帳簿庫に火をつけた理由
通行権の執行まで、あと四日。
兵士の給与停止まで、あと二十九日。
「火をつけたのは、私です」
保管庫の書記は、もう一度そう認めた。
セラフィーナは自白を聞いても、すぐに罪を問う言葉を口にしなかった。
机の上には、火事の夜の鍵台帳、焼け残った記録、制度変更書の綴じ紐、そして昨日持ち出されかけた通行権の写しが並んでいる。
必要なのは、怒りではない。
何が失われ、何がまだ残っているのかを確かめることだった。
「鍵を借りたのは、日が落ちてからですね」
「はい」
「帳簿庫へ入ったあと、最初に何をしましたか」
「古い徴税資料を棚から出しました」
セラフィーナは、書記の言葉をそのまま記録した。
「何冊ですか」
「三冊です。ほかに、制度変更書の束を一つ」
「火をつけたのは、その前ですか。後ですか」
「資料を棚から出した後です」
「承認頁を抜いたのは?」
「火をつけた後です。火が広がる前に文書束を持ち出し、保管庫で頁を抜きました」
鍵を借りた時刻。
帳簿庫へ入った目的。
棚から出した資料。
火をつけた時刻。
承認頁を抜き取った場所。
セラフィーナは質問ごとに欄を分けた。
書記が実際に見たことと、誰かから聞かされたことが混ざらないようにするためだ。
「通行権に関する権利台帳の写しも、火事の夜に持ち出しましたか」
「はい。ですが、燃やしてはいません。保管庫へ戻しました」
だから写しには、火事の夜の鍵台帳と同じ返却記号が残っていた。
「承認頁以外に、抜き取ったものはございますか」
「ありません」
「燃やすよう命じられた三冊の名称は?」
書記は二冊までは答えた。
古い徴税記録と、臨時徴収の控え。
残る一冊については、首を横に振った。
「表紙が外されていました。中を見るなと言われていたため、名称は分かりません」
分からないことを、推測で埋めさせてはいけない。
セラフィーナは三冊目を「名称不明」と記した。
ユリウスは向かい側に座ったまま、口を挟まなかった。書記を睨みつけることもない。
ただ、領主として、語られた一言ずつを聞いていた。
「なぜ、火をつけたのですか」
セラフィーナが尋ねると、書記は膝の上で手を組んだ。
「前任の徴税官に、命じられました」
「命じられた内容を、覚えているとおりにお話しください」
「古い徴税記録を燃やせ。制度変更書の承認頁を持ち出せ。火事の混乱に紛れて、鍵台帳の記録も曖昧にしろと」
「理由は聞きましたか」
「記録が残れば困る者がいる、とだけ」
セラフィーナは筆を止めた。
「それは、前任徴税官から聞いた言葉ですね」
「はい」
「あなたご自身は、記録の内容を確認しましたか」
「詳しくは……。ただ、通常の税とは別に集めた金の記録があることは知っていました」
「その金が、どこへ送られたのかは?」
「知りません」
「誰が受け取ったのかは?」
「それも、聞かされていません」
書記が知っているのは、証拠を消せと命じられたことまでだった。
数字の行き先も、不正の全体像も知らない。
少なくとも、今の証言だけではそう記録するほかなかった。
「命令を断ることはできなかったのですか」
ユリウスが初めて尋ねた。
声は低かったが、怒鳴る響きはない。
「断れば、職を失わせると言われました」
「それで従ったのか」
「……はい」
書記の声はかすれていた。
職を失えば、暮らしていけない。
前任徴税官の命令へ逆らうことが、恐ろしかったのだろう。
その事情を理解することと、行為の責任を消すことは同じではなかった。
「命令されたとしても、火をつけた責任はなくなりません」
セラフィーナは静かに告げた。
「失われた帳簿には、領民が支払った金と、兵士へ回るはずだった金が記されていました。燃えた記録は、後から確かめることができません」
「……分かっています」
「ですが、今からお話しになることは、まだ失われていない記録を守る助けになります」
