おまけの翠嵐 一 「闇に生きるモノたち」 下
「黒龍様~! 頑張って~!」
得意満面な笑顔で、ヴリトラと対峙する黒龍。
家の外では黒龍とヴリトラの戦いを見ようと、女性陣が群がっていた。歓呼の声を響かせ、旗まで振っている。
「ハッハッハッ! ヴリトラなど三秒だ! 三秒!」
高笑いをし、指で三の文字を示すと、黒龍は女性陣に手を振った。
「お前は恥ずかしくないのか?」
黒龍のあまりの厚顔無恥ぶりにヴリトラが思わず頭を抱える。
「見ているこちらが恥ずかしい…」
「何が恥ずかしいのか分からんが…。今、けなされたことは分かったぞ」
真っ赤になった顔を擦り、必死に冷静さを取り戻そうとするヴリトラ。そんな様子を黒龍は不遜な態度で見ていた。
「では準備はいいでありますか? 始めるであります」
まつりが開始の合図をする。
遠間から、まずは手始めに人間の姿でヴリトラが黒龍に殴りかかろうとした。しかし、
(いない⎯⎯…!?)
今、目の前にいたはずの黒龍の姿が一瞬にして消える。
ヴリトラが気付いた時には、黒龍は既にヴリトラの左横にジャンプし、左足を高く上げていた。ヴリトラの後頭部に、思いっきり黒龍の足が強打する。
ヴリトラは衝撃で五メートルほど吹っ飛び、地面に転がった。
「っ⎯⎯…!」
一瞬の出来事に、女性達もまつり達も、何が起こったか分からず、ただ呆然と結果だけを見ていた。
すると、黒龍がまたもや高笑いをしだした。
「ハッハッハッハッ! どうだ! 三秒だぞ三秒! いや、三秒もかかっていなかったかもしれんなっ」
その声に我に返る女性陣とまつり達。パチパチとまばらに拍手を送る。
「しょ、勝者! 黒龍様! であります!」
少し上ずった声でまつりが黒龍を指す。その声に反応したヴリトラは、判定に不服といった感じで静かに言った。
「ドーピングだろ? こんなの…」
痛みに耐えながら何とか起き上がると、黒龍をキッと睨む。
「何?」
「戦う前に神気を補充するとか、卑怯だと言ったんだ」
神気とは、万物の全ての源の気であり、霊気であり、魔力でもある。
龍にとっては食事と一緒だ。若干魔力を回復させる効果もある。黒龍にとっては微々たる魔力だが、ヴリトラはそれで黒龍が強くなったと思っているらしい。
「しかもここ五日ほど、ずっと女性達に神気を献上させていたよな? 私にも回復させろ」
ヴリトラがチラッと横目で何処かを見る。
「しょうがないな…。魔物でも食えばいい」
黒龍は腰に手をつき嘆息すると、そのままヴリトラの要求を了承した。ヴリトラは即座に気高いドラゴンの姿になる。
そして鋭い速さで空中に浮かぶと、女性達がいる方へと一目散に落下していった。
「キャァァー!」
「⎯⎯っな!」
大口を開けて上から降ってくるヴリトラに対し、黒龍は驚きの表情をしたまま、直ぐ様、龍の姿へと戻る。黒龍はそのまま上から降ってくるヴリトラを両手でガードした。
「何故邪魔をする!」
憤慨そうに地面へと着地するヴリトラ。
「誰が女性を食えと言った! 女性に手出しはさせん!」
「どうせ甦るだろ?」
「それでも駄目だ!」
「じゃあ、そのひげのおっさんは?」
ヴリトラは女性達の中に混じっている、化粧の濃い、どう見ても男性の魔物を指差す。
「ああ、そいつなら構わん」
「ひっどーい!」
野太い声でくねくねと気持ち悪く体をひねる魔物。その様子に二人ともげんなりとしたが、数瞬の間にヴリトラが一気にその魔物を飲み込んだ。
「っく⎯⎯…足りない…」
チラッと再び女性の魔物を見る。黒龍は女性達の前に盾となると、キッとヴリトラを睨んだ。
「もういいだろう。さっさと始めるぞっ」
「ああ。分かった、よ!」
言いながら、ヴリトラは黒龍に不意打ちとばかりに尻尾を当てに来る。黒龍はそれをガードした。
もうかれこれ一時間近く戦っている。女性達は飽きたのか、もうすでにその場から居なくなっており、まつり達はというと呑気に気持ち良さそうに外でお昼寝をしていた。
「貴様! いい加減、負けを認めたらどうだ!」
「そっちこそ。神気を取り入れた割には息が上がっているじゃないか」
お互いに、今度は人間の姿でやりあっている。
黒龍が強化魔法を使えばヴリトラも強化魔法を繰り出し、ヴリトラが炎火魔法を繰り広げれば、黒龍が水魔法を以てこれを制す。一向に決着のつかない戦いを、誰も見るものはおらず、二人だけの空間がそこにはあるのだった。
「これでもくらえっ」
ヴリトラが手のひらの上に、丸く赤い溶岩のような球体を作り出し、黒龍に向かってそれを放った。だが、それを難なく避ける黒龍である。
「貴様は炎系しか使えないのだな。弱いわけだ」
「ちっ」
黒龍とヴリトラが顔寸前まで肉薄したかと思うと、今度は一気に間合いを開けた。
二人とも、どうやら大技を使う気のようである。力を溜め、何やら熱気のようなものが全身から溢れでてくる。と、その時。
ドーーーーーン!
と、黒龍とヴリトラが開けた間合いの間に、何かが空から降ってきた。土煙と砂塵を振り撒いて降ってきたそれは、姿形さえ見えない。
漸く砂埃が収まったかと思うと、陰湿な笑みでニヤリと笑ったそれは、口を開いた。
「…楽しそうなことしてるのね。私も混ぜて欲しいわ」
赤く長い髪をたなびかせ、女性は笑う。額の両脇には角が生えており、鬼であることが窺えた。
因みにオーガも鬼ではあるが、漆黒の肌に筋肉が半端なくついており、西洋系の魔物だが、対してこちらはどちらかというと東洋系に近い。
白い肌に、細い肢体でとても弱そうな人間型の女性に見えるが、黒龍には分かる。こいつは上位クラスの魔物だ。気配から察するに、ヴリトラよりも強そうだ。
ヴリトラが額から汗をたらりと流し、蒼白の顔でその女性を目で名指しした。
「お前…」
ギロッと女性を睨むが、女性は涼しい顔でヴリトラを無視し、黒龍を見る。
黒龍はその女性の顔を見ると気の抜けた声でこう言った。
「綺麗な人だ」
「何呑気なことを言っている! こいつが原因で闇の世界が今混乱しているのだぞ!」
「何? どういうことだ?」
「私は確かに闇の世界で頂点を取る為に、戦争を仕掛けたが、こいつがいきなり何処かから現れたせいで、それを阻止された。私はこいつに負けたのだ」
「ではいいやつではないか」
「馬鹿! この私が負けたのだぞ? かなり狂暴な奴だ。それにこいつはお前に取って代わろうとしている。この闇の世界を支配しようとな」
「それは困るな」
間の抜けたように言いながらも、黒龍は顎に手を置き、思案顔をした。
「何ごちゃごちゃ言ってるの? さっさと始めましょ?」
「その前に名前を聞かせて頂けますか? 綺麗なお嬢さん?」
「!」
黒龍は素早くその女性の間合いに入ると、薔薇を一輪だし、その女性の手を握った。
「いつの間に間合いに…!」
女性は驚いた表情で思い切り後退ると、いつの間にか手渡された薔薇を地面へと投げ捨てた。
そして、改めて冷静さを取り戻すと、口元に笑みを浮かべながら胸に手を置き挨拶をする。
「私はコンクィ。あなたの闇の世界、頂いてもいいかしら?」
目を細めると、妖艶に微笑むコンクィ。
さらっと自分の髪の毛を後ろへと流し、上から目線で黒龍を見やった。
「むぅ…女性には弱いが…。しかし、何故あなたは闇の世界を手に入れたいのだ?」
「それは勿論、私がここで生まれた存在だからよ。暗黒の世界に生まれたからには、上を目指すのが道理…。そしてゆくゆくは地上に行き、天界も支配するわ!」
コンクィは言い終わるか終わらないうちに、黒龍にすれすれまで近寄り、手刀を繰り出してきた。
(早いっ…龍になる暇が…)
素早い手刀が次々と繰り出される中、黒龍はそれを何とか避け続ける。
コンクィの身体には、黒い障気が煙のようにまとわりついていて、異様で陰湿な気配が放たれていた。
「くっ…鬼の障気が…」
思わず身を竦める黒龍である。障気の穢れの匂いが鼻につき、黒龍は咄嗟に腕で顔を覆った。すると、その時。
ザンッ!
