火事の前日、帳簿を外せという指示があった
朝の支払予定表で、セラフィーナは兵士の給与停止まであと八日と確かめた。
食料購入までは十六日。
立替契約書は机の中央に置かれ、用途の欄には兵士給与とだけ記されていた。通行料、木材搬出料、市場使用料の権利を渡さないこと。返済の原資と期限、遅れた場合の協議、双方が残す記録。そのどれにも、書き漏れはない。
ユリウスは契約書を読み終え、署名欄へ名を書いた。
「領主として、この契約を引き受ける」
商人も文面を確認し、続いて署名した。
「期限と使い道が決まっているなら、こちらも仕入れ先へ話を通せます」
無条件の助けではない。
それでも、領地の収入がどこから来て、誰が返済を負うかを示せたからこそ、短期の立替は契約になった。
セラフィーナは、受領証を二通用意した。
一通には商人の署名を受けて領地の控えとし、もう一通は同じ文言で商人へ渡す。立替金を受け取った時刻、用途、返済予定の確認欄まで、両方の紙に書き入れた。
「返済のたびにも、同じように残します」
「受け取ったと言われて、後で金額が変わることはないわけだ」
「はい。変える必要があるなら、双方の書面が必要です」
商人は受領証を折らずに懐へ入れた。
金は兵士給与の欄へ移された。まだ支払日ではない。けれど、支払予定表の不足額には、立替契約の受領記録が添えられた。
管理所の者が、給与の見通しを尋ねに来る。
「契約どおりに準備を進めます」
セラフィーナはそう答えた。約束が紙に残るなら、安心もまた曖昧な言葉ではなくなる。
ただし、食料購入まで十六日という数字は消えなかった。給与を守る道筋が立っても、次の帳簿を整える手は止められない。
受領証と契約書を支払予定表へ綴じた後、セラフィーナは前日に見つけた照合記録を取り出した。
ユリウスが閲覧台帳へ日時と文書名を書き、彼女はその横へ閲覧理由を記す。
火事の前日に、元徴税官が残した最後の照合記録だった。
煤けた紙の末尾には、細い筆跡が残っている。
――北側三段目の帳簿束を通常棚より外し、確認のため別扱いとする。
そのすぐ下に、文書番号の一部があった。
数字の並びを、セラフィーナは仮保管簿の持ち出し記録と、北部へ送られた帳簿束の受領控えに照らした。
「同じ番号そのものではありません。でも、末尾の付け方が同じです」
ユリウスが記録へ目を落とす。
「担保処理の系列か」
「可能性があります。少なくとも、火事の直前に、通常の棚にあった帳簿束を別扱いにする指示が出ています」
火事で失われた帳簿は多い。だが、先に棚から外された帳簿束があったなら、炎は何を焼き、何を焼かなかったのか。
帳簿束を持ち出したのか、どこかへ隠したのか、それとも別の記録と取り替えたのか。今の紙だけでは決められない。
しかし、火事が単に古い帳簿を焼くためだけに使われたのではない可能性は、はっきりしていた。
指示の脇にある小さな確認印は、押された場所だけが擦れていた。火事の熱で傷んだのか、後から何かを剥がしたのかも分からない。
ただ、元徴税官の照合記録は、帳簿束を外した後にどこへ置くかを記していなかった。必要な記録なら、保管先と受領者を残すはずである。
別扱いという言葉だけを残して行き先を消す書き方は、以前の臨時徴収や保管確認手数料の記録にも似ていた。金も帳簿も、名目だけを残して行き先を曖昧にする。その方法が、火事の前日にも使われていたのかもしれない。
「この指示を書いた者が、火をつけたとは限りません」
セラフィーナは紙から視線を上げた。
「ですが、火事の前に帳簿束を通常の場所から外す必要があった者がいた。その事実は残せます」
「推測で名を追うより、記録を追う」
「はい」
ユリウスは照合記録、火事前日の指示、北部の移送記録、先代辺境伯の死後に作られた了承記録を別々の封筒へ分けた。
「写しも作る。原本と同じ場所には置かない」
「閲覧台帳にも、写しの保管先を記します」
誰かを疑って扉を閉ざすのではなく、記録を動かせない手順を増やす。そのほうが今の領地には必要だった。
セラフィーナは次に確認するものを三つ、紙へ並べた。
火事前日に帳簿庫へ出入りした荷と使者の往来記録。
別扱いの指示に付された文書番号の全体。
元徴税官が処理した保管確認手数料と、帳簿束の照合記録。
「これを照らせば、帳簿束がどの時点で通常の棚から消えたかを絞れます」
「必要な記録を開け。財務官として許可する」
ユリウスはそう言い、管理所へ閲覧と写し作成を命じる文書へ署名した。
午後、セラフィーナは古い往来記録を開いた。
火事前日の照合記録に残る番号の一部を追うと、帳簿庫から出た荷の欄ではなく、火事の後に失われたはずの帳簿を確認するための記録にも、同じ末尾が残っている。
帳簿の行き先も、受領した者の名も、そこにはなかった。
彼女はその一行を、次に消される前に二通へ写し取った。手を止めず。
けれど火事で消えたと思われた帳簿は、炎の後にも、誰かの手で確認されていた。




