――未来――
食事の後、クオンは言った。
「世界を守りに行こう」
「何処に?」
相変わらず言葉は足りないのに、意図は理解できる。
「元凶を倒しに行く」
「原因が分かったの!?」
彼は鷹揚に頷いた。
「彼方にて、魔に魅入られし者が災厄を巻き散らす。それを止める」
遠回しな言い方だけど、よくあるバカが悪魔に唆されるやつか。
倒せば済むと言うなら話は早い。
「私はどうすればいいの?」
「戦力が欲しい」
彼が研究室の入り口に目を向けた。
帰って来た後、見張りは交代させてある。
長時間労働はミスの元。
上に立つ者として、部下の管理は義務だ。
「魔神が十体いるわ。一体はアレより上よ」
それが私が契約している魔神の全て。
――上位魔神は強大な存在だ。
騎士団長の数倍の武術と体躯に、宮廷魔術師並の魔術、爪や尻尾の先からは毒、自身への魔術の働きを無効化能力を併せ持つ。
下手な軍隊なら、比喩無しに、一体で鼻歌交じりに壊滅させるほどの化け物だ。
しかし、彼らも全く欠点が無い訳では無い。
異界とは異なる世界。
世界が違えば環境が違う。
人間が水の中で溺れるように、彼らは人間の世界に常駐できない。
召喚魔法が仮初めの化身を呼んだり、短時間で帰還させるのもそのため。
「…ギリギリか」
クオンが不穏なことを口走った。
でもどうしようも無い。
時間を掛ければ無限に強くなれるなんて、子供の妄想の中だけ。
そんなご都合主義は物語の中か、それこそ、伝承にある邪神に支配された世界、地球くらいのもの。
食べた分だけ大きくなれる訳じゃないのと同じ。
だから人間は限られた時間の中で、強みを作るために専念して学ぶのだ。
私にとってのそれが、魔術であり神術。
宮廷魔術師の爺やが絶賛し、国教主が脱帽する、人の身で得られる秘奥を極めた。
従える主力も、上位魔神が九体ともう一体。
祖国を代償に捧げれば増やせるけど、それは本末転倒。
これが私が全てを差し出した成果。
これ以上は無い。
チクリッ
胸の奥が痛んだ。
こちらを見た彼から、目を逸らしてしまう。
腰に提げた剣の鞘に手を重ねる。
歴代の王の血を吸い続けた、裏の選定の剣。
「覚悟はできてる」
かつて一人で狂王に喧嘩を売った大魔術師にも、実力で劣るつもりは無い。
――私たちは其処へ跳んだ。
視界が揺らいだと思って気付いた時には、巨大な建物の中だった。
天窓から差し込む光が照らすそこは、壁と言わず、床と言わず、天井と言わず、柱と言わず、全てが大理石で出来た巨大建築物。
柱は一本一本が、数人で手を繋がなければ届かないほどに太く、天井は巨人でもゆっくり寛げそうなほどに高く、床は魔術の実験をしても怒られないくらいに広い。
「あっ、うちの主神殿だ」
ウィルハザード王国の国教、ケドレバ神を称える神殿だ。
見た感じ、神殿に入って直ぐの大広間。
幼い頃、人が居ない時に魔術の実践をして爺やに怒られたなあ。
…けど、そんな呑気なことを言ってられる状況じゃないみたい。
目の前に立つ、顔の彫りの深い若者が、唖然とした顔で私を見ている。
そんなに見られても、私に割れ顎趣味は無い。
そういうのはアスフィアに任せている。
割れ顎男の服装は、仕立ての良さそうな服の上に、肩と胴に申し訳程度に鎧を着けた、兜も小手も無い見栄えだけの戦装束。
羽織ったマントは血のように真っ赤で、手にした剣からは、離れていても血の臭いが漂ってくる。
何より目を引くのは、割れ顎男の手元で空中に浮かぶ本。
緑色の装丁はまるで、「自分は悪い書物じゃないよ」と言ってそうだけど、出してるオーラが丸っきり邪悪。
オマケに表紙の文字は魔術語。
