一章・十五話
ニコの希望に反することではあったが、翌朝すぐにアナは彼女から聞いた情報をヘイノたちにも伝えた。
アナには、ヘイノの知り合いである酒場の経営者兄弟と接点がない。彼らと接触するためにも、ヘイノに事情を話さないわけにはいかなかった。
そして、同じ家に暮らす以上、下手な隠し事は無用とヨニにも伝えたのである。
「そういえば、マウリさんと弟のカッリさんが言っていましたね。酒場に仕入れる予定だった南国から届いたお酒が、何本か紛失して問題になっていると」
「では、お二人はすでに状況について把握しているということね」
これで、ニコの思い過ごしという線は消えた。
そんな話をしている二人は今、アナの書斎にいた。ヨニはこの場にいない。彼は、アナからの手紙を預かり、シニッカの家に届けに行っている。
ニコはまだ、客間のソファで眠りの世界にいた。昨日夜更かしをしたことと、気を張っていた状況から解放されて、体が疲労の回復に専念しているのだろう。
「それなら、ヘイノ。まずは、私にマウリさんご兄弟を紹介してもらえるかしら」
「分かりました。夕方に行けば、カッリさんはお店にいるかと思いますが」
「できれば、話は早くにまとめたいわね。昼には向かって、これからの行動について相談したいところよ。朝一番に郵便局に行って、カッリさんのお店に使いを送れないか頼んできてもらえるかしら」
手紙のやり取りをするとき以外にも、郵便局は町への急ぎの知らせを送るのにも重宝されている。大抵の人は、自分宛の荷物や手紙が来ていないか確認するために、何日かに一回は顔を出すので、ちょっとした集会所の役割も兼ねていた。
ティモの町や港に向かう者に、手数料を払って荷物や伝言を託すこともある。他にも、緊急の知らせがあるなら電報を使うこともできるが、アナはそこまでする必要はないだろうと言った。
「もし、ゲイリーさんが、仕事場の荷物を盗んでいた場合、彼はどうなってしまうのでしょうか」
「あなたもニコと同じことを気にするのね。彼の場合、被害者は雇い主……つまり、マウリさんが話していた親方さんになるわ」
マウリの話では、親方は不承不承ゲイリーを雇っていたようだ。そんな相手が自分の顔に泥を塗るようなことをしていたと知ったら、親方はまずゲイリーを許さないだろう。
「……そうなると、ニコはどうなってしまうのでしょうか」
ヘイノが気にしていたのはその点だ。
昨晩までは、ニコの起こした盗難事件が一段落した後、彼女を家に返すべきかを悩みながら夜を過ごしていた。だが、今朝聞いた話を踏まえると、もはや彼女の帰るべき家や雇い主すら、どうなるかわからない。
「俺は今まで、ニコの状況をどうにかしたいと思っていました。でも、ヨニには司祭見習いの自分たちは、一人の人間の人生をどうこうできる立場じゃないと嗜められました」
だが、ヘイノはヨニの忠告を聞いただけでは足を止められなかった。
それでも、と一歩を踏み出し、実際にニコが取り返しのつかない過ちを犯す場合に、その手を掴めたと思っている。
「でも、ただニコから助けを求められて、それに応じるだけで終わりとはできません」
「苦境に耐えていた、一人の女の子の助けを求める声を聞けたのは、私も間違っているとは思わないわ。ただ、今のあなたはより現実的なことに目を向けねばならないと気がついた。そうでしょう?」
アナの指摘に、ヘイノは頷く。
今になって、ヨニがなぜあそこまで、困っている少女の救済に消極的だったのか、ヘイノは身を以て実感していた。
実際にニコを自宅に保護するだけでも、寝る場所や食事の場所をどうするのかという問題が突きつけられた。
一日、二日ならいい。だが、一週間、一ヶ月となれば。司祭見習いであるヘイノにも給金は出ているらしいが、その管理は家主であり監督役でもあるアナが管理している。本来ならば頼りになるだろう両親も、ヘイノたちにはいない。
