども、休まずに働き続けているうちに、彼らは疲れ果てて動けなくなってしまった」

 シニッカの語る話は、聖典にある代表的な話のひとつだ。すぐさま、ニコは彼女の後を追う。

「始祖は、疲れ果てた人々の姿を目にして、一週間の中で一日は、自分や家族、愛する隣人のために祈りを捧げて疲れを取り去る日とすると定めた。最初、人々はそれを拒もうとした。一日休んでしまったら、その分だけ得られるものが減ってしまうように感じたから……」

 しかし、始祖は己の意見を翻さなかった。試しに一日の休息をとったところ、人々はその効果に大変驚いたそうだ。

 たった一日の休息ではあったものの、その休息のおかげで、ある者は家族と言葉を交わす時間を得た。またある者は、友人と他愛のないお喋りに興じる時間を得た。

 そうして、休まずにいるよりも多くのものを得た彼らは、続く労働の日々でも、今まで以上の成果を得たのだ、と説話は結ばれている。

 始祖が定めた、休息の日。それは勤労で得られる成果の代わりに、人々の心に目に見えない宝を授ける日となった。

 ゆえに、その日が『太陽の日』と呼ばれるようになったのは、冬が長いこの国において最も喜ばれる贈り物が何かを考えれば当然と言えよう。

「今のニコは、まだ自分にお休みを許すのが難しいようね。でも、これからは、一休みをしている自分のことも好きになってあげてほしいの」

 そうはいっても、本当に一日中寝ていなければならない、というわけではない。ただ、自分の自由時間すらも削り取り、誰かのために捧げなければならないと思う必要はないとシニッカは告げる。

「……私に、上手くできるでしょうか」

「最初は難しいかもしれないわね。だから、私と一緒に、少しずつ頑張らないやり方を学んでいきましょうか。そしてもちろん、必要なときはうんと頑張りましょうね」

「……はい」

 ニコは深く頷き返す。今はまだ、受け止めることすら難しい考え方ではあるけれど、シニッカと一緒なら何とかできるのではないか、という淡い期待は芽生えつつあった。

「それに、ニコには近いうちに一仕事してもらわないといけないことがあるの。つまり、あなたの頑張り時、ということね」

「私がやらなくてはならないお仕事、ですか?」

「ええ。『豊穣のお祭り』の主役は、あなたなんですもの」

 シニッカは、まるでニコと同い年ぐらいの少女のような微笑みを見せてから、立ち上がり、自室へとニコを誘う。シニッカの部屋に辿り着いたニコは、燭台に照らされたもの――ワンピースの一部を目にして息を飲んだ。

「これって……!」

「ええ。この服は、あなたのためのものだったの。正確には、『豊穣のお祭り』で着るための服ね」

 シニッカの部屋の机に広げられていたのは、まだ十分に服の形を成していない布の切れ端だった。

 服を作ると聞いていたが、まさか、それが自分のためのものだと想像もしていなかったニコは、シニッカの言葉を聞いて一度目の驚きを覚えていた。

 そして、今目の前で広げられている布を目にして二度目の驚きに、目を丸くする。

 黒に近い濃茶の生地――そのスカートにあたる部分には、小さな花畑が広がっていた。

 白を基調としつつ、黄色や赤、鮮やかな青に染められた糸で丁寧に幾重にも縫い付けれた、刺繍の花畑。

 それはまるで、雪が溶け、ようやく日を浴びた大地から一番に顔を見せる花々を彷彿させた。いまだ緑がはっきりと顔を見せていない春の始まりの頃は、こうして黒々とした土に春の花が一足早く顔を見せるのだ。

「あなたに確かめる前に刺繍を入れ始めてしまったけれど、気に入ってもらえたかしら?」

「ええ、ええ……! もちろんです! こんなにも綺麗な服を、私が着てもいいのでしょうか……?」

「それこそ、もちろんよ。あなたは髪の毛の色が明るいから、きっと濃い色の服もよく似合うと思うのよ」

 嬉しさと驚きによる二重の衝撃で立ち尽くすニコに、シニッカは切った布の一つを手にとり、ニコへとあてる。ちょうど、壁にかけられた姿見にニコの姿が映り込んでいた。

 まだ服の一部しかあてられていないのに、ニコはすぐに想像ができた。スカートの裾に沢山の花を咲かせたワンピースを纏った自分の姿。そして、その隣にはシニッカが笑顔で立っている。

 しばし夢心地のまま、服を見つめていたニコだったが、つい先ほど聞いた言葉を思い出して我に返る。

「あの、『豊穣祭』の主役が私と言っていましたけれど、私は何をすればいいのでしょうか……?」

「あら、やっぱりベロニカの言った通りになったわね。では、まず、パユヴェシ村の『豊穣祭』のお話をしてあげないとね」

 それならば、一言一句聞き漏らすまいとニコは居住まいを正す。だが、シニッカは作りかけの服を片付けると、

「でも、今日はもうおやすみの時間。雨の中を歩いてきて、疲れてしまったでしょう。明日、一緒に刺繍をするときにでもお話をしてあげましょう」

「えっ。でも、私が主役なら、ちゃんとお役目を果たせるように、少しでも早く知った方が……」

「ニコ。疲れているときは早く休んで、難しい話を後回しにすることも、『頑張らないやり方』の一つですよ」

 先ほどの教えを示されて、ニコはこくりと頷く。実際のところ、無事に家に帰り、気がかりだったことを打ち明けられた安堵から、体は心地よい眠気を感じつつあった。

「わかりました。私、今日は頑張らずにお休みします」

「ええ、ぜひそうしましょう。私も、今日は早めに休みたい気分だったから丁度よかったわ」

 迷子になったニコのことが心配で、気疲れしたのだろうことはニコにも分かった。だが、シニッカがそのことを口にしなかった理由を察して、ニコもまた口を噤むことを選んだ。

「では、おやすみなさい。シニッカさん」

「ええ、おやすみなさい、ニコ。良い夜を」

 一つお辞儀をして、ニコは自室へと向かう。

 いつしか、雨はあがっていた。

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