幕間1・1-3
「ねえ、母さん。ヨニは、いつまで寝てるの?」
「しー。静かにね、ヘイノ。ヨニは、あなたより体が弱いのよ。だから、ゆっくり休む時間が必要なの」
「でもさ、俺とヨニ、同じ顔してるじゃん。それって、同じ体ってことでしょ。なのに、なんでヨニばっか寝ていても怒られないの。俺が母さんの手伝いさぼったら、怒るくせに」
重たい布団の中、ヨニは遠くから聞こえる母親と兄の声に耳を澄ませる。物心ついた頃から、それがヨニの習慣になっていた。そして、それは九歳になった今も変わらない。
聞き耳を立ててしまうのは、ヨニはことあるごとに体調を崩し、その度に寝込んでしまうからだ。
両親の話を聞く限り、幼い頃から度々ヨニは原因不明の衰弱を見せていたらしい。
一日中ベッドに釘付けになっていなければならないほど、虚弱というわけでもない。しょっちゅう風邪をひいているわけでもない。
だが、双子の兄のヘイノと比べると、ヨニは事あるごとに目眩や頭痛に襲われ、体を休める必要に迫られていた。
とりわけ、興奮するのが体に良くないらしく、外ではしゃぎ回ったり、何か特別な催しに参加して遊び歩いた後は、その反動で寝込んでしまうというのが、もはやお決まりとなっていた。
寝ていれば、自然と体は回復する。そのため、命に関わるような重い病ではないのがせめてもの救いだと両親は言っていたが、当事者としてはたとえ命を奪われずとも、寝てばかりいるのは退屈で仕方がない。
「今日も一日、ベッドの中かな……」
誰もいない子供部屋の中、ヨニは気怠さを訴える体を寝台に横たえ、誰ともなしに呟く。
昨日、ヘイノと一緒に冬のお祭りの飾りを作っていただけで、翌日にはこの有り様だ。ちょっとした楽しみで心を沸き立たせるたびにこうなるのだから、たまったものではなかった。
ヨニにとって双子の片割れであるヘイノは、ああやって母親に「ヨニばかり休んでてずるい」と度々漏らしていたが、正直病人の生活など楽しくもなんともない。一日中寝ている権利を兄に渡せるのなら、喜んで渡したかった。
だが、実際はそうもいかない。
ヘイノは一日中遊び回っていても、ぐっすり眠れば翌日にはけろりとしているが、ヨニが同じことをしたら、あっという間に倒れてしまう。そっくりの顔をした双子なのに、どうしてこうも違うのかと嘆いても、現状が変わるわけもなかった。
二人分の大きな靴音と共に分厚い木の扉が開く音がする。あの足音は両親のものだと察したヨニは、布団に深く体を埋めて寝たふりを決め込んだ。
起きていると、両親が心配そうな顔で具合を聞いてくる。それに応じるのは、ヨニとしても楽しいことではない。二人が自分を見て悲しそうな顔をするのを見ると、ヨニはどうしようもなく悲しい気持ちに襲われてしまう。
「ヨニは、今日も朝から調子が悪いのか」
「そうなのよ。お医者さんに見せても、いつもの貧血だろうから、しばらく安静にしていたら良くなると言うのだけれど……」
その診察結果は、ヨニも何度も聞いていた。実際、一日も体を休めていれば症状は落ち着く。ただ、完治に至るには難しいらしく、ヨニはこうして浮き沈みのある生活を続けている。
「お医者様はああ仰っていたけれど、本当にただの貧血なのかしら。たしかに、この子が具合が悪くなる時は、この子がお祭りに出かけたときとか、歌の練習に参加したときとか、普段と違うことをした日の後に限られてはいるけれど……」
母の声が小さくなる。布団という布の壁のせいで、小声で話をされると、彼らが何を話しているかが聞き取れなくなってしまう。
しばらく、小声のやり取りが続いたせいで、寝たふりではなく本当に瞼が重くなってきた。このまま寝てしまおうかと、眠気に身を委ねかけたとき、
「……聖都の方に、私の方から手紙を出したのは前に話したね。少し先の話になるが、司教さまがこの村に来てくださるそうだ」
「まあ、本当!? それなら……でも、もし前に話したことが事実だとはっきりしてしまったら……」
母の嬉しそうな声に引きずられて、ヨニは眠気の海から引きずり上げられる。追って聞こえたのは、忍耐強い父らしい落ち着き払った声だった。
「悲しむことではないよ、リリヤ。もしそうだとしても、それはあの子が女神様の落とし物をたまたま拾ってしまった、というだけのことだ。むしろ、名誉なことだと思わなければ」
それは、まるで父が自分自身に言い聞かせているかのようだった。
母親が息をのむ音が聞こえる。だが、ヨニにはなぜ母親がそんなに驚いているのかが全く分からなかった。
「ええ……ええ、そうね。私もわかっているわ。だけど、どうしたって……悪い方に考えてしまうの。ほら、前に聖都の報せにあったでしょう……?」
「それ以上、あるかも分からない未来を考えるのはおよしなさい。太陽が眠りにつく冬は、良くないことばかりを考えてしまうものだと、昔からそう言われているだろう」
「だけど、もし私のせいでそうなってしまったのなら」
「そんなわけがあるものか! ヨニは、私と君の子だ。彼をまっすぐに育てることこそが、女神様が私たちに与えた使命なんだよ。それ以外を考える必要はない。いいね?」
両親の声が遠くなる。扉が閉まる音を確かめてから、ヨニは知らず知らずに小さな体に張り巡らせていた緊張をようやく緩めて、小さく息を吐き出した。
(女神様の落とし物……?)