「え?」
僅かながらに隙を見せた黒龍に対し、コンクィが隙をつくように動く。黒龍が気付いた時には、既に、今、口元を覆っていたはずの右腕が無くなっていた。
「ぐわっ!」
吹き飛び、地面に転がる右腕を一瞥すると、黒龍は膝から崩れ落ちた。
「黒龍!」
その一部始終を見ていたヴリトラが、離れた所から声をかける。
「お前、真面目に戦っているのか?」
「グィーノ…」
「よもや、女性だからと手を抜いてるのではあるまいな?」
「グィーノ…、俺はどうすればいいのだ?」
「何?」
「俺は…⎯⎯女性を殴れない⎯⎯…」
「は?」
「どうして可愛い女性を殴れようか!」
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが…ここまで馬鹿だったとは…。馬鹿を通り越して、愚か者であったのか…」
呆れ果てて頭を抱えるヴリトラ。
「お話は終わったかしら?」
コンクィが勝ち誇った笑みを浮かべ、血の付いた爪をペロリと舐める。
黒龍の前に立ち、喉元に長く伸びきった爪を突き立てた。黒龍の喉に立てられた爪が食い込み、一筋の血が流れ出た。
「フフッ。ハハハッ! 勝ったわ! あの闇の龍に勝ったわ!」
既に勝った気でいるコンクィは不遜な態度で高笑いをし、黒龍の首元に更に爪を突き立てた。あわや黒龍は抵抗も出来ずに首をはね飛ばされ⎯⎯なかった。
「何勝った気でいるのだ?」
「何?」
笑いを止め、怪訝な表情で黒龍を見下ろす。黒龍は俯きながら、フッと口元を不敵に歪め、微笑した。
「グィーノ! 一時休戦だ! 俺の右腕を投げろ!」
「へ? これか?」
グィーノは足元に落ちていた黒龍の右腕を黒龍に投げつけた。
黒龍はそれを左腕で受け取ると、立ち上がりながら右腕につける。
「楽しそうだな、コンクィ」
「な、何よ! そんな右腕がどうしたって…」
喋りながらもコンクィは黒龍の右腕を見、驚愕した。
確かに自分はこいつの右腕を吹き飛ばしたはずだ。なのに何故…。
(腕がくっついている…!?)
黒龍は腕の感触を確かめながら、
「当たり前だろ? 俺は黒龍だからな!」
今くっついたばかりの右腕で、親指を立ててにかっと笑った。
「ちぃっ…! まだよ! 振り出しに戻っただけじゃない!」
咄嗟に黒龍との間合いを取り、後ろに後退する。
コンクィは即座に自分の髪の毛を一本抜く。すると、その髪の毛が鋭い剣のようになり、剣を構えたコンクィが黒龍に襲い掛かった。
「…!」
コンクィの凄まじい剣捌きに、黒龍は両腕でガードしながら後退するしかなく、服も破れ、次々と腕や体に血の筋が付く。しかし、それでも黒龍はまだ反撃しようとしない。見兼ねたヴリトラが遠くで叫んだ。
「何している! 反撃しろ! 女性型とはいえ魔物だぞ!? 見た目に惑わされてどうする!?」
「しかし…。女性を殴ってしまったら、俺の矜持が…」
「そんな下らないものは捨ててしまえ! お前、許さないからな! 私と戦う前にやられでもしたら、絶対に…!」
怒りなのか、悲しみなのか、顔を歪ませて叫ぶヴリトラ。
ヴリトラの後ろの方では、サーチアイという一つ目のコウモリのような魔物が、黒龍をじっと観察していた。が、気配に気付き、黒龍がそちらをチラッと見ると、すぐに消えてしまう。
(気のせいか…?)
「まだよそ見出来る余裕があるようね。じゃあこれならどう?」
更にスピードを上げ、コンクィは黒龍に迫る。素早い動きに何とかついていくが、しかし、黒龍の体には更に赤い血の筋が増していった。そして。
「…っく!」
強烈な一撃が黒龍の腹を突き抜ける。黒龍は思わず地面に前のめりに突っ伏した。
「もう、終わりよ」
静かにコンクィが言う。自尊心たっぷりの勝ち誇った目には、赤みがかった紫が鈍く妖しく輝く。
コンクィの剣が黒龍を貫こうとした瞬間。
「ハッハッハッハッ!」
突然黒龍は上半身を起こし、天を仰いで高笑いをしだした。
「な、何よっ」
いきなりのことで剣を怯ませて、コンクィは黒龍から一歩後退さった。黒龍の体を凝視すると、つけた傷がいつの間にか治っている。
「また!?」
いい加減にしてよ。とでもいう風にコンクィは顔を不快に歪ませる。
「俺は分かったぞ!」
「は? 何が?」
だが、コンクィの問いに黒龍は答えず。
「!」
黒龍はコンクィとの距離を顔の先ほどまで詰めると、
「縛闇」
手に何やら暗闇を出現させ、それを数瞬の間に紐状にした。紐は自動的にコンクィの体に一瞬で巻き付いた。
「きゃあ! 何よこれ?!」
「ハッハッハ! これで殴らずにすんだ」
縛られたコンクィが、もがき、紐を緩めようとするが、びくともしない。その様子を遠くで見物していたヴリトラが二人の近くに寄る。
「終わったのか?」
「ん? まあそうだな…」
「しかしどうする? このまま縛っておくわけにもいくまい」
ギロッと二人を見るコンクィ。悔しそうに歯ぎしりまでしている。ヴリトラはその顔に少しギョッとした。
「それについては考えている。おい、コンクィっ」
「な、何よ…!」
「お前はどうして生まれたのだ?」
「はあ?」
「鬼が生まれるには理由がある。まあ大体は、穢れの集合体が集まり、鬼の形を成したモノだが…」
言いながら黒龍は、考える素振りをすると、コンクィを片目でちらりと見やった。
「良く、分かってるじゃない…」
コンクィは俯き続ける。
「ええ、そうよ…。でもそれが何だっていうの! 私だって生まれたくて生まれたんじゃないわ! …私は、闇の世界を漂うただの穢れだった。それがいつの間にか集まり、今の私を形作ったの。でも…どうすればいいのよ…。私の中には恨みと怨念の感情だけが渦巻いていて、全てを破壊したいという衝動だけが、心の奥深くにある。この気持ちは私の物? それとも誰かの意識が私を支配しているの? 私には分からない…」
コンクィは泣き崩れた。外聞も気にせず、虚栄心など捨ててしまったかのように、目からポロポロと涙を溢れさせた。
この涙が負けたことへの悔しさなのか、生きていることへの切なさによるものなのかは、コンクィさえも分からなかった。
「泣かなくていい。ただお前は、俺に身を任せれば、それでいい」
すると黒龍は、「ちょっと待っていろ」と言うと、家の方へと飛んでいき、すぐにコンクィの前へと戻って来た。
パチンと指を打つと、コンクィを縛っていた紐状の闇が一瞬にしてほどける。
黒龍はコップに入った一杯の水をコンクィに差し出した。
「これは?」
泣きながらも怪訝な顔をし、それを受け取るコンクィ。
