一章・十六話
「突然訪れてすまないね。君にも仕事があっただろうに」
「いや、別に……。それよりも、今日は何ですか。そいつが何か得体のしれねえもんを買ってたとか聞いてるが、その話ですか?」
ヘイノが訪問したときと異なり、すでに司祭の来訪について事前に伝えていたからか、玄関先に顔を見せたゲイリーは以前目にしたときよりも幾らか落ち着いた様子だった。
ゲイリーの家の前には、ティモの教会の司祭である老齢の男性と、その傍らで神妙な面持ちで小さくなっているニコが並んで立っている。
ティモの教会を取り仕切っている司祭――セヴェリ司祭は、アナとカッリの説明を聞くと、ゲイリーの様子を見てきてほしいという依頼を二つ返事で引き受けてくれた。彼も、最近町に戻ってきた彼の様子が気になってはいたようだ。
そして、ニコは表向きにはブローチの件でティモの教会が身柄を預かっているとなっている。
これらの事情を重ね合わせて、ニコを家に送るついでに、ゲイリーの様子を確認するというアナが用意した筋書きに、セヴェリ司祭は賛同してくれた。
「そうだね。君が雇っている使用人の子の件でもある。この子が買ったものは、こちらで預かることになったんだ。返却は難しくなるだろうが、構わないだろうか?」
「別に、そいつがどこで何をしてようが、俺の知ったことじゃねえんで……。好きにしてくだせえ」
雇い主のゲイリーの給金でニコが買ったものを、問答無用で押収することになるのだから、一言断りを入れるべきだとセヴェリ司祭は考えたのだろう。
だが、ニコはゲイリーからは給金をもらっていないので、ゲイリーは至極どうでもいいような返事をしていた。
「それと、もう一つ。そちらの子から聞いた話で、少し気になることがあってね」
「……気になること?」
「君が家で保管している酒についてだ。ああ、私は飲酒そのものを咎めるつもりはないよ。酒は人心を惑わすものと始祖の弟子は語っていたそうだが、自身が稼いだ財産で何を得るかは基本的には自由だと、私は解釈しているからね」
ゲイリーがよほど怪訝そうな顔をしたのか、セヴェリ司祭はすぐに柔らかな声音で彼を嗜める。
「ただ、ここ最近、酒蔵に運搬する途中で酒が紛失したという盗難の報告も届いていてね。その酒が、どうやら君が保管しているものと同じものらしい。同種の酒を買っている者として、君はこの件について、何か知らないだろうか?」
あくまで、盗難そのものを疑うのではなく、犯人との繋がりになりそうなものを知らないかと尋ねる。
その言葉の選び方や柔らかな声音は、ヘイノには到底できないことだ。アナでも、自身の猜疑心を完全に封じたまま質問できただろうか。
ゲイリーの回答までの間には、はっきりとした沈黙の時間があった。
それが狼狽の時間なのか、それとも己の罪を告白するべきか悩んだ時間なのかは、あいにく遠くから様子を見守っているだけのヘイノにはわからない。
「……さ、さあ。知りませんね。俺には皆目見当もつかねえ。そんな盗まれそうな大層な酒なんざ、家にはありませんよ。うちにそんな余裕が少しもねえってことは、司祭様も知ってるでしょう」
さすがに、自分よりも年長の司祭に対して恫喝しようとは思わなかったらしい。しかし、彼の声は先ほどの倦怠感混じりの余裕が消え、明らかな動揺が滲んでいた。
「そうかい。後から何か思いつくことがあったら、いつでも教会の扉を叩いてくれていいからね。献金がなくとも、隣人を歓迎する準備ならいつでもできているのだから」
「わかってますよ。そんで、用はそれだけですか」
どこか口早に言うゲイリーの態度からは、早く司祭に帰ってほしいと思っていることが丸わかりだ。
「もちろん、この子を君に送り届ける役目は忘れていないよ。ゲイリー、この子をあまり責めないでやってくれないかね。彼女が買ったものは、我が教会が定めた法に反するものではある。だが、咎められるべきはそのようなものを作り、市場へと流したものなのだから」
「あ、ああ。まあ、そりゃもちろん、そうでしょうよ」
セヴェリ司祭はニコの背を軽くゲイリーへと押しやり、軽く頭を下げてから家へと背を向けた。