自分で自由にできる地位も財産もないのに、他人に手を差し伸べている場合なのか。ヨニが言いたかったのは、そういうことだったのだろう。
「だから、アナさんに聞いておきたかったんです。ニコを、この家で雇う余裕はありますか?」
「ないわね」
アナは、にべもなく答える。
「あまりお金や雇用の話を聞かせたくはないのだけれど、はっきり言った方があなたには良いでしょう。使用人として働いた経験はあっても、一般的な家政専門の使用人に比べればニコは幼いし、その分こなせる仕事量も少ない。それは、ニコが悪いわけではないわ。ただ、比較問題として、誰かを雇うとなった時に、彼女を選ぶことはできない。私は、あなたたちの財産を預かる者でもあるのだから」
同じ金額で人を雇うのならば、アナは大人の使用人を雇用するべきだと告げる。その方がヘイノたちや自分の負担も減るし、生活上の利益となる。至極当然の選択だ。
「……それなら、俺の食事の半分をニコに与え、俺に本来使うべきお金の幾らかを彼女に使うという形で、彼女をこの家に置くことはできますか」
使用人という体裁すら取れないのなら、ヘイノはなりふり構わず、身を削ってでも彼女を保護できないかと訴える。それが、一晩考えた末にヘイノが出した結論だ。
すると、アナは呆れたような視線をヘイノに向け、
「いくら私が司祭であるからといって、毎日同じ説教をしたくはないのだけれど」
「え?」
彼女が何を言いたいのかわからず、ヘイノは一瞬きょとんとしてしまう。だが、アナは「あなたもニコと同じよ」と言ったので、その示唆の意味をようやく悟れた。
「……アナさん」
「何かしら」
「不躾を承知でお願いします。……ニコを助けるために、力を貸してもらえませんか」
よろしい、とアナは言う。
ヘイノができることは限られている。持ち合わせている知識も、アナに比べればずっと少ない。
ならば、その足りない手札でなんとかしようとするのではなく、もっと素直に先人を頼りなさい。それが、アナがヘイノに言いたかったことだ。
「彼女が幸せに過ごせる場所を見つけられるよう、私も探してみるわ」
「ありがとうございます、アナさん。俺にできることがあったらなんでも言ってください」
「差し当たって、あなたに求めるのはマウリさんに私を紹介することよ」
そこで、アナは何か考え込むようなそぶりを見せる。いっそ愚直なまでに、一人の少女を救うために全身全霊を賭ける少年の視線を見つめ返し、
「もし、ゲイリーさんの盗品を調べるために、彼の家に行くとなったとして。あなたは、ついて行くつもり?」
アナの質問は、いささか奇妙な内容だった。ヘイノは、当事者といえるほどにゲイリーに近しい人物ではない。本来ならば、ニコの件がなければ顔を合わせることもなかっただろう。
(できることなら、何度も顔を合わせたい人ではない。だけど……)
対面した時の、彼から向けられた敵意に竦んでしまった記憶はまだ新しい。それでも、ヘイノが逡巡したのは一瞬だった。
「もし、ニコがその現場に立ち会わなければならないなら、俺もついていきます」
「あなたなら、そう言うだろうと思ったわ。……本当に、似た者同士なのだから」
「え? 俺とヨニですか?」
「違うわ。むしろ、あなたたちが似てるのは顔だけじゃないの」
首を傾げているヘイノに、アナはニコの様子を見てくるように促す。釈然としないものはあるものの、気を取り直してヘイノは客間へと向かった。
***
「ゲイリーが酒泥棒の犯人!?」
「マウリさん、声が大きいです。今はまだ、その疑いがあるというだけですから」
ヘイノに促されて、マウリは「悪い」と謝りつつも、それでも物言いたげに居並ぶ面々を見返していた。
「今時点は、まだ疑わしいというだけよ。証拠は、ここにいるニコの証言だけ」
アナに紹介されて、ニコはおずおずと頷く。
アナを筆頭とした三人とニコは、昼になると、連れ立ってマウリの弟が経営している店へと顔を出した。
