元夫の領地で、次の納品が止まりました
兵士の給与停止まで、あと二十五日。
通行料徴収権の移転は、一時停止している。
セラフィーナは、前日までの日次帳簿と商人へ渡した受領証の控えを照合した。枚数も金額も一致している。
十日で銀貨二十四枚。
守られた収入を支払予定表へ書き加えると、兵士の給与へ回せる金の欄に、わずかな余裕が生まれた。
これだけで領地の不足が解消されるわけではない。
それでも、失えば消えていたはずの選択肢が、数字となって残った。
「今日以降も、日ごとの照合を続けてください」
セラフィーナの言葉を受け、ユリウスが管理所の者へ命じた。
「支払った者へ渡す控えと、領地側に残す記録を、その日のうちに二人で確認する。合わなければ、翌日へ持ち越さず報告せよ」
「承知しました」
新しい手順は、特別な日のためのものではなくなった。
明日も続く、領地の正式な仕事になったのだ。
◇
同じ日の午後、公爵家へ一通の書面が届いた。
封を切ったレオナールは、その文面を二度読んだ。
「次回納品を保留する、だと?」
「先日示された新しい取引条件へ、ご回答をなさらなかったためです」
家令が静かに答えた。
保存食の次回納品について、前払いをするのか、具体的な支払予定を示すのか。その返答があるまで、荷は出せないと記されている。
取引を打ち切るという通知ではない。
けれど、これまでのように商品を受け取ってから代金を支払うことは、もう認められなかった。
「備蓄はどれほど残っている」
「すぐに尽きる量ではございません。ただ、次回の納品まで余裕があるとは申せません」
家令は別の紙を机へ置いた。
「使用人の給与支払日も近づいております。満期を迎えた手形、物資の前払い、使用人給与。この三つを同時に満たせるだけの現金は、現在の金庫にはございません」
数字自体は、レオナールにも読めた。
どの支払いに、いくら必要なのかも分かる。
問題は、その先だった。
保存食を優先すれば、給与へ回す金が減る。
給与を守れば、前払いができず、納品はさらに遅れる。
手形を後回しにすれば、公爵家の信用が傷つく。
どれか一つを選ぶ命令なら出せる。だが、その選択が次の月の入金や備蓄、別の取引へどう響くのか、レオナールには見通せなかった。
「食卓に出す品を減らしてはいかがでしょう」
傍らで書面を見ていたリディアが、おずおずと口を開いた。
「花や装飾品も、しばらく新しく買わずに。社交のための支出も減らせば、少しは残せるのではありませんか」
それは彼女なりに考えた、現実的な節約だった。
家令も否定はしなかった。
「今後の支出を抑える効果はございます。しかし、期日の迫った契約代金や給与を、今月中に用意できる額にはなりません」
「では、節約しても間に合わないのですか」
「節約が無駄なのではございません。支払期限と備蓄、次の入金予定を同時に見て、どこへ先に金を置くか決める必要があるのです」
リディアは口を閉ざした。
身近な出費を減らすことと、領地の支払いを止めないことは、同じではない。
その違いを、彼女は初めて知ったようだった。
「今までは、どうしていた」
レオナールが尋ねる。
「セラフィーナ様が、備蓄量、契約の期限、入金予定を並べておられました。そのうえで、遅らせてよい支払いと、決して遅らせてはならない支払いを分けておいででした」
レオナールは、机に並んだ三枚の紙を見た。
「セラフィーナなら、どれを先に――」
言葉が途中で止まる。
答えを知るには、今ある帳簿と契約書をすべて見なければならない。ひとつの金額だけを見て決められることではなかった。
「なぜ、引き継ぎを残さなかった」
苛立ちを隠せないまま、レオナールは言った。
家令は目を伏せなかった。
「帳簿も、契約の控えも残されております」
「ならば、なぜ分からない」
「どの損失を避けるために、何を優先するか。それを決めるのは、公爵家の主でございます。判断そのものを、引き継ぎ書へ残すことはできません」
反論は出なかった。
帳簿は残っている。
契約書も読める。
それでも決められない。
セラフィーナが八年間していたのは、ただ数字を書き写すことではなかった。
限られた金で何を守るか、決め続けることだったのだ。
返答を保留した間に、納品まで止まった。
残された時間は、昨日より短くなっていた。
◇
ヴァルハルト領へ戻ったセラフィーナは、執行書と権利台帳を並べていた。
文書番号の前半は一致している。
異なるのは、末尾に付け加えられた記号だけだった。
「この末尾は、移転先を表すものではありません」
セラフィーナは、保管庫から出された担保台帳を開いた。
「権利に担保設定や解除などの処理を加えたとき、元の番号の後ろへ、同じ形式の番号が付けられています」
ユリウスが、二つの記録を見比べる。
「通行料徴収権にも、何らかの担保処理がされたということか」
「その可能性があります。ただし、どの権利者が、何を理由に処理したのかは、まだ分かりません」
セラフィーナは、過去の通行料に関する異議書も開いた。
受理番号の横には、薄く同じ形式の記号が残っている。
訴えが受理された時期と、権利台帳の番号が書き換えられた時期は近かった。
返金の判断が消されたあと、通行料徴収権そのものが、別の扱いへ移されたのだとすれば。
「移転先の名が記されるより前に、通行料徴収権だけが担保として処理されていたのかもしれません」
「所有者が定まらないままか」
「はい。ですが、この三つだけでは断定できません。担保を設定した記録と、当時の契約、収入の移動を確かめる必要があります」
通行料だけを追っても、全体は見えない。
同じ番号がほかの権利にも使われているなら、領地の収入は一つずつ切り離される準備をされていた可能性がある。
「担保台帳だけでなく、権利台帳、契約記録、収入記録を照合させてください」
セラフィーナは続けた。
「当時の役人と荷の往来記録も必要です。処理された時期と、実際に誰が文書を運んだのかを照らし合わせたいのです」
ユリウスは迷わなかった。
「必要な帳簿はすべて開く。調べる順番は、あなたが決めてくれ」
彼は腰の鍵束から一本を外した。
「保管庫の鍵も預ける。ただし、原本は一人で扱わせない。鍵を使うときは二人で確認し、閲覧した資料と時刻を記録する」
それは単なる許可ではなかった。
徴税記録だけでなく、担保、権利、契約、収入に関する記録を横断して調べる権限が、正式に認められたのだ。
「最終的に権利の移転を止めるかどうかは、私が決める」
ユリウスは鍵を差し出したまま言った。
「だから、判断に必要な記録を集めてほしい」
「承知いたしました」
セラフィーナは鍵台帳を開いた。
受取人、時刻、目的、立会人。
必要な欄を埋め、ユリウスの確認を受けてから、初めて鍵を手に取る。
公爵家では、帳簿を読んでも決められる者がいなかった。
ここでは、セラフィーナが記録を選び、ユリウスが領主としてその先の責任を引き受ける。
預けられた鍵の重さは、その役割を曖昧にしなかった。
保管庫で担保台帳の続きを開くと、通行料徴収権と同じ形式の末尾番号が、もう一つ見つかった。
処理された日付も近い。
けれど、肝心の収入名は、欄へ折り込まれた古い紙片の下に隠れている。
セラフィーナは紙片をまだ動かさず、先に頁番号と閲覧時刻を書き留めた。
一つの収入を奪うためだけなら、同じ処理番号を繰り返す必要はない。
守れたのは、通行料だけだった。
帳簿の奥には、まだ奪われる順番を待つ収入がある。




