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僕らはソラを謳う  作者: 千代里
幕間1の2つめ「ニコのお使いの話」
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幕間1・2-4

「シニッカさん、何か私にしてもらいたいことってありますか?」

 結局、ニコはベロニカの助言を素直に聞き入れることにした。

 翌朝、ベッドから飛び起きたニコは、キッチンに姿を見せたシニッカに開口一番そう尋ねた。

「そうねえ。それなら、一緒に朝ごはんを食べたいわ。リクとルミを探してきてもらえる?」

 シニッカのお願いは、そんな素朴なものだった。

 猫たちを部屋から見つけ出し、一緒に朝食をとってはみたものの、当然この程度のことでニコは満足できない、

(シニッカさんは、私に気遣ってくれているのでしょうか。それとも、私のような子供にお願いをするのは難しいと思っているのでしょうか)

 そっとシニッカの様子を伺ってみても、穏やかに微笑む彼女の顔から、その深遠なる考えを読み取るのは困難だった。

 食事中に余所見をするなと言わんばかりに、リクに「にゃん」と鳴かれる。ここしばらく、事あるたびにニコのそばをうろつくリクは、ひょっとしたらニコの兄貴分を気取っているのかもしれない。

「リクも、シニッカさんがお願いしたい事を知っていたら教えてくださいね」

 シニッカに代わって食器を流し場に運ぶ途中、ニコはこっそりリクに囁きかける。ニコの奮起などつゆ知らず、黒猫はのんびりと欠伸をして、日当たりのいい窓辺に陣取り、黒いクッションのように丸くなってしまった。

(シニッカさんが私に遠慮をしてしまうのなら、私がいろんなことができるってシニッカさんに見せていくところから始めましょう!)

 朝食後、ニコは方針を切り替えて、縫い物をしているシニッカの元にやってきた。一人で勝手に行動して失敗をした昨日の振る舞いを反省して、今日は彼女の目の届く範囲でお手伝いをしようと決めたのだ。

「シニッカさん、私に手伝えることってありますか?」

「そうねえ。それなら、服作りを手伝ってもらいましょうか。ニコは、服を自分で作ったことはある?」

「ありません。普段は、お世話になった方が用意してくれた古着を着ていました」

「古くなったからって、そのまま捨てるのも勿体無いものね。丈を詰めたり、継ぎ足したりと、色々とやりようはあるものねえ」

 シニッカの言うように、ニコもお世話になったコスネン夫人が用意してくれた古着の丈を詰めたものを愛用していた。

「だけど、今日はせっかくだから、新品の布から作ってみましょう。ちょうど、昨日片付けをしていたら、使えそうな布を見つけたのよ。今の季節にはちょっと地味かもしれないけれど、お祭りにはちょうどいいかと思ってね」

 シニッカが広げたのは、シンプルな黒に近い茶色の布だった。染めムラのない美しい生地に、ニコは目を丸くする。

 ニコの手持ちの服は古着ばかりなので、かぎ裂きも泥はねも、目立ったほつれもない、まっさらな布を見るのは初めてだった。

「最近は、柄をプリントするのが流行っているんですってねえ。そういったものと比べると少し地味かもしれないけれど、こうして無地の布に刺繍を細かく入れていくのが私が若い頃の流行りだったのよ」

「私は、そっちの方が自分のものって感じがして素敵だと思います」

「ありがとう、ニコ。今度、刺繍のやり方も教えてあげましょうね。こう見えて、若い頃は自分のドレスにたくさん刺繍をしていたのですよ。私の友人なんか、スカートに小さなお花の刺繍をたくさん入れて、まるでお花畑のようだったわ」

 話をしながらも、シニッカはてきぱきと型紙を布の上に置いていく。針でそれを止め、裁断の手伝いをするのは、ニコにとって初めての体験だった。

 切り出された布の塊を縫い合わせていけば、最終的には一枚の服になるのだと言われても、今のニコには想像もできない。

 言われるがままに印をつけていくうちに、太陽はゆっくりと昇っていく。昼食を食べたあとは、服作りは一度休憩して、今度は夏物の衣類の準備をすることとなった。

 ベロニカがシーツの洗濯とすすぎに四苦八苦しているのが見えたので、ニコは手伝おうかと一瞬思ったが、

「あんたは奥様の手伝いをしてきなさい。奥様があたしを手伝えって言うまで、こっちに来るんじゃないよ」

 と、厳しいひと言で突き返されてしまった。シニッカに、ベロニカの手伝いをしたいと言ったものの、

「ベロニカは、洗濯は自分一人でやった方が早く終わると言うのよ。それならニコは、夏物の服が傷んでいないか、私と一緒に確認をしてもらえるかしら。そうしておけば、夏が来る前に何が足りないかが分かるでしょう」