使いの者から報せを受け取っていたマウリは、仕事をわざわざ休んで司祭たちの訪問を歓迎してくれた。今、一同は店の上階にある彼の弟の家で話をしている。
「わざわざ教会の仕事を休んで、ヘイノたちがこっちに来たってことは、それなりに証拠のある話なんだろ?」
「ニコの証言のみではありますが、時期や内容から見て間違いないと思います」
マウリに尋ねられて、ヘイノはアナの様子を伺ってから慎重に肯定した。
彼のいう通り、ヘイノたちの授業は本日臨時の休みとなっていた。郵便局にいた村の人たちに、その件を伝えるように頼んでおいたので、今頃は村中に休校の知らせは伝わっていただろう。
「そいつが本当なら、親方はかんかんだろうなぁ。俺たちみたいな荷運び人は、信頼が一番大事だからよ」
「荷物を預けた人と、受け取る予定だった人。両方からの信頼が無くなっちゃうものね」
ヨニが同意すると、マウリはうむうむと深く頷く。
「そういうわけだ。この話が本当なら、親方はゲイリーの首根っこを引っ掴んですぐに自警団に引き渡すんだろうが……」
「待ってちょうだい。その前に、彼に事実を確認しなければならないわ。そして、罪を犯したのが事実するなら、それを告白する機会も彼には与えられるべきよ」
マウリが荒っぽい提案を口にした矢先、すぐさまアナが割って入る。それを聞き、ヘイノは一瞬眉を寄せてしまった。
(ゲイリーさんのあの様子じゃ、アナさんが改悛を促したところで素直に認めるとは思えない。でも、それは……やっぱり、俺の偏見なんだろうな)
ニコが過ちを犯したと知っても、ヘイノは彼女から話を聞こうとはしたが、懺悔や告解のような『罪人としての扱い』を必要だとは思わなかった。それは、ヘイノが無自覚にニコは無実だと感じていたからだろう。
だが、ゲイリーには問答無用で、懺悔の機会すら不要と断じかけていた。彼は悪人である、故に裁かれるべきである。ただそれだけの単純な思考で、全てを断じようとしていたのだ。
けれども、司祭という目線で見るならば、アナの言葉が正しいのは明白だ。アナは、ニコやヘイノの言葉だけで全てを判断せず、どんな人間にも救いと許しの機会を与えるべきだと断言した。
「可能性は限りなく低いでしょうけれども、もしかしたら、私たちの勘違いということもあるかもしれない。それに、彼が自らを省みて罪を認める機会を奪うわけにはいかないわ」
個人的なやり取りならいざ知らず、司祭という立場ある者が介入する以上、そうなることはマウリたちも納得してくれた。
司祭は、この国では教えを説く者であると同時に、司法の一端を担う者でもある。
流石に裁判に直接関わるほどの権力は、アナであろうと持ち合わせていない。とはいえ、このままゲイリーが犯人として一方的に糾弾されるのを見過ごすわけにはいかなかったのだろう。
「だが、それだとあいつが本当に盗んでたとしても、『やってねえ』って言ったら、それまでにならねえか」
一同の会話に加わったのは、マウリの弟のカッリだ。昼も店は開いているが、今は妻に任せてきたとのことだった。
「そっちの子供以外にも、もっと確かな証人ってやつはいねえのか? 子供の言葉だけじゃ、たとえ捕まってもすぐに釈放されちまうだろうよ」
「そうなんだよなあ。ああ、悪い。そのお嬢ちゃんが嘘を言っているって思ってるわけじゃあないんだ。ただ、まだ子供だからなぁ」
子供であろうと、勇気を持って告発したニコの尊厳を傷つけまいと、マウリはやんわりと言葉を挟む。
だが、ニコの証言ではゲイリーを突き出す証拠としては弱いというのもまた事実だ。
今時点、ゲイリーの不審な持ち物や発言を聞いたのはニコだけだ。彼女の言葉だけを理由に家に押しかけ、もしゲイリーが『知らない』と言い張ったら、彼らには打つ手がない。
そもそも、怪しい噂を聞いた程度で家に乗り込むような真似はできない。最悪、マウリたちの方が罪を犯したとして捕まってしまう。
