幕間1・1-2
「ヨニせんせー、今日はお休みなの!?」
「なんでなんで? なんでお休みなのー?」
「ヨニせんせーとおはなししたいことがあったのにー」
「ヘイノせんせ、今日のおやつは何?」
昼になり、教会に向かったヘイノは、子供たちが集まると同時にヨニの不在を伝えた。これは子供たちにとっては前代未聞の大ニュースだったようだ。
不安と不満と心配の声が一度にわっと湧き上がり、ヘイノを取り巻く。その声たちに、一種気圧されてしまったほどだ。
かつてのヘイノならあっという間に圧倒されていただろう。だが、三週間も共に過ごせば子供らの指導に何が必要かも大まかには把握でできるようになっていた。
パンパンと手を打ち、ざわめく子供たちの視線をいっとき自分へと集めさせる。一瞬生まれた静寂を縫うように、ヘイノはいつもより大きめに声を張った。
「先ほども話したように、今日はヨニ先生はお休みです。なので、いつもと少し違うことをしようと思います」
「違うこと? 本を読んだり、計算をするのではないのです?」
首を傾げて真っ先に質問をしたのは、いつも大きな声で質問をする、おしゃまな言葉遣いの少女――アウリだ。
「時間があるなら、それもしてもらいたいところですが……まず、今日は皆に手紙を書いてもらいたいんです」
手紙、という聞き慣れない言葉に、あっという間に子供たちの間でざわめきが生まれる。
とりわけ、年少組の子供たちにとって、手紙とは大人が書くものという印象が強かったのだろう。小さなまんまるの瞳には戸惑いの他に、大人の世界に自分が踏み出せるのでは、という期待が混ざっていた。
「手紙って、誰に書くのですか?」
最年長の少年――ペトリが、礼儀正しく挙手をして尋ねる。答えたのは、ヘイノではなかった。
「わかった、ヨニせんせへのお見舞いの手紙なんだろ! 俺、ばあちゃんが風邪ひいた時に母ちゃんが書いてたの、見たことある!」
アウリに負けず劣らず声が大きな少年――テームは、ここぞとばかりに手を挙げる。
普段こそ、落ち着きのない彼を決められた時間の間、座らせるだけでもヘイノは大層苦労していた。だが、今はテームの積極的な姿勢と大きな声が、ヘイノに続く子供たちの水先案内人となっていた。
「テームの言う通り、皆に書いてもらいたいのはヨニ先生宛への手紙です。普段から顔を合わせていますから、皆さんも書く内容に迷わないでしょう。紙とインクはこちらでも用意したので、持ってきていない人は俺に言ってください」
ヨニの不在による一番の問題。それは、ヨニが普段受け持っている年少の子供たちの面倒もヘイノが見なければならないということだ。
幼い者も、ニコのように年長の者も一緒に受けられる授業はないものか。午前中いっぱい考えた結果、ヘイノが導き出したのが『お見舞いの手紙』だった。
手紙というものは、子供にとって書く機会がなかなかないものだ。そのくせ、手紙には何かと従わなければならない作法が多い。
宛名の書き方、書き出しの内容、差出人のサインなどなど。良い機会なので、ヘイノは年長の子供たちにはその指導も兼ねるつもりでいた。
「ねえ、ヨニ先生になんて書く?」
「俺、せっかくだから次の授業に何してほしいか書く! 普段忙しくて、あまり話を聞いてもらえないし」
「僕は……よかったら、お家にきてくれませんかって書きます」
「あ、ノアのやつ、ずるい! 俺もそう書くつもりだったのに!」
年長の子供達は、早速書く内容を口々に話し始めた。その様子から察するに、年長組は内容について迷うことはないだろうと結論を出す。
実際、ヨニの立場は、手紙を書き慣れない子供たちにとって丁度いいぐらいの位置にあるものだと、この授業を思いついたときからヘイノは考えていた。
毎日のように顔を合わせてはいるものの、家族のように自分にだけ声をかけてくれる相手ではない。とはいえ、全く見知らぬ相手でもなく、程々に目をかけてもらっている。
それぐらいの立場の人間に対して、時間を取らせずに一対一の思いを打ち明けるのに、手紙というのはうってつけの手段だ。
ニコや最年長のペトリの誘導もあり、一定のまとまりを見せた年長組。その一方で、五つ六つかそれよりも年下の子供たちは、用意された紙を前にして狼狽えているようだった。