「家の裏にある滝から汲んできた水だ。これに俺の神気を注いである。これを飲めば、お前の魂は浄化され、およそ二千年の間眠りにつき、次へと生まれ変わる準備が整う。もう穢れに苦しまなくてすむのだ。…ただ、今のお前とは全く別の考えを持った個体になるかもしれん。…それでも飲むか?」
真剣な眼差しで語りかけると、コンクィは少し逡巡した後、コクッと静かに頷き、それを飲み干した。口元から溢れ落ちた一つの滴が、顎を伝い、地面へと落ちる。
すると、コンクィの身体が白く光始める。
やがて身体は薄く消えかかり、足から徐々に消失していく。コンクィは最後に黒龍の方を向くと、ニコッと笑顔を見せ、完全に消滅した。
「全く…。一体何だったんだ?」
緊張が解けたようにヴリトラが呟いた。
「うっ…!」
突然黒龍がえずくように膝を付く。
「どうした?」
「疲れた…」
気が抜けたのか、へなへなと地面に座り込むと、頭の重さを支えるように手を額につけた。
「大丈夫か? お前が珍しいな?」
「ああ、神気をコンクィにやったからな…。グィーノ」
「何だ?」
「決着はまた後日にしてくれないか? 今日はもう動けそうにない…」
「あ、ああ…分かった」
少し残念そうなヴリトラ。だが、今戦って勝っても、少しも嬉しくない。
パーフェクトな状態で勝たなければ意味が無い。
戦いの度に何度も邪魔が入るが、それでもヴリトラは黒龍と戦えることを楽しく思っていた。
最初は確かに恨みだけだった。だがいつの間にか、それだけでは無い何かが、ヴリトラの中に芽生え始める。強者への憧れと、強い悦楽感が確かにヴリトラの心を踊らせていた。
「あいつはまだ目覚めないのか?」
眠っている黒龍の部屋を出、静かにそっとドアを閉めるとヴリトラが呟いた。
「よっぽど疲れたんでありますな。その内に目覚めるでありますよ」
コンクィが消えてから三日たったが、黒龍は未だに眠っていた。
その間ずっとまつりが枕元に霞を起き、部屋の神気濃度を上げているのだが、一向に目覚める様子はない。
(そんなにあの鬼に神気を与えたのか? そうしなければ浄化出来ないということか…)
「それにしても自分達がお昼寝している間にそんなことがあったとは…。大変でありましたな」
ヴリトラから事情を聞いていたまつりが、黒龍の部屋の前でそう話を切り出す。
「こんなことはしょっちゅう起こるのか?」
「昔は結構頻繁に鬼が現れたでありましたが、その度に黒龍様は浄化されていたであります。たまにこうして倒れることもあったでありますな…」
「つまり体内の神気が減ると、魔力も減り、精神が疲労するというわけか…」
「そう…でありますな?」
いまいち良く分からないという風にまつりがはてな顔で答えた。
「しかし、こいつは神気を補充していたろう?」
「でもその魔物にあげる前にヴリトラと戦ったのであります」
「しかし、小一時間戦っただけだぞ?」
「勘違いしてるようでありますから、言うでありますが、黒龍様レベルになると、そこまでの回復能力は霞にはないのであります」
「何?」
「例えば魔力の許容量が増えれば、最大値になる為にはそれだけ多くの神気が必要になるであります。百あったものが一万になれば、時間もかかるでありますからな」
「ではこいつが大体いつ起きるか分からないのか?」
閉まっている部屋のドアを、親指で指し示すヴリトラ。
「そうでありますね」
あっけらかんとしてまつりが続ける。
「まあそうは言っても、死んでる訳じゃないでありますし、ある程度神気が回復すれば目覚めるでありますよ」
平然としているまつりに、ヴリトラは訝しげに顔を歪めた。
「仮にもお前の飼い主だろ? 随分冷たいな」
「か、飼い主なんて失礼でありますな! 自分はペットじゃないであります!」
「でもあいつの部下だろ?」
「部下…ではありますが…。昔は自分の方が立場は上でありましたのに…」
「? どういうことだ?」
「黒龍様は自分達が闇の世界で生まれた後に堕ちてきたんでありますよ」
場所を変え、居間で座るヴリトラとまつり。ヴリトラの前には紅茶が置かれ、そこからは湯気が立ちのぼっていた。
「元々自分達はこの闇の世界で生まれたのでありますが、黒龍様以前の先代の龍、応龍様に助けられ、その下で闇の統括、管理を任されていたのであります。まあ、あまりお役には立てないでありましたが」
「それは今も変わってない気がするが…」
「コホン! とにかく応龍様の奥様が地上で出産し、亡くなったため、その子供を育てる為に、自分達は暫くの期間、五匹で闇の管理を任されていたのでありますな。そこに突然あの黒龍様が堕ちてきたのであります」
まつりは何処か得意気に続ける。
「黒龍様は堕ちてきた時、何故か記憶を失っていたでありましたが、どういう訳か、すごい格闘センスをお持ちでありました。暫くして、女神様の命が正式に天から下り、黒龍様は闇の世界の最高責任者になったんであります」
「ん? あいつは記憶をなくしていたのか?」
「そうでありますね。でも黒龍様自身、そんなこと、もう忘れていると思うであります。基本、馬鹿でありますからな」
「ああ、あいつは馬鹿だ」
ウンウンと納得するようにまつりとヴリトラは大きく頷いた。
「しかし、堕ちてきた時のことを、あいつは言われたく無さそうだったな?」
「ああ、それは…」
「この際だ。そこも聞かせてもらおうか」
「黒龍様に怒られるであります…」
目線をまつりに向け、ヴリトラがフッと笑うと、まつりは思わず視線をそらした。
「気にするな。あいつはまだ眠っている。バレなければいい」
「もう、自分は知らないでありますよ?」
紅茶を飲みながらにたっと笑うヴリトラに、まつりは渋々ながらも答え始めた。
「黒龍様が堕ちてきた時、優しくしてくれた天使がいたんであります」
「何? 闇の世界に天使がいたのか?」
「それまではいたんであります。天界からの使いで、しょっちゅう顔を出しては黒龍様に優しく接してたんであります。黒龍様が女好きになった理由でもありますな」
ウンウンと頷きながらまつりは続ける。
「でも、何かのきっかけに黒龍様が力を暴走させて、それを鎮めようとした天使は、黒龍様を助けるのに全ての力を注いで、死んでしまったのであります…」
その時のことを思い出し、まつりの表情が少し暗くなった。
「そのことがあってから女神様は今後天使を闇の世界へ派遣することは無くなったんでありますな」
「だから女性に対して、あんなにも傷付けることを恐れていたのか…」
ドターーーーン!
