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「愛人に帳簿は読めますか?」十年間領地を支えた私を捨てた夫へ。あなたの領地が財政破綻しても、もう戻りません。  作者: 抑止旗ベル
第一章 離縁された公爵夫人は、辺境領の帳簿を開く

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その印章を、どこで手に入れましたか?

 焼け残った紙片の裏から見つかった印章の跡を、セラフィーナは朝の光へかざした。


 領主印より小さい。


 輪郭も違う。中央に刻まれているはずの紋章が、途中で崩れている。


 それでも、昨日聞き取った複数の村の記録に残る二度目の徴税と、同じ形の跡があった。


「この印章の持ち主に心当たりは?」


 ユリウスへ尋ねると、彼は首を横に振った。


「領主印以外に、徴税へ使える印章があるとは聞いていない」

「では、焼け残った紙片だけでは証拠として不十分です」


 セラフィーナは、印章の持ち主を推測しなかった。


 推測だけで誰かを責めれば、昨日話をしてくれた領民たちを危険にさらす。


「徴税記録を自由に閲覧し、領民側の控えを作るための権限をいただけますか」


 ユリウスの表情がわずかに曇った。


「既存の徴税担当者と衝突する。あなたを敵と見なす者が出るかもしれない」

「不正を疑うだけでは、領民を救えません。記録を照合できる権限が必要です」


 彼は、焼けた帳簿庫のほうへ目を向けた。


「危険だと分かっていても、調べるのか?」

「はい」

「ならば、私が許可する。徴税記録を閲覧し、領民側の控えを作ることを認める」


 ユリウスは、短い命令書を書いた。


 そこには役職名も給与額もない。


 ただ、セラフィーナが徴税に関する記録を調査し、照合する権限だけが記されていた。


「これで、あなたの判断を止める者はいない」

「止めようとする者が現れた場合は?」

「私へ報告してくれ」


 その返事に、セラフィーナは小さく頷いた。



 ◇



 試験運用を行う村へ向かうと、徴税を担当する男が帳面を抱えて待っていた。


 新しい領主印を押した書類を二枚用意してほしいと伝えると、男は眉をひそめた。


「今まで、そのような決まりはありませんでした」

「今までは、領民が支払いを証明できなかったからです」

「紙も人手も足りない。余計な作業を増やされては困ります」


 セラフィーナは、責めるような声を出さなかった。


「一枚は領主側の記録。一枚は支払った領民の証拠です。金額、日付、名目を同じように記します」

「もし後から別の徴税を求められても、控えがあれば確認できるということか」

「はい」


 男は不満そうに古い帳簿を見た。


「その紙はどうするのです。新しい帳面を買う金などありません」

「買いません」


 セラフィーナは、持参した古い帳簿を開いた。


 記入されていない余白を指でなぞる。


「不要になった頁を切り分け、支払いごとに使います。領民側の控えには、同じ印を押してください」


 男はためらったが、ユリウスの命令書を見て、しぶしぶ準備を始めた。


 最初の領民が税を支払う。


 金額と日付を記し、二枚の紙へ同じ印を押す。


 一枚を徴税担当者が持ち、もう一枚を領民へ渡す。


 領民は、何度も紙を見返した。


 自分がいくら払ったのかを示す記録を、初めて手にしたのだ。


 ところが、二枚目の書類へ印を押したとき、セラフィーナの指が止まった。


 徴税担当者が持参した印章と、焼け残った紙片の跡が一致しない。


 輪郭の欠け方も、中央の線も違う。


「この印章を、どこで手に入れましたか?」


 男の手が止まった。


「代々、徴税の際に使っているものです」

「では、こちらの記録に残る印章は?」


 セラフィーナは焼け残った紙片を示した。


 男は答えなかった。


 現在の担当者が別の印章を使っているのか。


 過去の記録が書き換えられているのか。


 それとも、複数の者が同じ印章を使っているのか。


 まだ断定できない。


「この記録と、過去の徴税記録を照合する必要があります」


 セラフィーナは、その日の控えを持って城へ戻った。



 ◇



 翌日、同じ村へ別の徴税人が現れた。


 男は領民へ、橋の修理費として追加の金を求めた。


 領民たちは怯えたように顔を見合わせる。


 けれど、一人が新しく作った控えを差し出した。


 そこには、橋の修理費をすでに支払った日付と金額が記されている。


「これは、もう払っています」


 徴税人は紙を奪おうと手を伸ばした。


 セラフィーナがその前へ立つ。


「領主側の記録と同じ控えです。持ち去る理由はございません」


 徴税人は舌打ちし、追加の徴収を取り下げた。


 領民の手に残った一枚の紙が、彼らを守った。


 数字が、人を守る。


 その事実を目の前にして、セラフィーナの胸に小さな達成感が生まれた。


 だが、城へ戻り、古い徴税担当者の交代記録を調べたとき、その感情は消えた。


 同じ印章の跡が、複数の担当者の在任期間にまたがって残っている。


 最初に二重徴税が始まった時期も、帳簿上の担当者交代とは一致していなかった。


 これは、誰か一人の横領ではない。


 領地そのものが、二重に徴税する仕組みを抱えている。



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