その声、まだ余ってる
今の、よかったよ」
ディレクターの軽い声。
「……ありがとうございます」
そう返しながらも、
さっきの感触が、まだ残っている。
空気が止まった、あの瞬間。
“声だけで見られた”感覚。
——あれだ。
ブースのドアを開ける。
少しだけ、息を吐く。
「……へぇ」
声。
振り返る。
壁にもたれて、一人の男が立っていた。
無造作な黒髪。
眠そうな目。
やる気がなさそうなのに、
空気が重い。
「やるじゃん、イケメン」
軽い口調。
でも、その一言で空気が変わる。
「……どうも」
短く返す。
視線が外せない。
「でもさ」
一歩、近づいてくる。
距離が近い。
「それ、“本気”じゃないよね」
心臓が跳ねる。
図星だ。
でも顔には出さない。
「……何の話ですか」
「余ってるでしょ、声」
背筋が冷える。
「全部出してない」
断言。
「なんで?」
覗き込むように目が合う。
逃げ場がない。
「……必要ないからです」
少しだけ、間。
そして笑った。
「うわ、つまんな」
軽く言い捨てる。
でもその目は笑っていない。
「勝ちに来てないじゃん」
言葉が刺さる。
「仕事なんで」
静かに返す。
「は?」
一瞬、空気が変わる。
「それで終わり?」
声が低くなる。
さっきまでの軽さが消える。
「それで満足してるなら、いいけど」
近い。
圧がある。
でも——引かない。
「……満足はしてませんよ」
少しだけ前に出る。
距離を詰める。
「だから、やってるんです」
視線がぶつかる。
数秒の沈黙。
「……いいね」
笑う。
今度は少しだけ本気で。
「名前は?」
「白瀬玲です」
「ふーん」
興味なさそうに頷く。
でも。
「覚えとくわ」
その一言だけ、妙に重い。
「黒崎蓮」
名乗る。
その瞬間、スタジオの奥がざわつく。
「あれ、黒崎来てたの?」
「マジで?」
「今回出るんだ……」
空気が変わる。
(……そういうやつか)
理解する。
こいつは、“声だけで評価されてる側”。
「次、一緒だよ」
黒崎が言う。
「……は?」
「知らなかった?」
台本を軽く持ち上げる。
「掛け合い、あるじゃん」
視線を落とす。
確かに。
さっきのシーンの続き。
重要な対話パート。
(こいつと……?)
「楽しみにしてる」
軽く言う。
でもその目は、完全に戦う目だった。
収録。
再びブース。
マイクの前。
黒崎が隣に立つ。
空気が違う。
重い。
濃い。
「いきます」
ディレクターの声。
深呼吸。
(全部出すか?)
一瞬、迷う。
でも——
黒崎の言葉がよぎる。
——余ってるでしょ、声。
息を吐く。
決める。
“削る”だけじゃない。
もう一段、踏み込む。
「……なんで、来た」
低く出す。
少しだけ奥を見せる。
黒崎が、わずかに反応する。
「……やっとか」
返ってくる声。
重い。
深い。
ぶつかる。
声と声が、正面から。
逃げ場はない。
「帰れ」
「無理だな」
「ここで終わるつもりないし」
軽いのに奥がある。
引き込まれる。
(……これか)
理解する。
これが、“本気”。
自然と口が開く。
「……なら——」
少しだけ間。
「勝手にしろ」
空気が震える。
今までと違う。
少しだけ、“乗せた”。
「……いいじゃん」
黒崎が笑う。
「やっと面白くなってきた」
その一言で、完全に火がつく。
「カット!」
声が響く。
でも誰も、すぐに動かない。
空気が残ってる。
「……やば」
誰かが呟く。
でも今度は、少し違う。
ブースを出る。
黒崎と目が合う。
「余ってたじゃん」
ニヤッと笑う。
「……少しだけですよ」
返す。
「全部出せよ」
振り返らずに言う。
「どうせならさ」
一瞬だけ止まる。
「潰し合おうぜ」
その言葉が、妙に心地いい。
気づけば、笑っていた。
これは、仕事じゃない。
勝負だ。




