二重徴税を仕組んだ者
兵士の給与停止まで、あと二十八日。
通行権の執行まで、あと三日。
セラフィーナは書記から提出された集計控えを机へ置き、古い徴税簿を開いた。
隣には、臨時徴収の記録、銀貨六枚が保管確認手数料として処理された控え、荷車の輸送記録が並んでいる。
書かれた名目は、すべて違っていた。
しかし、紙の端に残された集計記号は同じだった。
セラフィーナは通常税の帳簿から順に指を滑らせる。
領民が最初に納めた金は、通常税として記録されていた。
その後で求められた金は、臨時徴収の束へ移される。領民の手元には受領証が残らない。
さらに、その一部が保管確認手数料や輸送費として別の帳簿へ置かれていた。
「数字を書き換えたのではありません」
セラフィーナの言葉に、ユリウスが顔を上げる。
「では、どうやって隠した」
「同じ金を、つながりの見えない記録へ分けたのです」
セラフィーナは四冊の帳簿を順に示した。
「通常税に一度。臨時徴収にもう一度。その一部を、さらに別の名目へ移しています。最後に村ごとの合計だけを報告すれば、誰がいくら支払ったのかは分かりません」
帳簿から数字を消せば、空白が残る。
だが、別の帳簿へ移せば、それぞれの頁には数字が残る。一冊だけを確認した者には、不自然な空白さえ見えない。
ユリウスは臨時徴収の束と、輸送記録を見比べた。
「実際に保管や輸送が行われたように見えるな」
「はい。ですが、支払った者の名も、何を運んだのかも残っておりません。必要な費用なら、最初から理由を示し、受領証を渡せたはずです」
「それをしなかったから、通常の税とのつながりが消えた」
「正確には、見えなくなりました。記録自体は残っています」
セラフィーナは集計控えを裏返した。
記号の横には、小さな確認欄がある。
前任徴税官だけが記すことを許されていた欄だった。
だが、この控え一枚だけでは、前任徴税官が集計を指示した証拠にはならない。書記が勝手に印を写した可能性も、まだ否定できなかった。
「この確認欄と同じ印が使われた、別の指示書を探します」
「書記の証言だけでは足りないか」
「証言は、探すべき記録を教えてくれました。ですが、責任を定めるのは記録を確認してからです」
セラフィーナは、前日に保全対象とした文書の一覧を開いた。
書記の自白によって、調べるべき場所は絞られている。
あとは残された紙に、答えさせればよかった。
◇
同じ頃、公爵邸には、長年物資を納めてきた商人が訪れていた。
レオナールの前に差し出された契約書には、これまでより短い支払期限が記されている。加えて、代金の一部を納品前に支払うという条件まであった。
「以前と条件が違うではないか」
「はい。今後はこちらでお願いいたします」
「公爵家とは長い付き合いだ。これまでは、収穫後まで支払いを待っていたはずだろう」
商人は姿勢を崩さなかった。
「以前は、セラフィーナ様から備蓄量、入金予定、支払いの順番を毎年お示しいただいておりました」
「それが何だ。公爵家が支払うことに変わりはない」
「どの資金から、いつ支払われるのか。それを確認できたからこそ、私どもも仕入れ先を待たせることができたのです」
隣で話を聞いていたリディアが、戸惑ったように契約書へ目を落とした。
「公爵家との長いお付き合いがあるのに、それだけではいけないのですか?」
「お付き合いだけでは、私どもの雇い人へ給与を払えませんので」
穏やかな返答だった。
だからこそ、言葉の意味だけが残る。
「現在の支払予定と、判断をなさる責任者をお示しいただければ、条件は再度検討いたします。それまでは、現金との引き換えか、一部の前払いをお願いいたします」
レオナールは契約書を見下ろした。
文字は読める。
求められている金額も分かる。
だが、前払いへ回せる金がどの箱にあり、それを動かせば次に何が不足するのかまでは答えられなかった。
セラフィーナが守っていたのは、帳簿の数字だけではなかったらしい。
決めた日に支払われるという信用まで、彼女は積み重ねていたのだ。
「返答は、後日にする」
「承知いたしました。それまでは、以前の条件での納品はお約束できません」
商人は契約書を残し、書斎を辞した。
新しい条件を受け入れるか。
必要な物資を減らすか。
レオナールは、どちらも決められなかった。
◇
ヴァルハルト領の保管庫では、未整理の文書束が机の上へ運ばれていた。
取り出した者と立会人の名は、すべて記録されている。先日定めた手順に従い、セラフィーナが確認するまで誰も資料を別の場所へ移せない。
輸送記録の下から、一枚の指示書が見つかったのは、昼を過ぎた頃だった。
「こちらを」
セラフィーナは紙を薄紙の上へ置いた。
指示書には、臨時徴収と保管確認手数料を同じ集計記号でまとめるよう記されている。
末尾の確認欄には、集計控えとよく似た印があった。
似ているだけでは足りない。
セラフィーナは保管庫の一覧番号を確認した。
「この番号は、前任徴税官が確認した文書に付されるものです」
集計控えと指示書を並べる。
確認欄の印は、線を引き始める位置も、最後に筆を返す方向も一致していた。
さらに、指示書の文面には、三つの記録を同じ印でまとめることが明記されている。
「前任徴税官は、この集計方法を知っていただけではありません」
セラフィーナは、指示書の一行を示した。
「臨時徴収を別の記録へ分けるよう指示し、処理された控えを確認していました」