割れ顎男の足元には、男と女が横たわっている。
男の方は、見覚えのある司祭服を着て俯せに倒れ、大量の血を流している。
…死んでる。
女の方は、私より豊かな胸元に手を合わせて、仰向けに寝かせられている。
…死んでる。
我知らず表情が引き締まるのを感じた。
「どういう状況?」
クオンの姿を探して周りを見渡して気付いた。
彼は私の背後に居た。
私たちの背後で、通って来た裂けた空間が閉じようとしている。
その先の景色は見慣れた異界の迷宮。
そりゃあ、目の前の割れ顎男も驚くわよね。
だって、割れ顎男から少し離れた頭上にも、魔界へ繋がる黒い穴が開いているんだから。
「あの本が元凶だ」
彼が指差すと、悪魔の本のオーラが揺れた。
割れ顎男が本の前に回る。
「あの男は?」
「無理だ。力に魅入られている」
「了解!」
私は愛剣を抜き放ち、契約を解放する。
相手はどう見ても邪悪の権化。
躊躇う理由は無い。
刹那。
割れ顎男の周りに、魔物の群れが現れた。
割れ顎男は呪文なんて詠唱していない。
頭上の魔界への穴から、黒い霧のような物が空中を漂ってきて、それが魔物の姿に変わったのだ。
小さな蝙蝠のような魔物。
大きな狼のような魔物。
粘液で濡れた触手を生やした、植物の魔物。
巨体で剛毛で腕の長い森の賢者。
軽くて硬くて魔法に強い、魔法金属の人型。
まだ幼くて飛ぶのも大変そうだけど、人間より大きなドラゴンの子供。
歪な角や羽を生やした、尖ったマスクをしたような顔の下位魔神…。
伝説の迷宮でも見るような雑多な連中に交じって、一際異彩を放つ、姿も威圧感も別物な魔神が六体。
炎の鞭を持った、邪悪なる拷問官。
柄の長い鎌を持った、死の化身。
豪華なマントが蠅のように唸る、集る恐怖。
四枚の翼に鳥の脚を持つ、千歩超え。
三つの顔と三組六本の腕を持つ、三身一体。
そして、上位魔神をそのまま凶悪にしたような、絶望を振り撒く者。
その一体ですら、一国どころか世界を滅ぼすとまで言われる、世界中の伝承に語られる魔神が六体。
ギリッ
気付いたら奥歯が割れそうなほど噛み締めていた。
だって仕方ないじゃない。
私が長年掛けて用意したのを、あっさり超えてきたんだもの。
少し遅れて、私の魔神たちも、ほぼ同時に姿を現す。
こちらは契約に従い、個々に異界から召喚された。
上位魔神が九体に、絶望を振り撒く者が一体。
「―――っ」
割れ顎男と魔神たちが、呪文を唱え始めた。
――《原子崩壊》。
それは魔術の最奥。
魔術の七つの位階にて、第七位に位置する秘術。
亜空間にて原初の爆発を引き起こし、その破壊の力のみをこちらの世界に顕現させる魔術。
建造物への影響は少ないが、生物に対する殺傷能力なら、直撃すればドラゴンすら消し飛ぶ最強の魔術。
人の身では一部の天才しか辿り着けないそれを、魔界の天才たる彼らは当然の権利のように唱えた。
しかも、邪悪なる拷問官、集る恐怖、千歩超え、三身一体、割れ顎男、悪魔の本の六重詠唱。
正気の人間なら、そんな魔術を屋内で使わない。
しかし、彼らは魔神だ。
上位の魔神なら、魔術の無効化くらい当たり前。
仮に無効化に失敗しても、人間とは比べ物にならないタフさで耐えられる。
何より、こちらの世界に来る彼らは仮初めの化身。
死を恐れる理由が無い。
「《背徳の対価》」
四の五の言ってる暇なんてない。
私も最初から切り札を切った。
力ある言葉を唱えると、私の中に数多の色の魔力が猛り狂う。
《祈り》
《障壁》
《浄化》
脳内に閃く三つの単語。
正確には言葉では無い。
奇跡を為そうと荒れ狂う魔力の渦から、今何が作れるのか。