 そう言われてしまっては、ニコには抗うすべもない。結局、ニコは昼半ばの鐘が鳴るまで、シニッカに言われるがままに彼女の手伝いをこなしていった。

 だが、どんな作業も、シニッカ一人でも簡単にできることのように思える。ニコはあくまで仕事のおこぼれを貰っているようなもので、シニッカへの恩返しに十分な内容とは思えなかった。

 そこで、昼半ばのお茶の時間のときに、ニコは思い切って切り出した。

「シニッカさん。私一人に任せられそうなことで、私にやってもらいたいことはないでしょうか?」

 先日の失敗を踏まえて、あくまで何ができるかはシニッカの判断に任せようと言葉を選ぶ。すると、シニッカはニコを見つめた後、何故かベロニカへと視線をやった。

 だが、ベロニカはゆっくりと首を横に振る。その無言のやり取りにどんな意味が隠されているかは、ニコには皆目見当も付かない。

「そうねえ。それなら……ネコヤナギを取ってきてもらえるかしら。そろそろ、あの猫の尻尾みたいなふわふわの花が出てきている頃でしょうから」

「ネコヤナギ……ですか?」

「ええ。ニコは、ネコヤナギを見たことはあるかしら?」

 パユヴェシ村に来たのはごく最近のことであっても、ネコヤナギならニコも知っている。

 春の訪れを告げるネコヤナギは、都市部でもたまに見かける一般的な植物だ。成長してもさほど大きくはならないものの、手の届く所にふわふわした花穂が揺れるさまを見て、ニコも何度か春の訪れを感じたことがあった。

「ネコヤナギは知っています。暖かくなると、白くてふわふわのものが生える木のことですよね」

「ええ、そうなの。今度のお祭りで必要になるから、何本か枝を取ってきてほしいのよ。ロポネンさんっていうお家の近くにある森なら、いくつか生えているわ。森には入っていいことになっているから、遠慮する必要はないわよ」

 パユヴェシ村の土地の多くは、先祖代々の農地として一族が管理している、となっている場合が多い。シニッカの周辺の農地も、厳密にはシニッカの財産の一つだ。

 だが、木々が生い茂る森林や湖沼地帯は、土地の管理者が許していれば村民が自由に出入りできる場となっている、とシニッカは教えてくれた。

「森の恵みを皆が平等に受け取れるようになっている、というわけね。ロポネンさんのお家は、最近ペンキを塗り替えたからすぐに見つかるわ。赤い屋根に、優しい黄色の壁のお家よ」

 家からは森林に続く小道が整備されており、更に森の入り口付近には看板が立てられている。森の中を闇雲に歩き回って迷子になってしまう子供のために、安全な道が分かるようにロポネン氏が立ててくれたのだそうだ。

「その看板のある道を辿っていけば、ネコヤナギの生えている場所にたどり着けるわ。もし、ロポネンさんに会ったなら、挨拶もお願いね」

「わかりました。では、早速取ってきますね」

「ええ、気をつけていってらっしゃいね。でも、ゆっくりでいいのよ。最近は日が出ている時間もうんと延びたのだから、春を味わっていらっしゃい」

 分からなければ、戻ってきて翌日一緒に取りに行こうとシニッカは言ってくれたが、ニコの目標はすっかり『自分一人でネコヤナギを取ってきて、お祭りの準備を手伝えるのだとシニッカに示そう』となっていた。

 シニッカが用意してくれた外套を羽織り、籠を片手に外へと飛び出したニコは、春の散歩には不釣り合いなやる気に満ち溢れていたのだった。

 

 ***

 

「ニコは、私に遠慮してしまっているのかしら……」

 玄関の扉の閉まる音を聞きながら、シニッカはほう、と息を吐く。

「たくさん苦労をしていたようだったから、存分に甘やかして、のびのびと暮らしてもらえればいいと思ったのだけれど。私の小さい頃とは、また考え方が違うのかしらねえ」

 アナ司祭から、ニコがこれまでどんな風に暮らしていたかを聞き、身寄りのない彼女を引き取ってもらえないかと頼まれたとき、シニッカは一も二もなくニコを引き取ると申し出た。

 夫も早くに亡くなり、両親もすでにいない身だ。要領のいい兄や妹は結婚して都会に出てしまい、シニッカは一人この村に残されて少々早い隠居生活を始めていた。

 だからこそ、漫然と生きていた自分が、何か成せることがあるとしたらこれしかない、と思った。まるで、女神様が全てを見通して、ニコをシニッカの元に導いたのではないかと思ったほどだ。

