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「愛人に帳簿は読めますか?」十年間領地を支えた私を捨てた夫へ。あなたの領地が財政破綻しても、もう戻りません。  作者: 抑止旗ベル
第二章 空白の所有者欄と、奪われる領地収入

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14/21

帳簿庫に火をつけた理由

 通行権の執行まで、あと四日。


 兵士の給与停止まで、あと二十九日。


「火をつけたのは、私です」


 保管庫の書記は、もう一度そう認めた。


 セラフィーナは自白を聞いても、すぐに罪を問う言葉を口にしなかった。


 机の上には、火事の夜の鍵台帳、焼け残った記録、制度変更書の綴じ紐、そして昨日持ち出されかけた通行権の写しが並んでいる。


 必要なのは、怒りではない。


 何が失われ、何がまだ残っているのかを確かめることだった。


「鍵を借りたのは、日が落ちてからですね」

「はい」

「帳簿庫へ入ったあと、最初に何をしましたか」

「古い徴税資料を棚から出しました」


 セラフィーナは、書記の言葉をそのまま記録した。


「何冊ですか」

「三冊です。ほかに、制度変更書の束を一つ」

「火をつけたのは、その前ですか。後ですか」

「資料を棚から出した後です」

「承認頁を抜いたのは?」

「火をつけた後です。火が広がる前に文書束を持ち出し、保管庫で頁を抜きました」


 鍵を借りた時刻。


 帳簿庫へ入った目的。


 棚から出した資料。


 火をつけた時刻。


 承認頁を抜き取った場所。


 セラフィーナは質問ごとに欄を分けた。


 書記が実際に見たことと、誰かから聞かされたことが混ざらないようにするためだ。


「通行権に関する権利台帳の写しも、火事の夜に持ち出しましたか」

「はい。ですが、燃やしてはいません。保管庫へ戻しました」


 だから写しには、火事の夜の鍵台帳と同じ返却記号が残っていた。


「承認頁以外に、抜き取ったものはございますか」

「ありません」

「燃やすよう命じられた三冊の名称は?」


 書記は二冊までは答えた。


 古い徴税記録と、臨時徴収の控え。


 残る一冊については、首を横に振った。


「表紙が外されていました。中を見るなと言われていたため、名称は分かりません」


 分からないことを、推測で埋めさせてはいけない。


 セラフィーナは三冊目を「名称不明」と記した。


 ユリウスは向かい側に座ったまま、口を挟まなかった。書記を睨みつけることもない。


 ただ、領主として、語られた一言ずつを聞いていた。


「なぜ、火をつけたのですか」


 セラフィーナが尋ねると、書記は膝の上で手を組んだ。


「前任の徴税官に、命じられました」

「命じられた内容を、覚えているとおりにお話しください」

「古い徴税記録を燃やせ。制度変更書の承認頁を持ち出せ。火事の混乱に紛れて、鍵台帳の記録も曖昧にしろと」

「理由は聞きましたか」

「記録が残れば困る者がいる、とだけ」


 セラフィーナは筆を止めた。


「それは、前任徴税官から聞いた言葉ですね」

「はい」

「あなたご自身は、記録の内容を確認しましたか」

「詳しくは……。ただ、通常の税とは別に集めた金の記録があることは知っていました」

「その金が、どこへ送られたのかは?」

「知りません」

「誰が受け取ったのかは?」

「それも、聞かされていません」


 書記が知っているのは、証拠を消せと命じられたことまでだった。


 数字の行き先も、不正の全体像も知らない。


 少なくとも、今の証言だけではそう記録するほかなかった。


「命令を断ることはできなかったのですか」


 ユリウスが初めて尋ねた。


 声は低かったが、怒鳴る響きはない。


「断れば、職を失わせると言われました」

「それで従ったのか」

「……はい」


 書記の声はかすれていた。


 職を失えば、暮らしていけない。


 前任徴税官の命令へ逆らうことが、恐ろしかったのだろう。


 その事情を理解することと、行為の責任を消すことは同じではなかった。


「命令されたとしても、火をつけた責任はなくなりません」


 セラフィーナは静かに告げた。


「失われた帳簿には、領民が支払った金と、兵士へ回るはずだった金が記されていました。燃えた記録は、後から確かめることができません」

