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「愛人に帳簿は読めますか?」十年間領地を支えた私を捨てた夫へ。あなたの領地が財政破綻しても、もう戻りません。  作者: 抑止旗ベル
第三章 燃えた帳簿と、死者の了承

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兵士の給与を、五日早く支払えました

 セラフィーナは帳簿を捲りながら、安堵のため息をついた。

 

 それから改めて、立替金の受領証、正規収入の日次帳簿、給与名簿を並べる。立替金は給与の欄に分けてあり、食料や別の支払いへ回していない。


 支払い後の残高と、返済に使える収入の欄も照らした。


「今日、支払えます」


 ユリウスが尋ねる。


「期限まで待たなくていいのか」

「待たせる理由がありません。契約どおりの資金があり、兵士給与以外に使わないことも確認できました」


 ユリウスは支払予定表へ署名した。


「領主として、前倒しの支払いを承認する」


 管理所の机に、給与名簿と受領証を並べた。


 兵士は一人ずつ名を確認し、受け取った額を確かめてから署名を残す。セラフィーナは名簿の欄と受領証を照らし、印の抜けがないか見た。


 金貨を受け取った兵士が、受領証を手にしたまま言う。


「これで家へ、今月の見通しを伝えられます」

「働いた分を、記録とともにお渡ししただけです」


 セラフィーナは次の名を呼んだ。


 支払いの順は、名簿に記された所属ごとに決められていた。先に受け取った者が、遅れて来る者の分へ手を出せないよう、受領証にはそれぞれの名と日付を残す。


 金庫から出た額、名簿の合計、受領証の枚数が一致することを、ユリウスにも確認してもらった。


 誰かの善意や記憶ではなく、受け取った者と領地の両方に残る紙で、兵士の暮らしを守る。その形にできたことが、セラフィーナには何より確かだった。


 大きな歓声はなかった。


 ただ、受領証を折って懐へしまう手つきに、張りつめていたものがほどけるのを見た。


 給与名簿の最後の欄まで確認してから、彼女は支払予定表の兵士給与へ完了の印を付けた。


 見えない権利を差し出したから守れたのではない。


 誰のために使う金か、いつ返すか、誰が責任を負うかを紙に残したから、商人も領地も同じ約束を確かめられた。


 だが、食料購入までは十三日。立替金の返済もこれからで、帳簿上の余裕はまだ薄い。セラフィーナは完了の印の下に、次の支払い予定を書き直した。


 午後、彼女とユリウスは発見した帳簿束の前に座った。


 閲覧台帳には開封の時刻と理由が記され、新しい封、写し用の紙、箱の外側を記録した控えが揃っている。


 セラフィーナは表書きの貼り替え跡、継ぎ直された封、火事前の別扱い指示と同じ系列の番号を、順に読み上げた。


 ユリウスが確認し、二人で箱を正式に開く。


 最初に、箱に収められた帳簿の冊数を収納控えと照らした。一冊も足りないことはない。


 紙の端には長く閉じ込められていた埃があり、表書きだけを替えてから、何度も出し入れされた様子はなかった。


 セラフィーナは頁をめくる前に、帳簿束の順番と傷んだ箇所を写し取った。後から抜けた頁があっても、いつからないのかを曖昧にしないためだった。


 中には、担保に付された権利の控え、臨時徴収を移し替えた記録、保管確認手数料の処理が綴じられていた。


 頁の端には、通行料、木材搬出料、市場使用料の台帳にあった担保処理記号が並ぶ。


 だが所有者欄は空白で、担保にした者も債権者も、記録だけでは読めない。


 帳簿束には、同じ日に複数の記録を確かめたことを示す欄もあった。そこだけ、確認者の名ではなく別紙参照と書かれている。


 誰かの名が書かれていないからこそ、その別紙は帳簿より重い意味を持つのかもしれなかった。


 中ほどに、細い紙片が挟まっていた。


 そこには、確認者別紙を添付すること、と記されている。


「担保処理と帳簿束の移送を確認した者を、別に記していたのでしょうか」

「別紙はあるのか」


 セラフィーナは頁の綴じ糸を見た。


「ここにはありません。抜き取られたか、別の封にされた可能性があります」


 紙片の端には、赤黒い色がかすかに残っていた。曲線の一部は、制度変更書や執行書に残った蝋印の痕と似ている。


 けれど、それだけで印の持ち主を決めることはできない。


「似ている、という記録に留めます」

「それでいい。名を急いで決めるな」


 ユリウスは、帳簿束の発見も給与支払いも外へ知らせないと決めた。


「まず写しを作り、頁の順と別紙の痕を確かめる」


 セラフィーナは次に照合する記録を並べた。


 担保処理記号と、三つの収入の台帳。


 保管確認手数料と、火事前日の別扱い指示。


 確認者別紙の記載と、北部監査補佐官の印章台帳。


 そして、抜き取られた頁や別紙の痕跡だった。


「原本と写しは分けて保管します」

「財務官として必要な記録を開け」


 ユリウスは許可の文書へ署名した。


 頁を数え直していたセラフィーナは、綴じ糸の切れた箇所で手を止めた。


 確認者別紙があったはずの位置に、紙は残っていない。


 そこには文書番号だけが書かれていた。その末尾は、廃止済みの北部監査補佐官、赤黒い蝋印、先代辺境伯の死後の了承記録へ続く系列と同じだった。


 記録番号だけが、そこに静かに残されていた。


 兵士の給与を守れた朝、セラフィーナは、帳簿を動かした者が最後に隠した名前の場所へ辿り着いていた。



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