それが選択肢として脳裏に浮かぶのだ。
私はそれから《障壁》を選んだ。
その直後。
「「「「「「《原子崩壊》」」」」」」
一瞬遅れて、割れ顎男たちの魔術が発動した。
原初の崩壊に匹敵する破滅の嵐が巻き起こる。
命を焼き尽くす熱が、命を消し飛ばす風が、命を蝕む病が、大理石で囲まれた大神殿の大広間を、縦横無尽に駆け巡り満たし尽す。
六重のそれは、本来なら耐えられただろう、神殿の天井も壁も吹き飛ばしてしまっていた。
空は薄暗い。
割れ顎男の上空にある、異界に繋がる穴が、まるで陽の光を嫌うかのように暗雲を吐き出し続けているせいだ。
割れ顎男は無傷だった。
六体の高位魔神たちは、死の化身の半身が焦げたくらいで、他は服の裾すら焦げていない。
魔術の効果を無効化したのだ。
彼らの服は彼ら自身の一部。
無効化すれば、服もまた無事。
悪魔の本のオーラが割れ顎男も守っている。
その代わり、他の雑多な魔物たちは大半が消し飛んだ。
「なんだと!」
割れ顎男は私たちを見て、不満げに叫んだ。
無傷に見えたからだろう。
実体は違う。
ズキンッ
私の魂が悲鳴を上げた。
魔術を使った時の、疲労による倦怠感なんかとは違う。
確実に命を削った。
これが奇跡を起こした代償。
――《背徳の対価》。
魔術の七つの位階にて、第五位と第七位に在る秘術。
その違いは深さ。
魔の根源に至りて奇跡を引き起こす秘術。
その対価は推して知るべし。
その結果、相乗効果の限界とも言える六重の《原子崩壊》を耐えられた。
私の魔神たちも、障壁の恩恵で無傷だ。
…でも奇跡は無限じゃない。
障壁もガッツリ削られた。
「…《背徳の対価》」
平然と障壁を張り直して見せる。
高位の魔神たちは目を見張ると、それぞれの武器を構えた。
そうでしょうよ。
あんたたちは偽物。
死んでも死なない。
そんな偽物の身体のために、魂を削る覚悟なんて無いでしょうね!
こちとら半端な覚悟で世界平和なんて願ってないのよ!
壁の天井も無くなってスッキリした大広間で、異界に繋がる穴から黒い霧が零れ続け、それが小さな魔物たちとなっていく。
まずはアレを何とかしないと…
「任せろ」
考えを巡らせるより先に、クオンが私を制止した。
「任せた!」
返事は一言で十分。
私はとっくに彼に全てを賭けてる。
腰の剣を抜いて、割れ顎男の陰に隠れた悪魔の本に突き付ける。
男の持つ剣がどれほどの代物かは知らないけど、こっちだって由緒ある歴史の裏に隠された、世界に覇を唱えた狂王が使った剣の打ち直して年季の入った呪いの剣。
伊達や酔狂で、御城から持ち出してない。
「「Grrruuッ…」」
互いの絶望を振り撒く者の目が合った。
体格も同じ、角の数も形も同じ、羽の大きさも同じ、手にした剣も同じ、凶悪な面構えも瓜二つ。
同一個体だ。
生物なら全く同じ容姿は有り得ないけど、仮初めの化身だから起こり得る状況。
両者は暫く見つめ合ったかと思うと、割れ顎男の絶望を振り撒く者が煙となって消えた。
「おいっ! どういうことだ!」
何も理解していない割れ顎男が悪魔の本に文句を言う。
「ふふんっ」
思わず笑ってしまう。
男が馬鹿にされたと思って睨んで来る。
でも私もそれどころじゃない。
残る高位の魔神たちに視線を向けると、私の魔神たちが一斉に動き出した。
絶望を振り撒く者と上位魔神の内六体が、割れ顎男と悪魔の本、それと高位の魔神五体と対峙する。
残る上位魔神三体が、上空の穴から溢れて来る雑魚に向かう。
背後ではクオンが魔術らしき集中をしている。
「いくわよっ!」
必要の無い号令を言い放つ。
それが、私の最後の戦いの始まりだった…。