突然上の方で何かが落ちる音がした。まつりとヴリトラは一瞬ビクッとなったが、すぐに顔を見合わせる。
「まさか、黒龍様が起きて、今の話を聞かれてしまったでありますか?」
「ここから三階には聞こえないだろ」
「でも、黒龍様は地獄耳でありますから…」
まつりのその言葉に数瞬止まる二人だったが、すぐにサーっと顔面蒼白になった。ヴリトラとまつりは取り敢えず三階へと駆け上った。
バン! と黒龍が寝ている部屋のドアを勢いよく開ける。黒龍はベッドからずり落ちていた。
「くっ…!」
「黒龍様! 大丈夫でありますか?!」
咄嗟にまつりが黒龍を介抱するように駆け寄る。黒龍は右手を床につけ、左手で頭を押さえていた。
「ああ」
「何だ起きたのか」
開け放たれたドアの横の壁に寄りかかるようにヴリトラが立ち、黒龍を見下ろす。
(どうやら聞かれてはない…みたいだな)
ヴリトラは少し安堵の息を吐いた。
「随分疲れていたようだな。三日も眠っていたぞ」
「何?!」
黒龍は慌ててベッドの脇に畳んであった服を着る。因みに畳んだのはまつり。
「どうした?」
「俺が闇へ帰って来てから十日も経ってしまった! 本当はあの日帰る予定であったのに! 白龍には一週間で帰ると言ってあるのだ! 急いで帰らねば!」
「待て!」
ヴリトラが黒龍の肩を思い切り掴んだ。
「?」
「あの日帰る予定だった? お前、私との約束を違える気か? こっちは散々待たされているんだぞ!」
「ん? 約束とは…。何だったか…?」
「三日も寝て頭でもイカれたか? そんなにしらを切るなら!」
「どうするというのだ?」
「…アールグレイにシナモンを入れてやる!」
「何!? …いや、好きにしろ」
「何だと!?」
「人の趣味嗜好に口出しするほど、俺は愚かではない」
「おま、え…。自分で言ったんだろ!」
「とにかく、俺は帰るんだ!」
肩の手を振りほどき、黒龍は身支度を済ませ、階段を駆け降りる。その後をヴリトラが追いかけながら叫ぶ。
「闇の龍である奴が簡単に約束を破るのか?」
「闇の龍であることは今は関係無いだろ!」
バン! と玄関のドアを蹴破り、外に出るが、ヴリトラは尚も黒龍を追いかけた。
「しかし、この私の気持ちはどうなる!? 漸く戦えると思ったら、今度は帰るだと!? 馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
走る黒龍の左手を捕まえ、こちらを向かせる。ヴリトラの顔は今までに無いくらい荒々しく、怒りで歪んでいた。
しかし、黒龍はその顔に臆することもなく、寧ろ邪魔だと言わんばかりに、容易にその手を振りほどいた。
「うるさいな貴様は! 白龍が待っているのだ! 俺は帰る!」
そう叫ぶと、ヴリトラを振り返りもせず、走り去り、目の前から見えなくなった。
黒龍の後ろ姿を見送りながら、ヴリトラは俯き、歯を食いしばる。
爪が手のひらに食い込むほど拳を握った。
一方黒龍は走り、最初に降り立った岩陰の近くにある、地上へ続く穴を目指していた。闇の世界と地上はこの穴で結ばれており、龍の気配を感知すると、地上への道が開く。
周りには霧が立ち込み始め、黒龍は走るのをやめ、歩き出した。
「グィーノの奴、あっさりと引き下がったな…。まあ、都合がいいが…」
思案顔をしながらも、黒龍は白龍への再会に胸を高鳴らせていた。
(久し振りに会うのだ。驚かせてやるか…)
そう笑みを溢す。しかし、霧の深く、目の前にぼんやりとした人影が、黒龍に立ち塞がる。黒龍は何事かと目を凝らしながら、その人物を凝視した。
「黒龍…」
その人物が静かに口を開く。聞き覚えのある声。まさか…と思い、黒龍は息を飲んだ。
霧が晴れ、段々とシルエットが浮かび上がる。
黒龍の目の前にいたのは。
「は、白龍!?」
驚愕に身が震えた。
まさか、白龍がこんな所にいるはずがない。
すると、その白龍は、あろうことか黒龍に抱きついてきた。
「は、白龍? どうしたのだ? 何故闇の世界に…」
「オレ、黒龍があまりにも遅いから、女神様に頼んで、闇の世界への道を開けてもらったんだ。黒龍がいないと、オレ、寂しくて…」
更に泣きそうに白龍は黒龍を見つめる。だが。
「おい、何の真似だ?」
黒龍はその白龍の体を思い切り引き剥がし、そいつを睨んだ。
「え?」
「貴様! 何の真似だと聞いているのだ!」
黒龍は白龍に向かって勢いよく拳を振り上げた。それを後ろにトン、とかわす白龍。
「酷いな。いきなり殴りかかるなんて」
飄々とした態度で手のひらを上に向けた。白龍の声だったモノが、これまた聞き覚えのある声に変わる。
「いくら姿形を真似たからといって、お前の気は隠せてないぞ」
白龍の姿から瞬時に切り替わり、その人物はニヤリと笑った。
「グィーノ…これは一体何の真似だ?」
腕を組み、黒龍は更にヴリトラを睨み付けた。
「何って…。お前が白龍に会いたがっているから、会わせてやったんじゃないか」
「…貴様、俺を怒らせたいのか?」
歯を剥き出し、人の顔だというのに、まるで龍を体現したような表情をする黒龍。ヴリトラの頬に、一筋の汗が流れた。だが、ヴリトラはさも平然を装った口調で喋る。
「まあそうだね。出来ればその本気の顔のまま、戦ってくれると嬉しい」
挑発するように笑うと、ヴリトラは構えた。
「いいだろう…今ここで貴様に引導を渡してやる!」
臨戦態勢に入るように、ヴリトラに続き、黒龍が構えた。
睨み合い、本気の戦いが今、始まろうとしている! しかし。
「黒龍様~!!」
ガクッ。
「貴様は! 空気を読まんか! 空気を!」
「またもや邪魔が入るとは…。ここまでくれば神のいたずら…いや、嫌がらせか?」
「ん? 何のことでありますか?」
二人の呆れた溜め息に、まつりははてな顔で答えた。
「はあぁ…。それよりまつり。今度はどうしたというのだ? 下らぬことであれば…」
ボキボキと拳を鳴らし、凄んだ笑顔で言い放つ。
「顔が怖いであります…。今、復活した魔物達が、何故か自分達の家を取り囲み、“黒龍を出せ!”と、わめいているであります」
ゴン!
黒龍は突然にまつりの頭を殴った。
「今、殴る場面あったでありますか?」
「“様”をつけろ」
「もう、自分が言った訳ではないでありますのに…」
イタタ、と頭を押さえながらも、まつりはコホンと続けた。
「自分は隙を見て報告に来たでありますが…。黒龍様、何やらかしたんでありますか?」
「別に俺は何もしていないが…」
「倒された恨みを晴らしに来たんじゃないか?」
ヴリトラが冷静に言った。
「それなら俺では無く、無慈悲に喰いまくったグィーノの方が恨みを買いそうなものだが…」
「とにかく、喋ってないで早く行くでありますよ!」
「黒龍を出せ!」
「あいつ!」
「我らの心の癒しを良くも!」
確かにまつりの言う通り、家の前は、魔物達でごった返していた。
皆、一様に、目が血走っており、顔には青筋まで浮かんでいる。
「怖いです~!」
「黒龍様はいないんだぞ!」
ししまいとゆかたが顔を強ばらせながらも、必死になって止めている。
その魔物の大群の後ろに、黒龍は声をかけた。黒龍の隣にはヴリトラがいたが、まつりはヴリトラの後ろに、身を隠すようにしていた。
「貴様ら、何をやっているのだ?」
凄んだ顔と声で言い放つと、魔物達は一斉に後ろを向いた。
「黒龍! お前どういうことだよ!」
「は?」
「我らの心の癒しを良くも!」