ニコは物言いたげにセヴェリ司祭の背中を見送っていたが、やがてゲイリーに視線で促され、おずおずと家の中へと足を踏み入れた。
司祭とニコがゲイリーと話をしている間、ヘイノたちはゲイリーの視界に入らないよう、少し離れた家の庭先に集まって様子を伺っていた。
この家の主は、ヘイノから事情を聞かされると、快く庭先を一時的な溜まり場として提供してくれた。
「ゲイリーさんって、あの家に最近帰ってきた息子さんのことでしょ。前々から愛想は悪かったんだけど、夜遅くに家を出入りしたり、何だか怪しい連中と話してるって噂があったり、最近はどうにも様子がおかしいのよね。あんなのが近くに住んでいたら、私の気も休まらないったら」
愚痴をこぼしてくれた家主の女性は、庭に植えている木々なら、ゲイリーの様子を伺うためのいい目眩しになるだろうと提案してくれた。冬でも緑を絶やさない木々のおかげで、玄関口に出てきたゲイリーがヘイノたちに気がつくことはなかったようだ。
ニコがゲイリーの家に入ったのを見送ると、交渉役を引き受けてくれたセヴェリ司祭は、ヘイノたちのもとへとやってきた。
庭先に集まっていたのは、ニコの様子が気になったヘイノとヨニ、そして当事者のマウリと、親方と呼ばれていたゲイリーの雇用主である壮年の男性だ。
マウリの弟は、店を放ってはおけないので、結果がはっきりしたら教えてほしいと伝言を残していた。アナも、教会に用がある人が来ていると使いが届き、セヴェリ司祭に事情を伝えたあとは、パユヴェシ村の教会へと戻っている。
「私たちの話し声は、君たちにも聞こえただろうか。ゲイリーは、あくまで酒の件は知らないと話していたよ。ただ……私の経験則ではあるが、あれは何か隠しているように見えるね」
「ってことは、あとは例のお嬢ちゃん頼みか。あいつも、さっさと腹を括って話せばいいのによ」
親方は、すでにゲイリーが犯人と決めにかかっているのだろう。忌々しげに舌打ちを打つ。
「ちょっとヘイノ。どこ行くの」
「ニコの様子が気になります。すぐに動けるように、もう少し近づいておかないと」
言いながら、庭先から出て、ヘイノはニコとゲイリーの家へと向かう。すると、驚くほどはっきりと、ヘイノの耳に二人の話し声が聞こえた。
「お前、どうしてこいつのことをセヴェリ司祭に話したんだよ。おかげで面倒くせえ疑いを向けられただろうが……!」
不機嫌そうな気配を隠そうともせず、爆発寸前の火薬のような怒鳴り声が響く。
ヨニの提案通り、ニコが窓を開けたのだろうか。彼の声は、ヘイノの耳もとで響いているかのように、はっきりと通り中に響き渡っていた。あまりによく声が響くので、周囲の住民たちもこわごわ玄関先から顔を出しているほどだ。
「お酒を運んでいる仕事をしてる人が見せてくれたものと、ここにあるものは、全く同じだったんです。ゲイリーさん、この前私に、これは自分のものじゃないって言ってましたよね?」
ニコの糾弾に、しばらくの静寂が挟まる。
真実を指摘されて言葉に詰まったからか、あるいは衝動的な怒りを抑えこもうとした時間なのか。その答えは、すぐにわかった。
「そ、それの何が悪いっていうんだ。同じことをしてたお前に、とやかく言われる筋合いはねえ! いいからお前は、もうこの話に首を突っ込むな!」
「じゃあ、やっぱり勝手に持ち出したってことなんですね!」
「……っ、ああそうだよ。だが、そうしねえと仕方なかったんだよ! 俺がやりたくてやったわけじゃねえ!」
「事情があったからって、盗みは盗みです!!」
ニコの追及が加熱する。
ニコは、過ちを犯したのが自分であろうと、手を緩めずに己地震を強く糾弾していた。今や、その矛先は、自分の身近にいる人にまで向けられている。
だが、自分よりうんと年下の子供に、知った風な口を利かれるのは大人として我慢ならないと思うこともあるだろう。ゲイリーに関しては、間違いなくそうに違いない。
彼らの声は、よほど気まぐれな風が吹いたのか、まるでその場に立ち会っていたかのように周囲に響いている。ならば、もう十分だ。ヘイノは急ぎ足で、ゲイリーの玄関口の戸に手をかける。
(ニコもゲイリーさんも、感情的になって歯止めが効かなくなっている。この辺りで止めないと、ニコが危ない!)
