幕間1・1-5
「はーい、注目。今から言うことをよーっく聞くように!」
いつにも増して声を張り上げるヨニ。普段通りのように聞こえるものの、普段よりも幾らか厳しさの混じった声音であることを、子供たちも察したのだろう。
てんでばらばらにお喋りをしていた小さな子供たちも含めて、丸い瞳が一斉にヨニに注目する。
「基本的には、俺たちの周りにいること。おやつの時間になったら、ある程度自由に歩いてもいいけれど、俺たちが見えなくなるぐらい遠くには行かないこと。あと、あっちの森は深くて迷いやすいそうだから、みんなも絶対に入るなよ。破ったら、これから外での授業は無しにするからなー!」
素直に「はーい」と手を挙げる子供もいれば、もっと遠くに行きたいと駄々をこねる子供もいる。そんな子供たちに「迷子になって、お家に帰れなくなったら困るでしょう?」と、一人一人声をかけて嗜めるのがヘイノの役割だ。
声を張り上げて皆にあれこれ注意しているヨニは、少し前に倒れたのが嘘のように、すっかり元気になっている。
今日は、子供たち待望の課外授業の日である。
課外授業と大層な名前で呼んではみたものの、実質は授業の場を外に移しただけであり、顔を揃えたのはいつもの面々だ。
場所は、パユヴェシ村からティモに向かう道中の小さな草地の一角。草地を管理している地主には、先んじて話をつけておいた。
冬枯れの草原には、ぽつぽつと緑が芽吹き始めている。これまで溶けかけの雪と枯れた草ばかり目立っていた草原に、鮮やかな彩りの気配が一足早く訪れていた。タンポポの黄色やミスミソウの青、雪割草の白い花などがその良い例だ。
なるべくまとまって行動するように注意してはいるが、どれだけの子供たちがその言いつけを守ってくれるだろうか。せめて、小さな子供たちからは目を離すまいと、ヘイノは年少の子供たちのそばで様子を見ていた。
「ねえねえ、これできる? ほら、これ! ホロパイネンのおじさんが昨日教えてくれたんだ!」
「えー、なになに?」
いつもと違う環境ですっかり興奮した子供たちが、顔を寄せ合って何やら騒いでいる。
狐の巣穴を探したいと話していたテームが、口をすぼめ、ぴゅーと甲高い音を出していた。どうやら、教えて貰ったばかりの口笛を披露しているらしい。
外の授業ならば、多少いつもよりうるさくしても叱られることはないと考えたのだろう。
「テームは、口笛吹くのが上手だねえ。じゃあ、これはどう?」
横から様子をみていたヨニは、親指と人差し指で小さな丸のようなものを作り、それを口に半ばいれるような素振りをみせた。
一体何事かと思いきや。、ぴゅいい、と甲高い音が春の草原に吹き渡る。
テームの口笛よりも、よりはっきりとした、まるで笛を吹いたかのような音色に、子供たちからどよめきが湧き上がる。
「ヨニせんせー、今のは何ですの!?」
「すごいすごい、それ、俺もやってみたい!!」
「はいはい、そんなにはしゃいだら転んで怪我するぞー。今のは指笛って言うんだよ。指をこういう形にして、舌をちょっとだけ挟むようにして、口をぎゅっとすぼめるようにして」
そう言いつつ、ヨニはもう一度指笛を披露する。小鳥の鳴き声とはまた違う、澄んだ音が小さな丘に鋭く吹き渡った。
「せっかく外にきたんだから、こういうのを試してみるのもいいんじゃない? まあ、それに夢中になってせっかくの春の景色を楽しまないのは、ちょっと勿体ないような気がするけども」
そんなヨニの忠告もどこへやら、子供たちはすっかり指笛の練習に夢中になっていた。
外を駆け回って散らばってしまうよりは、いっときでも指笛という興味の対象を示せたのは結果的に良かったのかもしれない。ヘイノたちが歩き始めても、年長の子供たちは空気の抜けた不完全な指笛の音を出し続けていた。