「証拠の品が家にあるのなら、ゲイリーさんが不在の間にニコに取ってきてもらうのはどうでしょうか?」
ヘイノとしては、これ以上ニコと彼女の雇い主を直接対面させたくはない。証人として顔を合わせるよりも、揺るぎようのない証拠を突きつければいいと考えたのだが、
「それ、自分が買ってきたやつだって言われたら、勝手に持ち出した方が悪者になっちゃうよ」
ヨニの指摘を受けて、ヘイノは言葉に詰まる。
マウリも、最初にその案は考えてはいたのだろう。苦笑いを浮かべ「参ったなぁ」とぼやいていた。
「そうなると、後はあいつが現行犯でやらかしたところを捕まえるしかねえか」
「だがよぉ、カッリ。仕事をしてる最中に、あいつだけに注目するような真似したら、すぐにばれちまうぞ。あいつも、そこまで馬鹿じゃねえだろうからな」
怪しい動きをしたと言っても、ゲイリーは仕事で荷物に触れただけだと言い張るかもしれないと、マウリは唸る。
頭を悩ませる大人たちを見やりながら、ヘイノも必死に様々な案を浮かべては棄却していた。
(ゲイリーさんの盗難については、ニコみたいに自白をしてくれるとも思えないし、立証は思ったより難しいかもしれない。でも……ここで、後はマウリさんたちに任せて、俺たちは引き下がるというのもな)
アナも、ヘイノたち兄弟も、ゲイリーの盗難に関して直接深い関係があるわけではない。たまたま情報源のニコと縁があり、ヘイノが被害者の血縁であるマウリの顔見知りだったから、こうして話を持ち込んだだけのことだ。
さりとて、ヘイノはここで引き下がるつもりはなかった。ゲイリーの窃盗を見過ごせないからというよりも、ニコの身の安全を確保するためだ。アナも、そしてヨニも同意見だからこそ、この場に居続けてくれているのだろう。
どうにか名案が思いつかないかと、頭を働かせ続けていると、
「――あのさ」
そこに、今まで黙って成り行きを見守っていたヨニが手と声をあげた。
「つまり、マウリさんやカッリさんや、その親方さんみたいな大人の関係者がいる場所で、ゲイリーさんが『この輸入物の酒は俺の買ったものじゃない』って言えばいいんだよね? それだけでも、十分疑わしい証拠になるよね?」
「それはそうでしょうけど、後ろ暗いところがある人が、素直に職場の人のいる場でそのような発言しないでしょう」
ヘイノの至極もっともな指摘を聞いても、ヨニは笑みを崩さない。
「たとえば、ゲイリーさんが油断するような相手に盗品の話をしていて、たまたまそれを通りがかった親方さんたちが聞いた場合は?」
「たまたまって、そんな偶然を作れるわけが……」
「いや待ってくれ。そいつはつまり、ゲイリーを罠にかけるってことか?」
「罠?」
すぐにヨニの発言が何を示したか察した弟と異なり、マウリはまだ理解が追いついていないらしい。それは、ヘイノも同じだ。
「たとえば、そうだな。あいつが隙を見せるような相手に、わざとあいつが動揺するような発言をさせて、あいつがうっかり盗品だって認めるようなことを言わせりゃいい。それを俺たちが聞けば、この子供以外に俺たちも証人になれる」
カッリの発言に、ようやくヘイノもヨニの提案が何を指しているのかを理解した。
ヨニは、確実により多くの人が犯人の自白を聞ける状況を意図的に作り出そう、と提案したのだ。証人がニコだけでは心許ないならば、より多くの人を巻き込もうと考えたのである。
「だが、あいつが迂闊にペラペラ喋りそうな相手ってなると……」
「――それは、私だと思います」
今まで黙って成り行きを見守っていたニコが、硬い声で名乗りをあげる。だが、すかさずヘイノは首を横に振った。
「ニコに任せるのは、俺は反対です」
たしかに、ニコはゲイリーが唯一口を滑らせた相手であり、彼にとってはもはや盗品を今更隠すのも意味がないほどに生活を共にしている存在だ。