幸い、ゲイリーはニコの追及を急ぐあまり、鍵をかけていなかったらしい。ヘイノが扉を開くと同時に、
「てめえには分からねえだろうって言ってんだよ! 大体てめえもよその家に盗みに行ったんなら、俺と同類だろうが!!」
「――同類ではありませんよ、ゲイリーさん」
家に足を踏み入れると同時に、ヘイノは彼に届くように声を張りあげる。
その後ろから、数人の足音が聞こえる。足音の数がやけに多いのは、彼の怒鳴り声を聞きつけた他の住人も様子を見にきたからかもしれない。
「ニコは、俺たちに自ら己の罪を告白し、償いのために何が必要かを問いました。だというのに、あなたは、司祭様がこの件について尋ねたとき、『知らない』と言っていたではありませんか」
憎々しげにヘイノを睨みつけていたゲイリーの視線が、彼の背後に立つ者へと向けられる。
その瞳には、自分の企みを暴かれた怒りや焦りの他に、追い詰められた動物のような悲壮感や、あるいは一抹のばつの悪さが混じっているように見えた。
「……聞いていたのか、お前。さっきの発言、全部」
「残念ながら。私もこの耳で、君がその子に語った言葉を聞かせてもらったよ」
ヘイノの背後から姿を見せたセヴェリ司祭の発言に、ゲイリーの顔がぐしゃりと歪む。怒りか、あるいはもしかしたら、今更ではあるかもしれないが、彼もまた後悔をしているのか。
だが、すぐにその表情も消え失せ、彼は自分の足元で尻餅をついているニコと、入口の前に塞がるようにして立つヘイノや、他の面々を睨みつける。
焦りと苛立ち混じりの視線をまるで武器のように片っ端からぶつけた後、
「くそっ、俺はこんなことにかまけてる暇はねえんだよ!! どけ!!」
不意に、ゲイリーは駆け出した。ヘイノが立ち塞がっている、唯一の入り口へと。
「ヘイノ先生!」
ニコの悲鳴と、ぐんぐん目の前に迫ってくる男の姿。初めて彼と対峙した時の怖気が、一瞬ヘイノの思考を奪う。
(でも、ここで退いたら――)
ヘイノのすぐ後ろには、年老いたセヴェリ司祭がいる。ヘイノが躱せば、ゲイリーは彼を突き飛ばし、この場から逃げようとするだろう。
そんなことになったら、セヴェリ司祭は怪我をするかもしれない。だったら。
(それぐらいなら、俺は――退かない!)
威嚇のためか、ヘイノに向けてゲイリーが大きく腕を振り上げる。
「な……っ!?」
振り下ろさたそれを、本来ならヘイノを殴りつけていただろう。
だが、運良くヘイノは自分めがけて迫るゲイリーの腕を掴めた。予想外の行動に、ゲイリーの顔に驚きがよぎった瞬間、
「なっ――」
「――――っ!」
視界がぐるりと反転し、数秒遅れて背中やら腕やらをぶつけた痛みが身体中を走る。腕を掴んだ拍子にゲイリーの姿勢が崩れ、同様にバランスを崩しかけていたヘイノを巻き込んで、二人もろとも床に倒れてしまったのだ。
だが、それでもヘイノは腕を離さなかった。
「離せ、この……っ!」
ゲイリーが腕を勢いよく振りかぶり、弾みでヘイノの手が振りほどかれる。だが、すでにもう片方のヘイノの手が、自分に覆い被さっていたゲイリーの服を掴んでいた。
「離しません! あなたが、自分の行いを認めるまでは!」
半ば意地になって叫ぶと、喉がぐっと絞まる感覚がヘイノを襲う。息が詰まり、嫌でも呼吸が浅くなる。
胸ぐらを掴まれたのだと遅まきながら気がついた刹那、ヘイノの視界は焦燥に溢れた顔の男が大写しになった。
「うるせえ! てめえみたいなガキには分からねえだろうがなあ、俺は――!」
「だったら、大人同士で話をしようじゃないか。なあ、ゲイリー」
ゲイリーの顔が、突如ヘイノの視界から失せる。遅れて、喉を襲っていた閉塞感が一度に消え失せ、ヘイノは上体を起こして何度かむせこんだ。
「ヘイノ先生、大丈夫ですか!?」
「大丈夫です。それよりも……」
何があったのか、を問う必要はなかった。ゲイリーの雇用主である親方とマウリが、ゲイリーを床に押さえつけている姿が目に入ったからだ。ヘイノに馬乗りになっていたゲイリーを、二人が引き剥がしてくれたのだろう。