先ほど聞いた言葉を、頭の中で繰り返す。だが、そのような単語をヨニはこれまで一度も聞いたことがない。
司祭の両親を持つ身として、ヨニもヘイノも、絵本や童話の代わりに幼少の頃から聖典の物語を聞かされて育っていた。
始祖が弟子たちと共に、荒れ地であったこの国を切り拓いた話。
襲いかかる疫病や不作の苦難にめげず、人々を鼓舞し続けた始祖を憐れみ、女神が慈悲として聖なる石を授けた話。
始祖は、その石の奇跡を用いて、大地から毒を取り除き、緑豊かな土地へと作り替えた話。
それらの話の中に、女神の落とし物などという単語は登場していなかったはずだ。
「聖都の人しか知らない、特別な言葉なのかな……」
そう思った矢先、今度は小走りで部屋に近づく足音が聞こえた。少々乱暴な扉の開閉音は、兄のヘイノのものだろう。
「ヨニ、寝てるのか?」
「……ううん、起きてる」
ヨニがそう言うと、室内がほんのりと明るくなった。ヘイノが燭台に火をつけたのだ。
「ヨニが起きてるなら、学校の宿題、ここでやってていいか。キッチンでやってると、父さんたちの客の声がしてうるさいんだ」
「村の皆のことをうるさいなんて言ったら、怒られるよ」
口ではそう言いながらも、ヨニは苦笑い混じりで答えていた。
近所の声の大きい夫人たちは、日の昇らない冬はたびたび教会横の司祭一家の家にやってきては、おしゃべりをして帰るのだ。母は夫人たちとの団欒を楽しんでいるが、父は内心辟易していることを双子は知っていた。
「母さんは、あの人たちと話すのが好きみたいだけど、俺には何がいいのかさっぱりだ。どこそこの誰かが結婚したとか、村に引っ越す人がいるとか、新しく村にやってくるならどんな人がいいかとか、そんなのばっかり」
「今は冬だから、みんなで集まってお喋りするしかやることがないんだよ。俺たちの家は、他の家よりも客間が広いらしいから」
「司祭の家は集会所じゃないっての。それに、俺のこと、いつまで経っても『小さな小さなヘイノちゃん』って言うの、やめてくれって言ってるのに、全然やめてくれないし」
どうやら、本音はそっちだなとヨニはベッドの中で笑みをこぼす。このことで揶揄うのは、また今度にしておこう。今のヘイノは、どうやら奥様がたに揶揄われたばかりで、ご機嫌斜めのようだ。
ヘイノは、学校で出された課題に取り組もうと、勉強用の机に紙を置き、ペンを走らせたり、うんうん唸ったりを繰り返していた。
おそらく、少し前に出た古語の翻訳だろう。ヨニは古語の勉強が好きだ。謎解きのようで楽しいと感じるからかもしれない。この課題もとうの昔に仕上げてしまったのだが、ヘイノはこつこつ何をやるのが苦手らしく、古語の勉強も不得手としていた。
ヘイノがペンを走らせる音を聞いていると、再びヨニの元に眠気が押し寄せてきた。眠りと覚醒の間を行き来しながら、微睡の時間を過ごす。寝てばかりは好きではないが、この夢と現実を行き来するような時間は嫌いではない。
そうして、何度目になるか分からない夢の入り口に手をかけていたときだった。
「……ヨニはいいよな。母さんにいっぱい心配されて。父さんも、最近はヨニの話ばっかしてるし」
ふと聞こえた声は、夢の中の声ではなかった。
ヨニが寝ていると思っているのだろう。ヘイノの言葉は、独り言ではあったのだろうが、二人きりの子供部屋には、やけにはっきりと響いていた。
「――双子じゃなくて、俺一人だったらよかったのに」
ぽつりと漏らした声は、時折ヘイノが口にする愚痴の一つに過ぎない。
だが、その小さな声は、夢うつつだったヨニを否応なしに現実に引き戻した。冷え切った現実へと。
「――――」
分かっている。ふと魔がさして、そんな風に良くない言葉を口にしたくなる日もあるだろうってことを。
実際、ヘイノはヨニに面と向かってそのような酷いことは言わなかった。気の置けない友人のように、あるいは血を分け合った兄弟として、二人はどんな時も一緒にいた。
成長して、あの頃よりは背も伸びて、世間的には子供よりも大人に近い立場になって。
以前よりもずっと健康になった今なら、あの時の兄の気持ちにも寄り添えるようになったとヨニは自負している。あの頃の自分はまだそれが分からなくて、ただただ兄に否定された悲しみを押し殺して寝たふりをすることしかできなかった。
今はそうじゃない。仕方なかったんだと、過去の自分を慰められるようにもなった。
――なのに、時々、ふと思う時がある。
ひょっとしたら。
今もまだ、ヘイノは弟がいなければいいと心のどこかでそう思っているのではないかと。
兄から離れて一人で過ごしていると、そんな風に考えてしまう瞬間がある。
その度に、ヨニは否定の言葉を心の中で繰り返す。
そんなこと、あるわけがない。ヘイノは自分の唯一の片割れなんだから。ヘイノだって、ヨニのことを大事に思ってくれているはずだ。
自分の不安を吹き飛ばすためにも、ヨニは笑う。些細なことで大はしゃぎしていた、あの頃のように。
きっと、ヘイノもそれを望んでいるはずだから。
「……そうだよね、ヘイノ?」