黒龍の姿を目視した魔物達は、一気に詰め寄った。
「待て待て、さっきから何のことだ? 心の癒し? 俺には全く身に覚えがないのだが」
「しらばっくれるな!」
更に魔物が声を大にして言い放つ。
「コンクィ様のことだよ!」
「コ、コンクィ?」
「我らの癒しの女神コンクィ様! あんな美女は、この闇の世界ではそうそうお目にかかれねぇ!」
「聞く所によると、お前がコンクィ様を成仏させたって言うじゃねえか!」
魔物の一人が黒龍の胸ぐらを掴んだ。
「成仏したのだからいいではないか!」
「良くねぇよ! 俺らは成仏したくても出来ねえけど、何でコンクィ様は成仏したんだよ?! なんにも聞いてねぇぞ!?」
「貴様ら、そんなに奴と仲が良かったのか?」
「仲良いっていうか…。俺らが話し掛けると、コンクィ様は、寧ろゴミ虫を見るような目で俺達を見下し、果ては見境なく殺しまくってたけど、そこがまた痺れるっていうか…」
「全く…変態だな…」
「お前にだけは言われたくねえよ!」
「それで? 貴様らはどうしたいというのだ? コンクィの後を追い、成仏する気にでもなったのか?」
掴まれている胸ぐらから手を引き離し、襟元を正すと、黒龍は冷静に魔物達を見つめる。
「そう簡単に成仏出来たら苦労しねぇつうか…。そもそも気持ちが整わないと、成仏出来ねぇし…」
一人の魔物がそう言うと、後ろにいた別の魔物が考え込む素振りを見せている。コンクィがこの世界にもういないとなると、寧ろ後を追った方が得策ではないのか。
「俺、成仏しようかな…」
「はあ? 何でだよ!?」
「だってよ! 今もし成仏したら、生まれ変わった世界で、コンクィ様に会えるかも知れないんだぜ! こんな闇の世界で延々とくすぶってるなら、寧ろその方が得じゃねえか?! それに、もし会えなくても、地上には可愛い女性がわんさかいるんだぜ! よし! 俺は決めた! 何としてでも成仏してやる!」
一人の魔物が気合いを入れるように、胸の前でガッツポーズを小さく決める。だが。
「そんな不純な動機では認められんな」
「何でだよ! お前と対して変わんねぇだろ!」
「大体、貴様の前提が間違っている」
「はあ?」
「大方、生まれ変わって女性達にモテたいとか、そういう理由であろう」
「んな! 悪りぃかよ!」
少し頬を赤らめ、魔物が言った。黒龍はその返答に、大きく溜め息を吐く。
「誰が人間に生まれ変わると言った? そんな保証、例え神でさえも出来ない。虫や花、動物に生まれ変わる可能性もある」
「お前は俺らに成仏して欲しいのか、して欲しくないのかどっちなんだ」
「貴様ら有象無象のことなど、俺が知ったことではない」
「それでもこの闇の世界を仕切る龍かよ!」
「まあ、だがもし、貴様らが本気で成仏したいのなら、手を貸さんこともない」
「おい、ちょっと待て」
隣にいたヴリトラが、黒龍の肩を掴んだ。
「何だ? グィーノ?」
ヴリトラを振り向く黒龍。
「お前、まさかコンクィにやったように、神気を渡すつもりではないだろうな?」
「それがどうした?」
「だったら魔物共には悪いが、それは私が阻止させてもらう! また倒れられでもしたら、次の戦いがいつになるか分かったものではない!」
「貴様、俺を心配しているのか?」
「なっ!」
「安心しろ。コンクィの時はつい、神気を多く注いでしまっただけだ。女性への特別サービスだな。こいつらには全員で神気一滴で充分だろ」
「おい! ちょっと待てよ!? 何で俺らまで一緒に成仏って話しになってんだ!」
後ろで聞いていた他の魔物が、前にいた魔物を押し分けて黒龍の前に出る。
「成仏したいって言ってるのはこいつだけだろ?」
「ん? ついでに闇の世界を綺麗にしようと思ってな。丁度良いではないか」
「良くねぇよ! 俺は成仏したくねぇって言ってんだろ! お前のことは信用ならねぇ! 第一、本当に生まれ変わるかも怪しいもんだ。成仏とかいう甘い言葉でホイホイ誘って、実際は、俺達のような穢れた魂は、消滅させようって魂胆じゃねえのか!?」
「まあ、信用しないで成仏しないのは勝手だが…。では、貴様は、ずっと永久に闇の世界という檻の中で、生きていくつもりか?」
「俺はここの世界が結構気に入ってるんだ。確かにバケモンの体にされちまったし、腹もずっと減ってるけど、仲間も出来て毎日そこそこ楽しくやってるからな」
「ちっ、ふざけているな…」
黒龍が小さく、苛立ちを持って呟いた。
「何だと?!」
「ふざけていると言ったのだ! ここは貴様らの託児所ではない! さっさと成仏しろ! 迷惑だ!」
「そういうとこが信用ならねぇってんだよっ」
「仕事するならもっと、まともに仕事しやがれ!」
「何故俺がお前達に媚びを売るような真似をせねばならんのだ?」
「別に媚びを売って欲しい訳じゃねえよ。ただ、まともになってくれって言ってんだよ」
「俺は至ってまともだが…」
「だったら、もっとちゃんと俺らのこと、真剣に考えてくれよ! 女性のケツばっか追いかけてないでよ!」
その魔物の言葉に、その場にいるヴリトラ、まつり、魔物達が全員頷いた。
「だから成仏させてやると言っているだろ! それとも何か? 貴様らの精神ケアまで、俺はしなければいけないのか? 何故男にそんなことをせねばならん! 女性は別だが」
「だからお前のそういう所がだな…!」
「貴様らはここを何だと思っているのだ! 天界だと勘違いしているのか!? そもそも貴様らは罪を犯して、ここに堕ちて来たのだろう。自分の犯したことを悔い、心底反省し、気持ちに整理がつけば自ずとここから消え去れる。しかし、貴様らはそれすらもせず、ただ自分の欲望のままに動いているだけではないか! 俺はただ、貴様らの背中を押すことしか出来ない。コンクィの時もそうだ。水を飲んだのは彼女の意思。俺はただ、手伝いをしただけだ」
そこまで矢継ぎ早に言うと、黒龍はふと上を見上げ、続けた。
「何故、ここよりもっといい世界が目の前に広がっているというのに、手を伸ばさない。ただ惰性で生きるより、新しいことに目を向けた方が、今よりもっと楽しいはずだ。手を伸ばせばそこに届く光があるというのに」
右手を天に高く上げ、分厚い闇の雲に覆われた空の先にある、光ある世界を掴むように、黒龍は拳を固く握った。
「貴様らは俺とは違う。光に生まれる権利があるというのに…」
固く握った拳を、胸の所で開けひらく。手のひらの上から何かが溢れ落ちるように、見えた。
「はあぁ…。分かったよ。そこまで言うなら成仏してやるよ…」
一匹の魔物がポリポリと頭を掻きながら、折れたように渋々頷いた。
「但し、どうする? こんなに大勢の魔物を成仏させるなど、いくらお前でも時間も労力もかかる」
「駄目だっ」
魔物の言葉を、突然ヴリトラが語勢を強めて遮った。
「そんなのは駄目だ。ますます私との対決が遅くなるっ。おい! 黒龍! こんな魔物共より私の方を優先させろ!」
顔をしかめ、食らい付くように黒龍を睨む。
「まあ待て。そんなに、いきり立つな。それについては考えがあるのだ」
黒龍は何を思ったか、家の三階の窓の辺りから飛び出している、枝の根元にピョンと飛び乗り、魔物達を上から見下ろした。
「さて、成仏したい魔物達は、俺の近くへと来い」
黒龍が呼ぶと、魔物達は何をするのかと、ざわざわと喋りながらも、黒龍の見下ろす真下へと近寄る。後ろの方では数匹の魔物と、ヴリトラとまつりが、訝しげに事の成りを見つめていた。