「ゲイリー、落ち着くんだ。君に何があったかは知らないが、これ以上、余計な罪を重ねるものではないよ」
興奮し切ったゲイリーにも届くようにか、セヴェリ司祭は子供に話しかけるような穏やかな口ぶりで、ゆっくりと話しかけている。
「さっきの口ぶりじゃ、何かお前にも泥棒をした理由があったんだろ。その辺を話せば、司祭様もわかってくれるかもしれないぞ」
「私も、君がそこまで追い込まれた事情を知りたい。君の良心が、まだ君の中にあるのならば」
マウリの言葉が、ゲイリーにもようやく届いてくれたのか。彼の抵抗が弱まるのが見えた。セヴェリ司祭の言葉がゲイリーに届いたのか、それとも逃げようがないと観念したのか。彼は何事か、小さな声で返事をしていた。
彼らのやり取りを見守っていたヘイノは、ようやくほっと息を吐く。引っ張られていた服の襟元を整えると、次はニコへと向き直った。
「ニコ、俺よりもあなたの方が大丈夫ですか。怪我はしていませんか?」
「大丈夫です。ゲイリーさん、これまでも何度か大きな声は出していたんですが、手をあげるようなことはなかったので……」
だからこそ、ヘイノに殴りかかるようなそぶりを見せて驚いたのだとニコは言う。
「……ゲイリーさんにも、事情があったのでしょうか。私、もっとゲイリーさんと話をするべきだったのでしょうか」
「だとしても、自分の過ちを告白する機会を彼は自ら捨てたんです。ニコが気に病むことではありませんよ」
どこか罰が悪そうに呟くニコを、ヘイノはやんわりと嗜める。
マウリたちに引っ立てられて外に出ていく彼の背中を、ヘイノも釈然としない気持ちで見送っていた。だが、今の自分にとって重要なのは、傍らでしゃがみ込んでいる少女の安全だ。そして、それは守られた。
(だったら、今はそれでいい。……俺は、何もかもを思い通りにできるほどの力はないんだから)
ヨニやアナに言われたことを思い返し、心の内に残っていた迷いを小さくかぶりを振ると同時に、振り払う。
「ニコ、行きましょう。カッリさんのお店によって、今回の件がどうなったかをちゃんと伝えないといけませんから」
手を差し伸べると、ニコは頷きと共に躊躇わずにそれを掴んでくれた。彼女の手から伝わる温もりを確かめながら、ヘイノは薄暗い家から外へと出る。
「あ、ヨニ先生です」
ニコの言う通り、家を出てすぐの通りでは弟が片割れが姿を見せるのを待っていた。マウリたちは既に行った後なのだろう。周囲から顔を見せていた近所の住人たちが交わすひそひそ声のみが、事件の余韻として留まっていた。
軽く手を振っている弟に、ヘイノも手を振りかえす。駆け寄ってきたヨニに、ヘイノは早速何があったかを簡単に説明し始めた。
兄弟の様子を、ヘイノの手を握られながら見つめていたニコは、ふと視線を自分の家であった場所へと向ける。
灯りもついてない、まるで洞穴のようにガランとした空間には、短くはあったがニコの苦難と後悔の日々が詰まっていた。
ゲイリーがあの場所に戻ってくるのか、それとももう戻らないのかは分からない。だが、少なくともあの家がニコの居場所になることはないだろう。
良いことなんてひとつもなかったはずなのに、背を向ける瞬間、ニコは微かな寂しさを覚えていた。それを振り切るようにして、彼女は声をあげる。
「ヘイノ先生。今日も、先生の家に泊まってもいいでしょうか?」
「構いませんよ。あとでアナさんに相談しましょう」
「その前に、カッリさんのお店でしょ。寒くなってきたし、何か温かいものでも飲ませてもらえないかなあ」
「そうしましょうか。色々あって、俺も疲れましたから。休憩がてら、カッリさんには今回のことを話しましょう」
話をまとめて、二人の少年と一人の少女の影はティモの街並みへと歩き出す。空を覆い始めた夜の帳には、三人を見守るように一つ二つ、星が輝き始めていた。