だが、いくら普段はまともに会話もしない相手といえども、痛いところを探られて、果たして彼から必要な言葉だけを引き出せるだろうか。
「俺は、ゲイリーさんに会ったことがあります。マウリさんも言っていましたが、あの方はあまり思慮深い方とは思えません。作為的な質問をされれば、むしろ反感を買って感情的な行動に出るかもしれない」
「そんな危険な真似を子供にさせるのは、確かに俺も反対だ。確かにあいつは、ちょっとこっちが話しかけただけで睨んでくるようなやつだからよ」
マウリもヘイノと同意見のようだったが、ニコは頑なに首を横に振る。
「でも、私以外にあの人が口を滑らせるようなことはしないと思います」
ニコの意見も、また正しく聞こえた。
今この場で事件の概要を知っている者の他の誰が顔を見せても、容疑者は沈黙を選ぶか、はたまた鼻先で扉を閉めるだろう。
「ゲイリーさんが、なぜそのようなことをしているのか、私には分かりません。でも、それが間違っていることなら、今のままにしておくのは良くないと思ったんです」
今まで、ニコは見ないふりを続けてきた。自分のことも、自分の雇い主のことも。
同じ罪に手を染めたという一方的な仲間意識のようなものもあったのかもしれない。
(でも、やっぱり、私は……そのままにしたくない)
ゲイリーにとっては余計なお世話だろう。ニコも、彼に改心を促そうなどと高潔な志を持っているわけではない。
ただ、そこにある間違いに目を塞ぐような真似をもう続けたくないと思った。それが、自ら危険な役を買って出た理由だ。
「ゲイリーさんがニコに手をあげるような真似をしたら、それこそ証人として周りにいるマウリさんたちが黙っていないよ。でしょ?」
「そりゃもちろんだ! でも、一体あいつを問い詰めるのをどこでやるつもりなんだ? なるべくなら早いほうがいいが、声が通りやすいところまで誘導するってなると、なかなか難しいぞ」
「声が聞こえるかってところは、なんとかなると思うよ。家の外にいても、興奮した人の声って意外と聞こえてくるものだしさ。ヘイノやニコの話を聞く限り、隙間風も通りそうな家みたいだし」
「近所の人も、ゲイリーさんが酔ったときの声は時折耳にしているとは言ってましたが……そんなに上手くいくものでしょうか」
「ニコには窓を開けておいてもらえばいいよ。それなら、確実でしょ。立ち話ができればいいけど、流石にどれだけ迂闊な人も、家の外で『自分が盗みました』とは言わないだろうから」
ヨニは指先を軽く振り、着々と話を進めていく。
ヘイノは横目でアナを伺い、これでいいのかと目顔で問いかける。アナも、ヘイノと同じく細い眉を寄せていた。
これがもっとも手っ取り早い作戦だと、彼女もヘイノも承知はしている。だが、どうしたってニコの身の安全と引き換えになってしまう場面がある。そのために、すぐさま頷けずにいたのだ。
やがて、アナは細い息と共に口を開いた。
「ヨニがそこまで言うのなら、可能ではあるのでしょう」
だが、そこで言葉は終わらなかった。
「でも、ニコに手伝ってもらう前にやるべきことはするべきだわ。私はこの後、ティモの司祭様にこの件を伝えてくる。私が彼に盗難のことを尋ねるより、この町の司祭様の方が彼のことはよく知っているでしょうから」
ゲイリーを荷運び人として雇うように頼んだのも、町の司祭であると聞いている。その人物なら、ゲイリーも少しは口を軽くするかもしれない。
「それでもゲイリーさんが口を噤むなら、ニコに頼むことになるでしょう。でも、ニコ。ゲイリーさんがもしあなたに対して暴力を振るおうとしたら、大きな音をたてて必ず助けを求めるように」
「だったら、俺が合図に使えそうなものを探しておこう。俺たちの頼みで、お嬢ちゃんは危ない橋を渡るわけなんだからな」
荷運び人としての信頼を傷つけられたマウリたちとは別に、カッリは自分が得られるべきだった仕入れの品を横取りされた明確な被害者だ。現場に居合わせる面々を確認すると、彼は一も二もなく手を挙げた。