ユリウスは二枚の紙を見比べた。
「書記の証言だけではない。指示書と確認印が残っている」
「はい」
前任徴税官が不正全体を作ったとは、まだ言えない。
集められた金の最終的な行き先も分からない。
それでも、二重に集められた金を別々の帳簿へ分け、その集計を確認していた者は記録から定められる。
「二重徴税の集計実務を動かした責任者は、前任徴税官です」
セラフィーナは、その結論を調査記録へ書き込んだ。
火をつけた手とは別に、数字を見えなくした手があった。
今度は証言ではなく、残された指示書がそれを示していた。
◇
午後、セラフィーナは焼け残った領民側の控えを開いた。
半ば焦げていたが、名前と日付、支払額の一部は読める。
同じ名を通常税の帳簿で探す。
「あった」
同じ月に、正規の税を納めた記録が残っていた。
さらに臨時徴収の控えには、その数日後、同じ領民から銀貨二枚を受け取った印がある。
最初の税と、後から求められた金。
二つの日付も、二つの支払いも、同じ人物の名で残っていた。
「この方については、二重に支払った事実を証明できます」
呼ばれた領民は、焼けた控えを前にしても、すぐには口を開かなかった。
「橋を直すためだと言われました」
やがて、確かめるように言う。
「税を払ったあと、銀貨二枚を持ってこいと。控えを頼んでも、後で渡すと言われました」
「その銀貨二枚について、領地側にも臨時徴収の記録が残っています」
セラフィーナは二つの記録を並べた。
「通常税とは別に支払ったことを確認できました」
領民は紙を見つめた。
「では、払っていないことには、ならないのですか」
「なりません」
セラフィーナは明確に答えた。
領民の肩から、わずかに力が抜けた。
ユリウスが支払記録を確認する。
「本来なら、銀貨二枚を返すべきだ」
しかし、領地の金庫に余裕はない。
今すぐ返金すれば、兵士の給与や食料の購入期限がさらに近づく。
セラフィーナは、二通の証書を机へ置いた。
「次回の正規税から、銀貨二枚分を控除する形でしたら、現在の支払いを止めずに救済できます」
「その証書があれば、次の徴税で再び払うよう求められないか」
「一通をこの方へお渡しし、もう一通を領主側へ残します。金額、理由、日付を記し、領主印をお願いいたします」
ユリウスは迷わなかった。
「その方法で返す」
二通の証書へ、銀貨二枚と記される。
理由は、二重徴収分の返還。
ユリウスが領主印を押し、一通を領民へ差し出した。
「同じように二重払いを記録で確認できた者には、同じ基準を用いる。最終的な判断は、領主である私が負う」
領民は証書を両手で受け取った。
「記録がないから分からないと、また言われるのだと思っていました」
「今回は、記録が残っておりました」
セラフィーナが答えると、領民は焼けた控えと新しい証書を見比べた。
「残しておいて、よかった」
銀貨二枚で、領地の財政が立ち直るわけではない。
けれど、その家にとっては、冬の薪や食料へ変わる金だった。
何より、帳簿から拾い上げた数字が、初めて持ち主のもとへ戻った。
◇
領民を見送ったあと、ユリウスは新しい文書を用意させた。
表題には、徴税記録調査責任者指定書とある。
セラフィーナは紙へ目を落とした。
「私を、責任者に?」
「ああ。すでに任せている仕事を、曖昧な立場のまま続けさせるべきではない」
文書には、過去の通常税と臨時徴収を横断して照合する権限が記されていた。
徴税担当者へ記録の提出を求めること。
二重払いの疑いがある案件について、調査を開始すること。
理由の分からない徴収や、関連資料の移動を一時的に差し止めること。
結果を領主へ提出すること。
そして、返還、税控除、処分についての最終判断は、ユリウスが負うこと。
「私が判断してよろしいのですか」
「調べる順番と、必要な記録については、あなたの判断に任せる」
ユリウスは最後の一文を指した。
「だが、領主が決めるべき責任まで、あなたへ押しつけるつもりはない」
かつての公爵家では、セラフィーナは必要な仕事をすべて引き受けながら、その働きに名前を与えられなかった。
失敗すれば、妻である彼女の責任。
成功しても、家の中で当然に行われたこと。
今、目の前の文書には、担う仕事と、担わなくてよい責任が書かれている。
「承知しました」
セラフィーナは指定書を受け取った。
「徴税記録調査責任者として、残る記録を照合いたします」
誇らしさを口にするより先に、調べなければならない帳簿がある。
それでも、自分の仕事に初めて正式な名が与えられたことは、胸の内へ静かな熱を残した。
◇
夕方、セラフィーナは異議書へ添える証拠を三つに分けた。
書記が提出した集計控え。
前任徴税官の指示書。
焼け残った領民側の控え。
「集計控えは、金を分けた仕組みを示します。指示書は、その処理を命じて確認した実務責任者を示します。そして領民側の控えは、実際に二度の支払いがあったことを示します」
「通行権の異議にも使うのか」
「はい。この集計方法が、通行権の記録にも使われた可能性があります」
セラフィーナは指示書の末尾へ目を落とした。
前任徴税官の確認欄の下に、小さな番号が書き加えられている。
通行権の台帳に残されたものと、同じ系列の末尾番号だった。
税の記録を分けた手は、領民の銀貨だけを隠していたのではない。
領地の権利まで、同じ方法で帳簿の外へ運ぼうとしていた。