「……分かっています」

「ですが、今からお話しになることは、まだ失われていない記録を守る助けになります」


 セラフィーナは新しい紙を置いた。


「前任徴税官から渡されたもの、保管するよう命じられたもの、移動させたものがほかにあれば、すべてお話しください」


 沈黙のあと、書記は上着の内側へ手を入れた。


 取り出したのは、小さく折られた一枚の紙だった。


「帳簿の束を分けるとき、これに従えと言われました」


 セラフィーナはすぐには触れなかった。


「いつ受け取りましたか」

「火事の数日前です」

「前任徴税官本人から?」

「はい」

「こちらへ置いてください」


 書記が机へ紙を置く。


 セラフィーナは受け取った時刻と相手を記録してから、紙を開いた。


 臨時徴収。


 保管確認手数料。


 輸送記録。


 それぞれの言葉の横に、短い記号が並んでいる。


「この記号が何を意味するのか、説明を受けましたか」

「いいえ。帳簿をその印ごとに分けろとだけ」

「分けた後、誰へ渡したのですか」

「棚を分けただけです。私は金額の集計には触れていません」


 セラフィーナは、その答えも証言欄へ書き込んだ。


 前任徴税官が紙を渡したこと。


 書記がその指示に従って帳簿を分けたこと。


 記号の意味や数字の行き先は知らされていなかったこと。


 まだ、前任徴税官が二重徴税を動かしたと断定できる証拠ではない。


 けれど、調べるべき記録を選ぶには十分だった。


「この紙を正式な証拠として保管します」


 セラフィーナはユリウスへ向き直った。


「同時に、前任徴税官が使用していた印、保管箱、指示書、徴税関連の帳簿を押さえる必要があります。移動や廃棄が行われれば、書記の証言と照合できなくなります」

「分かった」


 ユリウスは書記の前に置かれていた鍵束を手に取った。


「本日をもって、保管庫の鍵と文書を管理する権限を停止する」


 硬質な音を立て、鍵束が机の端へ移される。


「処分は、証言と記録を確認してから決める。それまでは職務停止とし、文書へ単独で触れることを禁じる」


 書記はうつむいたまま、短く答えた。


「承知しました」

「ただし、知っている記録の所在、火事の夜に動かした文書、前任徴税官から受けた指示については、調査に協力してもらう」


 ユリウスは扉の外に控える者へ命じた。


「前任徴税官の現在の所在を確認しろ。領内にいるなら、私の名で召喚する。領外へ出ているなら、出た時期と行き先を記録で確かめろ」


 続いて、セラフィーナが作った証拠一覧へ視線を落とす。


「前任徴税官が使用していた印、保管箱、指示書、徴税関連記録は、すべて保全対象とする。セラフィーナの確認なしに、移動も廃棄も認めない」

「承知しました」

「この証言記録と証拠一覧は、領主命令による正式な調査記録として扱う」


 言葉だけの評価ではなかった。


 セラフィーナが自白から拾い上げた情報が、人を動かし、残された証拠を守る命令へ変わった。


 書記の権限は止められた。


 前任徴税官へは、所在確認と召喚の手が伸びた。


 これで、少なくとも同じ者が再び一人で帳簿へ触れ、残った頁を消すことはできない。



     ◇



 書記は監督のもと、火事の夜に運び出した文書の一覧を作り始めた。


 セラフィーナは、その間に集計控えの写しを作った。


 原本は鍵のかかる保管箱へ。


 写しは証言記録とともに、別の場所へ置く。


 通行料の受領証も確認した。商人側の控え、領主側の控え、日ごとの帳簿に不一致はない。


 火事で失われた帳簿は戻らない。


 それでも、次に失われるはずだった紙は残った。


 セラフィーナは集計控えを証拠一覧へ加えようとして、最後の記号に目を留めた。


 細く閉じた形の印。


 見覚えがあった。


 保管確認手数料として処理され、行き先が分からなくなっていた銀貨六枚。その控えにも、同じ記号が残されている。


 書記は数字の意味を知らないと言った。


 だが、この紙を渡した者は、別々の帳簿へ置かれた金を同じ印で結んでいた。


 火をつけた手は、止められた。


 けれど、帳簿の数字を見えなくした手は、まだ別にある。



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