「ヘイノせんせ。ヨニせんせーに、なにを書けばいいの?」
「ユルヨがヨニ先生に思っていることを書けばいいんですよ。読んでもらった本が面白かったとか、こんな話が聞きたいとか」
ユルヨはまだ四つの女の子で、最年長のペトリの妹でもある。ペトリは妹のお守りもかねて、この場所に顔を出すようになったと聞いている。
ユルヨの傍らでは、ユルヨと一緒にヨニの朗読を聴いているやや年長の少女が、不思議そうに首を傾げていた。
「そんなことで、いいの?」
「そんなことでも、今のヨニにとってはとても嬉しいことですよ。ヨニは、皆の話を聞くのも好きでしょう。でも、今はここにいないから、聞くことができない。だから、代わりに手紙で皆のお話を届けるんです」
小さな子供にも分かりやすいように、ヘイノはなるべく平易な言葉を使ってゆっくりと語り聞かせる。
「うん、ヨニせんせーはいつもサンニの話をいっぱい聞いてたよ。サンニはね、トナカイのお話をいっぱい知ってるの!」
ユルヨに話題に出されたのが恥ずかしいのか、サンニは小さな丸い頬を赤くしていた。話題を逸らそうと思ってか、もらったばかりの真っ白の紙を広げ、
「ヘイノせんせ。ヨニせんせへのお手紙、絵でも……いい?」
「ええ。構いませんよ。筆を持ってきましょうか?」
「ううん、指で描く」
そう言って、サンニは全く躊躇わずに側に置かれたインク壺に指先を浸し、慣れた調子で紙に大きく生き物を描き始めた。複雑な角の形とずんぐりとした体。それは、サンニなりに捉えたトナカイの姿なのだろう。
「じゃあ、ユルヨも絵にする! ヨニせんせはね、あたたかくなったら外に行って、いっぱいお花の名前を教えてくれるって言ったの。だから、ユルヨの家の近くに咲いてるお花を描く!」
堂々と宣言すると、サンニの真似をしようとしたユルヨまでインク壺に指をのばす。
だが、さすがにサンニよりも小さな子供の指先をインクまみれにするわけにはいかない。サンニが不要と言った筆を代わりに与えると、ユルヨは黒いインクでさまざまな形の花を描き始めた。
「ねえ、きれいに書けなくてもいいかな」
「ええ、もちろん」
「せんせ、あたし文字わかんないから、せんせに書いてほしい」
「分かりました。それなら、何を書いてほしいかを話してもらえますか?」
他の小さな子供たちも、先ほどのやりとりを見て、普段はあまり話をしないもう一人の先生に心を許してくれたらしい。
おずおずと、やがて積極的にあれこれ質問をする子供たちに、ヘイノは小さな子供たちの相手も時々代わってもらえないか頼んでみようと、そんなことを思ったのだった。
***
「ニコとヨンナは、ヨニ先生の手紙には何を書きますの?」
年長組の中でも、同性ということもあって、ニコは自分よりも年少の女の子たちの様子を見守る役を引き受けていた。
家族が手紙を書くのを見たことがあるのか、とりたてて躊躇わずに書き進める子供もいれば、ヘイノの手本をもとに宛名だけは書いたものの、そこで詰まってしまっている者もいる。
実を言うと、まとめ役を引き受けているニコも手が止まっている者の一人でもあった。
「あたしは、ヨニせんせーが早く元気になりますよーにって。あと、外に遊びに行くときは、うさぎの巣穴を見に行きたいって書く!」
答えたのはニコより数歳年下のヨンナだ。普段はお金持ちのお嬢様のような振る舞いをするアウリとは対照的に、ヨンナは体を動かすのが好きな少女である。以前、狐狩りの話をしていたテームを質問責めにしていたのをニコは覚えていた。
「うさぎの巣穴なんて見に行ったら、服が泥だらけになってしまうではありませんの」
「それなら、アウリは行かなきゃいいじゃん。服が気になる子は、教会で一人お留守番だよ、お留守番!」
「ヨンナちゃん、そんな風にアウリちゃんをいじめないの。アウリちゃんも、自分の服のために、皆のやりたいことを邪魔するのはよくないことだよ。お外に遊びに行くときは、汚れてもいい服を二人とも着ようね」
活発なヨンナと、小さな淑女を心がけるアウリは、度々こうして衝突している。その喧嘩を諫めるのも、ニコの役目であった。
少女たちが矛先をおさめるのを確かめてから、再びニコは思案する。
(さて、私は何を書きましょうか……?)