 だが、引き取った最初こそ、シニッカの与える全てに目を輝かせていたニコは、やがて遠慮がちに、何かを躊躇うような視線でシニッカに尋ねるようになった。

「役に立てることはないか、お手伝いできることはないか、と自ら申し出ること自体は、悪いことではないと思うのですけれど」

「普通の子供は、寧ろ母親に何か命じられたらたまらないって、さっさと逃げてしまうものですからね」

 ベロニカの言葉に、シニッカも同意する。

 幼少期のシニッカは、まさにそのようにして言いつけから逃げ回る子供の一人だった。

「旦那様の書斎の件は、奥様はどのように考えておられるのです?」

「私は別に怒っていませんよ。部屋の片付けを中途半端にしてしまっていることは、私も自覚していることですから。それに、ニコなりに、私に何かしたいと思ってのことなのですから、頭ごなしに怒るのも違うというものでしょう」

 ニコの行動の意図は、シニッカにも十分に伝わっている。だが、だからこそ彼女の気持ちを強く否定するわけにもいかず、二の足を踏んでいた。

「もし、あの子のために家を整えた方がいいということでしたら……あたし以外の方も雇えば、少なくとも家の中は綺麗になりますよ」

「必要なときは、近所の方に大掃除を手伝ってもらってますもの。それで十分よ。アナ司祭のところのお若い二人も、何かあったら手伝いますって言ってくれていますからね」

 主人にそう言われてしまったら、ベロニカは黙らざるを得ない。

(……通いで働きに来ているあたしじゃなくて、住み込みの家政婦を雇えばいい、とはあたしの口からは言えないものね)

 ベロニカの給金ならば、住み込みの家政婦とてシニッカは容易に雇えただろう。そうしなかったのは、目の悪い母の側を長時間離れられないベロニカの事情を、シニッカが汲んでくれたからだ。

 もし、二人の家政婦がいて、一人が住み込みであった場合、どうしたって住み込みの方が仕事量は増える。ベロニカがそのことに引け目を感じないよう、シニッカはベロニカ以外の家政婦を雇おうとはしない。

 そのため、ニコの存在は、ベロニカにとっては伏兵のようなものだった。

 彼女が家政婦のような振る舞いをしているのを目にして、自分の力不足を突きつけられているように感じてしまったのだ。ニコを頑なに仕事から遠ざけていたのは、そこから生まれた反発心からの結果でもあった。

「とはいえ、あまり主人の部屋を閉め切っておくのもよくないわよね。時々は、空気を入れた方がいいかしら」

「それなら、今度から、時々書斎の掃除もしておきましょうか」

「そうね。その時は、ニコにもあなたの手伝いをするようにお願いをしましょうか。あなたが監督してくれるなら、安心して任せられるわ」

「少なくとも、ニコは聞き分けがよく、失敗を隠さない子供と分かりましたからね。あたしは、嘘をつく子供が一番嫌いですので」

 キッチンストーブからケトルをおろし、流し台に並べた布巾へと熱湯を注ぎながら、ベロニカは言う。

「そればかりは、身につけた性質によるものですからね。あたしの見る限り、あの子の性質はまあ、悪くはないのでしょう」

 ただ、空回りしがちなだけで、とベロニカは内心で付け足す。

「私はニコに何かをしてもらうために、家に引き取ったわけではないのだけれど……ニコには、違う形で伝わってしまっているのかしら」

「さあ。そればっかりは、本人に聞いて確かめるしかありませんね。あの子は、あたしたちが想像するより、ずっと色々と考えているようですから」

「そうね。さて、ニコがいない間に、こちらを進めておきましょうか」

 そう言いながら、シニッカは朝方に型紙から切り出した布の塊を取り出す。黒い布でできたそれらを見つめて、ベロニカは懐かしげに目を細める。

「ああ、そういえば来週の『太陽の日』は『豊穣祭』の日でしたね」

「ええ。その後はいつもの通り、春の『生誕祭』に続くのよね。この時期はお祭り続きで、なんだかうきうきしちゃうのよねえ」

「春の始まりを告げるのが『豊穣祭』ですからね。それなら明日、鶏の羽を何枚かもらえないか、あたしの近所の人に聞いておきます」

 いそいそと針を動かすシニッカの姿を見て、ベロニカはふっと頬を緩める。

 これまで、春のお祭りがきても、浮かれ騒ぐ若者たちをそっと見守るだけだった女性が、今は積極的に針仕事に精を出し、祭りの準備のために集まりに参加している。

 それはまるで、飛ぶことを忘れてしまった小鳥が、空を見上げて羽ばたくさまに似ているように思えた。

「あの娘が戻ってきたら、ネコヤナギの使い道を教えてあげるといいと思いますよ、奥様。あの様子ですと、きっと知らないようですから」

「そうね。都市の人たちは、小さな御使い様に扮する日のことを忘れてしまったのかしら?」

 小さなキッチンの傍らで、家政婦とその主人は暫し団欒の時を過ごす。

 ――だが、その窓の向こうでは、遠く森の向こうからじんわりと、重たい鈍色の雲が顔を見せていた。

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