セラフィーナは新しい紙を置いた。
「前任徴税官から渡されたもの、保管するよう命じられたもの、移動させたものがほかにあれば、すべてお話しください」
沈黙のあと、書記は上着の内側へ手を入れた。
取り出したのは、小さく折られた一枚の紙だった。
「帳簿の束を分けるとき、これに従えと言われました」
セラフィーナはすぐには触れなかった。
「いつ受け取りましたか」
「火事の数日前です」
「前任徴税官本人から?」
「はい」
「こちらへ置いてください」
書記が机へ紙を置く。
セラフィーナは受け取った時刻と相手を記録してから、紙を開いた。
臨時徴収。
保管確認手数料。
輸送記録。
それぞれの言葉の横に、短い記号が並んでいる。
「この記号が何を意味するのか、説明を受けましたか」
「いいえ。帳簿をその印ごとに分けろとだけ」
「分けた後、誰へ渡したのですか」
「棚を分けただけです。私は金額の集計には触れていません」
セラフィーナは、その答えも証言欄へ書き込んだ。
前任徴税官が紙を渡したこと。
書記がその指示に従って帳簿を分けたこと。
記号の意味や数字の行き先は知らされていなかったこと。
まだ、前任徴税官が二重徴税を動かしたと断定できる証拠ではない。
けれど、調べるべき記録を選ぶには十分だった。
「この紙を正式な証拠として保管します」
セラフィーナはユリウスへ向き直った。
「同時に、前任徴税官が使用していた印、保管箱、指示書、徴税関連の帳簿を押さえる必要があります。移動や廃棄が行われれば、書記の証言と照合できなくなります」
「分かった」
ユリウスは書記の前に置かれていた鍵束を手に取った。
「本日をもって、保管庫の鍵と文書を管理する権限を停止する」
硬質な音を立て、鍵束が机の端へ移される。
「処分は、証言と記録を確認してから決める。それまでは職務停止とし、文書へ単独で触れることを禁じる」
書記はうつむいたまま、短く答えた。
「承知しました」
「ただし、知っている記録の所在、火事の夜に動かした文書、前任徴税官から受けた指示については、調査に協力してもらう」
ユリウスは扉の外に控える者へ命じた。
「前任徴税官の現在の所在を確認しろ。領内にいるなら、私の名で召喚する。領外へ出ているなら、出た時期と行き先を記録で確かめろ」
続いて、セラフィーナが作った証拠一覧へ視線を落とす。
「前任徴税官が使用していた印、保管箱、指示書、徴税関連記録は、すべて保全対象とする。セラフィーナの確認なしに、移動も廃棄も認めない」
「承知しました」
「この証言記録と証拠一覧は、領主命令による正式な調査記録として扱う」
言葉だけの評価ではなかった。
セラフィーナが自白から拾い上げた情報が、人を動かし、残された証拠を守る命令へ変わった。
書記の権限は止められた。
前任徴税官へは、所在確認と召喚の手が伸びた。
これで、少なくとも同じ者が再び一人で帳簿へ触れ、残った頁を消すことはできない。
◇
書記は監督のもと、火事の夜に運び出した文書の一覧を作り始めた。
セラフィーナは、その間に集計控えの写しを作った。
原本は鍵のかかる保管箱へ。
写しは証言記録とともに、別の場所へ置く。
通行料の受領証も確認した。商人側の控え、領主側の控え、日ごとの帳簿に不一致はない。
火事で失われた帳簿は戻らない。
それでも、次に失われるはずだった紙は残った。
セラフィーナは集計控えを証拠一覧へ加えようとして、最後の記号に目を留めた。
細く閉じた形の印。
見覚えがあった。
保管確認手数料として処理され、行き先が分からなくなっていた銀貨六枚。その控えにも、同じ記号が残されている。
書記は数字の意味を知らないと言った。
だが、この紙を渡した者は、別々の帳簿へ置かれた金を同じ印で結んでいた。
火をつけた手は、止められた。
けれど、帳簿の数字を見えなくした手は、まだ別にある。