他の子供たちと違い、ニコは先日の事件にヨニが関わっていると知っている。故に、ヨニが倒れた原因は、自分の事件に関する心労が祟った結果ではないかと思っていた。
(ヨニ先生にも、沢山お世話になったんですよね。その御礼を書けばいいでしょうか。でも、そうするとちょっと堅苦しい感じになってしまうような……)
教会の授業の終わりには、必ずささやかなお菓子が配られていた。ゲイリーが食糧を買ってこなくなり、慢性的な飢餓感に襲われていたニコにとって、その小さな糧は文字通り命綱でもあった。
そうでなくても、ニコも子供の常としてお菓子は大好きだ。そして、お菓子とは手間暇かけて作られるので、通常簡単に手に入るものではない。そんな貴重なものが、お金も払わずに毎日もらえるだけで、どれだけありがたいことだったか。
ただ、その時の心情をありのままに書くのは、些か肩肘が張っているような気がする。最年長のペトリに相談したいところでもあったが、ペトリはあいにくやんちゃな仲間たちを諫めるのに手一杯なようだった。
結局、誰にも相談できずに、黄ばんだ紙面を睨んでいると、
「ニコは、ヨニ先生に書きたいことはないんですの?」
「あ、アウリちゃん。えっと、いざ書こうと思うと、何を書けばいいのかなって悩んじゃって……。ヘイノ先生宛なら、色々と思いつくんだけど」
事件の際も、ヘイノは積極的にニコに声をかけてくれた。おかげで、ニコもヘイノにはいくらか親近感を抱くようになっていた。ヨニやアナに対するよりも、いささか気が楽という程度だが、見知らぬ街で頼れる者がいなかったニコにとっては貴重な『友人』のようなものだ。
ヘイノになら、手紙で書きたいことはいくつも思いつく。これまでの御礼や、今の生活の様子。たった三日であるが、シニッカの家で暮らして気がついたことなどを書けば、きっとヘイノは喜んで読んでくれるだろう。
そんなことを考えていると、
「ええ、ええ。そうですわよね。ニコは、ヘイノ先生が好きなんですものね」
「……えっ!?」
自分の想像とはまるで違う方向の話題が、よりにもよって年下のアウリが口にしたので、ニコはこれまでとは異なる意味で凍りついてしまった。
自分より数歳歳上の少女をドギマギさせていると知ってか知らずか、アウリは得意げに人差し指をピンと立てて、
「ニコは先週、ほとんど教会に来てなかったでしょう? 唯一ニコが来ていた日は、お菓子も食べずに帰ってしまいましたし。しかも、それを追いかけてヘイノせんせーがどこかに行くではありませんか。お二人の様子を見て、わたくし、全部分かってしまったのですわ!」
「分かる……って、何を?」
「わたくしのお姉様が言ってましたの。男と女が共に普段と違うことをしていたら、それは恋の始まり、なのですって! つまりニコはヘイノせんせーと恋を――」
アウリが大きな声でとんでもないことを言いそうになったので、ニコは慌てて彼女の口を両手で塞がねばならなかった。
「アウリちゃん、私はヘイノ先生とはそういうのじゃないから……!」
もがもがと何か言おうとしているアウリに、「皆、お手紙を書いてるから静かにね」と言い聞かせて、そっと手を剥がす。
「もう、そんなにも何を恥ずかしがってるのです? ヘイノせんせーは王子様みたいに素敵で親切な方ですから、ニコが恋するのは不思議なことではありませんわ」
「あのね、恋のお話ってそんなに大きな声で話すものじゃないんだよ」
「でも、お姉様は、隣のどなたかがどこかのお嬢様と仲良くしてるとか、よくお話ししてましたわ」
「私、アウリちゃんのお姉さんとはきちんと話をしなきゃいけない気がしてきたよ……」
あっけらかんとしているアウリの様子から察するに、彼女にとって恋とはまだ、ちょっと特別な仲良しぐらいの感覚なのだろう。
だが、ニコはこれまでの経験から、恋人とはどんなものか、もう少し具体的なイメージを持っている。想像の中に過ぎないが、男女の色恋についてはアウリよりも詳しく話せる自信があった。
(たしかに、ヘイノ先生にはすごく親切にしてもらいましたけれど……)
使用人の自分とヘイノでは、立場がまるで違うのだから、彼と釣り合いはとれない。そう思いかけて、自分の帰る家は先週までとは異なることを今更思い出した。
生まれもはっきりしない自分など、望むような相手と恋することなどできないと思っていたが、それなら、シニッカという新たな保護者を得たこれからはどうなるのだろうか。それは、今までニコが一度も考えたことのない境地だった。
(でも、ヘイノ先生は、私よりもずっと年上ですし)
ニコにとって、四、五年ほどの年齢の差は天と地ほどに大きく離れているように思えた。
それでも、一瞬、ヘイノの隣に立つ自分――想像の中の自分は、今よりもうんと背が伸びていた――を想像して、ニコは正体不明の緊張と高揚に襲われた。一瞬、頭がその妄想に埋まりそうになり、ニコはふるふるとかぶりを振る。
「今は、ヨニ先生へのお手紙を考える時間ですから。他のことで騒いでは駄目ですよ、アウリちゃん」
「というかさ。一番騒いでるの、ニコじゃない?」
ヨンナから図星を刺されて、ニコは精一杯表情を取り繕わねばならなかった。




