↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「愛人に帳簿は読めますか?」十年間領地を支えた私を捨てた夫へ。あなたの領地が財政破綻しても、もう戻りません。  作者: 抑止旗ベル
第三章 燃えた帳簿と、死者の了承

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/31

火事の前に持ち出された帳簿


 午後になっても、支払予定表の数字は変わらない。


 兵士の給与停止まであと二十二日。食料購入まであと三十日。

 けれど、保管庫の机には新しい閲覧記録が置かれ、帳簿を開くたび二人の名が並ぶようになっていた。数字を守る手順が、一つ増えたのだ。


 セラフィーナは要求書を机の端へ置いた。


 北側の三段目、窓から二番目。


 火事の前の棚位置と一致するその記載を、焦げた帳簿と照合するためだった。


「手形の照合帳ですね」


 ユリウスが閲覧記録へ時刻を書き、二人で帳簿を取り出す。黒く焦げた背表紙は崩れやすく、端の頁は指先で触れるだけで細かな灰を落とした。


「失われた頁は三枚です」


 セラフィーナは残った綴じ糸を数える。


「けれど、末尾の記録は読めます」


 火事の直前の欄には、領内の手形と担保に関する照合のほか、帳簿の移し替えを示す短い記載があった。


 文字の半分は煤で隠れている。それでも、セラフィーナには見覚えのある言葉が読めた。


 仮保管簿。


「これは、別の帳簿の名でしょうか」


 ユリウスが低く問う。


「おそらくは」


 セラフィーナは、元徴税官の指示書を横へ置いた。臨時徴収を通常税と分け、保管確認手数料として処理する。金をいったん別の名目に移せば、元の帳簿だけを見ても流れを追いにくくなる。


「担保に付された権利、臨時徴収の移し替え、保管確認手数料。別々の帳簿へ散らした金を、一時的にまとめる簿冊だったのかもしれません」

「それがあれば、誰が金を動かしたか分かる」

「少なくとも、今よりは近づけます。通行料と木材搬出料の間に、どの記録が置かれたのかも」


 照合帳の隣の欄には、担保に関する手形の番号が並んでいた。文書番号の前半は、制度変更書に残る古い形式と同じだ。


 ただし、照合帳では末尾が塗り潰されている。


 通行料の執行書と木材搬出料の台帳で書き換えられていた末尾と、同じ箇所だった。


「この仮保管簿は、担保にされた権利をまとめるための帳簿だったのでしょう」


 セラフィーナは、煤を避けて頁の端を持ち上げた。


「だから、誰かは棚の位置まで知りたがった。火事で帳簿が燃えたなら、記録ごと消えたと思っていたのかもしれません」


 頁の裏には、別の筆跡が薄く写っている。押しつけて書かれた文字が、次の紙へわずかに残ったものだった。


 そこに読めるのは、仮保管簿の題と、三つの区分だけである。


 担保権利。臨時徴収。確認手数料。


 セラフィーナは息を止めた。これまで別々の帳簿で見つけた不自然な金と権利が、一冊の簿冊では同じ欄に並んでいた可能性がある。


 照合帳の行の末尾には、持ち出しを示す印が残っていた。だが、受け取った者の名が書かれていた部分だけが、炎で黒く崩れている。


 行き先も読めない。


 残ったのは、持ち出しの日と、押し潰れた確認印の一部だけだった。


 赤黒い色。輪の内側へ曲がる細い線。


 制度変更書の承認頁に残った欠片、通行料の執行書、木材搬出料の往来記録。どれにもあったものと、同じ曲線に見える。


「また、この印です」

「同じものか」

「全体が残っていません。ですが、偶然とは思えません」


 要求書が原本を求め、古い棚位置まで記していた理由が、輪郭を持ちはじめる。


 書き手は制度変更書や担保台帳を回収したいだけではない。あの棚に置かれていた仮保管簿が、火事で消えたのか、どこへ移されたのかを確かめようとしているのではないか。


「仮保管簿を探す必要がある」


 ユリウスは焦げた帳簿から目を離さずに言った。


「ですが、保管庫を片端から探すだけでは時間を失います」


 セラフィーナは閲覧記録の余白へ、必要な帳簿を書き出した。


「まず、火事当日の帳簿持ち出し記録。次に、帳簿庫から領主館の外へ出た荷と使者の往来記録です。担保台帳の同じ文書番号と、保管確認手数料の処理記録も照合します」

「帳簿庫から出た荷を先に見れば、仮保管簿そのものが見つからなくても、持ち出された先の範囲を絞れる」

「はい。持ち出しの記録が消されていても、荷を運んだ者や受領の記録まで、すべて同じように消すのは難しいはずです。一つでも記録が残れば、金を動かした者の足取りと、帳簿の行き先を追えるはずです」

「必要な記録はすべて開け。君に任せる」


 ユリウスは、照合帳をそっと閉じた。


「調べる順番は、君が決めてくれ。ただし、保管庫へ一人では入らないでほしい」


 命令ではなく、確認する声だった。


 セラフィーナは新しい閲覧記録を見た。二人の署名が、同じ行に並んでいる。


「原本を守るために二人確認を決めたのです。私だけが例外になるわけにはまいりません」

「ならば、私か、私が指名した立会人が必ず入る」

「お願いいたします」


 彼女は短く答えた。


 一人で抱え込まなくてよいということを、言葉にされる前から手順で示されている気がした。危険を知らされても、仕事を任せる手を引かない。そのことが、今は心強かった。


 セラフィーナは焦げた帳簿をもう一度開く。


 煤で隠れていた文字の下に、かすかな筆跡が残っている。


 仮保管簿――持ち出し済み。


 火事で失われたのではない。最も都合の悪い帳簿だけが、炎が上がる前に持ち出されていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。