第7章 いろは歌の思い出
日光市足尾の旅の後編です。
彩海と晴久は銅親水公園のベンチに座り、おにぎりとゆで卵と野菜ジュースで遅めのランチを取った。
それから近くの足尾製錬所跡と古河橋を見学した後で、日光市内に向かわずにユータウンした。
でもそれで旅が終わるわけではなかった。
行きのときはまだ開いていなかったためにスルーした、群馬県みどり市にある「道の駅 富弘美術館」へ立ち寄ってスタンプを押し、ここは道の駅カードの販売はなかったので、切符だけを購入した。
その後、本当は旧花輪小学校記念館へ寄りたかったが、時間の都合があったので、諦めてそのまま下り、やはり行きでスルーした桐生市「道の駅 くろほ・やまびこ」に寄った。
そしてスタンプを押し、道の駅切符を購入した。やはりカードはなかった。
それからみどり市にある高津戸ダムへ向かった。ナビの案内で住宅街の細い道に入ったが、本当にこんなところにダムがあるのかと疑いつつ進んだら、本当にあったので驚いた。
そこもまた発電専用のダムだった。水は勢いよく「関東の耶馬渓」と呼ばれているという、高津戸峡に流れ落ちていた。
ダムカードをゲットした後、そのダムを渡って細い道を歩いて上がって行くと、はねたき橋という立派な橋が架かっていて、そこから美しい渓谷を望むことができた。
一見すると、まるで山の奥深くにある渓谷の景色なのに、その周りは密集した住宅地だった。
普段着姿の人がサンダル履きで散歩しているその光景は、どこかミスマッチで不思議な感じだった。
秋になったらさぞかし綺麗なんだろうなと思いながらも、駐車場に車を停めるのは至難の業であることは容易に想像ができた。
父親じゃないが、いくら紅葉が美しくても、渋滞は避けたいと思ってしまった。
そしてその半月後、彩海達はまた日光方面へ向かった。
日光のマンホールカードの再配布が始まったからだった。
いつまた終了するか分からないので、行けるときにさっさと行ってしまおうと考えたのだ。
最初の目的地は、群馬県桐生土木事務所。橋カードをもらうためだった。
以前公共ガードを色々検索した結果、過去に橋カードなるものも発行されていたことを知ったのだ。
ただし、すでに配布を修了した所もあるようだったので、訪れる前にネットや電話で確認をするようにしていた。
橋はダムと同じく形状や景観が様々で興味深い。しかし、実際に写真に収めるのはなかなか難しい。交通量が多くて駐車場所が近くになかったり、全体像を撮影する場所を見つけるのも至難の業で。
だから橋カードをもらえるというのはありがたかった。
橋カードをゲットすると、再び日光市の足尾へ向かった。そして庚申ダムへ行き、ダムカードと発電所カードをもらった。
その後、かの有名ないろは坂をくねくねと上って行った。
子供のころ、兄達は車の中で「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならん……」と口ずさみながら、カーブに差し掛かる前に順番にその文字の名をあげていた。
兄二人は才女と名高い祖母と大の仲良しで、末の叔父一家と暮らしていた祖母の所へよく遊びに行っていた。
そこで俳句やら習字などを習っていたのだが、いろは歌も祖母に教わっていたらしい。
ひらがなを全て使った歌を詠ませて、自然に文字を覚えさせたという教育は、本当に素晴らしいと最近になって思った。
なにせ平安時代にはすでにひらがなやカタカナが生み出され、それを歌にして覚えさせるという教育メソッドが作られていたのだから。
明治維新後、欧米人が日本人の識字率の高さに驚いたというが、それは江戸時代の寺子屋のせいかと思っていた。
しかし中世のころから平民もそこそこ文字が読めていたようだ。漢字はともかく、47文字のひらがなだけ覚えれば、最低限の読み書きはできるからだ。
漢字しかない中国や、組み合わせで読み方が変わるアルファベットを使う欧米とは、そこが違うらしい。
室町辺りになると、貴族や武士だけでなく豪族達も自分の土地を持つようになった。
そうなると、自分達で管理や維持しなければならなくなったので、文字の読み書きが必須になったらしい。
でもそれは商人や農民も同じで、仕事が終わった後、農閑期などに家庭で子供達に勉強を教えていたのだという。
欧米では文字を読み書き出来ることが高貴な身分の特権とばかりに、庶民には文字を教えないようにしていたそうだ。
つまり、最初から庶民を騙す気満々だったわけだ。契約書を交わしても、庶民相手なら読むことも書くこともできなかったのだから。
それに対して日本の平民は、強い相手にできるだけ理不尽な目に遭わないように、抵抗するために文字を覚えようとしたのだという。
両親や兄達が口ずさんでいたあのいろは歌って、日本の最古で最高の教材だったのね。この年になってようやくそれを理解した彩海だった。
そんなことを思い出しているうちに、車は中禅寺湖近くの公営駐車場に着いた。
目的地はまず奥日光インフォメーションセンターだった。そこでマンホールカードをゲットし、中禅寺ダムへの道筋を訊ねた。
教えられた通り、右手に中禅寺湖を見ながら、坂道を下って行くと、そこに小さ目のダムを見つけた。
そこでもらったダムカードを見て彩海は思った。たしかに中禅寺湖の直ぐ側にはあるけれど、道路から下がった場所にあるためにこれでは人目に付きにくいだろうと。
中禅寺湖は全国的に有名な場所だから、よく報道番組でも取り上げられるが、そのすぐ側にはあるダムまで紹介されていた記憶はなかった。
茨城の竜神湖だって、バンジージャンプができる竜神大吊橋で有名でよくテレビで取り上げられるが、あの高い橋の下はダム湖なのだ。そしてダムだってちゃんと映っている。しかしそんな説明は一切ないのだ。
ダムがニュースで取り上げられるのは渇水して水不足になったときくらいだ。
そして唯一明るい話題で取り上げられるなのは、ダムカレーとダム放水のときくらいだな、と彩海は思った。
まあ、彼女自身それをテレビで見たことがきっかけでダムカードを知り、ダム巡りを始めたのだ。
そしていつか、自分もあの放水を見たいと思っていたわけだが、その夢はコロナが終息した後に、夫の陽久のおかげで実現した。
世の中にこんなにもお仲間がいるのかと感動した。ものすごい人数だだたので、人込みを避けて暮らしていた彩海には衝撃的だった。
そのこともいずれ語られることだろう。
再び長くなったので、続きはまた次章で