黒龍が両手の指を胸の前で軽く合わせ、静かに何かの呪文を唱える。そして、その右手を空に向けると、いきなり雨が降りだしてきた。黒龍とその近くにいる魔物達の周りだけ、雨が降っているのだった。
「何だ? つめた…」
頬に当たる冷たい雨を魔物達は上を見ながら眺めていた。
「この雨に俺の神気を少量注いである。暫くすれば身体の穢れも消え、二千年後に生まれ変わる準備が整う」
「二千年後!? そういう大事なことは最初に言っとけよ!」
「軽く地球の歴史がひっくり返るレベルじゃねぇか!」
「まあいいではないか。今言ったのだから」
「良くねぇよ!」
魔物達は拳を上げ、上から見下ろす黒龍に激しく抗議した。
「おい」
後ろで見ていたヴリトラが静かに呟く。
「それは大丈夫なのか? 見た目からして神気が食いそうだが…」
魔物達に降り注ぐ雨の量に、少し心配になるヴリトラ。また倒れられては、決着がいつまで経ってもつけられない。
「大丈夫だ。先程言ったが、こいつらに渡す神気は一滴ほどだ。コンクィの時は昏倒してしまったが、このくらいなら…」
そう言いながらも黒龍は、目眩を覚え、くらっと一瞬身体が傾き、頭を押さえた。
「…!」
咄嗟にヴリトラが黒龍の立っている枝の上に飛び乗り、倒れそうな黒龍を支える。
「言わないことではない」
「すまん…」
黒龍を連れ、枝から降りると、雨がポタポタと体に当たるのを、ヴリトラは感じる。
その瞬間、ヴリトラは体の中で何かが脈を打つのを感じた。
あまりの違和感に吐き気と頭痛が起こり、今度はヴリトラの方が昏倒してしまった。
(………何だ…? 体に、力が…入らない……)
ヴリトラはそのまま、静かに目を瞑った。
黒龍が闇に帰ってから十三日目。
黒龍はここ三日ほど、大変上機嫌であった。
というのも、毎日うるさく、「勝負しろ、対決しろ」と、言って来たヴリトラが、一向に目覚めないので、女性の魔物が毎日遊びに来て、家の中がハーレムの状態と化していたからである。
ヴリトラにうるさく言われない為、調子に乗っている黒龍は、心底解放気分を味わっていた。
とはいえ、ヴリトラが目覚めるのを待っている黒龍でもある。
早く帰りたかったが、このまま何も言わずに帰ってしまっては、後腐れが残るというもの。
ヴリトラが倒れた理由も分かっている。
そう、ヴリトラは成仏しかけたのだ。
あいつは魔物の肉を喰らい、自身の糧にしていた。穢れの多い闇の世界の魔物を喰らい、体内に少量ずつ蓄積された穢れが、黒龍の神気を浴びたことで、一気にバランスが崩れ、昏倒してしまった。
ヴリトラは混沌に位置する竜。だからこそ魔物の肉を喰らっても平気でいるが、ドラゴン故か、神気との均衡が大事なのである。だから穢れが多くなれば体も重くなり、逆に神気が多くなればこのように昏倒してしまうのだった。
因みにまつり達は黒龍のハーレム状態に繰り返し抗議していたが、黒龍は全く聞く耳を持たず、寧ろまつり達を一睨みし、これを制していた。
まつり達は何を言っても無駄と思い、既に諦めの境地に達していた。
「黒龍様。ヴリトラを起こさなくていいんでありますか?」
まつりが少し沈んだ声で、物悲しげに呟いた。ここの所、黒龍の天下が続き、辟易していたのである。まつりは心底ヴリトラの復活を望んでいた。
「はぁ…。言ったではないか。体内のバランスが崩れているのだ。無理に起こしたら、体にどんな弊害があるか分からん。黙って自分から起きるのを待つしかないのだと」
「でも…、黒龍様ならその解決方法もご存知でありますよね? どうして起こさないんでありますか?」
「何だ貴様は? そんなに早くグィーノに起きて欲しいのか?」
「そう…であります…ね」
チラリと黒龍の両隣を見やり、続いて頭の上の方も見やった。まつりの視線の先には、上機嫌の黒龍を囲む女性達の姿があった。
「…あいつがいない隙に、遊んでいるのだ。起きてくると、またうるさいからなっ」
「そんな理由で起こさないんでありますかっ!?」
「あいつが起きると、“対決しろ”とうるさいだろ? 白龍とみゆきさんには早く会いたいが、まあ、骨休めという奴だっ。ハッハッハッ!」
いつも通り天に向かって高笑いする黒龍。
「もういいであります!」
バシーン! とドアを思いっきり閉めると、まつりはヴリトラの寝ている二階へと駆け上がっていった。
「全く何なのだ? あいつは?」
「こうなったら自分がヴリトラを起こすであります!」
黒龍はあんな感じで役に立たない。
まつりはヴリトラの寝ている寝室のドアをバシッと開け放ち、ヴリトラの腹の上にちょこんと座り、顔を覗きこんだ。その瞬間、ヴリトラの顔が苦しそうに青ざめる。
「自分も竜の端くれ! 黒龍様に…いや、黒龍何かに頼まなくても、ヴリトラを目覚めさせるであります!」
ヴリトラの腹の上で気合いを入れるように立ち上がるまつり。“黒龍”と呼び捨てにしたのはいいが、言った途端、聞かれてないかキョロキョロと辺りを見回した。幸い黒龍には聞かれていないようだ。フゥと安堵の息を吐くまつりである。
「…くっ……」
まつりの体重で苦しそうに息をするヴリトラ。だが、まつりは体がツラいのだと勘違いする。
「大変であります!」
「何が大変なのね?」
開け放たれたドアの方を見ると、四匹のドラゴンがまつりを見ていた。はなび、みこし、ししまい、ゆかたの四匹である。
「手伝うッス!」
「何すればいいんだぞ!」
まつりの側に駆け寄る四匹。まつりはヴリトラの腹の上で叫んだ。
「ヴリトラを起こすんであります!」
すると、その内の三匹は、まつりを真似して、ヴリトラの腹の上に列になり、もう一匹はヴリトラの頭をバシバシと叩き始めた。
腹の上に乗っているのは、まつり、ししまい、ゆかた、みこしの四匹である。
「でも、どうやって起こすです?」
腹の上で会議が始まる。
「取り敢えず黒龍様の真似をして、力を注ぐであります!」
「力はどうやって注ぐんだぞ?」
「やったことないなの」
「こうガーッと! バーッとやるんであります! 自分もやったことないでありますが、多分雰囲気で出来るでありますよ!」
まつり達は、ヴリトラの腹の上で手をかざしはじめた。
暫く静止画のように止まる五匹。手に力を貯め、指を目一杯広げ、ヴリトラの体に当てる。集中するように五匹とも眼を瞑った。
少し経ち、眼を開け、訝しげに顔を見合わせると、まつりが静寂を破るようにひっそりと呟く。
「………」
「……何も起こらない…であります?」
「でも何か、手のひらがじんわりと、あったかい気がするぞ」
「成功してる…でありますか?」
「黒龍様の時はもっと光がバァーとなって、バリーとなるなの。でもきっと成功してるなの!」
まつり達は更に腹に乗ったまま、その手を押し込んだ。
はなびはおでこに手を当てる。ヴリトラの頭が、ぐぐっと布団にめり込む。更にヴリトラは苦し気に顔を歪めた。
「何か、段々顔色が悪化してるなの!」
「ど、どうするでありますか!? ヴリトラが死にそうであります!」
「更に力を込めるんだぞ!」
まつり達がヴリトラの腹の上に立ち上がり、更に手を押し込もうとした時。
「貴様らは何をやっているのだ!」
開けっ放しのドアから、仁王立ちをした人物から怒声が鳴り響く。まつり達は咄嗟にその方向を向いた。
「黒龍様!」
「状態を悪化させてどうするのだ!」
ガン! ゴン! ドコ! ボコッ! バキッ!