「ティモの司祭様が今回の件に協力してくれることになったら、ゲイリーさん宛に使いを出してもらいましょう。司祭さまが家に行くとなったら、ゲイリーさんも寄り道をせずに帰るでしょうから」
ニコの話によると、ゲイリーは夜遅くまで帰ってこない日が多いらしい。しかし、ヘイノが彼に会った日は夕方に戻ってきていたので、ゲイリーの帰宅時間はまちまちのようだ。
折角司祭に協力を得たのに、当の本人が不在では話にならない。すれ違いを回避するためにも、アナは最も確実な手を打つべきだと告げる。
「それじゃあ、俺は親方のところに行って、ゲイリーにバレないように、この話をしてくるよ。もしかしたら、親方も立ち会いたいって言うかもしれないからな」
マウリは話がまとまると、早速荷運び人の組合所へと向かって言ってしまった。彼はゲイリーをとっちめたいというよりも、ヘイノという友人に協力したいと思って、こんなにも積極的に行動しているようだった。
数奇な縁が契機でここまで手伝ってくれるマウリに、ヘイノは心の中で深く頭を下げる。
「では、私もティモの教会に向かうわ。カッリさん、ご一緒してもらえるかしら」
「もちろんだ。……まったく、一体あいつは何考えて、こんな真似をしてるんだか。盗んだものを飲んでるわけでもねえってんなら、さっぱりわけがわからねえ」
カッリは二つ返事で引き受けると、アナと共に部屋を後にする。
「俺も、ちょっと休憩。お腹すいちゃった」
二人の後に続いて、ヨニも立ち去り、残ったのはヘイノとニコだけだ。他の面々はともかく、ヨニはニコとヘイノがゆっくり話せるように時間を作ってくれたのだろう。それぐらいは、ヘイノにもすぐ分かった。
今回の件で鍵を握るのはニコだ。ヘイノは、自分の傍らにいるニコをそっと見遣り、
「無理をしていませんか、ニコ」
「……ちょっと、怖いとは思ってます」
気を許している相手に話しかけられたからか、ニコの表情がわずかに緩む。
「だったら、やっぱりやめた方がいいのではありませんか」
「でも、私にしかできないなら、私にやらせてください」
ニコは大人たちが出て行った扉を見やり、膝の上に握った拳に力を込める。
「ゲイリーさんが誰かのものを盗んでるかもって思った時、悪いことをしているっていう不安はあったんです。でも、私はずっと目を逸らしていました。自分とは関係ないふりをしようとしてました」
自分が盗みを行ったことによる仲間意識もあった。だが、それ以外にも、漠然とした不安や危機に対して、距離を置いておけばとりあえず自分の身は守られる――そんな身勝手な考えがあったのは否めない。
「でも、やっぱりそういうのは良くないと思ったんです。そうやって見ないふりをし続けていると、いつか自分が何かしたときも同じことをしてしまいそうですから」
そして、その先に待っているのは、自分が自分を拒絶するという最悪な形の生き方だ。ニコにとっては、それは飢えとは別の形の恐怖だった。
「……ゲイリーさんは、そんなこと望んでないかもしれません。だから、これはすごく勝手なことかもしれません」
「もしそうだとしたら、彼の怒りは俺が受け止めますよ。元はと言えば、俺のお節介が始めたことですから」
「ヘイノ先生に全部押しつけたりしません。それに、私は先生のお節介のおかげで、こうしていられるわけですから」
ニコのきっぱりとした物言いに、ヘイノも頷くしかなかった。
「……分かりました。でも、それはそれとして。ゲイリーさんと対峙するのが怖いと思ったなら、遠慮せずにすぐ言ってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
気遣わしげにこちらを見つめるヘイノの手に、ニコはそっと自分の手を重ねる。
そうすると、彼女の中に残っていた少しばかりの不安も、不思議なほどに薄れていった。