「ねえねえ、ヘイノせんせーもあれ、できるの!?」
すっかり興奮状態になったテームが、ヘイノの上着の裾を引っ張る。物は試しと、ヘイノもヨニの真似をして指の形を作り、口にそれを当て、強く息を吹き込んだ。
二度、三度とやってみるがなかなかうまくいかない。子供たちの期待にできるだけ応えたいと、これまでより慎重に、それでいて素早く息を吹き込むと。
――ぴゅう。
小鳥に似た高い音が、ヘイノの指笛から空へと放たれた。
「あっ、できました」
「えー、ヘイノせんせはもうできたの!? ねえねえ、やり方教えてよ!」
「指笛も大事ですが、今日はせっかく外に来たんですから、外にあるものも見ていきましょうよ」
これでは何のために外に来たのかわかったものではない。ヘイノやヨニに促されて、子供たちを連れた一同は丘陵地を下り、小さな斜面を歩いていく。
草地には、これまで雪の中に隠れていた草花が姿を見せていた。その中でも、僅かに姿を見せた緑に寄り添う青い花のそばで、ヘイノは足を止める。
「あちらはミスミソウですね。昔は、体の調子を良くする薬として使われていたそうですよ」
「じゃあ、摘んだらお薬になる?」
「調べてみたところ、むしろ最近は体に毒だということが分かって、薬にはしなくなったそうです。だから、食べてはいけませんよ」
毒という非日常の言葉が面白かったのか、子供たちはきゃあきゃあと甲高い声をあげ、おっかなびっくりの様子で小さな花をのぞき込んでいる。
「ヘイノせんせー、あの花の名前はご存知? あれはタンポポっていうんですのよ。今は黄色いけど、白いふわふわしたのになったら、ふーって息を拭くと、ふわふわが空に飛んでいくんですの」
「アウリは物知りですね。せっかくなので、そのことを小さな子供たちにも教えてあげてくれませんか」
「まあ、わたくしも先生になるのですわね! ええ、もちろん! ニコ、行きますわよ!」
「ええっ、私も……!?」
アウリに引っ張られるようにして、ニコも年少組の小さな先生に任命され、早速彼らの質問攻めに対応している。
ニコは母を亡くした後、近所の家の子守りとして引き取られた。そのおかげもあってか、小さな子供たちの面倒を見る役も得意なようだ。
年長の子供たちは、最年長のペトリを中心に、草花の隙間から出てきた虫の観察に夢中になっている。束の間の平穏を得たヘイノが、ようやく春の温もりをじんわりと噛み締めていると、
「ヘイノは、さっきの指笛、吹けた?」
「ええ、なんとか。難しかったのですが、何度か試しているうちに形にはなってくれました」
ヨニにも披露してみせようと、ヘイノは先ほどと同じように口に指を差し込み、強く吹いてみせた。
一度吹けたおかげでコツが掴めたのか、先ほどよりもくっきりとした音が二人の間に響く。
ぴゅい、と鳥の囀りのように高い音が通り抜ける。
「……ヘイノ、指笛吹けたんだ」
「吹けた、といっても、できるようになったのはつい先ほどですが」
ヨニにとっては、指笛は大層難しい技術と思われていたのだろうか。彼はやけに驚いたような顔で、ヘイノの顔とその指をまじまじと見比べていた。
やがて、何がおかしいのか、ふっと笑みを口の端にのせると、
「なーんだ、そんなに簡単に吹けちゃうんだ。ちょっと拍子抜けしたなあ」
「子供たちに教えたのはヨニでしょう。俺ができなくて皆ができたら、俺が揶揄われることになるじゃないですか」
「たとえヘイノだけできなかったとしても、俺が特訓に付き合ってあげるよ」
「その気持ちはありがたいですが、結果的に不要になってしまいましたね」
そう言ってから、もう一度、ヘイノは指笛を吹いてみる。
一足早い小鳥の囀りの如く響く、指笛の音。
その音の傍らで、ヨニは目を伏せ、何かを思い出すように耳を澄ませていた。