黒龍は、五匹の頭を順番に殴った。
「全く、珍しく静かだから様子を見に来てみれば、殺人未遂…いや、殺竜未遂をしていたとは…」
「ただ、オイラ達は、ヴリトラを起こしたかっただけだぞ!」
「ひどいであります!」
「理不尽なの!」
「横暴ッス!」
「暴力反対です!」
「貴様らは…」
あまりの言われっぷりに黒龍はまたしても拳を握った。
「…うるさいな。寝てられないだろ」
ガサッと布団の擦れる音が響く。
ヴリトラはゆっくりと起き上がり、目覚め最悪の顔で頭を抱えた。
「何か今、ひどい夢を見ていた。石臼で腹を削られ、頭に岩を押し付けられる夢を…」
「ヴリトラ!」
わあっとまつり達が一斉にヴリトラの体にすがりつく。
「あっし達の力がヴリトラを目覚めさせたんッス!」
「いや、それは違うと思うが…」
黒龍の呟きも、興奮しているまつり達には聞こえていなかった。
「心配したんでありますよ!」
「ヴリトラがいないとオイラ…」
「お前達…」
少し感動しそうになり、ヴリトラの目に僅かに涙が溜まった。
「もう大変なのね! 黒龍様が女性達を連れ込んで!」
「この事態を収束出来るのは、ヴリトラしかいないです!」
「え?」
出そうになった涙が引っ込み、ヴリトラは黒龍の方を振り返る。黒龍はバツが悪そうに、ヴリトラから目を反らした。
「もしかして、私を起こしたかったのは、それだけの為か?」
まつりの方に向き直ると、ヴリトラは目を伏せた。
「まあ、大体の理由はそうでありますね」
「全く…」
再び頭を抱え、呆れた様子で視線を下に落とすと、続いて黒龍を見やった。
「お前は騒ぎを起こさないと気がすまないのか?」
「何のことだ? 俺は俺の思うままに生きているだけだが?」
そのセリフに溜め息しか出ない。
傍若無人で厚顔無恥。ヴリトラはその言葉を頭に思い浮かべた。
「さて、ヴリトラも起きたことだ。俺はそろそろ帰るか…」
「やっと帰ってくれるでありますか…」
「何か言ったか? まつり?」
笑顔でまつりを振り向くが、目は笑っていなかった。
「いえ、何でもないであります…」
「待て」
ドアを出ようとした黒龍に対して、ヴリトラが後ろからゆっくりとした口調で声を掛ける。
「折角 私が起きたのだ。表へ出ろ。黒龍」
「貴様まさか…」
目を見開き、驚きの表情でヴリトラを見据えた。
「俺を見送ってくれるのか、ありがとう」
「違う! 勝負を申し込んでいるんだ!」
「その寝起きの体で俺を倒すつもりか? 愚かだな。貴様も」
場所を表へと移し、相対する二つの影。
ヴリトラは今まで寝ていたとは思えないほど、やる気満々で声を発した。
「今日こそ決着を着けてやる。黒龍」
「俺はいい加減地上に帰りたいのだが…」
「お前もそのつもりで残ってたのではないのか?」
「俺は、勝手に帰っても良かったが、挨拶も無しに帰ってはお前が寂しがると思ってな。意外に律儀なのだ。俺は」
「そういうこと、自分で言うか? 普通? まあ、こうして戦えるから、私としては良かったがな」
睨み合い、構える二人であったが、
「もうやめるであります! いい加減、飽き飽きでありますよ!」
二人の真ん中に割って入るのも恐ろしく、まつりは遠巻きから叫ぶしかなかった。
「止めるなまつり。男同士の戦いという物は、こういう物だ」
「そうだぞ。この戦い、例え神であろうが止められはしない。私達の因縁はそれほどまでに深いんだ」
「俺はそんな昔のことは記憶にないんだが…」
「忘れているなら、今思い出させてやる!」
ヴリトラは瞬時に黒龍との間合いを詰めると、同時に拳を突き出してきた。振り翳された拳を受け流しながらも、黒龍は冷静に戦況を考える。
(よし…ここは、あの時効いた飛び蹴りで一瞬にケリをつけるか…)
黒龍はヴリトラが瞬きをした瞬間、後ろに回り込み、勢いよくジャンプした。しかし、ヴリトラの頭に足を当てる直前、読んでいたのか、振り返ったヴリトラは両手でガードしそれを防ぐ。ヴリトラが後方、一メートルほど、足を地面にジリジリと砂ぼこりを立てながら飛んだ。
「!」
驚愕し、ヴリトラを直視する黒龍。技を止められたので驚いているのではない。確かにこれで瞬時に決着をつけようとしたが、後ろへ回り込んだ瞬間、止められることはおおよそ検討がついていた。では何故黒龍はこんなにも驚いた顔をしているのか。答えはヴリトラの顔にあった。
ヴリトラが顔の前で構えた両手を下げると、そこには見覚えのある顔があった。
「貴様…! カンナに化けるとは…悪趣味にも程があるぞ! 卑怯なことをしていないで、正々堂々戦ったらどうなのだ!」
「卑怯? 生憎これが私というものでね。この能力は私自身のもの。全ての力を使い、お前に勝つ。これがお前に効果的というのは、知っている」
「カンナの声でそれ以上語るな。吐き気がするっ」
再び拳をあげ、カンナの顔をしたヴリトラに手をあげようとする黒龍。だが、その瞬間、カンナの顔が悲しそうに歪んだ。
「…っ!」
黒龍の右手はヴリトラの前で止まってしまっていた。その隙を狙い、ヴリトラの足が黒龍の腹に直撃する。
「っく…!」
腹に直撃を喰らい、前につんのめる黒龍。ヴリトラはそんな黒龍を上から見下ろした。
「初めからこうすれば良かったな。何で思い付かなかったんだ! そうすればこうして復讐を易々と果たせたのに…!」
ヴリトラはそのまま、膝をついている黒龍の腹を更に蹴り続けた。
「無駄に戦いを仕掛けることも! お前に負けることも! この闇の世界に落とされることも! なかったはずだ!」
そこまで言い、ヴリトラはカンナの顔のまま、黒龍の髪の毛を引っ張り、無理矢理顔を上げさせた。
「なあ、どんな気分だ? この顔に痛め付けられる気分は? 手も足も出ない屈辱は?! この声に蹂躙される気持ちは?!」
「…カンナを侮辱するなっ」
「はっ! どんなに粋がろうと、女性を殴れない貴様では私は殴れない! 例えそれが、偽者であってもな」
ヴリトラは掴んでいた髪の毛を黒龍ごと投げ飛ばした。黒龍は地面に転がる。
満足したように口元に勝ち誇った笑みを浮かべると、ヴリトラは顔を元に戻した。
最後は自分の顔を脳裏に刻みたい。そういう思いがあった。
「フッ。もう勝負はついた。地上に帰れなくて残念だったな。黒龍」
そしてヴリトラは手のひらを、転がっている黒龍に向けた。
「さよならだ」
ヴリトラの手に圧縮された炎の塊が作られる。煌々と輝く燃える赤に照らされて、ヴリトラの顔が深紅に染まる。
ヴリトラは赤く燃え上がったそれを、黒龍へと鋭く放った。
「黒龍様っ!」
まつりの悲痛な叫びが辺りに響く。
しかし、それもむなしく、ヴリトラの放った炎は、黒龍が立ち上がった瞬間、黒龍を激しく包み込んだ。
「…っぐ…!」
沸き上がる炎で黒龍の姿は見えない。だが、直撃は免れなかったはずだ。勝利が確信へと変わると、ヴリトラは高らかに笑った。
「ハッハッハッ! これで私の復讐は果たした! さて、黒龍が居なくなった今、闇の世界は私のモノ…。このままここを侵略してもいいし、そうだな…上に出て、地上を焼き払うのもいい…」
「ヴリトラ! ひどいであります! 殺すなんて、あんまりであります!」
一人で悦に浸り、ヴリトラが冷笑を称えていると、まつりは目に少し涙を溜めながらヴリトラの足元に駆け寄った。
「ああ、まつりか…」
「確かに黒龍様は、女好きで自己中で良いとこなんかないでありますし、すぐハーレムとか言って自分達に迷惑かけまくりでありますけど! 顔も自分ではカッコいいと言っときながら実はそこまでイケメンでもないでありますけど!」
「お前、何気にひどいな…」
「でも殺すなんてひどいであります! 自分達は竜仲間じゃなかったんでありますか?!」
「誰がいつ、お前達の仲間になったと言った?」
「へ?」
「私はただ闇の世界での居場所が欲しかっただけだ。自分が安全に暮らせる場所がな」
「そ、そんな…」
「でも、そうだな…。それももう用済みか…」
「なん、でありますか…?」
ヴリトラはそう言うと、足元にいるまつりにおもむろに手を向けた。
「ヴ、ヴリトラ…?」
「お前達はもう用済みだと言ったんだ。これから闇の世界を支配するのに、目の前に羽虫がチョロチョロと動き回っては目障りだからな」
「そ、そんな…であります…」
ヴリトラは手に炎の球体を出現させると、足元で項垂れているまつりへと放った。
まつりへと炎が迫る。と、その時。
「まつり!」
炎がまつりへと当たる瞬間、何かがまつりを掴み、一緒に地面へと転がった。今まつりが居たところが赤く燃え上がる。
「大丈夫か? まつり?」
「黒龍様!」
ゴン!
