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「愛人に帳簿は読めますか?」十年間領地を支えた私を捨てた夫へ。あなたの領地が財政破綻しても、もう戻りません。  作者: 抑止旗ベル
第三章 燃えた帳簿と、死者の了承

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臨時財務責任者から、正式な財務官になりました

 朝の支払予定表で、セラフィーナは兵士の給与停止まであと十二日と確かめた。


 食料購入までは二十日。受領証を整えたことで収入の行方は見えるようになったが、期限そのものが遠のいたわけではない。


 通行料、木材搬出料、市場使用料の日次帳簿を順に開く。どの控えにも、支払った者へ渡した受領証と同じ番号が残っていた。


 北部の旧文書保管所へ送った二通目の照会文は、受領記録の残る経路で発送済みだ。まだ返答はない。


 セラフィーナは帳簿を閉じ、今日も証拠を守るための閲覧台帳へ時刻を書いた。


「少し時間をくれないか」



◆◆◆



 ユリウスの執務室に通されたセラフィーナは、机の上に置かれた一通の文書に気がついた。


 厚い紙の表題には、ヴァルハルト領財務官任命書とある。


 セラフィーナはすぐには手を伸ばせなかった。


「私に、ですか」

「ああ。臨時財務責任者として任せてきた仕事を、正式な職として定めたい」


 ユリウスは文書を開いた。


 役職はヴァルハルト領財務官。職務は帳簿照合、領地収入の記録整備、支払予定の作成、契約と担保記録の確認。つまり、臨時財務責任者からヴァルハルト領財務官への正式任命だ。


 必要な帳簿、契約、徴収記録を閲覧し、不備があれば確認を求める権限も記されている。


 そして、最終的な領主判断はユリウスが負う、とあった。


 最後に、月ごとの正式な給与を支払うこと。財政危機を越えるまで任命を継続し、その後も一定の時期ごとに双方

で職務を見直すことが明記されている。


 報酬という文字に、セラフィーナの視線が止まった。


 結婚していた頃も、彼女は帳簿を開き、契約を読み、使用人の給与が遅れないよう金を動かした。


 けれど、そこに職務の範囲を書いた紙はなかった。


 妻だから。家のためだから。


 そう言われれば、どこまで働くべきかも、誰が最後に決めるのかも、曖昧なままでよかった。


 今、目の前にある文書には、彼女が何を担い、どこまでを担わず、誰が責任を負うのかが書かれている。


 働くことに、値段と責任の両方がある。


 その当然のことが、セラフィーナには少し眩しかった。


 ユリウスは任命書とともに、給与の支払いを示す別紙も差し出した。金額は領内の同等の職務に準じ、月ごとに支払うと記されている。


 施しではない。帳簿を整え、記録を守り、領地の収入と支払いを確かめる仕事への対価だった。


 セラフィーナは別紙の文面を、何度も確かめた。自分が受け取るものより、ここまで明確に書かれていることに戸惑った。


 仕事を引き受けるなら、頼む側は責任と条件を示す。引き受ける側は、権限の範囲で判断する。


 それがあれば、失敗の責任だけを一人へ押しつけずに済む。


「受け取ることを、ためらう必要はない」


 ユリウスは書面を指で示した。


「君が守った記録は、すでに兵士や商人の暮らしに届いている」


 セラフィーナは小さく頷いた。給与を受け取ることは、家のために働かなかった証ではない。仕事をしたことを、正しく認める形なのだ。


 任命書には、危機を越えた後も職務を見直す一文があった。必要がなくなれば、同じ形で続けることを求めない。


 その余白まで含めて、セラフィーナには新しかった。働き手を縛るためではなく、双方が納得して続けるための文書だった。


 彼女は初めて、署名欄の自分の名をまっすぐに見つめた。そこには迷いがなかった。


「内容に不足はありますか」


 ユリウスの問いに、セラフィーナはあらためて文面を読んだ。


「最終判断を、辺境伯様が負うと明記されています」

「君に帳簿を見てもらう。だが、領主として決めるべきことまで君へ押しつけるつもりはない」

「報酬も」

「仕事を依頼し、結果を求めるなら、払うべきだ」


 声は穏やかだった。


「領地のためだから無償で働け、とは言わない」


 セラフィーナは指先で任命書の端を整えた。


 彼の言葉は、特別な慰めではない。ただ、彼女の仕事を仕事として扱っていた。


「承知しました。財務官として、お引き受けします」


 署名を終えた後、セラフィーナは市場使用料の記録を確認するため、市場管理者のもとへ向かった。


 今日の受領証と日次帳簿を照合すると、額、理由、番号に抜けはない。


「表示があると、荷を持ち込む日を決めやすくなりました」


 荷車のそばにいた商人が言った。


「前は、下ろした後で別の金を言われるかもしれませんでしたから」


「これからも、記されていない支払いはお受けにならず、管理所へお知らせください」


 セラフィーナは受領証の控えを閉じた。


 財務官として守るのは、銀貨の枚数だけではない。商人が安心して荷を運び、領民が必要な品を待てる記録である。


 執務室に戻ると、任命書の写しを原本と別に保管し、閲覧台帳へ記した。


 担保処理の記号が付いた記録、北部へ送った照会文の受領記録、現在の収入源の控えも同じように整理する。


 権限を得たからこそ、帳簿の奥に隠された不正を追える。


 誰かの厚意に頼るのではなく、任された職務として。


 セラフィーナは任命書の原本へもう一度目を落とし、静かに息を吸った。


 私はもう、誰かの妻として帳簿を支えるのではない。ヴァルハルト領の財務官として、自分の名でこの領地を守る。


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