給与を守るため、領地の収入は売りません
朝の支払予定表で、セラフィーナは兵士の給与停止まであと九日と記した。
食料購入までは十七日。
通行料、木材搬出料、市場使用料の正規収入は、受領証と日次帳簿によって確かめられるようになっている。
けれど、金庫にある資金と支払い予定を並べると、給与日までに必要な額にはなお届かなかった。
昨日までの収入が確かでも、九日後までに金庫へ入る金と、先に払わなければならない費用は同じではない。数字は正直に、足りない分だけを残していた。
ユリウスは支払予定表を見てから、静かに尋ねた。
「資金を得る方法はあるか」
「あります。ただし、収入の権利を担保に入れる方法ではありません」
セラフィーナは通行料、木材搬出料、市場使用料の記録を指した。
「今、これらを別の形で差し出せば、怪しい担保処理を止めた意味がなくなります」
「目先の給与を守るために、次の収入を失う」
「はい。今月を越えるために、来月の領地を売るわけにはいきません」
彼女は新しい便箋へ、短期立替契約の条件を書き出した。
用途は兵士の給与に限ること。
返済の原資は、現在の正規収入のうち領地が自由に使える範囲に限ること。
通行料、木材搬出料、市場使用料そのものの権利は渡さないこと。
返済期限と、遅れた場合の扱いを明記すること。
契約書、受領証、返済記録を双方に残すこと。
最後に、領主であるユリウスが最終責任を負うこと。
「金を借りる以上、貸す側にも理由が必要です」
「今のヴァルハルトを、信用してもらう理由か」
「はい。返せる見込みと、返せなかったときの扱いを、先にお示しします」
帳簿が黒字に見えるだけでは足りない。誰が払った金か、どの収入がいつ入るか、そして誰が返済を引き受けるか。紙に残る形で示して初めて、相手も自分の仕入れ先へ説明できる。
昼前、セラフィーナとユリウスは管理所を訪れた。
正規通行路を再び使うようになった商人が、受領証の控えを持って来ていた。市場を利用する者や木材を運ぶ者の記録も、同じように帳簿へ綴じられている。
セラフィーナは日次帳簿を開き、現在の収入と返済に回せる範囲を説明した。
「領地収入の権利そのものは、お渡ししません。返済は、この記録に残る正規収入から、期限を決めて行います」
商人は受領証の番号と帳簿の控えを見比べた。
「紙が残るなら、こちらも仕入れ先へ説明できます」
救済の言葉ではなかった。
貸した金が何に使われ、どのように戻るのかを確かめたい者の、当然の返答だった。
「兵士の給与以外に使わないことも、契約へ書かれますか」
「はい。用途が変わる場合は、あらためて双方の書面が必要です」
「返済が遅れた場合も、権利を渡すのではなく、記録を示して協議する。そう書けますか」
「書きます。貸す側だけに曖昧な負担を残さないためです」
商人は契約案を受け取り、短期立替を検討すると答えた。受領証の控えを握ったまま、別の商人にも条件を伝えると言う。その手にあったのは好意ではなく、確かめられる約束だった。
セラフィーナは、立替金を受け取る時刻も記した。契約書へ双方が署名した後、領地側は一通の受領証を渡し、商人側にも同じ内容の控えを残す。返済のたびに日付と額を双方の帳簿へ記す。
以前なら、金庫へ入った銀貨だけを数えて終えたかもしれない。
だが、誰から受け、何のために使い、いつ戻すのかが残らなければ、借りた金もまた領民の不安になる。セラフィーナは用途の欄に、兵士の給与以外の文字を書き込ませなかった。
執務室へ戻ると、ユリウスは契約案を最後まで読んだ。
「領主として、私が署名する」
「返済予定表は、私が作成します」
「それでいい。借りる判断の責任は私が負う。君は返済できる形を整えてくれ」
言葉は短いが、役割は曖昧ではなかった。
セラフィーナは返済予定表へ、正規収入の受領日と支払い日を一つずつ記した。返済に使う欄と、食料購入に残す欄を分ける。給与を守るために、次の支払いを消してはならない。
夕方、商人から立替契約を受ける意思が伝えられた。
まだ金は動いていない。けれど条件と責任者、用途、返済の道筋は決まった。明朝、双方が契約書へ署名し、立替金の受領証を交わす段取りも整えられた。
管理所の者が、兵士への給与が守られる見込みが立ったと伝えに行く。
大きな歓声はなかった。
ただ、帳簿を受け取った者の表情から、張りつめていたものが少しだけほどけた。九日という数字は消えていない。それでも、無記録の借金に頼らずに越える道が、紙の上に引かれていた。
返済予定表を整えるため、セラフィーナは過去の支払記録を開いた。
元徴税官が残した最後の照合記録が、帳簿の間から滑り落ちる。
火事の前日の日付。
その末尾には、帳簿束を通常の棚から外すよう求める不自然な指示と、見覚えのある文書番号の一部が残されていた。
急いで写しを作るべき記録だと、彼女はすぐに理解した。
兵士の給与を守るために開いた帳簿の中に、帳簿庫を燃やした者へ続く最後の記録が残されていた。