「今、何で殴るであります?!」
「全部聞こえてたぞ! まつり! 随分と饒舌に俺の悪口が言えたもんだなっ」
「そ、それは…、黒龍様が死んだと思ったでありますから、ここぞとばかりに日頃の鬱憤をでありますね…」
呑気な顔でまつりと会話する黒龍とは反対に、ヴリトラは刺のような鋭い顔を見せていた。
「何故、生きている?」
「ん? 当たり前だ! 俺は黒龍だからな!」
「そのセリフはもう聞き飽きた」
苛立ちを隠せず呟く。そんな様子を見て黒龍はフッと息を吐き出した。
「貴様の炎など、温泉に浸かっているようなものだ。おかげでこのごろの肩こりが緩和されたぞ」
黒龍はそう言って、片腕をぐるぐると回した。
「肩なんか凝ったことないでありますよね?」
「ちっ! じゃあ更に炎を打ち込むだけだ!」
ヴリトラは手のひらに再び炎の球体を作ると、今度は連続して黒龍に浴びせる。
黒龍は横にいたまつりを突き飛ばし、自身は両手を顔の前でガードした。
「…っ!」
今度こそ直撃したはずだ。それも三回も。
しかし、ヴリトラの目に飛び込んできたのは、直撃を喰らったはずの無傷の黒龍の姿であった。
「お前、何をした?」
「言ったはずだ。そんな炎は効かないと。貴様は学習能力がないのか?」
「何をしたと聞いているんだ!」
「俺は黒龍だから、無傷なのは当たり前であろう」
「黒龍を最強の代名詞のように使うな!」
「おお、それはかっこいいな」
「ちっ、話が通じない…」
腹の底から苛立ちを感じ、ヴリトラは頭をぐしゃぐしゃっと掻き毟った。黒龍はフッと、溜め息混じりに息を吐くと、体の周りに何か暗黒の霧のような物をまとわりつかせる。
「これのことか?」
「何だ? それは?」
「言ってみれば闇孔の改良版だ。寝ている時に思い付いた」
「思い付いたって、そんな簡単に…」
「出来るのだから仕方ないではないか。まあ、俺が天才ってことだ。ハッハッハッ!」
「ちっ、厚顔無恥がっ」
地面に吐き捨てるように舌打ちをし、黒龍を見据えると、続いてヴリトラは良いことを思い付いたように笑みを溢す。
「なら、これならどうだ?」
ヴリトラは自身の顔に手をやる。また何者かに変身するようだ。
「貴様! またカンナに化けようなどと…!」
察した黒龍がヴリトラの顔に蹴りを喰らわそうとするが、ヴリトラは一歩、二歩と後ろに後退すると、得意気な笑みで顔から手を離した。
「この顔はどうだ?」
離された顔を冷静に見る黒龍。
「白龍か…」
その瞬間、黒龍の蹴りが白龍の顔をしたヴリトラの脳天に直撃した。
「いだっ!」
蹴られた瞬間、思わず元に戻るヴリトラであった。
「お前、殴れないんじゃないのか?」
頭を押さえ、蹴られたところを触ると、片側顔面を痛そうに歪ませる。
「何を言っているのだ? 白龍は男だぞ?」
「お前の友達だろ?」
「友達…というかライバルだなっ」
フンと、得意気に鼻を鳴らし、黒龍はふんぞり返った。
「いや、意味が分からない」
「貴様に分かって貰うつもりなど、毛頭無い。俺の気持ちは俺だけが分かれば良い」
そう言って黒龍は腕を組んだ後、ヴリトラを眼下に見据えた。
「さて、もう戦いはおしまいだ。貴様の出来損ないな白龍を見たおかげで、本物の白龍に会いたくなった。これで終わりだ。ヴ・リ・ト・ラ」
ヴリトラの顔に指を向けながら、黒龍は駄々っ子をあやすように念を押した。
「くっ、何をする気だ」
「フッ、まだ気付かんのか? 貴様はもうその場から動けんというのに…」
「何?」
ヴリトラが気付いて自分の周りを見渡すと、いつの間にか黒い蔦のような物が体に巻き付いている。振りほどこうとしたが、蔦はどんどんと伸び、やがてヴリトラの手足を縛り、完全に身動きが取れなくなった。その様子を見、黒龍は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「さて、俺はもう帰る。まつり」
「何でありますか?」
「俺が地上に着くまでグィーノを自由にするなよ」
「わ、分かったでありますっ」
「くそ! 待て! 私はまだ負けてない! 待て!」
縛られながら、もがくヴリトラであったが、黒龍には既にヴリトラの声は聞こえておらず、遠く彼方へと後ろ姿さえも見えなくなっていた。
「結局、今回も黒龍様の勝ちでありますな」
呆れた様子で、見えなくなった黒龍の姿を見送るようにまつりがフッ、と溜め息を吐いた。
「まつり」
「何でありますか?」
「いい加減ほどけ」
「…」
するとまつりは、ヴリトラをジトッとした横目で見つめる。
「ヴリトラはもう少しそこで反省していた方がいいであります。自分を殺そうとしたこと、自分は忘れてないでありますよ」
「あんなの冗談だろ?」
「絶対本気だったであります!」
「なあまつり…。ほどいてくれたら、いいものやるから」
後ろを向き、ヴリトラを後にしようとしたまつりの足がそこで止まる。
「お前が欲しがっていたペロペロキャンディー、作ってやるから」
「ペロキャン…!」
顔を硬直させ、じゅるりと口の端からよだれを垂らすまつりである。
「………。もう、仕方ないでありますね……」
一度硬直させていた顔を緩ませ、ほんのりと微笑するまつり。
黒龍との約束をあっさり破り、飴一つで簡単に買収されるまつりであった。
「やれやれ。一週間どころか、もっと早く帰るつもりであったのに…。いつの間にか十三日も経っていたとは…。白龍の奴は、きっと寂しがっているな…」
暗闇の穴の中で独り言を呟き、上へとエレベーターのように登って行く。
白龍の奴は今どんな顔をしているであろうか。もしかしたら自分がいなくて泣いているかも。そう考えていると自然と口元が緩む。しかし、
「黒龍のバカ野郎~~!!」
穴から出る瞬間、白龍の叫び声が聞こえた。懐かしく、いつも通りの甲高い声に、黒龍は嬉しくなりつつも、顔をキリリと引き締めて言った。
「誰が馬鹿だ!」
「へ?」
声のする方へ白龍が振り向く。目の前には自尊心たっぷりの顔をした黒龍。白龍はこれまでに無いほどの驚きと動揺で、何とも言えない間抜け面になっていた。
「…黒龍!?」
「ハッハッハッハッ! 相変わらずの間抜け面だな!」
大仰にして胸を張る黒龍。
「んな! い、いきなり後ろに、しかも部屋の中に現れて、驚かない奴なんているかよ!!」
「俺は驚かんぞ」
「…そりゃ、お前は驚かねぇかも知れねえけど…」
白龍はしかめっ面で黒龍を見つめた。
「…お前、相変わらずだな…」
「ん? 相変わらずも何も、俺は俺だが?」
「ハァァ………」
白龍は、頭をボリボリと掻きながら、溜め息だか安堵だか分からない息を吐いた。
(ヴリトラは友達だと言っていたが、まあ、友達であり、ライバルということだな。こんな風に言いたいことを言い合え、互いを気に掛ける存在というのは、ライバルくらいしかないないからな)
「何、ニヤついてんだよ?」
「ん? こちらのことだ」
「…そういや、お前、怪我は⎯⎯⎯」
こうして、黒龍と白龍の物語は続いて行くのであった。




